15-(1) 楔の古塔
暫くの沈黙と睨み合いの後、祭壇の彫像らの陰から、それまでジーク達を見下ろしていた
ローブを目深に被った術者風の一団はそっと姿を顕わにした。
守り人の民・衛門族。
まだこれら導きの塔が「神竜王朝」の設けた祭礼施設として機能していた古の時代、歴代
の竜王に仕えその維持管理を任されていたという者達──おおよそ、一般の人々が辛うじて
持っている知識をなぞればこのような概略となるだろう。
(でも、神竜王朝って随分と前に滅んじまった筈だが……)
ジークは内心眉根を寄せつつ、湧いてくる怪訝に少々戸惑っていた。
帝国時代には飛行艇が発明され、今日はその航路が世界中に整備されている。
故にもう自分達のような物好きな旅人や学者の類でもない限り、ここへ訪れる者というの
は皆無と言ってしまっていい。
なのに……これじゃあ。
こいつらはまるで、ずっと此処に居続けているみたいじゃないか──。
「如何なる用件を以って参じた? ヒトの子らよ」
すると、ガディアの長老格らしき術者が突然そうジーク達に質問を投げ掛けてきた。
ジーク達は思わず身構えた体勢を揺るがせ、その達観した──いやもっと“別の何か”を
見ているかのような彼らの瞳の奥を覗き込もうとする。
「こ、ここは導きの塔だろう? 空間転移の装置がある筈だ。使わせてくれ」
どうにも見下されているような格好(位置関係もあるのだろうが)。
しかしその威圧感に負けていてはこの先やっていける筈もない。ジークは一度ごくりと唾
を飲んだ後、答えた。
しんとその声だけが薄暗い塔の中で反響して、消える。
するとホウッと、黙して見下ろしてくれるガディアらの周りを精霊達が顕れふよふよと回
り始めた。
まるでジーク達という存在そのものを値踏みするように。
ガディアの長は暫く一向をじっと見つめた後、彼らを代表して再び質問を投げてくる。
「何故、飛行艇を使わない?」
「汝らも分かっておるのだろう? 転移機構としてのこれら塔は既に時代的な役目を終えて
しまっている」
「そ、そりゃあそうだけどさ。でも……」
「まぁ色々事情があってな。できるだけ周りに迷惑が掛からないように目的地に行きたいん
だよ。まさか、壊れて使えないってこたぁねぇよな? それだけ大人数で今も御守りをして
るってことはさ」
だが、ジーク達もいきなり威圧感のまま押される訳にもいかない。
ジークが眉根を寄せる傍で、今度はダンが睨み返すように訊き返していた。
大昔から塔を切り盛りしてきたのは知っているが、そこまで横柄な相手に丁寧に対応して
やれる程、冒険者は出来た輩じゃねぇぞ……?
