19-(1) 二人目の皇子
「どっ、どういう事だよ!?」
スクリーン端末の向こう側で続いているアズサ皇の記者会見と彼女へ飛ぶ質問の嵐。
そんな遠い国の騒がしさに負けず劣らぬが如く、次の瞬間、酒場『蒼染の鳥』でテーブル
を囲っていた者達は口々に激しい動揺の声を漏らしていた。
そのテーブル席の上には、アルスとエトナがこっそりと皇国に向けて飛び出してしまった
旨を示す一枚の置き手紙。
戸惑っていたのは、イセルナ達団員らだけに留まらなかった。
場所が場所だっただけに、時間帯が時間帯だっただけに、酒場内でたんまりと飲んでいた
常連客らの少なからぬ面々もまた、わらわら集まっきては何事かと覗き込んでくる。
「なんだい? ジークの弟クンが家出かい?」
「つーか、ダンさん達、今トナンに居るのか?」
「まぁ遠出の依頼に出てるとは聞いてたけどよ……。よりによってこんな時に其処の王さん
が軍隊でドンパチやろうって事になるとはねぇ。何とも間の悪い……」
「そう、ですね……。きな臭いという話はありましたが、本当に現実になるとは」
あくまで“ジーク達は仕事で遠出をしている”としか訊いていなかった酒場の常連達は、
無理からぬ事ではあったが、何処なくのんびりとしていた。
それだけジーク達の冒険者としての力量を知り、信頼しているのかもしれない。
だが何よりも、肝心の事実を──画面の向こうで語られる争いの中核にジークがいること
を知らないが故に、きっとそんな反応でいられるのだろう。
「これって拙いんじゃないですか? 団長、ダンさん達は?」
「……いえ。この前の連絡が今の所最後よ」
だからこそ、対するイセルナ達団員サイドは気が気がでなかった。
こそっと。杯片手に野次馬よろしく騒がしくしている客らに気付かれないよう、団員らは
そうイセルナに耳打ちをして確認するが、彼女の反応は芳しくない。静かに眉根を寄せ、短
い返答を寄越すだけだった。彼女の肩に乗っていたブルートも、周囲──画面の向こうのア
ズサ皇にじっと眼を遣っている。
「でも、妙ですよね? ダンさん達は導きの塔を使って向こうに行ったんでしょう? こう
言っちゃうと不謹慎ですけど、いくら“結社”の奴らが飛行艇を落としたからってアルスが
飛び出しちゃうほどの理由になるってのがいまいち……」
「ああ。それは俺も思った」
「そもそも、今回の役割分担もちゃんと打ち合わせをして決めた話だし……」
そして団員達にとって次に疑問になるのは、アルスに突然の出奔を強いた動機に不自然さ
があるという点で……。
団員の一人がアルスの書置きを再び読み直してみる一方で、別の団員らが互いに頭に疑問
符を浮かべている。
少なくともジーク達自身は、実際には飛行艇を使っていない。
なのに何故──アズサ皇の軍事作戦さえ知らないであろうアルスが、そこまで駆り立てら
れなけばならなかったのか?
