17-(3) 再動への一手
「──あれは、一体どういうつもりだ?」
静かな、ごく静かな苛立ちを言葉の端に含めて、彼の白い長髪が心持ちサラリと揺れた。
時は日没、所はトナン王宮──そのある意味で一番の中枢といってもいい皇の執務室。
アンティークの柱時計が淡々と時を刻む中で、政務の書類に独り目を通していたアズサの
下に姿を見せたのは、密かに彼女が雇い使っている“結社”の手の者達だった。
「何の事かしら?」
「とぼけないで欲しいわね。国軍を動かしたんでしょう? レノヴィン一行を捕らえる為に
手配人の触れまで出して」
手を止め、アズサは照明がカバーしない暗がりの中から音もなく現れた彼ら三人を一瞥す
ると言ったが、白髪の男から継いで緋色のローブの女はそうしたやり取りも鬱陶しいと言わ
んばかりに静かに眉根を寄せていた。
「余計な事をしてくれたじゃない、今配下を遣って捜させている所だというのに」
「先刻報告が上がってきた。同志によって一行は分断され、一方は皇都近辺を点々と、もう
一方──肝心のレノヴィンがいる側は西域を移動中であるそうだ。もう二、三日もあれば確
保に出られたんだぞ」
「……私を詰るつもり? 回収に“失敗”した分際で」
だがアズサも負けてはいない。
白髪の男とローブの女が淡々と自分達の進捗とそれらを無碍にした苦言を放ってくるのを
強く鋭い眼で睨み返すと、再び書類に手を伸ばしながらそれがさも当然の対応であるかのよ
うに言い放つ。
「何度も言わせないで。私は能力のある者なら評価する。でもそうでないなら要らないの。
六華の回収に加え、みすみすアカネの血脈をこの国に上げてしまうなんて……。期待外れも
いい所よ」
黙っているのをいい事に、アズサは普段の──相変わらずの信条を吐いた。
そもそも、この者達を使ってやると決めたのは、彼らが長年失われたと思っていた六華の
在り処について情報を持っていたからだ。
本当ならば──いや、こう口ばかりで期待する成果を持って来ないのなら、あの時点で自
ら手の者を遣って早々に回収と始末を済ませるべきだったのかもしれない。
それでも未だ手元に残しているのは、ひとえに彼らが“結社”の手の者だから。
情報はしっかり搾り取る。何を企んでいるかは知らないが、遅れを取るつもりはない。
元より外様の連中だ。用さえ済めば統務院への手土産にして我が国に一層の箔でも付けて
やろうという算段もある。……尤も、その通りに応じる輩ではないだろうことくらい百も承
知の上でなのだが。
「貴方達は引っ込んでいなさい。この国に上がり込んできた以上、もう逃がしはしないわ」
「……いいだろう。精々、内紛に興じているといい」
アズサは下がれと追い払うように言葉を切ったが、白髪の男は顔色一つ変えずにあっさり
と承諾の返答を寄越してきた。対照的に着流しの男が苛と表情を歪めていたが、ローブの女
が冷淡なままの視線だけでそれを何気なく制している。
言ってその足で、白髪の男は踵を返した。
翻る黒革のコート、カチャリと鳴る腰に下がった剣の音。
ローブの女も着流しに男も、やや遅れてその後についてゆき、アズサが書類を片手に無言
で寄越す強気一色の眼を背に受ける。
(……。所詮はこの程度の皇、か)
そんな白髪の男の内なる呟きを彼女は知る由もなく、目の前で、彼ら三人は再び夜の暗闇
の中へと溶け消えてゆく。
各国がその領内各地に守備隊を配置しているのは(建前である)周辺住民の安全や治安の
確保というよりも、いざという時──有事における前線基地としての想定が色濃い。
皇国もその例外ではなく、領内には皇都や主要都市を中心として何重もの円を描くように
こうした守備隊の砦兼詰め所が──規模の大小はあるが──設けられている。
『…………』
そんな砦の一つの近くに、ジーク達はやって来ていた。
辺りはすっかり暗くなっており、潜んだ茂みという遮蔽物も相まって砦の正門で見張りを
している兵士二人も何処か眠たげにしている様子が窺える。
(だ、大丈夫でしょうか? 上手く……いきますかね?)