言葉の中に、そんな意思表示を含ませるように。
「……路への接続は常に万全を期している。抜かりはない」
「だが、それは何も汝らヒトの子らを運ぶ為ではないのだ。……今はもう、な」
「故に相応の理由がなければ、こちらとしても安易に利用を認める訳にはいかぬ」
それでもガディア達は眉根一つ動かす事はなかった。
ただ淡々と、少しだけジーク達の頭に疑問符を浮かべさせる言葉を紡ぐと、再び壇上から
の見定める眼差しを送ってくる。
即ち事情を話せ、と。
「……どうする、ジーク?」
リンファが、仲間達がジークに判断を求めてきた。
確かにそう安易に語っていい理由ではない。しかしこのまま睨み合っていても時間の無駄
になるだけだろう。
「まぁ……仕方ねぇだろう。話してもいいんじゃないか? 何もこいつらは別に“結社”の
手先とかでもねぇみたいだし」
だからこそ、ジークはそう判断した。
早々に立ち止まっていては埒が明かないのだ。まだ自分達は皇国の地に足を踏み入れて
さえいないのだから。
皆が、各々に君がそう言うならと頷いてくれた。
ジークはそんな仲間達の反応を確認すると、改めて壇上の彼らに向き直り、語る。
「──ならば、その三振りを此処に置いてゆくがよい」
しかし……結果から言って、ジークの正直さは彼らには届かなかったらしい。
「聖浄器はヒトが己ら本位が故に創り出した“歪みを拡げる”代物だ」
「我々が然るべき施術で以って、摂理の中に還そう」
護皇六華、トナン皇国、結社“楽園の眼”。
自分達に降り掛かっている現状と、これから採るべき道筋の為に転移装置をという要請。
しかしガディア達は心なしか先程よりも険悪の面持ちを濃くすると、そうジーク達の意思
を拒む返答を寄越してくる。
「何、だと……?」
「そうはいかないな。六華は祖国の宝、私達は奪われた三本を取り戻す為にここにいる」
「……まさかてめぇらも“結社”の仲間ってオチじゃねぇだろうな? もしそうなら……」
勿論、ジーク達がその要求を呑める筈もなかった。
彼らの威圧的な排他的な眼差しを、怪訝から確信に変えて躊躇なく眉根を寄せる。
静かに目を細めるリンファと睨む眼のまま戦斧を取り出すダンの二人を先頭に、ジーク達
は想定していた──既に“結社”の手が導きの塔に及んでいるかもしれない事態に備え、次
の瞬間には一斉に前衛後衛に並び直し、臨戦態勢に入っていた。
「……やれやれ。与せぬと言えばすぐに“敵”扱いとは」
「変わらないものですね、ヒトというものは」
そしてその様子をガディア達はあからさまな落胆と侮蔑の気色で見下ろす。
同じ装束。しかしその年格好はよく見てみれば違っていて。
「仕方ない……か」
面々が静かに長老らしき中央のガディアに目を遣ると、彼はふぅと大きなため息をつき、
杖でカツンと一度石造りの床を叩くと叫ぶ。
「者ども、この無法者らを追い払え!」
次の瞬間だった。ぐわんと中空の広い範囲がその声に応じるように震えた。
そこから現れたのは、ガスのような雲のような気体を全身に纏って宙を漂う色白の者達。
「!? こいつらは」
「気人族か……。気を付けろ! 奴らは」
その出現にジークが二刀を抜き放って構え、リンファが叫びかけたその刹那、彼らは一斉
に風の渦を背後に噴射しながら突っ込んで来る。
言葉を中断され、先手の強襲を受けるジーク達。
その隊伍の隙間を気人らは猛スピードで駆け抜けては、握り締めた風でできた短剣で以っ
て攻撃しようとしてくる。
「こん、のッ!」
四方八方から向かってくる気人らの攻撃を太刀で防御しながら、ジークは堪りかねて半ば
反射的に一閃を払った。狙いは間違いなかった筈だ。
しかし、その一撃はまるで霧散するように消え去る彼らの前に意味を成さなくなり、
「摂理を乱す者らに!」
