15-(5) 天使と路と旧臣の徒
「──ジャ、征天使!」
ストリームの引力で落ちていくジーク達を食い止めたのは、途中でハッと我に返ったよう
に発動を叫んだレナの声とその呼び掛けに応えて現出した鎧天使の使い魔だった。
ぼすんと落下を続けていた四人を受け止める、大きな掌。
それが征天使に自分達が助けられたことだと理解するのに、ジーク達は少々の時間を要した。
「……た、助かったぁ」
「みたいだな……。サンキュー、レナ」
「い、いえ。むしろ私の所為でジークさん達を巻き込んでしまって……ご、ごめんなさい」
自身の魔導具から呼び出した巨大な天使の掌の上で、レナは涙目になりながら何度も頭を
下げていた。綺麗な長い金髪と鳥翼人の翼がさわさわっと揺れる。
「謝っても仕方ないさ。それ君自身がこうして助けてくれたんだ、もうお相子だろう?」
流石に親しい少女の涙には、ジークも戸惑っていて。
代わりにそう応えて天上を見上げたのはサフレだった。
謝り合いや批難はもうなしだ。それよりも……。
暗黙の内にそう頷き、ジーク達も同じく天上を仰いだ。相変わらず上下左右と果てが見え
ない静謐な空間に、刻一刻と色彩を変えるストリームが黙々と無数に交差している。
「……すっかり足場が見えなくなっちゃいましたね」
「まぁ結構な距離を落ちたしなぁ。レナ、とりあえず上ってみよう。リュカ姉達がこっちに
来てる様子もないし、多分俺達は──こっちにはレナと征天使がいるから大丈夫だと踏んで
自分達だけでも先に進んだんだろう」
「ああ。そう考えるのが妥当だろうな」
「は、はい。分かりました。じゃあ落ちちゃわないように注意してて下さいね?」
目配せとかざす手のレナの合図で、鎧天使はゆっくりと上昇を始めた。
しかし、周りの風景は相変わらずで。
ジーク達は暫しすっかりガラス質の足場も消え失せた中空なる空間を見渡し、何とか仲間
達が向かった──皇国への出口を見出そうとする。
それでも目印にもなっていた足場がない今、その“正解”を見つけ出すのは最早不可能と
言わざるを得なかった。
「……駄目だ。出口が多過ぎてどれが正解なのか分かりやしねえ」
「はいです。こうして見上げてみると、本当数え切れないくらい出口があるんですね」
「ど、どうしましょう……?」
「ガディア達にもう一度足場を張って貰えれば確実なんだろうが……そもそも僕らは後戻り
すらできないしな」
不安そうに胸元を掻き抱くレナに、キョロキョロと辺りを見渡し主にひたっと寄り添って
いるマルタ。
そう呟くサフレに、ジークは暫し細めた眼を遣ると、やがて決断をする。
「よし……。試しに出てみるか」
「えっ」「出るって、何処にだ?」
「適当に選ぶさ。何処かには繋がってるんだろ? 少なくともこのまま此処で漂ってるまま
じゃあ、レナもこのデカブツも疲れるだろうしさ」
「……行き当たりばったり過ぎると思うが仕方ない、か」
おうよ。ジークはなるべく皆を不安がらせないように、というよりはあまり難しく考える
のが苦手なので、できるだけどんどん行動に移していく事で事態を変えようと試みた。
なのでジーク自身は何の気なしに語ったその言葉が「ジークさん。私の事心配して……」
と、レナの頬をほうっと赤らめ、感激させていたことには気付く由もなく。
「それじゃあ……。レナ、あそこに飛んでみてくれ」
「ッ! あ、はい……分かりました」
そしてざっと無数の出口を見渡した後、ジークはついとその一つを指差して言った。
現在鎧天使の掌の上にいる辺りを先程渡っていた位置だと仮定しての選択だったのだが、
勿論そこに確証の類はない。ただの勘だった。
それでもジークの言う通りここに留まり続ける訳にもいかない。
四人は征天使の掌の上に乗ったまま、その出口へと加速する。
