17-(4) 一人を討つということ
地下牢の亡骸達はレナが丁重に浄化を施してくれた。
そしてその後は暫し、ジーク達(とレジスタンス)は総出で近くの森の中への埋葬作業に
追われる事になった。
死や魔性への忌避感がないと言ってしまうと嘘になってしまうだろう。
だがたとえ相手が敵──少なくとも味方とはいえない──でも、死体を放置したまま平気
でいられる程、自分達は屈折しているつもりはないし、不信心でもない筈だから。
「──さて。随分と入り組んだ様子のようだったが」
やがてその一連の処置を終えると、ジーク達は砦一階のロビーへと場所を移していた。
何となく、ジークら四人とサジらレジスタンスの面々は相対するように互いに分かれて立
っている。
どう切り出していいものかと黙っていると、それまでコツコツとゆっくり硬質の床の上を
歩き回っていたサジが、ふと顔を上げてこちらを見てきた。
「あれも含めて訊かせて貰いたいな。一体君達は何者なんだ? 何故こんな真似をした?」
『……』
それは当然の疑問であり、問い質しであった。
しかしジーク達も素直に答える訳にはいかない。
相手は現皇アズサに対して長らく反体制活動を続けている、そのリーダー格だ。何よりも
自ら名乗っていたように、かつての先皇に仕えた近衛隊の隊長だった人物でもある。
あくまで六華の奪還が目的である以上、そんな彼ら(の諍い)には関わりたくなかった。
加えてそれはサンフェルノを発つ前に母が語っていた意思でもある。
だからこそ、そんな本音が蓋をするままに、四人は口を噤むことを選んでいたのだが。
「……だんまりか。確かに話し辛いのかもしれないな。しかし」
対するサジは、そんな選択を許す気はなさそうだった。
彼は静かに嘆息めいてそう呟くと、サッと軽く手を動かして合図し、レジスタンスの面々
に再び武器を構えさせてくる。
「黙ったまま、この場を切り抜けられると思わない方がいい。……少し質問を変えようか。
少年。何故君はその剣を──護皇六華を持っている? 知らないかもしれないが、それらは
この国の王器なんだよ。そんな、長らく行方知れずになっていた代物を何故君が持っている
のか、私達が一番知りたい部分はそこなんだ。拾ったのか、誰から奪ったのか。君達の返答
次第では、此処で……」
言ってそっと目を細める彼の眼は、間違いなく本気だった。
淡々と、しかし逃がさないという意思を明白に示した上で、仲間達と共にじりじりと得物
を構えてジーク達を包囲してくる。
(チッ。バレてたのか……)
ジークは内心で舌打ちをしつつ、眉根に深い皺を寄せた。
片手にした、布に包み直した三本の六華を握る手に思わず力が篭る。
同時に、視線を逸らして向けた先は、仲間達。
どうする……? そんな皆に意見を求める眼差しとでもいうべきか。
レナはすっかりレジスタンスらの武力の気配に怯え始めているし、マルタもじっと目を細
めて彼らを注視しているサフレに寄り添い、おろおろと戸惑っている。
「……仕方ないな。ジーク、話してしまおう」
「えっ。で、でもよぉ」
「気が進まないのは僕も同じだ。だがこのまま彼らが此処を去らせてはくれると思うか?
