18-(4) 遠き地で貴女は
北方の小村に、一台の鋼車が停まった。
ドアを開けて姿を見せたのは、一人の軽礼装の男性と彼に付き従う執事風の男だった。
エイルフィード伯セドと、その側近である執事長アラドルンである。
周りは冷やっこさを纏う緑と土の道ばかり。正直彼らの登場はそんな風景には馴染まない
とみえる。
だが二人はそんな事などは気にする様子もなく、自然に近いままの道を踏み締めてゆく。
「……お?」
当然、真正面から小村──サンフェルノへと足を踏み入れれば、村人らが気付かない筈な
どなくて。
畑で農作業をしていた者。のんびりと木陰で休んでいた者。井戸端会議をしていた者。
数名の村人らが、はたと姿を見せたセドとアラドルンに何の気なしに視線を寄越す。
「こんにちは。皆さん」
「お……? おぉ、セド君か! 久しぶりだなあ」
「いやいや、もう今は伯爵様だったな」
「なぁに。わざわざこんな遠い所までようこそご苦労さんだよ」
セドがコーダス──村の同胞の親友である事は村人達にとっては周知の事実である。
だからこそ、彼らが今は伯爵家を継いでいる正真正銘の貴族だと分かっていながらも若き
頃からの付き合いのままで集まり接してくることに、セドは正直安らぎを覚えたし、窘める
気も起こる筈がなかった。
「それで、今日は何でまた? やっぱシノブさんにかい?」
「ええ。シノブ──シノ殿下にお話がありまして」
しかしフッと懐かしさで緩んだ彼らの言葉に一滴の冷水を垂らすように、セドは静かにか
つての仲間の名を敢えてそう呼び直して答えた。
すると村人達は一斉にピクリと震え、押し黙る。
ジーク達の帰省と襲撃騒ぎ以来、彼らもまた知っている。
つまり、今回の彼が顔を出して来た目的は──。
「……そうか」
「彼女なら、家──診療所じゃないかね? 今日も普段通りに」
「いや、多分この時間帯なら墓地の方じゃないかねぇ。いつものお祈りで、さ」
「ああ……そうか。例の件もあるしな……」
おもむろに心苦しそうになる村人達。曇る表情。
やはりというべきか当然というべきか、この村にも彼女達にも例のテロ事件の報は伝わっ
て来ているようだ。
「……。分かりました、ありがとうございます」
そんな彼らを暫し見遣ってから、セドは丁寧に再度会釈をするとアラドルンを伴って村の
より奥へと歩いてゆく。
村の共同墓地はこの日も静かだった。いや、物寂しかったというべきか。
こんもりと小高く整えられた村外れの丘の上、点々と建てられた墓標の一角に、セド達は
目的の彼女を──かつての姫君を見つけていた。
そっと、独り祈りを捧げ目を瞑ったままの彼女の傍へと二人は近付いてゆく。
「……?」
ぱさりと。アラドルンから受け取った献花用の花束を墓前に供えて。
「あ。セド君、アランさんも……」
「……よう」
「お久しぶりで御座います。シノブ様」
その気配と物音に気付き瞼を開いてこちらを見てきたシノブに、セドは静かに簡素な挨拶
だけを返すと、フッと今度は彼女と入れ替わるように墓前に──いなくなってしまった友に
暫し黙祷を捧げ始めた。アラドルンもシノブに恭しい一礼を寄越すと、主のそれに従う。
「セド君……」
やがて、セドはアラドルンはそっと目を開いた。
かつての仲間達が、愛する人の墓前に参ってくれている。
だがシノブはそれ以上に漠然とした不安──怖れを感じている自分に気付き始めていた。
エイルフィード家の爵位を継いでから多忙になったセド。それでも命日や何周忌といった
節目の日には、たとえ執務に代理を出してでも献花に訪れてくれている。
しかし、今日はそういった類の日ではない。
だからこそ否が応に分かってしまう。彼らはきっとあの事を、私のこれまでを──。
「……村の皆も知ってたようだし、お前も聞いてるよな? この前のテロの件」
