18-(2) 救うべきもの
今度のアジトは、森の中だった。
砦を急ぎ発ち、街道からたっぷりと外れた山野の中を暫く進むとそれは見えた。
一見すると古くに建てられた教会──皇国にしては珍しい──であるらしい。
外見こそ廃墟数歩手前だったが、サジ達がアジトに利用しているだけあって、いざ中に入
ってみればアジトの機能を果たせるほどには内装の工事が施されていた。
既に内部では少なからぬレジスタンスのメンバーが活動しており、サジからの直々の事情
説明が済むと、ジーク達は大仰なまでの敬礼で以って迎えられることとなった。
「…………」
一時の休息。
ジークは独り宛がわれた部屋で、晴れない内心のもどかしさと向き合っていた。
中古のベッドの上に座り、背を預けるのは急ごしらえの薄い壁紙。
それでもレジスタンスの面々は最初、何とか自分に宛がうこの部屋を綺麗にしようとドタ
バタしていた。
大方、自分が皇子だと知ったからなのだろうが……正直そんな気遣いは要らなかったし、
実際に言ってもおいた。長らくいち冒険者として生活してきたこともあって、粗末さという
ものには慣れっこなのだ。むしろ変に着飾られた方が落ち着かない。
「──じゃあ、ついこの前のテロで?」
「ええ。国内はともかく、諸外国からの支援が鈍り始めていましてね──」
それでも、そんな「普通」を願ってみても、事態はまるで自分を嘲笑うかのようで。
壁の向こうでサジらとダン達のやり取りが耳に届いてくる。
結局、彼らレジスタンスとの共闘関係は結ばれることになった。
気持ち分からなくもない。でも六華奪還の為には出来うる手は全て採るくらいのつもりで
なければ“結社”の、アズサ皇の魔手は撥ね退けられない──そんなダンを始めとした、
仲間達との多数決的な決着だった。
(ったく。どいつもこいつも……)
両腕を頭の後ろでクッションし、ジークは何度目とも分からぬ嘆息をつく。
ただ自分は、六華を取り返しに来ただけだ。
王座だの皇子だのということには、悪いが興味はないし、何よりもそれを目的にこの国を
掻き回すような真似は母の意思にも逆行する。
それなのに……状況はどんどん王座を巡る争いに切り込んでいくかのように思えてならな
かった。
『もしこの国の人々が君達の素性を知ってしまえばきっとそうした距離感自体が認められな
くなるだろう。権力というのは良くも悪くも人の心理に大きな影響及ぼすものなんだ』
沸々と尽きない嘆きや憤り。
しかし同時に脳裏を過ぎったのは、以前サフレが語っていた言葉で。
あの時は言葉の表面だけでいまいちピンと来なかったが、今ならば彼の語ったその真意が
分かるような気がする。
(あいつは、俺がこんな血筋だからこうなるって予想してたのか……?)
そして理解が及び、ようやくジークは意識の別方向から頬を叩かれる心地になった。
つまりあいつはこう言いたかったのではないか。
──君が皇子であることを拒んでも、周りがそれを許さない筈だと。
どれだけ一介の冒険者であろうとしても……他の人間は一度知ってしまえば、皇子として
しか自分を見ない。彼なりの、権力の厄介さを説いた言葉だったのだろう。
「~~ッ」
そこでジークの思考能力は一旦限界を迎えた。
事実として自分が皇子であることと、自分がこう在りたいと望む姿との乖離。
ガシガシと頭を掻きながら、ジークは頭を抱えつつベッドの上へと横倒しに身を投げ出し
ていた。ボフンと軋みながらも、ベッド全体がその身を何とか受け止めようと軽く跳ねる。
(こん畜生が……。一体俺にどうしろってんだよ……)
頭の中の、胸の奥のもやもやが、晴れる気がしない。
結局、自分もまた母さんと同様に皇だの何だのに翻弄されなきゃいけないのか……?