「裁きを!」
「ッ!?」
直後、左右背後──別方向の死角から急に再び姿を著した彼らの反撃を受けてしまう。
「気を付けろジーク! そいつらは空気の亜人だ、自在に大気と同化できる!」
「風とって……。本当何でもアリだな、亜人ってのは……」
辛うじてジークはその連撃を振り向きざまに防ぎ、反撃に転じようとしたが、再び彼らに
霧散されてかわされてしまっていた。
そんな彼に、サフレが警戒の言葉を叫ぶ。
「ま、そうだが……よッ! 何かしらの環境に特化してるからな、亜人種は」
「……だけどこれは、相性が悪い」
しかしそんな彼やダン・ミア父娘、リンファもまた、思うようにこの守り人の眷属らに攻
撃が通じず苦戦している様子が確認できた。
ダンの戦斧も、ミアの徒手拳闘も、インパクト寸前で霧散されれば暖簾に腕押しである。
「奴らに物理攻撃は効果が薄い。一旦リュカさん達を中心に隊伍を組み直すぞ!」
そんな中で、リンファは長太刀が気人らをすり抜けていくのを一瞥してから、そう皆に指
示を飛ばしてくる。
「皆、無事か?」
「ええ……。何とかね」
ジークら前衛五人は、既に障壁で自分達を防護していたリュカら四人を庇うようにぐるり
と陣形を取り直した。その間も気人らは次々と飛び掛かってきては障壁に弾かれ、ジーク達
の迎撃を受けかけては霧散していく。
「これじゃあキリがねぇ。リュカ姉、レナ、ステラ。一発魔導でぶっ飛ばせないのか?」
「う、うん」
「それなんですが……」
ぐるぐると気人らが周りと飛び交いながら取り囲んでいる。
武器が通じないのなら魔導攻撃に頼るしかない。ジークはそう判断したのだが、
「私達もさっきから援護しようとしているのだけど……どうにも精霊の声が“遠い”のよ」
当のリュカら魔導を扱う三人の表情は何故か冴えなかった。
「……? 何だよ、遠いって?」
「その、普段通り呼び掛けても中々応えが返って来ないんです」
「うん。まるで……精霊達があいつらの味方をしてる、みたいな」
そして戸惑いの中で返ってきたその言葉に、ジークは思わず眉根を寄せる。
自身、魔導に関しては門外漢だが、それでも精霊が魔導師の呼び掛けに応えないという事
が普通でないことくらいは分かる。まだ修行途中の見習いならまだしも、リュカは現役の専
門家であるし、レナやステラもその実力は過去の実戦の場で何度も目にしている。
なのに、何故……?
「当然だろう。精霊とは世界樹より生まれ出でる存在。枝葉とはいえ、お前達はその間近の
場を荒そうとしているのだからな」
そうしていると、そんなジーク達の困惑を静かに嘲笑うように、ガディアの長が呟いた。
守り人の民と、彼らを守護するように取り巻き飛び回るその眷属達。
得物を構えたまま、ジーク達はそんな彼らを──導きの塔の祭壇を見上げ、睨み付ける。
「ゴチャゴチャと。喧嘩を吹っかけてきたのはそっちだろうが」
はんと言い捨てて、ジークはその場で跳ぶと、しつこく飛び掛かって来る気人らを身を捻
りながら一閃した。しかしやはり彼らは攻撃がヒットするその瞬間に霧散し、本来魔獣すら
斬り伏せる彼の一撃は空を描くだけになる。
「……皆、下がってろ」
するとジークはストンと着地してから仲間達の数歩前へと出た。
中空では気人らがあくまで抗う彼を哂おうとし──そしてすぐに青ざめる。
「撃ち掃え、蒼桜ッ!」
左手に握った六華・蒼桜を開放し、即座に蓄積されたエネルギーが飛ぶ斬撃となってその
横薙ぎの一閃から放出された。
流石に聖浄器の威力をいなすのを畏れたのだろうか、軌道上の気人らは血相を変えて早々
に霧散すると道を空け、蒼い斬撃はガディアらへと直撃した──かのように見えた。
「……くっ!」
静寂の塔内をつんざく爆音と土埃。