戦力的にも無理があるし、何よりこれ以上敵対的なしこりを残すのは都合が悪い」
「それは、まぁ……そうなんだが」
ややあって、サフレは注視していた眼を一度ちらりと遣ってくると言った。
状況を見れば間違っていない眼だ。何よりも本来の目的が果たせない。それは分かる。
正直ジークは指摘された通り気が進まなかったが、そう分析めいて言うサフレや傍らのマ
ルタ、おずおずと頷くレナらを反応を確認するように見ると、
「……こいつは盗品なんかじゃねぇ。正真正銘、母さんが俺に託してくれたものだ」
大きくため息をつき、渋々としたまま語り出す。
自分達兄弟がシノブ・レノヴィン──もといシノ・スメラギの息子であること。
六華はそんな母がかつて冒険者となる自分に託してくれたものであること。
そしてつい最近まで六華の正体や自分達の血筋の件は全く知らず、期せずして“結社”に
よって内三振りを奪われた事で、それらを取り戻しにこの国にやって来たこと。
何よりも、今回の一手がその遠征の途上で連中によって離れ離れになってしまった仲間達
へのメッセージを意図していたこと。
『…………』
当然ながら、サジ達はあんぐりと目を開け口を開けて愕然としていた。
無理もないだろう。てっきり盗賊の類かと思って怪訝を向けてみれば、その正体が本来の
持ち主の嫡子であったのだから。
たっぷりの戸惑い。重なるざわつき。見合わせるお互いの顔。
しかしジークが問われる毎に(正直面倒臭げに)語る母の話は実の母子でなければ知りえ
ないものばかりで。
加えてサジの記憶が、ジークの持つ剣は紛れもなく正真正銘の護皇六華だと云っていると
いう事実が何よりの証拠で。
「で、では君──いや貴方様は、殿下のご子息……?」
「つまり、ジーク……皇子」
「い、生きておられた! 殿下が生きておられたっ!」
だがそんな戸惑いも束の間、気付けば無数の歓喜へと変わっていく。いや、感涙に袖を濡
らし出したと言った方が正確であろうか。
現在もシノブ──先皇女・シノが村でひっそりと慎ましく余生を送っていると聞いて、
レジスタンスの面々は計り知れない安堵に包まれていたのだ。
忠誠を誓った先皇の血筋は、まだ生きている。
こうして今も、ジークとアルス、彼らの子孫である兄弟の中で息づいている。
「……そうで、ありましたか。知らなかったとはいえ、私達は何と無礼な真似を……」
安堵と感激でおんおんと泣く者まで現れてゆく中、サジはぐっと感涙を堪えるように言葉
を詰まらせながらも深く深く低頭し、ジークの前に跪いていた。
そんなリーダーの姿に、他の面々も遅れて涙を拭いつつ鼻を啜りつつ、その動作を倣う。
「あ~……気にすんなって。多分こうなるだろうなって思ってたからあんまり言いたくはな
かったんだよ。正直、今でも皇子だとか言われても実感ねぇしさ……」
しかし一方で当のジークの反応は若干冷ややかだった。
げんなりと。掌を翻したように振る舞ってくるサジらにジト目を寄越しつつ、苦笑する仲
間達を左右にそんな弁明に近い呟きを漏らす。
これで、誤解が解ける──。
そうレナとマルタは、お互いに顔を見合わせるとホッと胸を撫で下ろそうとしたのだが。
「……。でも、そんなに母さん達に忠誠だの何だのと言ってるなら、今すぐにお前らのやっ
てる反皇活動は辞めろ。母さんは……王座に就くつもりなんてない」
次の瞬間、ジークがあまりにも唐突に、何よりも突き放すように棘を以って放った言葉に
その場の空気があっという間に凍り付いてしまう。
「なっ……!?」
「で、殿下は、王座には就かれないと……?」
「ああ。ここに来る前、本人から確かに聞いた。自分がトナンに舞い戻って国ん中を混乱さ
せちまうよりも、今の王権が謀反で出来たものであっても、安定した政治の中で皆が暮らせ
る事の方が大事だってな」
二度目の愕然が、レジスタンスの面々に落ちていた。
それは即ち、自分達が良かれと思っていた“正義”をその一番の被害者、当事者であろう
シノ本人が否定したことに他ならないから。
再びざわめき始める面々の戸惑いと、互いに見合わせる顔。
石窟のアジトでジークから話を聞いていたサフレを除き、レナもマルタもそんな彼らと同