『──……』
外界の光の溢れる出口を通り過ぎる瞬間、四人は目をひそめて。
鎧天使を従えた彼らは一歩を踏み出した。
ゆっくりと目を開けると、そこには澄んだ青空と鮮やかな山々の緑の稜線。
ふわりとした空中浮遊の後、征天使はその場に着地した。
そっと掌を地面に降ろしてくれ、ジーク達はようやく大地を踏み、少なからず安堵する。
「ここは……?」
「ふむ。これは多分、何処かの遺跡だろうか。それも……見た所相応の山奥らしい」
それでも一体自分達が何処に出たのかは、全員が気になっていた。
先ず居場所の把握を。そうジーク達が辺りを見渡す中で、サフレが背後の壁をそっと擦り
ながら、見上げてから、ポツリと推測を述べた。
四人が共に見上げてみると、確かに今自分達が立っているのは、何かしらの遺跡の中であ
るらしかった。
見渡せば、切り拓かれた崖が並ぶ山間部。
そしてジーク達の立つ場所、その背後には大きな石窟寺院が建っている。
「もしかして、この石像さんから出てきたんでしょうか?」
「状況から考えてそうだろうな。でも、このデカブツに扉らしい所なんて何処にも……」
「覚えていないのか? 僕達は導きの塔でも転移用の魔法陣という“扉ではない扉”から進
入したんだ。その出口も同じく見た目が扉ではなくてもおかしくはないさ」
「……それもそうか。だとすりゃ、本格的にコイツは一方通行なんだな。まぁ元から後戻り
するつもりもなかったし、できなかったけどよ」
サフレがジーク達に振り返って語る言葉。
伊達にクランに来るまではマルタと二人旅を続けていただけの事はあるな。そうジークは
思った。北方から出た試しのないジークにとっては、中々頼もしい案内役でもあろう。
「さてと……。それじゃあとりあえず降りようか。先ずは人里を見つけてここが何処なのか
を確かめねぇと。リュカ姉達と合流するにしてもそれができてなきゃ始まらねえ」
そしてくると踵を返して、ジークは改めて皆に言った。
頷くサフレら三人。一先ず無事に出れたことは安堵だが、そういつまでもぼんやりとして
はいられない。
早く仲間達と合流しなければ……。
寺院の奥に上下階への階段があるのを見つけ、ジーク達は歩き出そうとする。
ちょうど、そんな時だった。
『──ッ!?』
突如響いた、爆音。
何事かと振り向いたジーク達の目に映ったのは、何者かの攻撃を受け、盾から障壁を発生
させて一同を守ってくれていた征天使の姿だった。
「だ……大丈夫、征天使!?」
「まぁ大丈夫だろ。しっかり防御してるしケロッとしてるし。にしても……何だ?」
「……。あっ! 皆さん、あれを見て下さい!」
少なからず戸惑うジーク達。
そうしていると、マルタが被造人が故の視力で以ってその理由を皆に指差して叫ぶ。
言われてよくよく目を凝らしてみると、確かにそこにはいた。
一言でいうと、軍勢。高みから見ているだけとはいえ、せいぜい一個中隊程度の規模であ
ろうか。その一部が、陣自体は更に向こう──ジーク達のいる石窟寺院とは反対側の山の別
の敵陣を向いているにも拘わらず、どうやらこちらにも攻撃を放ってきたらしい。
「……命中したか?」
「はい。ですが、どうやら障壁を張られたようで……」
「兵数確認しました。四人のようです」
「四人? たったそれだけか?」
その攻撃──砲撃を向けた当の軍服姿の軍勢は、初手の一発が防がれたことを確認してい
る最中だった。砲兵が次弾の準備をしている少し傍で、隊長とみられる男が部下らから次々
に報告を受けている。
「ふぅむ? いくらなんでも背後からの奇襲要因としては少な過ぎるが……」
「では、先方との交戦に集中を?」
「……いや。いくら少人数とはいえ、あの鎧の使い魔一体がいる。今攻撃されたら挟み撃ち
