17-(2) 勅令発布(後編)
乗合馬車の廻る車輪の音が遠ざかっていく。
石窟地帯を抜けた後、ジーク達四人は一般の旅人らに混じって一路皇都を目指していた。
それはレジスタンスからの追跡を撒き切るための用心でもあったが、何よりも長時間レナ
に征天使を使わせれば疲労が重なると判断したからでもある。
「んしょっと……。この辺りでいいのか、婆さん?」
「あぁええよ~。わざわざありがとねえ」
とはいえ、直通(の乗合馬車や鉄道)では足がつくだろうと、ジーク達は何度か便を乗り
継いでゆく方式を採っていた。
故に皇都への進行は決して早いとは言えず。
「いえいえ。こちらこそ、お節介ではありませんでしたか?」
「そんな事はないさね。助かった~よ。儂らじゃあどうにも大荷物だったからのう」
現状は、こうして行きずりの、大荷物に困っていた老夫婦に手助けを申し出ると一旦夫婦
の目的地であるいち小村へ共に降り立つといった、比較的ローペースな旅程が続いていた。
夫妻が開けてくれた自宅の中へとお邪魔し、両手に抱えた彼らの大荷物をジークとレナが
手分けして運んでは居間の隅に仮置きしてゆく。
のんびりと、田舎の人間らしいトーンで寄越してくれる夫妻の感謝の言葉。それだけで何
となくホッとするような、手を差し伸べてよかったなと思えるような。
「は~い、お疲れさま。礼としては簡単過ぎますけどお茶でも淹れましょうかねぇ」
「いや、そんな気を遣わなくていいって。こっちも節介でもってやった事なんだしさ」
「そうですね……。お爺ちゃんお婆ちゃんも帰って来たばかりなんですし、先ずはゆっくり
と休憩を入れて下さい」
「ほほっ」「本当、ありがとうねぇ」
それでも、そのまま緩い空気に流されて夫妻とお茶会に……という誘いは流石に謙遜して
辞退しておいた。
手伝ってくれたレナには元より献身家な気質があるにせよ、少なくともジーク自身にとっ
ては、この差し伸べた手は本心の奥底では「自分のため」であったのではないかと思えてな
らなかったからだ。
『だがな……。今の不当に始まった治世によって苦しんでいる人々が、少なからずこの国に
いるのも事実だ。その現実に、君はどう応える?』
その理由は、きっと間違いなくあの時のサジから投げられた問い掛けで。
王座を巡る争いは所詮首の挿げ替えだ、その意識は変わらない。だがその一方で彼が語っ
たこの国のリアル──持つ者と持たざる者の格差は、これまでの道中でも少なからず目にし
てきた光景であった。
だから、自分はこの夫妻に手を差し伸べていた。
せめてこの手が届く範囲に困っている誰かがいるのなら、全力で救おう──。
そんな、ある種の自己満足的な動機だとの自覚があったから。
「……にしても。一体この荷物の多さは何なんだ? 引越し……じゃねぇよな。こうして普
通に自分ん家がある訳だし」
だからこそ、そうした己を哂うもう一人の自分を封じ込めるように、ジークは平素の調子
を装うとそう自分達が運んできた大小様々な白布に包まれた箱の山を見上げる。
「……せがれの私物だよ。少し前に、部屋で死んでいるのが見つかってね」
「えっ」「死ん──!?」
フッと感情を押し殺したかのような、震えを隠せない声にジークとレナは思わず驚きの眼
をこの老夫婦に向けていた。
白一色で包んだ大量の荷物。つまり全てが亡き息子の遺品だと。
「今日は向こうで葬儀と、細々とした事を済ませて来た帰りだったの。あの子ったら、街に
出ればもっと自分達の生活も良くなる筈だって、昔一人村を出て行って、それで……」
「死んでしまったら、何にもならないんだけどもねぇ……」
『…………』
老婦の俯かれた表情に、二人はすぐに反応を返すことはできなかった。
ただ夫妻の哀しみがじわりと込み上げてくるのを前に、立ち尽くすだけしかなくて。
流石に詳しく立ち入って訊く気にはなれなかった。
ただ、街に出たからといって必ずしも暮らしが豊かになるとは限らないだろう。これは予
想でしかないが、いつからか彼は食うに困り、そのまま人知れず逝ってしまった……のかも
しれない。
「可笑しい話よねぇ。アズサ様に代わって“トナンは強くなった”と言われてるのに、私達
の生活は以前よりも苦しくなってる気がするのよ」
「庶民の妬みやもしれんが、恩恵を受けているのは皇に認められた金持ちやら側近連中ばか
りな気が儂にはしてならんよ。あとは、外国の商人かのぅ」
どうしようもなく漏れる嘆き、或いは怨嗟の声か。
俯き哀しくため息をつく妻の背を擦ってやりながら、老父は縁側の、何処か遠くの風景を
眺めるようにして呟いている。
「……どうやらアズサ様は儂らの暮らしまでは守ってくれんらしい。息子も、とにかく金を