じように──少なくとも、抱いていたであろう内の憎しみを押し殺してでも、今の民の為を
想うというシノブの心情を慮り──心持ち目を見開き驚いている。
「……そんな。殿下はこの国を見限るおつもりなのか!?」
「どうして……。自分達はアズサ一派の罪を償わせる為に戦ってきたのに……」
「安定した暮らし? それができないからこそ、我々は戦っているのですよ!?」
しかし、そんな母の伝言は既に遅過ぎたのかもしれない。
やがて彼らから矢継ぎ早に返ってきたのは、そんなある意味“正義”と自己陶酔を履き違
えかねない者達の叫びだった。
黙していたサフレの目が更にスッと細まる。
マルタはそんな彼らの怨嗟からくる怒号に怯え始め、レナは言い表せない苦しさにギュッ
と半ば無意識に胸を掻き抱く。
「止めないか! 殿下の意思だぞ。ジーク様も前に……!」
噴出する声を、サジは一喝して制止に掛かっていた。
だからこそ、対面しているジーク当人が俯き加減に唇を噛み締めているのに気付くのが遅
れていた。
慌てて場を取り繕うとする、このリーダー格の元隊長。
「──……やんよ」
「えっ?」「ジーク、様……?」
「なら、止めてやんよ!」
しかし、既に“溝”は深く出来上がっていたのだ。
不意にぽつりと呟いた声に、サジらが一斉に視線を向け直す。
同時にジークはしゅるりと布に包んでいた三振りを取り出すと、ゆっくりと普段のように
腰に差し直す。
「よーく分かった。やっぱりてめぇらは、何も分かっちゃいねぇ……」
サジらの動揺。しかし今度のそれは本能が危険を告げるそれで。
「あくまで止めねぇってなら、止めてやるよ。俺が……この場で」
そしてジークはザラリと内の二刀を躊躇なく抜き放つと、そう彼らに切っ先を向けて宣言
した。
「ジ、ジーク様? 何を……」
「うるせえ! 結局てめぇらは……てめぇらはッ」
レジスタンスの仲間達は勿論、サジはジークのその挙動を何とか収めて貰おうとした。
しかし当のジークは既に“敵意”の眼で自分達を見ていた。
彼は全身に二刀にマナを込め両脚をぐっと踏み締めると、
「母さんを、自分達の“言い訳”に使ってきただけじゃねぇか!!」
溜め込んだもの、それらを一気に吐き出すように叫びながら、地面を蹴って猛然と斬り掛
かって来る。
「ぐ……ッ!?」
その力一杯に振り下ろされた斬撃を、サジは得物の槍で咄嗟に受け止めていた。
ガリガリバチバチと、金属質の武器同士がぶつかり合う火花が二人の間に散り始める。
『サジさんっ!?』
「あわわっ!?」「ジ、ジークさん!」
「止せ、ジーク! 僕らは彼らと戦うつもりは」
レジスタンスの面々も、サフレ達も、一瞬の間に切り替わった状況を前に何とか事態を収
拾しようとした。両陣営が互いに得物を持ったまま、この(一方的な)激突を始めた二人の
間に割って入ろうとする。
「止めろ! ジーク様に危害を加えるつもりか!?」
「お前らは引っ込んでろ! こいつらは俺の問題だ!」
それでも殆ど同時な、サジとジークの重なる声は、そんな介入を牽制するもので。
思わず両者の仲間達が動きかけた足を止めた。その間も槍と二刀のぶつかる火花と込めら
れた錬氣は力を増す一方で、少しずつ、だが確実にジークの躊躇いのない力押しがサジの踏
ん張った両脚を後退させてゆく。
──もし一言で表現するのなら、憤慨だった。
ジークの思いは皇国を訪れる前から、いや訪れたからこそ、一つの方向性へと固まっていた。
母が村を発つ前に語っていた思い。自身の無念よりも、今を生きる民の生活を少しでも安定させ
たいと願った、彼女の苦悩の末の意思表示。加えてジーク自身の、冒険者の端くれとして“正義”
を掲げて争いを繰り返す者達を見聞きしてきたが故の、それらの空虚さと。
だから相容れる事ができなかった。
何よりも、悔しくて堪らなかった。
このレジスタンス達──母の一族への忠誠を理由に内乱を起こし続けている彼らの、その
大義とやらの為に、母の想いは届かなかった。ずっと、踏み躙られていたと思うと。
「……お前は言ったよな? 実際に苦しんでる奴らがいる。そいつらをどうするんだって」
得物をぶつけたまま、戸惑いの表情を隠せないサジを睨んでジークは言った。
その間も、強襲と防御、二つの力同士がぶつかって悲鳴を上げている。