(いくのか? じゃねぇ、やるんだよ。どうせこのまま皇都に向かってたらみすみす捕まり
に行くようなもんだし)
(それはそうですけどねぇ……。レナさんの心配も分からなくはないですが)
(リスクがあるのは既に話した通りだからな。しかしジークの言うように、僕らも悠長に合
流を待っている余裕はなくなってくる筈だ。だからこその作戦なんだからな)
そんな兵士らを遠巻きに眺めながら、レナは不安をこぼしていた。
ステラが苦笑で同情を漏らすも、既にジークやサフレは腹を括ったように真剣な表情をし
て砦の様子を注視している。
(そろそろ始めよう。手順はちゃんと覚えているな?)
(おうよ。フォローしっかり頼むぜ)
そしてサフレ達に言うと、ジークはおもむろに遠回りに茂みを後にし始めた。
更にその物音を隠す素振りもなくガサリと大きな音を立て、はたとこの兵士達の視界の中
へと飛び込んで見せたのである。
「ぬっ?」「何者だ!」
当然、彼ら二人は素早くジークに視線と銃剣を向けて夜闇の薄暗さの中に誰何の声を飛ば
してくる。
だがそれでも、ジークは何故かニッと口元に弧を描いて立っていた。
凝らした夜目が効きだし、彼らが不審以上の何かを感じ始める。
ちょうどその時だった。
兵士らの視界の隅、ジークの立つ彼らが視線を向ける方向とは真逆から飛んできた何か。
気付いた時にはもう避ける事は叶わなかった。振り返りかけたその顔面に、胴体にズシリ
と勢いのついた重い一撃が──サフレが一繋ぎの槍を鞭にようにしならせながら放った一発
がこの兵士二人を捉え、薙ぎ倒したのはほんの一瞬の早業で。
「がっ!?」
短く唸って吹き飛ばされ、砦の壁にしたたかに打ち付けられるこの兵士二人。
内一人──より後方、槍の至近距離に立っていた方──はその衝撃でそのまま深く昏倒し
て動かなくなり、もう一人は脳天を揺さ振られた状態でのろのろと起き上がろうとする。
「──おっと。動くな?」
だがその動きを、この隙に乗じてぐんと距離を詰めたジークが押さえ込んでいた。
彼らの手から零れ落ちた銃剣を奪い、その刃先を立ち上がろうとしたこの兵士の喉元へと
突き付ける。
「お、お前ら……。こんな事をして、どうなるか分かって」
「ああ。だけどこうでもしねぇと状況は不利になる一方だからよ」
身動きを封じられる格好となった彼がちらと向けた横目に映っていたのは、相方の、気絶
したもう一人の兵士と、遅れて茂みの中から姿を現してくる槍を携えたサフレとマルタ、そ
しておずおずとしたレナの三人の姿。
「ちょっと訊きたい事があるんだがよ。この砦の放送設備と牢屋は何処にある?」
ややあって彼が視線を自分に向け直し見上げた格好になるのを見つつ、ジークは銃剣を突
き付けたままで訊ねていた。
「な、何でそんなこと──ぐっ」
「いいから答えろよ。まさかこのまま殉職したい訳じゃないだろ?」
この兵士は怪訝を返し言い淀んだが、それも想定内だ。
ジークはあくまで演技で、ぐいと銃剣の先で軽く彼の身体を小突くと暗に脅しをかけて揺
さ振り、情報を引き出そうとする。
「……ほ、放送ブースなら、二階の司令室の横に併設されている。ろ、牢屋は……地下だ」
「そっか。情報ありがと──よッ!」
するとジークは手にした銃剣をひゅんと前後逆に持ち帰ると、そのまま打撃武器よろしく
白状した兵士に向かって振り下ろした。
ゴッと響いた鈍い音。
脳天を再び揺るがされ小さな悲鳴を上げると、今度こそこの兵士もまた昏倒して地面に倒
れ込み、沈黙する。
「うう……。ご、ごめんなさい……」
「……お前が謝ってどうすんだよ。ほれ、さっさと次に掛かるぞ?」
ぐったりと倒れた見張りの兵士二人をずるずると引きづり、持参してきた縄で両手を縛っ
てゆくジーク達に混ざりつつも、レナは人一倍の申し訳なさに駆られていたようだった。
そんな、意識のない彼らにぺこぺこと頭を下げている彼女を見て、ジークは内心で自覚は