「ええ……。新聞でも読んだし、イセルナさんからも導話があったわ。ジーク達は導きの塔
を使ってトナンに向かったから、あのテロには巻き込まれてはいないって」
「ん……。そっか」
ごそりと、屈み込んだままの姿勢を微調整してセドは小さく呟いていた。
不安げにそんな彼らの横顔を、シノブはおずおずと見遣っている。
しかし対するセドは、敢えてそんな視線に向き合わない──向き合えないかのように墓前
へ目を落としたままだった。
「おかしいとは思わないか?」
そして曖昧な呟きからたっぷりとを置き、彼は此度の目的に触れ始める。
「おかしい?」
「ああ。もっと厳密に言えば出来過ぎてるっていうかさ……。ジーク達がトナンに渡ってか
らのあの爆破テロだ。相手はあの“結社”だぜ? まさか仕留めるタイミングを図り損ねた
なんて下手を打つとは考え難い。でも実際はああやってまだデカい犠牲を出してみせてる。
だとしたら、奴らの意図はもっと別にあると考えた方が辻褄が合う」
「揺さ振り……かしら。イセルナさんもそう話していたし」
「それもあるだろうけどな。でもよ、それでも結局、分からない事が多過ぎるんだ」
数度髪の毛をポリポリと掻きながら。
セドはそこでようやく、落としていた視線をシノブに向ける。
「……これは俺ん所の密偵達からの報告なんだがな。アズサ皇がジークを国家反逆者として
賞金首にしたみたいなんだ」
そして発せられた言葉に、シノブを目を見開き絶句していた。
何故? そんな疑問と戸惑いが彼女の表情からはありありと窺える。
セドは彼女に眉根を寄せて苦笑してみせると、続けた。
「そりゃあ俺も最初は訳が分からなかった。お前達親子の消息は俺達が必死になってぼかし
て隠してきた筈だからな。いくらジーク達が自国の領内に足を踏み入れてるからっつっても
それですぐにクーデターの時に逃げられたお前の息子だと気付くとは考え難い」
「……ええ。で、でも」
「ああ。実際は賞金首にして触れを出してる。少なくともジークの身辺を洗って──知って
いるからこその行動の筈だ。だとすれば、ここである可能性が繋がる。濃厚になってくる」
ピシリと、立てる指を一本。
彼女に再注目させるようにセドは前置きよろしく口にする。
背後ではアラドルンがいつの間にか立ち上がっており、それとなくこの場に他の村人が近
付いていないか、警戒するように静かに辺りに目を配っているように見える。
「ここで状況を整理し直すんだ。一つ、現実的に考えて六華を手にして一番得をするのは誰
になる? 俺達以外でだ」
「……伯母様。アズサ皇、よね?」
「ああ。本人にとっちゃクーデターで勝ち取った権力だからな。お前と同じくゴタゴタの中
で──実際は先皇夫妻からお前に託された訳だが──行方知れずになった王器を欲しがって
るのは、あいつを他に置いていないと考えていい。じゃあ二つ目だ。その六華の存在を嗅ぎ
付けてこれまで何度となくジーク達を、挙句はこの村すら襲ってきたのは誰だ?」
そしてそこまで言われて、ようやくシノブは彼の言わんとしている事に気付いたらしい。
初め言葉が出ず、ハッと口元に手を当てて両の瞳をぐらぐらと揺るがせる。
「……。つまりセド君は、伯母様と“結社”が手を結んでいると言いたいの?」
「そういうこった。まぁ手を結んでいるというよりは、奴らに何か別の目的があって、その
情報やらを餌にアズサ皇に近付いたと考えるべきなんだろうな。ジーク達のことを知ってい
るのもそれで辻褄が合うし、何より“結社”の目的が六華自体じゃないと考えて不具合の無
い仮定への状況証拠にもなるからな」
「……」
シノブは不安げな瞳をいっぱいに潤ませ、心なし俯き加減になった。
結局の所“結社”側の本当の目的は判然とはしない──少なくともその為に伯母様の欲望
を煽っているらしい──が、少なくともこの今という瞬間も、息子達は彼女にその身を、命