に遭う。迎撃体勢は崩すな。次はもっと狙いを絞って撃て」
「はっ!」
そして少々の思案の後、彼らが引き続き征天使に狙いを向けようとし、
「こん、のぉぉぉぉ──!」
『……ッ!?』
今度はその隙を縫って、鎧の天使に乗ったジーク達が攻め返しに舞い降りて来ていた。
驚き、絞り切れなかった狙いのままの砲撃をあっさりと障壁を生み出す盾で防ぎ、地面擦
れ擦れの低空飛行でこの軍勢の真上を通り過ぎる。
その風圧と遅れてやってくる衝撃波によろめく面々。
だがその隙を逃さず、鎧を纏った巨大な天使は軍勢の正面に向き立ち、ジークの叫び声を
届けてくる。
「バカヤロー! いきなりぶっ放す奴があるかっ! やっちまえ、レナッ!」
「あ、あわわっ」「……やれやれ。どうなっても知らないぞ」
おろおろしているマルタの横でサフレはそうぼやくも、自身はしっかり既に槍を片手にし
て応戦できる体勢を整えていたりもして。
「ご……ごめんなさーい!」
次の瞬間、レナが謝りながらも征天使を操り、その腰に下げた剣を抜き放たせるとそのまま
横薙ぎに地面を抉るように一閃。
当然ながら、その巨体の思いの外俊敏な反撃に、軍勢らは隊伍総崩れとなっていた。
剣圧と砕かれた地面に巻き込まれ、吹き飛ばされ、面々はゴロゴロと地を転がる。口々に
悲鳴が重なる。
「ぬぅ……ッ! て、撤退! 総員撤退ーッ!」
それでも流石に状況の不利はすぐに悟ったらしく、隊長格の兵がそう叫ぶと軍勢はそのま
ま地べたを這いつくばるように逃げ出していった。
念の為、彼らが十分遠くの姿になるまで剣を収めずに様子を見、ようやくジーク達は一息
をつく。
サフレが槍を、レナがこの使い魔を。
そして魔導具も収めて四人がストンと地面に降り立つと、ちょうどそれまで先の軍勢らと
交戦していたらしいもう一方の勢力の面々が恐る恐るとこちらに近付いて来るのが見えた。
「……。どうやら私達の戦いに巻き込んでしまったようだな。すまなかった。しかし礼を言
わせてくれ。君達のおかげで難を逃れられた、ありがとう」
その外見は、正直言って先程の軍勢とはある意味真逆であると言えた。
彼らは軍服などは一切身につけていなかった。纏っているのは必要になりそうな軽防具ぐ
らい。人数はそこそこにいるようだったが、それでも装備等々で見劣りしている印象は否め
なかった。
するとその内の、リーダー格とみえる女傑族──というよりも、この場にいる彼らのほぼ
全員がその特徴である黒髪黒瞳をしている──の中年男性がややあって一歩進み出ると
そうジーク達に礼を述べてくる。
「礼なんざ要らねぇよ。こっちは単に謂れもないのにやられたもんだから反撃したまでだ」
片眉を少しばかり上げ、ジークはそう口調は素っ気無い感じで応えていた。
実際にやられたからやり返した、直情的な行動だったのは流石に自覚している最中で。
レナも自身の傍らでバツが悪そうに苦笑いを漏らして佇んでいる。
(それにしても、こいつらは何者だ? ただの野盗……って訳でもなさそうだが)
それよりもジークが気になったのはこの目の前の彼らの正体だった。
ついつい先の軍勢を追い払ってしまったが、もしかして相手を間違えたのではないか?
今更ながらに内心で、ジークは嫌な感じがして静かに眉根を寄せる。
「そうか。ああそうだ……。先ずは自己紹介をしておかないとな」
だが、そんな勘というものは割合当たってしまうもので。
このリーダー格の男は、ジークが一目見て同族であると知ってか少し表情を緩めると、
「私の名はサジ・キサラギ。元トナン皇国親衛隊の隊長を任されていた者だ。……今はこの
場の皆と共に反皇活動などをやっている」
そう、ジーク達の驚きに変わる表情に微笑みを遣りつつ、名乗ったのだった。