16-(0) ウロなる記憶
他に比べて相当長寿な種族であるといえる竜族にも、味わった挫折の歴史は少なからず存
在する。
それは私自身が関わった訳ではなくとも、代々血の中で静かに継いできた悔恨の記憶。
普段は意識しないように努めている。ひっそりとセカイを見守ろう。そんな傍観者目線。
そんなスタンスを同胞達の多くがお互いに暗黙の了解として、私達はこれまでの長い長い
時の中を生きてきた。
『──だがな、竜の末裔よ。それだけではないのだ』
だけど、あの衛門族の長老はそう私を見遣って呟いていた。
知らない筈はない。私達の“挫折した統治”の過去を。
分かっていて、彼は投げ掛けてきたのだと思う。
しかし少なくとも、彼自身は“諦めた”かつての主らの子孫を恨んでいるようには見えな
かった。……そう、私自身が思いたかっただけかもしれないけれど。
そもそも彼らはご先祖様に正式に任されるよりも以前から、門と共に暮らし、そこに根を
張ってきた。
だからこそ今も尚、ストリームの歪みと向き合い続けてくれているのだろう。
かつてこの世に迷い込み流れて来た、最早ルーツも知らない先祖伝来からの使命を胸に。
「ジーク……。そんな……」
「落ち着いてくれ、先生さん。とにかく皆、足場が無くなり切る前に早く出口へ!」
それに比べて私はどうしたいのだろう?
皆からの質問に答えて自身を誤魔化しながら、私は閉じ込めていたその暗黙の了解に密か
に自問自答を投げ掛けていた。
過去の古傷を背負い合い、皆と距離を置く。
だけど……その流浪の先で出会った人々に癒され、彼らを護りたいと思った。
特にあの子達──ジークとアルス、教え子達は。もっと他人から離れて一生を終えていく
繰返しの筈の身でありながら、繋がりたいと思ってしまう、このむず痒い温かさ。
「で、でもストリームの中に落ちたら……!」
なのに、咄嗟にあの子達へ救いの手を差し伸べられなかった。
助けなきゃ。でも思わず深淵へと喰らい付こうとした私達の襟首を、ダンさんがむんずと
掴んで引っ張り出してくる。
獣人さんの膂力で私達は抱えられ、横を駆けるリンさんと共に当初の出口へ。
「なに、大丈夫ッスよ。レナには空が飛べる征天使がついてますから。あれがあれば奈落の
底まで落ち切りゃあしませんよ」
そうは言っても彼も後ろ髪を引かれる思い、そんな表情を滲ませている。
飛行能力を持つ使い魔? 初耳だけど、確かにそれなら途中で浮遊すれば大丈夫な筈。
「それよりも皆が皆で落っこちまえば、それこそ邪魔に入ってきたらしい結社の思う壺です。
それに、大人数だとデカブツでも受け止め切れねぇかもしれない」
だけど、彼らの横顔は決して悲観的ばかりではなくて。
「……何より、私達の知っているジークはそう簡単にくたばるようなタマじゃないよ」
それは間違いなく、皆さんが“仲間”に寄せる信頼の気色を強く宿すそれで。
ダンさんから受け継いで語ったリンさんの言葉に、私は思わず目を瞬いてしまって。
──ジーク……アルス……エトナ。
そうね。貴方達を信じてくれる彼らを、私も、もっと信じようと思う。
それがたとえ私達の血脈の古傷を抉ることになろうとも。
分かっている。あの古傷は、もう私達にとっての過去なのだから。
だからこの時代ぐらいは、大切な人達と寄り添ってもいいかしら──?