「……。もしかしてだけど」
だがそんな皆の疑問はややあって解消されることになる。
それまでメモに視線を落としていたシフォンがふと、顎をそっと撫でながら言ったのだ。
「アルス君は、ダン達が飛行艇を使ったと思い込んでいるんじゃないかな?」
「へっ……?」
「いやでも、打ち合わせでその選択肢は」
「うん。だけどその時、アルス君は何処にいたか覚えてる?」
『…………』
しばしの沈黙。
そして団員らは、ハッとして一様に目を丸くしていた。
イセルナやハロルドもまた、彼の言葉の意図する所に気付いて眉根を寄せる。
「そうだった……! あいつ……」
「部屋に戻っちまったんだっけ? ジークに来るなって言われて……」
「じゃ、じゃあ、アルスとエトナは今の今までダンさん達が導きの塔を使って向こうに行っ
たって事を」
「知らないと思うよ。だとしたら、大陸間を渡るのに飛行艇を使ったと思い込んでしまって
いるのもごく普通の常識だしね」
団員らは目を見開いたまま、互いの顔を見合わせていた。
その表情は一様に引き攣っていて。自分達の失態を悔い、慌て出す一歩手前のそれで。
「どどど、どーすんだよ!? 完全にすれ違いじゃんか!」
「そりゃあ確かに向こうはきな臭いけど……。あいつまで遣っても危険に晒すだけだぞ」
「や、やべえ。これジークに知られたら冗談抜きで半殺しにされる……。いや、九割九部く
らい殺される……!?」
「落ち着きなさい」
それでも、慌て出す団員らをイセルナはピシャリと一言の下に鎮めていた。
守るべき筈のアルス(とエトナ)と情報を共有できていなかった自分達の落ち度。ホーム
は任せたと経っていった仲間達への申し訳の立たなさ。
そんな諸々の思考や感情で頭を抱え出した団員達が、一斉に同じく険しい表情をみせて
いるイセルナらの方を見遣る。
「うろたえている暇があったら私達も動くわよ? 時間も時間だし、まだそう遠くには行っ
ていない筈。すぐに皆で手分けして、二人の行きそうな場所を当たって頂戴」
「りょ……了解です!」
「よし。そうと決まれば善は急げだ!」
「おうよ! つーことは空港か? それとも……」
パンと手を叩くイセルナの呼び掛けに弾かれるように、団員達は外へと駆け出し始めた。
残った面子は待機、そして情報の集約係。イセルナは傍らのシフォンとハロルド、事態の
成り行きを見ていた酒場の客達に振り返って言う。
「……そういう訳なので、すみませんが今夜はこれにて臨時休業とします。もしアルス君の
居場所について聞き及ぶことがあれば、些細なことでも構いませんのでご連絡下さい」
「ああ、分かった。任せときな」
「もう暫く飲みたかったんだが……しゃあねぇよな」
「おい、動ける奴がいたらイセルナさん達を手伝ってやれ!」
「いえいえ……。お客さんにそこまでして貰う訳には」
「いいんだよ。店主さん達にゃあ、いつも割安で飲ませて貰ってるんだし」
「それに、俺達にとってもジークやアルス坊は息子みたいなもんだからなぁ」
「この前の魔獣騒ぎの時にゃあ、身を張って街を守ってくれたんだ。今度は俺達があの子を
守ってやる番だろう?」
イセルナは、少々面食らっているようだった。
彼ら自身酒が回っている勢いも多分にあるのかもしれない。
それでも、彼女は次の瞬間にはフッと表情を緩めて優しい苦笑をみせ、頷くシフォン、店
の「CLOSED」のプレートを持ち出してくるハロルドらと顔を見合わせた。
「……ありがとうございます。ですが無理はしないで下さいね?」
「ああ。分かってるよ」
「それじゃあ、俺達はどう動けばいい?」
彼らの厚意は嬉しかった。ありがたかった。
でも、だからこそ“余計な関係者”を増やしたくないという思いもより強くなって。
「そうですね。では──」
イセルナは再度、スクリーン画面の向こうで睨むような強い瞳を宿すトナン皇の姿を見遣
ると、そうゆっくりと口を開いた。
陽は沈んでいたが、それでも街はまだ寝静まった訳でもない。
夜は夜で、アウルベルツもまた別な一面をみせていた。