しかし肝心のガディアらは無傷だった。
彼ら総出で張られたらしい巨大で分厚い障壁。しかしそんな防御一辺倒の対応ですら、蒼
桜の威力は殺しきれなかった。障壁の、斬撃が直撃した部分には深い裂傷が刻まれており、
この総出の防御が間一髪だったことを窺わせる。
「こいつ、祭壇を……!?」
「この、痴れ者がッ!」
だがガディアらはそのギリギリの防御と消耗以上に、自分達の依ってすがる祭壇──信仰
の象徴を危うく破壊されかかった事に憤っているようだった。
スゥっと静かに彼らが張っていた障壁が消えてゆく。
パラパラと塔内を飾る石の装飾が欠け崩れる音がする。
「貴様、何処まで摂理に歯向かう気だ!」
「断じて許さん!」「エアロ達よ、下がっていろ!」
そして今度は、ガディアらが攻撃を仕掛けてきた。
それも、先程リュカ達が唱えても反応が無かった筈の魔導の詠唱を以って。
「チッ! てめぇらはオッケーってなんてずるいだろーが……!」
一斉に彼らの足元、かざした杖先に展開される魔法陣。
その一斉放射を撃ち落すべく、ジークはもう一度蒼桜に力を込めようとする。
「征天使!」
だがそれよりも早く、行動を起こしたのはレナだった。
ジークが蒼桜を放つよりも前、ガディアらからの第二波の魔導が飛ぶその瞬間。
レナは魔導具から呼び出した鎧天使の使い魔の盾で以って、その一斉放射をことごとく掻
き消していた。
「レ、レナ……?」
「……あ、はは。良かったです。どうやら魔導具の発動は何とかできるみたいですね」
「みたいだけど……。そっか、あいつらは古式詠唱なんだ。だから大盟約が効い
てない此処でも魔導が使える……」
蒼桜に溜め込んだ力を一旦収め、ジークが少々驚いた様子で肩越しにレナに振り向く。
そんな彼に、彼女は魔導具の指輪を嵌めた方の手をかざしたまま苦笑いを漏らしている。
ステラもまたそんな友の傍らでホッと胸を撫で下ろしつつも、一方で相手の力の構成を分析
し始めている。
「おいおい、二人とも無茶すんな。空気と門番の両方から狙われてるじゃねぇかよ」
「え。あ、そりゃあそうッスけど……」
「言っても仕方ないさ。少なくとも壇上の彼らに辿り着かねばこの状況は変わらないんだ」
再び気人らが蠢き出し、ガディアらが三度目の詠唱に入ろうとする。
ダンの諫め、そしてリンファの現状把握に皆は頷いていた。
先程の反応からして、ガディアらは言葉通り自分達を「追い払おう」としていたのだ。
それはひとえに、この塔を護ろうとする守り人の民としての頑なな意思でもあって……。
「……副団長、リンさん。リュカ姉達を頼みます」
「あん?」「構わないが、何を──」
ジークは顔をしかめたまま、視線を再び壇上のガディアらに向けた。
後衛の皆を頼れる年長者二人に任せ、
「レナ、そいつで俺を奴らの所まで飛ばしてくれ!」
そう続けざまに後方のレナにそんな指示を飛ばす。
「え? で、でも……」
「大丈夫だって。早く!」
そんな事をしたらジークさんが魔導攻撃を一手に。
レナは大方そんな戸惑いを抱いたのだろう。しかし当のジークは不器用にその心配を掃う
ようにぎこちなく笑ってみせ、ちょいちょいと腰に差したの脇差を指差してみせる。
「……分かったわ。レナちゃん、お願い」
「えっ。わ、分かりました……」
するとその仕草にリュカは何かに気付いたらしい。
まだ戸惑うレナに、彼女は「大丈夫だから。ね?」とジークからの要請に応えるようにそ
の背中を押してくれる。
「サフレ、マルタ! 空気野郎どもを押さえててくれ!」
「分かった!」「は、はいですっ!」
レナの操作によって征天使の掌の上に乗ってぐんと飛び上がっていくジーク。
その最中に叫んだ次の言葉で、サフレとマルタも動き出す。
「弾けし灼火!」
「……~♪」
