16-(3) 仲間(とも)だからこそ
「お~い、アルス~!」
朝に座学講義を二コマとその後の実習を消化し、アルスは学生食堂へと足を運んでいた。
“結社”による街への襲撃があっても、お昼時はいつものようにやって来る。
「フィデロ君、ルイス君」
いつものように、食堂の入口前で友人達と落ち合って。
三人は中へ入ろうとする。
「アルス君、エトナ。君達は先に行っているといい」
「え? シフォンさんも一緒じゃないんですか?」
だがそれでも事件を境に変わった点もある。
それは護衛に就いてくれているシフォンだった。
いつものように進んでいこうとする面々の中で彼は唯一立ち止まり、
「僕は僕で簡単に食事を済ませておくよ。……友人達との歓談に水を差すような野暮なこと
はしたくないしね」
そうゆたりと背を向けながら肩越しに微笑むと、隣接する購買テナントの方へと歩いて行
ってしまう。
「……シフォンさんも一緒に来ればいいのに」
「う~ん。本人なりのケジメみたいなものなんじゃない? 事前に通行許可証を貰ってると
はいっても学生じゃないからねー」
「それは、そうだけど……」
結局そのままシフォンの後ろ姿を見送り、四人は学食内へと入っていた。
いつものように弁当持参のアルスがテーブルを確保し、バイキング形式で注文と会計を済
ませて来る手筈のルイスとシフォンを待つ。
(……う~ん)
しかし友人達を待ちながらも、アルスはどうにも落ち着かなかった。
理由は簡単だ。周りからの視線が先ほどからチクチク突き刺さっているからである。
一応、入学当初にシンシアとの私闘騒ぎの件や代表スピーチなどで目立ってしまったが故
の好奇の視線はあり、それらに関しては随分慣れてきたつもりだ。
しかし、今日向けられているそれらは少々異なっている──いや、今まで以上に好奇の色
を濃くしたものだと感じられた。
これも分かっていた。十中八九、先日の魔獣襲撃騒ぎで自分が先生達(リュカを含む)と
共闘した件、そして領主に説教を叫んだ人物、ジーク・レノヴィンの弟であると知られてし
まっているが故に、良くも悪くも自分は己の意思とは裏腹に有名人になっているのだろう。
正直、アルスには戸惑いが大きかった。
ただ自分は学びたかった。友人と一緒に平穏な時を過ごせればそれでいいと思っていた。
なのに、色んな出来事が重なり、今や毎日のように好奇の眼に晒される状態。
現状ですらこうなのに、もし更に自分がトナンの皇子だと知られてしまったら──。
(迷惑になる、よね……)
自分は別に構わない。入学段階で主席の成績を取り、学院長に代表スピーチを頼まれた時
から多少なりとも目立ってしまうのかなとは覚悟していた。
でも……その所為で仲間達に迷惑が掛かってしまうのを心苦しいと思うのは、今であって
も変わらない。
自分が、そこに居たから。
魔導師見習いとしての成績、母からの血筋。それらを理由に開き直るなんてことはできな
くて。只々、脳裏にあの日、力不相応に森へ向かおうとし、マーロウさん達を失わせてしま
った幼い頃の記憶がちらつくように蘇ってしまって。
「どうしたよ? 難しい顔して」
それでも、目の前の友人達は変わらずに接してくれていた。
肉中心と野菜中心、それぞれの食の好みの献立を載せたトレイを手にフィデロとルイスが
戻ってくる。
「……ううん。何でもないよ。食べちゃおう?」
「? おう」
打ち明けられる筈が、なかった。
アルスは笑顔を繕うとそう言って友らを促す。
一瞬だけ頭に疑問符を浮かべたものの、フィデロはすぐにニカッといつもの快活な笑顔を
返してくれて。
その横でそっと静かな眼差しを向け、アルスの背後で漂いつつ彼に一抹の憂いを見ている
エトナに一瞥を寄越してから、ルイスはワンテンポ遅れて席に着いて。
『いただきま~す』
三人は事件を挟んでも、一見いつものように昼の会食を摂り始める。
フィデロは厚切りのラム肉定食、ルイスは山菜のソテーとチーズパスタ、そしてアルスは
クランの仲間が作ってくれたお弁当。
そして始め数切れを口に運び始めていると、これまたいつものようにフィデロが言った。
「アルス、おかず貰ってもいいか?」
「うん。取り替えっこしよっか」
ソースをしっかり塗ってくれた肉の欠片と、南瓜の煮物を胡麻ご飯付きで交換する。
取り皿の上に一旦乗せてからほぼ同時にあむっと口の中へ。アルスの口の中ではジャム状
のソースと肉汁の、フィデロの口の中では南瓜の繊維汁に染み込むご飯の味がじわっと広が
っていく。
「……んぅ?」
しかし、アルスはそこで気付くのが遅れていた。
「どうかした?」
「いや……。なぁアルス、お前今日の弁当自分で作ったりしたのか?」
