序章
「あんた、大陸さ渡ってどうする気だ?」
この道のベテランだと自負する船頭は、穏やかな海の心地良さに負けないくらい優しい声で、船尾の青年に話し掛けた。
「……………。」
青年は答えなかったが、船頭はそんな気がしていたのか、
「ま、大陸さは夢があっからな。若い時は誰もが一度は夢に惹かれるもんだべ」
構わず続けた。
青年は、全身を覆う麻色のマントに身を包み、頭から鼻先まではフードで隠れて顔が見えない。
大陸へ渡りたい。青年はそう声を掛けて来た。本来なら、定期便で行き来するものだ。とてもじゃないが、大陸を渡るような船ではない。が、顔を隠していること、チラチラと剣が見えること、何より危険を承知でちんけな船を選んだこと、訳ありなのだろうと悟って承諾したのだ。
幸い、今日は海もおとなしく、大陸へは時間をかければ行けなくもない。多分、それが出来る船頭は自分しかいない。青年も、情報をどこから手に入れやって来たのだろうから。
「んだけども、大陸さ渡ったら気をつけるだよ。バジリア帝国以外にも国が出来たと聞いただ。領土を巡って戦争してる国もあるみたいだべ。巻き込まれなさんな」
「………知ってるよ」
「知ってて行くのかえ?ほんならええが、ま、夢が叶えばいいがのう」
氷の上を滑るように実にスムーズに海上を行くと、山肌が黒く見える島があった。
「あれさわかるけ?もう十年になるかの。あそこさ村があっただよ。んだけんじょ、大きな火事に見舞われたとかで、み〜んな死んじまった。一人残らずのう」
船頭が独り言を言ってるうちに、やがて人気の無い砂浜へと到着した。
「さて、町から遠いけんじょ、ここいらでええかの?帰りのこと考えるとここが限界じゃね」
浅瀬に降り、船頭は船を波打ち際まで手押しした。
青年は水に浸かるまいとしたのか、その場で立ち上がり砂浜までジャンプした。
「ほえ〜、あんた身軽じゃのお。おどれーたわ」
「助かった。これは礼だ」
マントの中から巾着を取り、船頭に渡した。
ズシッと重みのある巾着を開け、手のひらに出してみると、銅貨だと思っていたが全て金貨だった。
「こ、こんなに受けとれねーだよ!こだな大金………」
「いいんだ。危険な思いをさせたんだ、それくらい当然だ」
「い、いいのかえ?」
「ああ。気をつけて帰ってくれ」
青年はそれだけ言うと、背を翻した。
「あんたも気をつけてな。夢、叶うといいなあ」
孫を送り出すような気持ちだった。年老いた自分には人生最後の大仕事になるだろう。そう思うと、達成感が溢れる。
「違うんだ」
「ほえ?」
「夢を叶えに来たわけじゃない」
「ほんなら、なして定期便避けてまで大陸渡って来ただ?」
訳ありなのは訳ありに違いないだろうが、定期便を避けなければならないほどのお尋ね者なら、どこもかしこも警戒態勢のはず。しかし、そんな気配は港にも何処にもなかった。
剣を持ってる辺りから、どこぞの国に仕官でもするのかと思っていたが………違うらしい。
「人を探してるんだ」
青年は船頭に背を向けたまま言った。
「人探し?恋人かなんかかい」
「………友人をね」
「友達かえ」
「そうだ」
「そうかい。見つかるとええのお」
「ありがとう」
再び青年は歩き出す。その後ろ姿さえマントで覆われよく見えないが、紅い鞘に収まった剣が青年の右腰にあったことだけは記憶に残っていた。
鮮烈なほどの紅の。
「ありゃ〜、左利きじゃの」
それと、青年の背中が、何故かとても頼もしく思えたことも。