15-(3) 世界樹(ユグドラシィル)
「──何なんだ、こりゃあ……?」
セカイの楔の内部へと足を踏み入れ、ややあってジークの口から最初に出たのは、そんな
驚嘆めいた呟きだった。
導きの塔の最奥に設けられた大型の魔法陣に乗っかり、ガディアらに転送された先。
そこに広がっていたのは、刻一刻と色彩を変え続けながら交わり奔る無数の光の柱を内包
した、天地の底さえ窺い知れぬ静謐の空間だった。
最初にジーク達が着地したのは、大きな円形をした透明なガラス質の足場。
そこから点々と、飛び石のように、詰め気味に同じく四角いブロック状のガラス質の足場
が延びているのが確認できる。
その終点にあるのは、無数に口を開いている外への光、出口らしき長方形な穴の一つで。
「……あれの上を渡っていけという事か」
「そうらしいな。……行くか」
どうやら、ガディアらが言っていた“目的地までの橋渡し”という表現はあながち間違い
ではなかったらしい。
早速、ジーク達はトントンとそのガラス質な足場の上を渡り始めた。
左右上下、一行の視界の至る所で色彩を変える光の束──高濃度のストリームが静かに蠢
いては果ての見えぬ空間の先へと続いている。
「本当、果てが見えないですね。落ちちゃったらどうなるんでしょう……?」
「そうねぇ。擬似的な接触になっているとは思うのだけど、今私達のいるここは間違いなく世界樹
の内部だから……。もし“下”に落ちていったら、辿り着く先は地底界や冥界になるでしょうね。途中
で“上”向きのストリームに巻き込まれて乗れたとしても、天上界の何処かになるでしょうし。或いは
もっと上、霊界かもしれない。どちらにしても、そうなれば地上界にはそう簡単には戻って来れない
と思っておいた方がいいわね」
「はぅっ。き、気を付けます……」
「……文字通りの、あの世行き」
「ミア……。それ全然笑えないから。背筋凍るだけから」
そんな中で、用心深く足場を確かめて渡っていたレナが深淵をちらりと覗き込んで呟いた
一言に、リュカが教師よろしく講釈を返す。
落ちたら、そう中々──二度とは戻って来れない。
それだけ自分達の生きているセカイは広大無辺で。
彼女の返答を聞いて、思わずレナは涙目になりかけていた。ポツリと目を細めながら呟く
ミアに、ステラが引き攣った表情でおずおずとツッコミを入れている。
「……」
そうして何となく不安になる中を、仲間達が時折そんなやり取りで誤魔化している中にあ
って、ジークはただ一人じっと足元へと目を遣り、足場を渡りながら押し黙っていた。
『魔導というヒトの技術が日々マナを大量に消費させ、加えて徒な開拓を続ける事で、世界
という器を内と外から破壊している』
思い起こし、何度も頭の中で反芻していたのは、塔の中でガディアの長が話していたあの
嘆きを多分に込めた話。
にわかには信じ難かったが、あの表情が、彼らの積み重ねてきた歴史が、嘘偽りや演技だ
とは流石に思えなかった。一笑に付すことなどできなかった。
学はないが、冒険者の端くれとして──以前件の七十三号論文とやらをアルスが講釈して
くれて──魔獣が何故存在するのか、そのロジカルな理由の知識自体はある。
それでもジークは、皆と共に戦い続けてきた。
現実には、魔獣がヒトを襲いその命を脅かしている。そんな彼らを守りたかった。
もうあの日のような悪夢を誰かに見て欲しくなかったから。……いや、自分自身がその場
面に出くわすのが怖くて。だけど、もう一度やり直したいとも何処かで願っていて。だから
ずっと戦ってきた。学の代わりに剣を振るってきた。
しかし、彼らのあの話を“正しい”と仮定したならば、そんな今までの自分の取って来た
道は実に狭い視点であったと認めてしまうことにはならないか?