していた罪悪感を刺激されつつもできるだけ淡々とした様子を装いながら言うと、仲間達を
促して立ち上がる。
一旦茂みの中の樹に彼らを縛り付けておくと、ジーク達は砦内へと潜入を始めた。
夜も更けてきた事もあって内部の警備は手薄だった。何よりも都市との距離も短めで且つ
さほど大規模でない砦をと事前に調べ、選んだ側面が大きかったのだろう。
何度か内部を巡回している兵士らを物陰でやり過ごしつつ、ジーク達は砦の奥へと進んで
いった。
そうして監視の眼を抜けると、はたと広い吹き抜けの場所に出る。
左右前後に通路、隅には移動式の演壇が置かれている所を見るに、どうやら集会場を兼ね
たロビーの類であるらしい。
向かいの壁には上下階に繋がる階段、そして見上げた二階の奥には司令室らしき大きな扉
で設えられた部屋が見えた。
「……集めるとしたら、ここだな」
「ああ。このまま司令室まで直行するぞ」
そのまま辺りを警戒しながら階段を上る。
上り切った先で巡回中の兵士を見つけて慌てて物陰に身を引っ込めたが、幸い気付かれた
様子はなかった。
そのまま、兵士と鉢合わせにならないよう奥へ奥へと進み、一階の広間から見えていた件
の司令室の前へと辿り着く。
「じゃ、こいつも頼むぜ。レナ」
「は、はいっ……」
そしてジーク達がきょろきょろと周りを警戒する中、
「盟約の下、我に示せ──繰の意糸」
レナは鍵穴に指先をかざすと小声で呪文を唱えていた。
その詠唱の完了と共に、彼女の指先から橙色のマナの糸がしゅるしゅると現れる。
その糸をレナは慎重に鍵穴へと通すと、先刻、砦の入口を開けた時と同じように内部から
掛けられた錠を外しにかかる。
「……あ、開きました」
やがてカチャリと、糸の先から伝わる手応えを頼りに鍵が開く音がする。
もう一度辺りを見渡し、巡回の兵士の姿がない事を確認すると、ジークは「よくやった」
と照れる彼女の頭をポンと軽く撫でてやってから皆と室内へと進入してゆく。
「さて。放送設備は……あれだな」
種々の機材とデスクが投入された、この砦の中枢。
その内部をぐるりと見渡すと、サフレが逸早くその一角にある分厚いガラスで仕切られた
ブースに気付いて足を運んでいく。
目論見通り、そこは放送用の機材が集約されていた。
ここで司令官らの出す命令を砦内の兵らに伝え、守備隊という組織を実際に動かす訳だ。
「で? 使えるのか?」
「ああ。国が違っていても、こういう機器の仕様というのは案外似たり寄ったりなものだか
らな。……うん、よし。これですぐにでも使える」
ジーク達三人が覗き込んでくる中、サフレはこの放送デスクに座って目の前の機材を一通
り検めていた。複数多数あるスイッチを把握し、設備の電源を起動させてみせると、彼は椅
子の背もたれ越しから確認するように問うてくる。
「では始めるぞ? 皆、準備はいいな?」
「おう。頼む」
「はい、マスター」
「お、お願いします」
ジーク達の返答に頷いて、サフレは機材のマイクをオンにした。
放送範囲は砦全体。指向性のそれをグッと引き寄せて、サフレは深い一呼吸の後に次のよ
うな“偽の命令”を流し始める。
『──こちら司令部。総員に告ぐ。緊急事態が発生した。先日の手配人が近隣に現れたとの
情報あり。至急装備を整え一階ロビーに集合せよ。繰り返す。こちら司令部……』
当然ながら、寝ていた者も起きていた者も、砦内の兵士達は驚いていた。
それでも迅速に命令に従い、一斉に移動を始めたのは流石職業軍人といった所か。
(……上手くいったみたいですね)
(ああ。だが、むしろこれからが本番さ)
ジーク達は暫し、その足音の群れが階下に下りていくのを聞きながらじっと息を潜める。
「──緊急事態だって?」
「ああ。らしいな」
「全員揃ったかー? 点呼しろー!」
そして階下のロビーには、続々と銃剣を装備し軍服に着替えた守備隊の兵士らが集まり、
仮の隊伍を完成させつつあった。
多少ざわついたが、それでもいち軍の部隊らだ。