通りに散在する酒場や娯楽関係、或いは昼夜を問わない公共施設。それらの灯りが夜の街
を闇色を背景に彩っている。
「……」
だがそんな、この世界の文明発展はこの時ばかりは自分に味方してくれたように思えた。
イセルナ達がその出奔に気付き慌てるよりも少し時は巻き戻り、夜の通りの一角。
昼間ほどではないものの点々と往来があるそこへと、財友館を出たアルスはそっと交ざろ
うとしていた。
(結局、目ぼしい情報はなかったね)
「うん……」
しかしその格好は、普段のそれとは幾分違っていた。
やや分厚く余所行きなローブを纏い、顔は目深く被ったフードで隠されている。加えて肩
には旅荷用のリュックを引っ掛けて。
周りから目立たぬよう、気付かれないよう顕現を解いている──たださえ姿を見せる精霊
というのは一般人にとっては珍しいのである──エトナの気配とひそひそ声に、アルスは心
持ちしょんぼりとした声色で小さな頷きを返す。
先刻、置き手紙を宿舎の自室に残して飛び出し、二人は先ず財友館へと足を運んでいた。
知りたかったのは、何よりも兄達の安否だった。
焦る気持ちを抑えつつ、一般開放されている端末ブースにて報道各社が報じているニュー
ス一覧にアクセスしたのだが、結局肝心のそれは載っていなかった。
まだテロから三日と経っていないのもあるのだろう。
北方からでは、遥か東の一角──厳密な地理を言えば南南東だが──で起こった
事件を知るには、遠過ぎたのである。
(これからどうするの? やっぱり朝まで待って、例の空港へ訊きに行った方がよかったん
じゃ……)
「行った所で向こうが正直に話してくれるとは思えないなあ。むしろ“関係者が面倒な動き
をし始めた”みたいな捉え方をして、何とか抑え込もうとしてくる可能性が高いよ。当局だ
ってそうだと思う。まだドタバタしている最中に事を掻き乱すような人間がいたら疎ましい
だろうから」
(釈然としないなぁ……)
「情報はいずれ出てくるとは思うよ。だけど、待ってられないよ。……心配だもの。もう決
めたんだ。僕自身の目で、兄さん達の無事を確認する。そして力になるんだって」
袖先からちょこんと覗く手を握り、アルスは静かに決意を確認するように呟く。
エトナはふぅと、一般人には知覚できない霊体状態のままで苦笑の息を吐いていた。
(そりゃあ心配なのは私も同じだよ。でもさ、どうやって皇国に渡るつもり? まさか飛
行艇を使うなんてこと……しないよね?)
「あはは……。まさか」
疎らな夜の通りを、心持ちにも実際にも行き交う人々から距離を置きつつ、二人は街の出
口の一つへと足を運んでいた。
流石に場所が場所だけに、スッと人の気配が薄れていく感じがした。ザワッと夜風が鳴く
と、着込んだローブが無遠慮に靡かされる。
エトナのおずおずとした確認に、アルスはフードの下で苦笑した。
そもそもこうして行動を起こした切欠が、飛行艇がテロによって落とされたからなのだ。
誰が好き好んで、この時期に同じ空港から同じ目的地へ飛ぼうと思うのか。
「僕らまで同じ轍を踏む訳にはいかないよ。それに今はまだあっちは運休中じゃない」
(そうだっけ? じゃあ……どうする気なの?)
一歩、街の境目でもある城壁、そこに開いた門の下をくぐる。
詰め所の守備隊員が一人、室内からちらとこちらを見遣ってきたが、所詮ありふれた旅人
だろうと判断したのかすぐにその視線を逸らしていた。
「あるじゃない。飛行艇よりもずっと昔から、皆を離れた場所に運んできたものが」
その無言でささやかな咎めをやり過ごしてから、アルスはそっと言った。
野原にくねくねと延びてゆく街道。
そこから少し外れた草むらにふと足を踏み入れると、彼はそっと中空にその手を差し出す
ようにして小さな呟きを唱え出す。
ややあってその掌からポウッと旅立って行ったのは、一体の光球。精霊を介した伝令だ。
「導きの塔──。あそこの転移装置を使おうよ」
そしてその煌きが、軌跡を残しながら夜闇の中に消えてゆくのを眺め終えてから。
アルスは月明かりの空を背景に振り返ると、そう静かに微笑んでいたのだった。