ガディアらが自認しているストリームの再調整のように、自分達のやっている事は結局の
所、対症療法──もっと穿って見れば、偽善的な自作自演ではないかと。
『我々は問いたい。一体、汝らは何処に向かいたいのだ? 少なくとも滅びの未来ではない
のだろう……?』
転移用の魔法陣のすぐ前で見せた、彼らのあの憂いの眼。諦観と嘆きの表情。
自分達は結局何も言い返せなかった。
もしあの場で感情を剥き出しに反論を繰り広げていれば、それはきっと自分達ヒトの自分
本位さを暴露しているのと同じであるような気がして。
(……くそっ、何だってんだよ。これじゃあまるで、俺達が悪者みたいじゃねぇか……)
ジークは結局、もやもやした思考が纏まらず、人知れず小さく舌打ちをしていた。
上着のポケットに突っ込んだ両手。腰に下げた半分だけなままの六華が歩みに合わせて揺
れている。
どいつもこいつも、惑わせやがって……。
眉根を寄せて、雑念を振り払おうと頭を振る。
俺には……やるべき事があるだろうがよ。
時折やり取りを交わして足場を渡っている仲間達に交じり、その歩みに合わせついて行き
ながら、ジークは何とかして乱された平常心を取り戻そうとする。
異変は、そんな最中に起こった。
『──ッ!?』
ガクンと足場全体が大きく揺れて、ジーク達は思わず目を見開き背後を振り返った。
するとどうだろう。遠くの最初の足場から順に……いや、徐々にそれが散発的に、それま
で自分達が渡っていたガラス質の足場らが脆く崩れ出そうとしていたのである。
「な、何だ?」
「ままま、まさか、時間切れとかですか!?」
「流石にそれはねぇだろーよ。大方“結社”の奴らが邪魔をしに来たって所だろうな」
驚く仲間達、マルタの動揺にダンが顔をしかめながらもそうツッコミよろしく推測の言葉
を挟む。唇を真一文字に結んでリンファに視線を寄越されたリュカが、コクと首肯を見せた
のを確認する限り、どうやら間違ってはいない──何らかの邪魔立てで施術の維持を崩され
たとみるのが妥当なのだろう。
「急げ! 今巻き込まれたらまっ逆さまだぞ!」
ダンが叫び、ジーク達は弾かれるように駆け出した。
大きく揺れて、ボロボロと崩壊してゆく足場の上を大急ぎで飛び移って足場が示している
出口へと急ぐ。
「……ふぇっ!?」
しかし崩壊のスピードは無遠慮に加速を続けていた。
駆け抜けてゆくその最中、レナの片足が足場の崩壊に巻き込まれてしまったのである。
「ッ!? レナっ!」
そのすぐ前にいたジークは、咄嗟に振り返りざまに彼女へ手を伸ばしていた。
一度は確かにはしっと掴んだ彼女の細腕。しかし、次の瞬間にはジークもまた足元の崩壊
に巻き込まれて落下を始める。
「くっ……! 一繋ぎの槍!」
次いでそんな二人にサフレが反応した。
急いで槍の魔導を展開すると、その伸縮自在の特性を活かして二人を投げ縄の要領で絡め
取ろうとする。
レナの手を取り、抱き寄せようとしたジークの腰に巻きつくサフレの槍。
「マスター!」
だがそれだけの重量を支える力を、もう足場達は残していなかった。
今度はサフレと、その崩壊から主らを助けようとしたマルタまでもが巻き込まれ、ぐらり
と加速度的に重力──ストリームの引力によって重なる悲鳴と共に“落ちて”いく。
「ジーク!」「レナっ!?」
「馬鹿野郎、戻るな! お前らも落ちる気か!」
リンファやミア、ステラらは思わずぐんぐんと遠く小さくなっていく四人の姿を追おうと
していた。
しかし同じ轍を踏ませる訳にはいかない。
ダンは今にも飛び出しそうな彼女達の襟を掴んで引き戻しながら叫び、リュカは動揺で救
助の為の魔導詠唱すら遅れを取ってしまっている状態になっていた。
足場はその間にも次から次へと崩壊していく。
このまま留まっていては間違いなく自分達も深淵に落ちてしまう。皇国にすら
辿り着けずに見知らぬセカイの片隅に流れてしまう。
或いは──濃過ぎるストリームの中で解かされ“原初に還って”しまう。
「……ッ、走れっ!」
強く後ろ髪を引かれる思いに苛まれながらも、ダンは残る四人に叫んでいた。
このまま皆落ちてしまえば、結社の思惑通りになってしまう。何の為に俺達はここにやって
来たのか、その意味すら奪われてしまう。
それに、レナが一緒なら──。
「ジーク……。そんな……」
「落ち着いてくれ、先生さん。とにかく皆、足場が無くなり切る前に早く出口へ!」
辛うじて宙に留まっている足場を、ダンが主導して、或いは仲間達をひょいと掴んで担い
で飛び移り渡っていく。
そして当初足場達が示していた出口の光の中へと、五人は消えてゆく。
それでも崩壊に巻き込まれたジーク達の姿はもうそこからは確認することはできず。
ただガラス細工のように脆く崩れて消え去っていく、足場達の残骸が残るだけで──。