稼げという言葉に煽られて死んだように思えてならん」
「本当、一体何の為の謀反だったのやら……」
声色も視線も、別段ジーク達を責めている訳では決してなかった。
それでもこうしてふつと漏れてしまう程に、彼らトナンの庶民にはアズサ皇の掲げている
“強い皇国”の実感は遠い場所にあるということなだと思えた。
「……すまねぇ。余計なことを訊いて」
「ご、ごめんなさい」
「いいんじゃよ。何と言おうが所詮は年寄りの戯言さね」
「それに、こうして貴方達という親切な人がいるんだと経験し直せたんだもの。私達はもう
それだけで何だか救われた気分ですよ」
「……。そっか」
謝辞が嬉しいよりも、やはり心が痛む向きが強かった。
思わずジークは彼らからそっと視線を逸らしてバツが悪く立ち尽くし、レナは部屋の片隅
に積まれたこの遺品の山を前に静かに片肘をつくと、三柱円架──クリシェンヌ教徒が祈り
を捧げる前に宙で切る文様──を胸元で切り、深く鎮魂を祈り始めている。
「──あの~。ジークさん、レナさん?」
そうして、どうにも居心地の宜しくない沈黙の中にどれだけ居た頃だったろうか。
ふとそんな空気を知らず、こそりと聞き覚えのある声が耳に届いてきた。
声の方向、玄関先の方に視線を移してみると、気持ち半分に戸口を開けおずおずとこちら
を見遣ってきているマルタと、その後ろで言葉少なく立つサフレの姿が見える。
「……用事は済んだか? そろそろ出て来てくれないか」
そして祈りを終了させおもむろに立ち上がるレナと、浮かない顔のジークをじっと眺めて
から、サフレはそうぽつりと呟いてくる。
「で? そっちは何をしてたんだよ。手伝おうともしないで村の中に消えてたみたいだが」
老夫妻には申し訳ないと思いつつも、正直言って抜け出す切欠だった。
ジークとレナは重ねて彼らに弔事を述べてから家を辞すと、村に入ってから暫し別行動を
取っていたサフレ・マルタの二人と合流していた。
「勿論、情報収集だ。君がお人好しに駆られている間も事態は常に動いている。僕らは先ず
もってこの国の現在がどういう状態なのか、より詳しく把握しておく必要がある」
「……。まぁ、そうだな」
何気に先までの手助けを咎められているようだったが、ジークに反論の弁はなかった。
サフレは今もずっとこの旅の目的を、見据えるべき問題の全体像に目を遣り続けている。
なのに、自分はどうだ? サジから投げ掛けられた言葉に惑わされたかのように、自身の
満足の為に、目の前の老夫婦に手を差し伸ばして──陰気な現実を再び垣間見ている。
しかし、このまま内心の落ち込みを引き摺ってもいられない。
「どうだったんだ? 何か六華やリュカ姉達の手掛かりになる情報はあったのか?」
心配そうに眉根を下げるレナに苦笑の一瞥を向けてやってから、ジークは気分を切り替え
るように一度深く息をつくと、そうサフレに問いを返す。
「いえ。直接的なものはあまり……」
「基本的に僕らが道中で既に見聞きしたものの繰り返しだったな。アズサ皇の治世で恩恵を
受けられなかった庶民の不平不満。それらが手を変え品を変え語られるだけだった。尤も都
市部に移ってくれば、こうした意見の分布も変わってくるのかもしれないが」
「……どうだかな。街だからってだけじゃあ、期待できないと思うぞ」
「同感だ。……ただ、少なくとも僕らがこの村に寄ったこと自体には意味があったらしい」
「あん?」
そう言うと、頭に疑問符を浮かべようとしたジークとレナに、サフレはそれまで片手に握
っていた紙切れを一枚差し出してくる。
紙質や大きさからして、どうやら何かのビラであるらしい。
ジークはサフレからそのビラを受け取ると、こそっと覗き込んでくるレナと共にその内容
に目を通し始めたのだが。
「……。何だよこれ」
そこに書かれていたのは「国家反逆罪」や「捕獲者に報奨金」といった文言。
何よりも、紙面に大きく印刷されていたのは間違いなくジークの姿だったのだ。
「もしかしてなくても手配書、ですよね?」
「ああ。だけどどういう事だよ? 俺、こっちに来て別に悪さなんて……。もしかしてあれ
なのか? 来て早々、軍隊をぶっ飛ばしたから……」
「で、でも実際に追い払ったのは征天使──私ですよ?」
「そりゃそうだが、実際映ってるのは俺だけだぞ? 背景でぼやけてるのは確かにお前の使
い魔だろうけど」
「……とりあえず二人とも落ち着け。僕が言いたいのはそこじゃない」
「へ?」「ち、違うんですか?」
思わずジークは、レナは、動揺してあの時の行動をそこはかとなく後悔し始めたが、対す
るサフレはさっぱりと落ち着き払っていた。