今日からとそれ以前では、お弁当を用意してくれている人物が変わっている事に。
「ううん、僕じゃないけど……」
「そっか。何ていうか、前はいい意味で濃口っていうか“お袋の味”みたいな印象だったん
だけど、今日のはそれに比べるとあっさりしてるなーって思ってさ」
「流石はフィデロ。喧嘩と大食にはうるさいね」
「……褒めてんのかよ、それ」
「ふふっ。勿論」
ジト目になるフィデロに、ルイスはフッと笑いソテーを口に運ぶ。
だがアルスは内心しまったと思っていた。
すっかり昼食を用意して貰うことが普通になってしまっていた上に、ミアもハロルドも同
じ信頼できるクランの仲間であるが故に、そこまで気にしていなかったという事もある。
「えっと、その。いつも作ってくれてる人がお仕事で遠出してるんだ。だから帰ってくるま
では別の人が代わってくれてて」
「ふぅん? なるほど。まぁ俺にしてみればどっちも美味いから別にいいけど」
「フィデロ、君じゃなくてアルス君の為のお弁当だから。……それにしても仕事で遠出か。
確か、猫の獣人さんだと言っていたよね?」
「うん。そう、だよ……?」
内心慌てて事情を話す。少なくとも嘘は言っていない。
フィデロは言葉の通り特に気にしている様子はなかったが、対するルイスは丁寧に食事を
咀嚼しながらもじっと冷静に何かを考えているようにも見える。
「……そうか。ブルートバードも色々大変だったみたいだからね」
しかし次の瞬間、ルイスがそうぽつりと呟いた一言で、アルスの懸念はぐっと間近に迫っ
てきたように感じられた。
目を見開いて、押し黙る。思わずエトナもアルスの背後で固まっている。
暫しアルス達はテーブルを挟んで三方向から向き合いながら沈黙を続けた。
(まさか、ルイス君にバレてる……?)
アルスは一瞬思ったが、すぐに内心自身で首を横に振った。
いや、まさか自分の出生までは感知していないだろう。おそらく先日の襲撃騒ぎで自分達
が“結社”と何かしら因縁があるらしいと勘付いているといった所だろうか。
(やっぱりルイス君は鋭いな……)
分析眼の良い友への警戒感のような──いや、何よりも先ず胸中に満たされていったのは
チクチクと刺してくる罪悪感だった。
別に彼は自分を責めている訳ではないのだろう。それは確信を以って断言できる。
だからこそ、辛かった。
これまでの自分の軌跡と明らかになった素性。それらを知られてしまえばこの友らに少な
からず影響が、迷惑が掛かる。そう理屈がブレーキを掛けていても、感情の領域では本当の
ことを打ち明けられない自分を責める棘先が幾つも構えられているのが分かっていたから。
「……何時でもいいさ」
「え?」
それでも、この翼人の友は待ってくれていた。
思考が戸惑いがぐるぐると巡るこの目の前の友の心中をまるで察してくれているかのよう
に、ただそれだけを、静かに穏やかに伝えてきて。
「下宿先が下宿先──冒険者クランだからね。色々あるんだとは思う。だけど本当に困って
いるのなら、僕らは相談くらい何時でも乗るつもりだよ」
「そうそう気兼ねすんなって。ダチだろ? よく分かんねーけど、もしそういう時は力にな
るからさ。正直、俺達がどこまで役に立つかはその悩み事にも依るんだろうけど」
「……。ありがとう」
ルイスは何かしら勘付いて、フィデロは心当たりはなくともただ友情と共に。
ただアルスは嬉しかった。そしてだからこそ……打ち明ける訳には、いかなかった。
改めて認識する。この二人は自分にとっては大切な、大切な友人なのだと。
「でも、大丈夫だよ……。大丈夫」
故にアルスはもう一度笑顔を繕った。
せめて言葉だけでも平穏の今を。そう願って。
そんな思いが通じたのか、何とかルイスもフィデロもその後、追求をしてくるといった行
動には出て来ることはなく昼の会食は進んでいった。
臆病といえばそうかもしれない。だけど、やっぱり皆には悩み患うよりも笑っていて欲し
いと強く願った。
確かに語らないことで罪悪感は自分を襲う。だけど、今頃トナンにいるであろう兄達の苦
労を思えば、これくらいはまだずっと生温いものである筈だ。
(……ごめんね。ルイス君、フィデロ君。……ありがとう)
内なる弱音に何とか蓋を被せて言い聞かせ、せめて彼らの前では笑顔を作り。
アルスはそっとこの幸いの友人達に礼と侘びを祈りながら、もきゅっと何度目とも知れぬ
白米を口の中に放り込む。
「はい。二点で18ガルドになります」
一方、シフォンは購買のレジで軽い昼食を調達していた。
キャベツとベーコンを挟んだ惣菜パンと、小振りの野菜ジュースを一パック。レジの店員