「ジーク? 入るわよ?」
リュカが部屋の入り口からこちらを覗き込んできたのは、ちょうどそんな時だった。
「ん? ああ……」
しかめ面を心なしにだが引っ込めようと努め、ジークはのそりと起き上がると入ってくる
彼女を迎えた。
するとリュカ以外にも、彼女の後ろに隠れるようにおずおずとレナとステラが顔を出す。
ベッドの上に胡坐を掻いたまま、ジークは後頭部を掻きつつ言った。
「どうしたよ? レジスタンスとの作戦会議はいいのか? まだやってるぽいけど」
「ええ。どういう形になるかは詰めないといけないけど、その辺の事はダンさん達──プロ
に任せないと私じゃどうしようもないし」
「それよりもジークさん……。大丈夫、ですか?」
「ずっと機嫌、悪そうだったしさ?」
「……。確かにいい気はしてねぇな。気に障るよな、悪ぃ」
「い、いいえ……そんな事は」
先程の思考もあって、ジークは流石にへそを曲げたままの態度を取れなかった。
一応、でもやっぱり不器用に、心配してくれている彼女達に侘びを入れる。
「やっぱりジークはさ、レジスタンスの人達の力を借りるのは嫌?」
「……まぁな。砦じゃあつい熱くなっちまったけど、やっぱり母さんの意思を無視してる癖
にその名前を出して正当化しようとしてるのは……認められねぇよ」
ステラの上目遣いで探るような質問に、ジークは目を細めていた。
この気持ちに偽りはない。自分達が皇族だろうが何だろうが、きっと他に皆を救える方法
はある筈だ。
「自分達が政争の具にされるのが嫌だって気持ちは確かに分からなくないわ。私だって普段
のシノブさんはよく知っているつもりだし……。でもね、ジーク? もう協力者なしに六華
奪還は──王宮への接触は難しいのも事実なのよ?」
「そりゃあ、そうかもしれねぇけど……」
それでも今度は、リュカが入れ替わるように諭してくる。
だがそれは認めつつも、ジークはやはり感情として受け入れ切れない部分があった。
「……貴方はアウルベ伯に言っていたわよね? 人を動かしてたくさんの人を助けえるから
こそ、王侯貴族は偉ぶれるんだって」
逸らし気味になった視線。黙り込む四人。
するとリュカは暫しじっとジークのその横顔を見つめると、ふとそんな過去の言葉を取り
出してくる。
ちらと、逸らしていた目を彼女に向ける。
ちょっとした既視感のような。だけど確かにあの時、胸の奥から導話越しに叫んでいた
(とおぼろげな記憶のある)自分の言葉。
「貴方が嫌でも、貴方がトナンの皇子なのはどうあっても否定できないわ。それを知って周
りの人達がざわついてしまうのも」
向け直したジークの視線を逃がさぬように、リュカの瞳が強くなったような気がした。
そんな彼女の後ろでは、レナとステラが憂いの類の顔色を浮かべているのが見える。
「ここに来るまでの道中で、貴方は見なかった? アズサ皇の治世で確かに国は強くなった
みたいよね。でもその一方で、その恩恵に預かれなかった人々が少なからず苦しんでいる現
実もある。貴方はそんな人々を何とかしようとは……思わなかった?」
「……」
それは、以前サジに問われた言葉の焼き直しにも思えた。
だがすぐに、彼女の意図が彼のそれとは違っていることにはすぐに気付くことができた。
アズサ皇の圧政から人々を解放する“聖戦”ではなく、己の感情の「中」に篭ってしまう
のではなく、むしろその想いを「外」に反映させて現実の益を成すべできはないか……?
そんな姉のような存在からの、そんな冷静な眼であって。
「……俺は」
唇をギリッと噛み締めつつ、ジークはか細く呟いていた。
誰を救うか? 何を成すか?
何よりその為に──何を選び、選ばないのか。
「俺は……王の器なんかじゃねぇよ」
決められる訳がなかった。どれかだけを、選べなかった。
ただ呟けたのは、そんな皇族の血に対する覚悟不足の吐露だけで──。
「何てことをしてくれたのッ!?」
時を前後して、暗闇の王座の中で怒号が響いていた。
座していたのはアズサ皇。
強気な表情は怒りで更に苛烈の色を濃くし、暗闇の中、目前に立つ“結社”の雇
われの刺客達を睨み付けていた。
「五月蝿ぇなぁ……。お前、勘違いし過ぎだっての。大体──」
「リュウゼン。支障を来たす発言は控えなさい」
「……へいへい」
中央にジーヴァ、その左右にリュウゼンとフェニリアが立っている。
着流しの懐を気だるげに掻いてそっぽを向くリュウゼンに、フェニリアが向き直る事もせ
ずその発言を制止する。
だが王座から立ち上がり掛けたアズサの怒りは、そう簡単には収まらなかった。
引き攣ったように歪め、奥歯を噛み締めた唇。表情。
──無理もなかった。
自分の与り知らぬ所で、彼らがこの国に渡ろうとしていた飛行艇を爆破したのだから。
レノヴィンらには既に国内への潜入を許してしまっている。今更飛行艇を落とすことに何
の意味があるというのか。
彼らへの揺さ振り? だとしても、みすみす結社の存在を知らせるような行動を取る必要性
がいまいち見えてこない。
だがそんな憤りに、ジーヴァは冷淡に僅かな嘲笑をみせていた。
「……今更“犠牲”を疎むか。私達はアシストしてやったつもりなのだがな?」
「何を訳の分からない事を……。冗談をいなすほど私は暇じゃないのよ」
暗がりの中、アズサ皇と“使徒”達、両者の眼光が火花を散らしていた。
深夜の不気味に静かな王の間に、彼女が叫んだ怒りはとうに吸い込まれ消え去っている。
「邪魔者の動向は掴めている」
やがて先に口を開いたのはジーヴァだった。
暗闇の中で、徒らが静かに目を光らせている。
一度は漏らした僅かな笑い。
しかし彼はその口元に描いた小さな弧をそっと収めると、
「もう一芝居打って貰うぞ、トナン皇?」
ついっと、逆にアズサを見下ろすように顎を引いてそう言ったのだった。