降り注ぐ無数の炎弾を放つ魔導具と、相手の精神を乱す狂想曲。
妨害に出ようとする気人らを足止めしてくれるサフレとマルタの援護を受けて、征天使に
乗ったジークはガディアらの目前、中空へと一挙に躍り出る。
「馬鹿め!」
「集中砲火を受けるつもりか?」
だからこそガディアらは完全に“取った”と思った。
次々に完成し、展開される呪文そして魔法陣。炎や雷、光といった多彩な攻撃魔導が一斉
にジークに迫ってゆく。
「──な訳ねぇだろーが」
しかし、ジークはほくそ笑んでいた。
征天使の掌から大きく跳躍し、同時に蒼桜を片手でヒュンと鞘に収める。
「拒み消せ、白菊ッ!」
そしてその代わりに腰から取り出したのは一本の脇差──ジークの手元に残った三本の六
華の内の最後の一本だった。
文様を刻んだだけのシンプルな作りのフォルム。
その抜き放った刃先が、ジークの呼び掛けに、発動に応じて白い輝きを放つ。
「……何ッ!?」
宣言の通り、掻き消えていた。
確かに一斉に放たれたガディア達の魔導攻撃。だがその全てがこの白く光る刀身とそれを
中心とする力場に触れた瞬間、まるで氷細工を砕くように一瞬で霧散したのである。
ガディアらは一様に驚愕の表情で中空を──自分達の魔導を打ち破って重力のままに飛び
降りてくるジークを迎えるしかなかった。
反魔導。魔導無効化能力。魔導師殺しの短剣。
そしてようやくこの護皇六華が一つ、白菊が持つ特性に彼らが気付いた時には、
「──チェックメイトだ」
ジークが突き付けた太刀・紅梅が彼らの長の首元を捉えていたのである。
「……長!」
「くそっ、貴様ぁ!」
「止せ。こいつは殺すぞ、迷いなく私を」
配下のガディアらがすぐに長老を助けようとする。
だが当の長老本人はピシャリと、潔くそれを制止していた。
「流石にここまですればさっきまでの石頭も解れたみてぇだな」
「……全く。変わらぬな。何かにつけて武力で解決しようというのは……」
長老が押さえられたことで、交戦はようやく決着をみた。
ダン達に対応しようとしていた、ジークに追いつこうとしていた気人らもこの状況を見て
自分達の負けを否応なく知らされる形になる。
リュカはそっと障壁を解除し、ダンやリンファ、サフレが得物の構えを緩め、レナら少女
三人組はホッと胸を撫で下ろす。
「……中立だの何だののたまうのはてめぇらの勝手だ。でもな、守らなきゃ戦わなきゃいけ
ねぇ時に何もしないで目を背けるような輩に、俺達は負ける訳にはいかねぇんだよ」
そう遠回しな批難の言葉を呟くジークと、それを冷めたような眼で見下ろす長老が暫しの
間、お互いを睨み合う。
この青年は何をそんなに急いてるのだろう。
この老人は何故にそう諦めているのだろう。
仲間達、ガディアや気人らが見守る中、やがてその沈黙を解いたのは長老の方だった。
「……仕方あるまい。確か、皇国に行きたいと申したな?」
「ああ」
少々ざわついた同胞らを視線で宥め、ガディアの長老はそっと太刀を除けたジークに問い
掛ける。短く頷くジーク。その首肯を確認してから、彼はおもむろにサッと杖で祭壇の一角
の文字をなぞってみせた。
するとどうだろう。突如としてそれまでレリーフが刻まれているだけだった祭壇真下の壁
が、その所作に反応するかのように左右にスライドして開いたのである。
ジークが、仲間達が思わず目を丸くしてその新たに出現した経路を見遣る中で、
「中に入るがよい。この塔の“門”へ案内しよう」
長老は、相変わらず淡白なままそう一同に告げた。
光の溢れるその先にあったのは、まるで別世界だった。
石造りの無機質な祭礼場とは毛色を異にした、緑に覆われた空間。一見すると植物園か何
かのようにも思える。
だが、実際はそうではないようだった。