を狙われていることだけは確かになるのだから。
何処かで分かっていた筈ではあった。
息子達が皇国へ行ってみると聞いた時から、安寧な旅路にはならないだろうとの覚悟は
していた。だからこそ、こうして毎日のように夫と共に無事を祈っていた。
なのに。なのに伯母様は……。
「……なぁ、シノブ」
内心で激しく動揺する彼女に、セドはじっと見つめる眼ではたと呟き語り掛けていた。
不安が隠せなくなった表情を上げ、押し潰されてしまいそうなその憂い模様。
セドは一度大きく深呼吸をすると、
「お前は、これからも故郷をこのままにしておいていいと思うか?」
長らく溜め込んでいたものを吐き出すように彼女へ問い掛けを放つ。
「セド、君……?」
それは遠回しながらの復権を訊ねるものに他ならなかった。
横に振ろうとする首が、動きが一瞬だけ、束の間だけぎこちなく止まる。
それでもシノブは何とか、セドの出してこようとする提案に否を示そうとする。
「分かってるよ。だから俺達も今までずっとお前達を見守ってきた。これからもそれが続け
られるなら構わないと思ってる。……でもよ、アズサ皇はそんな事は微塵も思ってねぇんだ。
見つけたなら、消す。お前達が“敵”だと思い込んでる。悔しいが“結社”の所為でそれが
今現実になろうとしてる。このままじゃあ、お前の子供や仲間達がその魔の手に掛かる
可能性が高いんだよ」
心臓がドクドクと鼓動を早めているのが分かる。
興奮ではない。緊張だ。今にもこの血の送り主を握り潰されそうな程の不安だ。
シノブはすぐさま反応できない。頷くことができない。
それでも……セドは、背後で二人を周囲から隠すように立つアラドルンは、じっとこのか
つての東方の姫君の面持ちから目を逸らさない。
「俺達は、覚悟はできてる。むしろその為に爵位も継いだんだ。地道にあちこちに確かで力
になってくれる人脈を作ってきたつもりだ。全部、お前達の為なんだよ。いや……俺自身の
為でもあるんだ。あの日に救えなかった分も含めて、今度こそ、取り零さないように」
「…………」
シノブは揺れ動いていた。
目の前の、各地にいるであろう仲間達の協力者達の厚意は正直に嬉しかった。
だけど、それでも。
彼らを駆ってまで自分はあの場所に戻って良いのか……?
「一度逃げ出した私に、そんな資格なんて……」
だからこそ、彼女はそうすぐには吹っ切れなくて。
消えることのない自責の念や恐ればかりが、膨らんでは心を暗く圧迫する。
「──これは……一体どういう事だ?」
一方、レジスタンスのアジトの眼下、森の外郭を囲むようにして取り囲む勢力があった。
地を覆う軍靴の群れ。それは間違いなくトナン皇国の国軍で。
外の異様な光景に気付いたサジやレジスタンスのメンバー、そしてジーク達はアジト内の
異質から迫り来るその大軍に戸惑いを驚きを隠せない。
「勘付かれたってことか? にしたってこれは数が多過ぎるじゃ……」
「サジさん!」
すると別室から他のレジスタンスメンバーが数人、血相を変えて飛び込んできた。
内何人かは魔導と機巧技術の融合物、携行型の端末機器を手にしている。
「どうした? 別方向からも軍勢が?」
「いえ……そうではないんですが」
サジらが振り向き、彼が神妙な顔で訊ねると、
「今、国営放送でアズサ殿が。こっ、国内外に向けてとんでもない事を」
「……!? 分かった、こっちにも映像を繋いでくれ」
「は、はい!」
この技師系メンバーらはおろおろと断片的な返答を漏らしながらも、サジの指示を受けて
すぐさま配線を繋ぎ、現在進行中で流されている映像を一同の前にディスプレイする。
『──これは、我々にとって非常に大きな戦いとなるでしょう』
そして、中空に展開された画面に映し出されたのは。
凛々しく何より鋭い眼付きで、記者会見の壇上で語るアズサ皇の姿で──。