身体に刷り込まれたその反応のまま、彼らは並び終えると、次の指示があるものと司令官
の登場を待つ。
「……おい。これは一体どういう事だ?」
しかし、ややあって姿を見せたその当の司令官らしき大柄の男は、戸惑いの様子を隠せな
い様子だった。
現れざまにその一言。返されるのは「え? 命令だと聞いたのですが」の声ばかり。
そこでようやく、場の面々は様子がおかしいことに気付いたのだが……もう時は既に遅か
ったのである。
『──……~♪』
次の瞬間、館内放送から聞こえてきたのは、ゆったりとしたハープの音色。
思わず聴き入ってしまう美麗な歌声と弦楽──司令室のマイク越しにマルタが奏で始めた
子守唄。
驚嘆と、戸惑いと。
守備隊の面々は一様に唖然として天井付近に下がるスピーカーを見上げる。
「一体、何が起こ……」
「んぅ……?何だか、眠」
「お、おいっ、どうし──」
だがただ呑気に聴いていられるような音楽ではないと、一体誰が予想していただろう。
マルタが奏でる音色は魔力を持つ音色。分類上は古式詠唱に当てはまる、強制的に効果を
受けてしまう魔導の亜種であるのだ。
ややもせず戸惑いの中、兵士達は己の身に何が起きたかも分からずに次々とその場に崩れ
落ちて──深い眠りへと包まれてしまう。
そして、程なくして場の面々が一人残らず眠ってしまった中。
「……よし、成功だな」
「サフレさん、マルタちゃん、もういいですよ。演奏を止めて下さ~い!」
その場にジーク達がこそりと足を踏み入れてきた。
屈み込み、しっかりと兵士全員が眠りこけたのを確認しているジークの傍らで、レナが吹
き抜けの向こう、階上の放送ブースの中から顔を覗かせるマルタとサフレにぶんぶんと手を
振ると合図を送っていた。
ややあってマルタの歌声も止み、放送ブースの電源も落ち、二人もこの場へと追いついて
くる。ざっと五十人弱はいるだろうか。ふぅとジークは両手を腰に当てて一息をつくと、縄
を取り出すサフレらへと肩越しに振り返ってみせる。
──作戦の全貌は、こうだ。
何処か、国軍の砦を一つ落としてみせる。
そうすれば否が応なくこの「騒ぎ」によって自分達の居場所、ないし出没した場所の情報
は外部に伝わることになる。それがダン達に届けば、皇都以外での接触も可能となる。
だが当然、たった四人で本当に武力で攻め落とすのは不可能だった。
だからこそ、できるだけ無闇な戦闘を避けて砦の人間全てを拘束してしまえばいい。
形は違っていても、それも間違いなく“砦が落ちた”ことになる筈だからだ。
「……っと。こんなもんでいいだろ」
暫くしてジーク達は眠らせた兵士らに縄を、口封じ用の布を噛ませ終わると彼らを一箇所
に集めた。
当分彼らはマルタの子守唄の効果で目を覚ます事はない。あとは話で仕入れた通り、
このまま地下の牢屋に放り込んでおけばいい。
(で。あとは……)
ちょうどそんな時、ロビーの向こう側からサフレが歩いてきた。
連れていたのは、先刻彼の槍で倒され縄を掛けられたままの門番役の兵士二人。
彼らはロビーに広がっていた光景に目を丸くしていたが、同じく布で口封じをされていた
為、悲鳴を上げることすらできずにモゴモゴと言うばかりだ。
「まぁそんなに急けるなって」
すると、ジークははたとそんな彼らに噛ませていた布を取り払った。
「ぶはっ……! お、お前らっ」
「皆に、隊長に何をっ!」
「ギャーギャー騒ぐな。怪我も何もしてねぇよ。皆眠らせてあるだけだ」
当然門番二人はジーク達を責め立てようと声を荒げたが、ジークは面倒臭そうに聞き流し
て一応の無事だけを返事すると、この二人の頭にボスッと掌を乗せて凄んでみせて言う。
「いいか? お前らをこれから逃がす。できるだけ遠くの砦に行って、この詰め所が落とさ
れた事を伝えて来い。できるだけ遠くにだ。いいな? もし変な真似をしたらあそこの仲間
達がどうなるか……分かるよな?」
初めは反抗的なままの二人だったが、台詞の最後に付け加えられたその文言を耳にすると