の無駄に元気な声が少々演技臭く思える。
昼時ということもあって、店内は出来合いの弁当などを求める人々で混雑していた。
とはいえ自分は学生ではない。あくまで護衛役としてアルス君に同行している部外者だ。
(さて、アルス君を見守りに──)
だからこそ足早にこの場を去って、務めを……いや守りたいと願う仲間の下に戻ろうとし
たのだが。
「見つけましたわよ。ブルートバードの冒険者さん?」
そこに立ちはだかるように現れたのは、見覚えのある少女とその従者二人組──シンシア
とゲド、キースの三人で。
「……何の御用です?」
シフォンは昼食を放り込んだ袋を片手に、彼女達に細目の一瞥を送った。
その間も、購買テナントからは学生や職員らが出入りしている。
「とぼけないで下さる? 分かっているでしょう? いい加減に教えて頂きたいのですわ。
以前の“結社”との交戦から先日の一件までの、貴方達の隠している事情をね」
シフォンの眼が無言のまま鋭くなっていた。
しかし、暫く両者は互いを見遣りつつも、この眼前の往来の邪魔にならないようとりあえ
ず学食と購買テナント間のスペースへ移動することにする。
「そう言われてもね。貴方に話すことはないのだけど」
「嘘をおっしゃい。貴方達はこの私を利用するだけ利用して捨て置くつもり?」
ずんと進んでくるシンシア(と背後の従者二人組)に袋小路に追い詰められそうになった
シフォンだったが、そこは落ち着いて身を捌く。一瞬の隙を見て立ち位置を斜めにずらし、
学食側の壁寄りに彼が、テナント側の壁寄りにシンシアらが立つ格好となる。
「……その。べ、別に除け者にされたから機嫌が悪いとか、そういう事ではなくてよ」
「お嬢。その言い方は自ば──」
仕方なく向き合うシンシアはこそっとツッコミを入れてくるキースの足を遠慮も無く思い
きり踏み付けて黙らせると、深く眉間を寄せた表情で詰問を続けようとした。
「……あの廃村の件から始まり、先日には魔獣の襲撃騒ぎ。冒険者でなくともこう立て続け
に事件が起きればこの私であっても疑わずにはいられませんわ。以前からアルス・レノヴィン
に訊ねてはいても、曖昧に笑うだけで何一つ答えようとしない。なのに今日学院の講義が
再開したと思えば貴方がまるで護衛のようにそっとついて来ている」
「……」
「はっきり言って、きな臭いのですわ。一体貴方達は何と戦っているというのです? 推測
ですけれど、貴方がアルス・レノヴィンを警護しているということは、やはり先日のように
“結社”と貴方達が対立関係を続けているからではなくて?」
予め用意をしてきたように、シンシアの口から核心を衝こうとする質問が飛んでくる。
それは彼女自身、確かに始めは“除け者”にされたという事への癇癪から始まっていた。
しかし今はその内心は大きく変わりつつある。
彼らブルートバード、いやアルス・レノヴィンへの敵対心から好敵手へという心境の変化。
当人はまだそれと気付かぬ芽生え始めた思慕と、それが故の不器用な心配。
彼が守られなければならない程の事情が起きつつある。
ただそのらしい事実に、正直には口に出せないけれどもやもやと不安が募っていたから。
「……好奇心は猫をも殺すんですよ?」
しかし、シフォンがそんな彼女の不器用ながらの胸中を知る由もなくて。
彼はじっと彼女からの矢継ぎ早の言葉に耳を傾けつつも、あくまで知らず存ぜず──君に
は語らないという姿勢を貫き続けていた。
「僕はただ、留守中の友にアルス君を頼むと言われている、それだけの事です」
のらりくらりと、はぐらかす爽やかな笑顔。
だがその表情が表面的なものでしかないことを感じ取っていたのか、はたまた問い詰めて
も答えを返さないことに怒っているのか、対するシンシアはむすっとしていた。
「……さて。じゃあ僕はこれで」
「あっ。ちょ、ちょっと──」
そして次の瞬間にはひらりと身を返し、シフォンはその場を後にし始めた。
ワンテンポ遅れてシンシアは追いすがろうとするが、学食と購買テナントというお昼時の
激戦区の人の波に紛れてしまった彼を引き戻すことはもうできなかった。
「……。怪しいですわ」
悔しさやら憤りやら。
またもやはぐらかされたシンシアの胸中に、攻撃的な熱情と思慕の陰気が同居する。
暫く彼女はざわざわと雑多な声と足音を奏でる往来に向き合って立っていた。勿論そうし
てシフォンが戻ってくる訳でもない。
(……ホーさん。やっぱり)
(うむ。シンシア様を遠ざけておくのは、そろそろ限界やもしれんのぅ……)
そんな主を背中を見遣りながら。
キースとゲド、密偵と戦士の従者二人組はこっそりとそんな呟きを交わしていた。