光漏れる出口へと一斉に身を投げる。
暫し、ダン達はその眩しさに目を細めて白くなる視界の中に佇んだ。
やがて目に映ってきたのは、朝靄の中の森だった。昇り始めた朝陽が、木々を眠りから覚
ますようにそっと緑色を照らしている。
ただ四方八方が木々という訳ではないようで、脚から伝わる傾斜の感覚や左右にバラけた
緑を見るに、ここは何処かの丘の一角であるらしい。
「……ここは何処なんだ? 皇国なんだよな?」
辺りを見渡しながらダンは誰にともなくぽつりと声を漏らす。
そして肩越しに来た道を振り返ってみると、そこに鎮座していたのは大きな古木だった。
周りの木々の中にあってもかなりの年季と見える。既に樹木としての態はなく、ただその
根本にぽっかりと開いた“うろ”が目を引いた。
「なるほど。此処に門として繋がっていたみたいね」
「だけど……今は何もないです」
「そりゃあそうだよ。基本的に空間転移ってのは陣を敷いている場所同士でないと往復でき
ないからね。あちこちから導きの塔へ侵入されても困るから、こういう一方通行な状態にし
てあるんだと思うよ」
そっと目を細めてストリームを視ているのか、リュカが今回の空間転移の全容を把握した
ようにそう頷き、口を開いていた。
その傍らではミアがうろの中に手を突っ込み虚空をなぞると、こちらからは路に繋がって
いない事を確認しており、ステラも魔導使いの端くれとしてそんな友に解説の弁を与えている。
もう後戻りはできない。あいつらならきっと大丈夫。
ダンは肩越しに彼女達を見遣ったまま、ぐらりと揺れたこの判断を是と固め直す。
「ああ。間違いない。ここは……トナン皇国、私や殿下の故郷だ」
すると、ダンの呟きに間を置いて、リンファがじっと丘の上から見える遠景に目を遣った
ままそう答えた。
ダンやリュカ達がそれぞれに彼女の傍へと歩み寄る。
そうして一同が目を凝らした視線の先──丘の眼下から見える景色の中に、一際大きな、
城壁で囲まれた都市が佇んでいるのを確認する。
「あの街は、まさか」
「皇都トナンだ。長らく国を離れていたとはいえ、この私が忘れる筈がないだろう?」
という事は、間違いなく自分達は皇国に辿り着いていると結論付けられる。
一先ず空間転移には成功したらしい。
ダンらは一度ほっと胸を撫で下ろしたがそれも束の間、ならばと再び表情を引き締める。
「……だったら早い所行ってみよう。何にせよ活動拠点を確保しておかないとな。ジーク達
を捜すにしても、トナンの今や六華のことを調べるにしても、こっちが地に脚を付けられる
状況じゃなきゃどうにもならねぇ。リン、色々とブランクはあるだろうが案内役、しっかり
頼むぜ?」
「ああ。任せておいてくれ」
真剣な横顔の中に、フッと優しい微笑を漏らした彼女に皆が頷いて。
そしてダン達五人はその場から丘を下り、眼下の皇都を目指し始めた。
朝靄の中の森に、時折鳥の囀りや獣の気配が雑じる。
こうしてみると以前より耳に挟む通り、トナンは豊かな水と緑に囲まれたのどかな島国と
いう世間一般的なイメージがしっくりくるように思う。
だが……その内部は必ずしもそうではない筈だ。
二十年前のクーデター、六華を執拗に狙い、且つ街に魔獣の軍勢を送っ
てもきた“結社”との関係性の如何。
怪しむべき部分、調査すべき部分はたんまりとある。
(……とはいえ、先ずは何よりもジーク達を捜さねぇとな)
そもそも此度の旅路は、全て彼の──レノヴィン一家の為であるのだ。
その中核であるあの危なっかしい、だけど根っこは熱くてどうにも放っておけないイイ奴
を置き去りにしたままでいる事は、ダンには、自分達にはできなかった。
(何処かに出ているとは思うんだがな。何とか上手い具合に合流できればいいが……)
クランの副団長、この遠征部隊のリーダー役として。何よりも一人の冒険者の先輩として
何としてでも彼らと合流を果たさねば。
想定外の事態を付け加える羽目になってしまったダンら一行は、それそれに心配や奮起を
胸に抱きながら、皇国の都へと歩みを速めていた。