「正直言って、俺は弟みたいな学はねぇ。政治なんて分かんねぇよ。でもっ!」
力同士が限界を向かえ、弾かれ、反動で二人に束の間の距離が生まれる。
「俺が馬鹿でもこれくらいは分かる! 何もそいつらを救う為に“戦う”しか道がないなん
て訳、ありっこねぇ!」
それでもジークは追いすがり、防御の体勢のままのサジに更なる斬撃を叩き込んでいた。
サジの顔が一層に苦痛に歪んだ。
それは何もジークの剣撃が強烈だったからではない。
彼もまた、憤慨──ではなく、驚愕していたのだ。
今まで戦ってきた理由を、今まさにその当人らが否定して激情に任せた敵意を向けてきて
いたから。
(こんな、筈では……)
この初対面の、若き皇子の剣撃を、怒りをサジは何度となく構えた槍の腹で受け止めざる
を得なかった。
反撃はできなかった。臣下の礼が故、彼の言葉が偽りなき憤慨だとの理解ができる故に。
何度も何度も、ジークからの斬撃がぐんと軌跡を描いて叩き込まれてくる。
(止めなければ……。だがこの方に“あれ”を使う訳には……)
その度にサジは己の身体に、ゴテゴテした布巻きで包まれた得物の槍に、マナを込めた防
戦一方で在ることしかできない。
「てめぇらは、皆を救う為に皇を殺ろうってんだろ……?」
レジスタンスの面々は、そんな二人が入れ替わり立ち替わり動き回る度に下手に手を出す
訳にもいかず、ただおろおろと逃げるように距離を取り直していた。
それはサフレ達も同じようなもので、どんどん“離れていく”ジークに為す術がない。
「なら、覚悟はあるんだろう!?」
何度目かの、弾かれた間合いからの、蹴り出す地面。
ジークは二刀を地面と平行に構えた格好で、
「お前らが皇を倒す事で、皆を助けようっていうんなら……てめぇ一人が倒れる事で、そんな
首の取り合いで苦しむ人達を出さない事もできる筈だ!」
また──防御がやっとで“疲労”を見せ始めたサジへと、その仲間達へと叫ぶ。
「てめぇらのやってることってのは、そういう事だろうがッ!!」
何度目となく、再び火花が散った。
サジの表情が一層「苦痛」で歪んでいる。
そして遂に押され続けたサジが、弾かれた勢いで防御を崩すと、ジークが反動に乗り掛か
るままに上段からの袈裟斬りを放ち──。
(……?)
一際、大きな金属音が響き渡った。
しかし斬られた感触がない。
思わずサジが瞑りかけた目を開くと、そこには自分達の間に割って入るようにジークの全
力全開な斬撃を戦斧と長太刀で受け止める、獣人の男と黒髪の女性の後ろ姿があった。
「全く……。何があったか知らねぇが、なにトチ狂ってんだよ?」
「同感だ。どうやらギリギリ間に合ったみたいだな」
「ふ、副団長。リンさん……」
それは間違いなく、ダンとリンファの二人の姿で。
サジに飛び掛るような格好だったジークは思わず目を丸くすると、フッと全身に滾らせて
いたマナを収め刃を除け、よろりと心持ち数歩程を後退っていた。
「ジーク、皆!」
「レナ、ステラ!」「大丈夫!?」
「ミアちゃん……ステラちゃん。リュカさんも」
するとほぼ同時にロビーの向こうから、リュカやミア、ステラが駆けて来るのが見えた。
レナとマルタがひくっと驚いて顔を向け、ようやくこの場に割って入って来たのがずっと
捜していた仲間達だと認識する。
「心配した。いきなりこんな事をするなんて」
「ご、ごめんなさい……。でもできるだけ早くミアちゃん達に居場所を知らせかったから」
手順は随分と狂ったように思えるが、何とか本来の目的は果たせたらしい。
レナやミア、女性陣が数日ぶりの再会にホッと胸を撫で下ろしている。
「……落ち着いたかよ?」
「……。はい」
それを遠巻きにジークは二刀を下げたまま、ダンとリンファの嘆息を大いに込めた、しか
し確かな諫めや説教を受けていた。
サフレも従者の安堵した笑顔を遠巻きに見遣ると、静かにやれやれと言わんばかりのため
息を漏らしている。
「リン……? まさか、リンファ──ホウ・リンファか? 私だ、サジ・キサラギだ」
しかし、それは実は束の間の安堵でしかなく。
「!? まさか……。サジ、隊長……?」
訪れたのは、お互いが予想だにしてなかった再会の瞬間でもあって──。