ぴしゃりと二人の矢継ぎ早のやり取りを中断させると、ハッと顔を上げる彼らにジト目を
寄越してから、再度神妙な顔つきに戻る。
「さっき顔を出す前にこの張り出されていたビラについて村人に確認を取った。一昨日、守
備隊がやって来て数部配っていたんだそうだ」
「つまりですね? 私達は“結社”やレジスタンスだけでなく、トナン皇国自体も敵に回し
てしまったって事になるんですよ」
サフレの言葉を継ぐようにして、マルタが噛み砕いた状況の変化を口にしてくれた。
レジスタンスを“敵”としてしまうのは尚早な気はしたが、少なくともジーク自身はあま
りよい印象を抱いてないのは事実だ。ようやくジークもレナも、この魔導具使いとその従者
が語ろうとする意図に合わせるようにして真剣な表情になる。
「マズい事になったな……。これじゃあ皇都にいる筈のリュカ姉達にも影響が」
「かもしれない。だがそれよりも、このビラで幾つかの疑問が解決するとは思わないか?」
「疑問、ですか……?」
「……君達はおかしいとは思っていなかったのか? そもそも、何故“結社”はあそこまで
して六華を狙ってきたと思う?」
「ん? そりゃあセイジョーキだから、魔人の集まりのあいつらには都合が悪いとかじゃ……?」
しかしサフレは、静かに首を横に振った。
「それもあるだろう。だがそれだけでは執心する理由には弱過ぎる。それに目的が本当に聖
浄器そのものだとすれば、現状六華だけを狙ってくることに説明がつかない」
「そりゃあ、そうだが……」
「……思い出してもみろ。六華はこの国の──王が代替わりして“開拓派”と化したこの国
の王器なんだ」
ちらと彼が遣った視線──自身の背中に背負った三本だけの護皇六華の布包みを肩越しに
同じく一瞥し、ジークは眉根を寄せる。
要するに何を言いたいんだ?
そんな疑問符がまた頭の中を埋め尽くそうとしたのだが、
「そもそも六華を手にして一番得をするのは誰だ? ……他でもない、トナンだろう?」
次の瞬間、それらはサフレが指摘したその言葉で瞬く間に吹き飛ぶことになる。
「何よりも現皇アズサは謀反で権力を得た人物だ。彼女ほど失われた王器を欲しがっている
者はいない。もし、その欲望に“結社”が突け入っていたら……?」
「!? ま、まさか……」
「ぐるだってのかよ? だけどお前、さっきトナンは開拓派って言ってたじゃねぇか。どう
解釈したって“結社”は真逆の連中だろ? 本当にトナンと奴らが組んでるのかよ?」
「さっきも言っただろう? 奴らの目的が単に六華──聖浄器ではないとすれば、その真の
目的の為に利用されつつ利用する、そんな関係を結んでいてもおかしくはない。それが策謀
というものだからな。現にこうして逸早く君を捕らえようと手を回してきているのが、何よ
りの証拠じゃないか」
「う、う~ん……??」
顎に手を当てて唸りながら、ジークは情報を改めて整理しようと試みた。
確かに六華を手に入れて一番得をするのはアズサ皇だ。
だがそれに“結社”が噛んでいる? 正直その思考にはまだ違和感──所謂“開拓派”な
国と“保守派”その過激派勢力とか結びつくというイメージへの追いつけなさがあった。
それでも、これまでの自分達に降り掛かってきた出来事を踏まえていけば分からない訳で
はない。アウルベルツへの襲撃や導きの塔での(結社の妨害と思われる)一件も、ひとえに
アズサ皇が彼女自身が排除した先代の血筋の者──先の皇女の子、皇子を国内に入れたくな
かった(体制が揺るがされるのを恐れた)のだと考えれば、或いは……。
「……と、とにかく合流を急いだ方がよさそうってことだよな?」
今度はジークがふるふると首を振る番だった。
ただそれは否定という訳ではなく、普段あまり意識して回さない頭脳が熱を帯び過ぎたと
いう理由に近かったのだが。
「そう、だな……。何にせよ、ダンさん達とはぐれたままというのは色々と不利だ」
その思考のキャパシティオーバーを見抜いていたのかサフレは一瞬だけ苦笑を見せたが、
次の瞬間には大きく頷くとふと腕組みをして何やら考え始める。
ジークもレナも、そして彼の傍らのマルタも、何だろうと頭に疑問符を浮かべていた。
地方の小村にゆっくりと沈黙が降りていく。ジークが握ったままのビラも、空寒い風に煽
られてカサカサと揺れ動く。
「……いや」
そして、やがてはたと顔を上げたサフレは。
「逆にこの状況を利用すれば、ダンさん達と合流できるかもしれないな」
「えっ?」「ほ、本当ですか?」
「どういう事だよ? なにか名案でもあるってのか?」
「ああ。相応にリスクはあるんだがな──」
ジーク達に促されるまま少々躊躇いつつも、ゆっくりとその口を開き始めたのだった。