その表情はサァッと青ざめていた。
少なくとも、目の前のこの荒っぽい感じの青年は本気──のように見える。
何より、隊の仲間達は実際に目の前で囚われの身になっているのだ。ここで余計な反抗を
すれば自分達も含めてどうなるかわかったものでは……いや、きっと無事で済まない。
「──行け!」
「ひいッ!?」「ひゃぁぁっ!」
そして一喝の下にジークに叫ばれて、彼らは弾かれるように両手を縄で縛られたまま駆け
出して行った。
とにかく逃げなければ。助けを呼びに行かなければ。
そんな脅迫観念に押されたかのような一心不乱さで走り去っていく彼らを見送って、再び
ロビー内に夜の静寂が戻ってくる。
「何だかなぁ。俺、そんなに悪人に見えたのかよ……」
「そっ、そんな事は」
「いやいや。中々板についた演技だったぞ? 僕も、正直少しデキ過ぎていて驚いた」
「……ぬぅ」
ジークが予想以上に怖がられた事に内心ショックな様子を見せ、レナは掛ける言葉に戸惑
い、サフレは苦笑気味にちょっと茶化すようにフォローを入れてきた。
心外なんだが。
そう言わんとするかのようにジークはサフレにジト目を遣ったが、彼もまだ作戦が全て終
わっていないが故の緊張感は忘れていなかったらしく、すぐに真剣な表情に戻ると一つ軽く
咳払いをして言う。
「それよりもジーク。もう一つ仕事が残っているぞ」
「ああ……。俺がマスコミに導話するんだっけ?」
「そうだ。今からリークすればあの兵士達からよりも市井に漏れる方が早くなる。ダンさん
達の耳にもより届き易くなる筈だ」
「分かってるよ。……にしても、何とも後味が悪いな。状況が状況だけに仕方ねぇけど」
そう。全ては皇国政府──いやアズサ皇という新たな追跡勢力をも撥ね退けてダン達との
合流を果たす為。
ジークは正直気の重さを感じながらも、宥められつつサフレと再び司令室の放送ブースへ
と足を向けた。
──しかし、結論からすれば、犠牲を出さないようにという方針からすれば、ジーク達の
下に先んじて現れたのは招かざる者達の方だったと言わざるを得ない。
「くそっ、どういう事だよ!?」
それはジーク達が砦を落としてから三日目の夜の事だった。
レナが砦の周囲に張らせていた精霊らが突如として侵入者の気配を──しかも地下に嗅ぎ
取ったのである。
「入口は俺達が交代で見てたんだぞ? なのにどうやって地下に」
「……分からない。僕らが把握していなかった隠し通路の類なのか、或いは……」
報告を受け、砦の入口を見張っていたジークとサフレは司令室に待機していたレナとマル
タとも合流して、急ぎ地下牢へと向かう。
「……レノ、ヴィン」
「他三名モ発見シタ。併セテ、コレヨリ“処理”ヲ遂行スル……」
そして、地下牢にいたのは──最も鉢合わせしたくない者達だった。
中は薄暗かったが見間違う筈もない。
黒衣に全身を包んだ被造人の兵士達。
即ち、結社“楽園の眼”の手先達。
「くそっ、てめぇらか。道理で……。サフレ、六華を解くぞ!」
「ああ!」
サフレが槍を現出させる隣で、ジークも背中の布包みを解いて二刀を抜き放つ。
その間にも両腕に仕込んだ鉤爪手甲を全面に構えて、傀儡兵らが迫ってくる。
「貫け、一繋ぎの槍!」
「盟約の下、我に示せ──光明の散撃!」
その突撃を、サフレの伸縮する槍先とレナの聖魔導が先ず挨拶代わりに迎撃した。
鋼色の刺突で貫き飛ばされる彼らを、彼女の放った多数の淡い光球がカバーするように撃
ち込まれ、弾けると同時に美麗な発光の余韻を残す。
「らぁッ!!」
次いで、ジークが二刀にマナを込めた錬氣の剣を振り放った。
サフレとレナの初手で崩れたこの集団を更に抉るように、大上段からの二本平行な斬撃が
その防御を砕いて吹き飛ばす。
『……』
傀儡兵らは一旦突撃を止めて、鉤爪を構え直していた。
その背後には、牢屋の中で怯えている守備隊の面々の姿がある。
(何なんだ? トナンとこいつらは繋がってるって話じゃなかったのか?)
相対して二刀を構えつつ、ジークは内心眉根を寄せていた。
確かサフレの推測では皇国と“結社”が繋がっているかもしれないという話だったが、
少なくともこの守備隊の兵士達には奴らへの仲間意識があるようには見られない。
或いは──こうした末端の兵士らには知られていない事なのか。
しかし、そんな思考はすぐに寸断される事となる。
ふと傀儡兵らの一部が仲間から頷くアイコンタクトを受けると、小さなどす黒い球を取り
出しているのが見えたのだ。
「あれは……!」
ジーク達は焦った。
記憶──サフレと戦った時、初めて彼ら“結社”との戦いを経験した時──が間違ってい
なければ、あれは確か瘴気を封入した代物である筈だ。
「おい待て! 何を」
ジークはその挙動を止めようとしたが、間に合わなかった。
二刀を握ったまま飛び出そうとした次の瞬間、瘴気球が兵士らを閉じ込めておいた牢屋の
中へと放り込まれ、床にぶつかったと同時にどす黒い瘴気が一気に溢れ出す。
「ひっ……!?」
それからの彼らは、地獄絵図だった。
かつて見た筈の光景。だが決して慣れることはできない、慣れていい筈がない光景。
死を呼ぶ毒に包まれて、兵士達が泣き叫ぶ声が幾重にも重なる。次々と死が生まれる。
「このっ、てめぇら……ッ!!」
彼らを閉じ込めていたのは他ならぬ自分達。それが故の罪悪感。
しかしそれ以上にジークを激しく沸き立たせていたのは、目の前でそんな惨事をあっさり
と起こしてみせた傀儡兵ら──“結社”への怒りだった。
「……ジーク・レノヴィン」
「貴様達ヲ、始末スル」
それでも傀儡兵らは常に淡々と無機質で。
更に牢をぶち破って、瘴気に中てられ魔獣化した兵士が数人、加勢するように砦内に響き
渡るほどの咆哮を上げていて。
侵入者と迎撃者の攻守が入れ替わっていた。いや……そもそも自分達とでは、絶対的な兵
力数が違い過ぎたのだ。
じりじりと、傀儡兵らが鉤爪手甲を構えてジーク達を包囲しようとする。
狂気の血色の瞳をギラリと向けて、魔獣と化した元・兵士らが食指を伸ばそうとする。
(く……ッ!)
明らかに天秤はリスクの側へと傾いていた。
しかしジークもサフレも、レナもマルタも、この危機的状況に為す術がなく。
「──掛かれぇッ!」
だが突然背後から叫び声が響いたのは、ちょうどそんな時だった。
一斉に飛んでくる銃撃や魔導、驚くジーク達の間を縫って傀儡兵や魔獣に飛び掛ってゆく
軽装備の民兵達。
それは間違いなく、石窟地帯で出会ったあのレジスタンスの面々だった。
ジーク達が突然の乱入に目を見開くその間に、彼らは次々と数の力で傀儡兵と魔獣らを押
し返すと、尽く討ち倒していく。
「フッ──!」
それでもジークのすぐ頭上に最後の抵抗よろしく魔獣が牙を向くが、それを一人の男が振
り抜いた槍の軌跡が、その身体をザックリと引き裂き、倒す。
天井へと噴き散る大量の血と、断末魔の叫び。
そのままどうと倒れると、魔獣はややあって動かなくなった。
「……やれやれ。随分ときな臭い場所に出くわしたらしいな。これで片付いたか」
いきなりの加勢で少なからず呆気に取られたジーク達は、すぐに言葉を出せなかった。
各々に得物を手にして傀儡兵や魔獣の亡骸を前に勝ち誇るレジスタンスの面々。
そしてそんな彼らを率いるようにして振り向いてくると、
「やっと見つけたぞ、少年?」
そのリーダー格・サジは槍を片手にしたまま、そうジークを見遣って言ったのだった。