目を凝らしてみると、その生い茂る緑の中に点々と石造りの家屋が佇み、同胞と思われる
ガディアや気人らが思い思いに緩やかな時を過ごしているのが垣間見えたからだ。
「“門”の利用者だ。そう敵意を向けてやるな」
暫し唖然と辺りを見渡すジーク達に、そんな彼らからの怪訝と決して歓迎のそれではない
眼差しが向けられる。
そんな同胞らを、ふと追いつき現れた先刻の長老が配下らを連れて諭すと、彼らは渋々と
いった様子で家屋や緑の奥へと引っ込んでいく。
「……では、ついて参れ」
長老らがそう肩越しに一瞥を寄越して投げてくる言葉にようやく我に返って、ジーク達は
彼らが歩き始めるその後をついて行った。
踏みしめて進む足元の感触。緑の下から確かに伝わる硬い地面。
どうやら元々はここも石造りだったらしい。そこから徐々に草木が茂り、今の姿となった
のだろう。導きの塔という施設そのもの、そしてガディアらの辿ってきた歳月の長さを間接
的にだが感じ取れるような気がする。
「にしても、導きの塔にこんな場所があるなんてな……」
「ええ。でも妙じゃないッスか? いくら暗かったっつっても、外から見た限りじゃこんな
広い感じじゃなかったように思うんスけど」
「……十中八九、空間結界ね。さっきまで私達のいた祭礼場が“表”の領域だとすれば、
ここはガディア達の詰める“裏”の領域といった所かしら。塔自体が魔流と間近で繋がって
いる訳だから、結界の維持にこれほど好都合な環境はないもの」
ゆっくりと歩みつつ、感嘆の声を漏らすジークらに、リュカが魔導師の眼でそう述べていた。
レナやステラも同意見とばかりにコクコクと頷いている。正面を見遣れば長老も肩越しに
彼女を見ている事を考えても、あながち間違っていないのだろう。
「なるほど~。ガディアさん達の秘密の庭、ですね」
「庭というよりは、隠れ里と言う方がしっくりくる気もするが」
少しメルヘンチックに従者が微笑むのを、サフレが苦笑と共に見遣る。
「うーん? だとしたらおかしくねぇか? 使おうとしてる俺達が言うのもなんだけどさ、
導きの塔は飛行艇のお蔭で正直もう出番はなくなってる訳だろ? なのに何で今もこいつら
は居座ってんだよ?」
『…………』
だが、そんな中でジークが何気なく口走ったその疑問は、それまで辛うじて臨戦から離れ
ていた場の雰囲気を引き寄せてしまう結果になってしまったのである。
「貴様……! もう一度我らと争いたいのか!」
「何も知らぬ民衆が知った口を……!」
「止せ。集落を巻き込むことは私が許さぬぞ」
振り返った年若いガディアらを中心に、再び理由の知れぬ敵意の眼がジークへと向けられ
る。しかしその張り詰めようとした空気は、他ならぬ長老によって制止されていた。
長にそう諫められては殴りかかることもできないと言わんばかりに。
若いガディアらは悔しさで表情を歪めつつも、申し訳ありませんと頭を下げると再び当初
の隊列に戻っていく。
「……す、すまん。俺、何か悪いことでも言ったのか?」
「そうだな。だがお前達今の時代のヒトの子らは、知らぬ方が当たり前であろう」
仲間達の「おい。下手に刺激するなよ……」という眼差しに、ジークも流石にバツが悪そ
うになってそう半分疑問系の謝意を口にしていた。
しかし、対する長老の口調は淡々としたものだった。
既に配下らと共に正面を、ジーク達に背を向けており、表情が見えなかったこともあった
のかもしれない。
「……導きの塔は、単なる祭礼施設ではない」
そして暫し黙して歩いた後、長老は背を向けたままそう口を開き始めた。
「そもそも、導きの塔が何故こうも各地に建立されたか、それは知っているな?」
「ええ。神竜王朝の頃、まだ大陸間を渡る術を持たなかった人々の為にと作らせた、空間転移用の施設。それがそもそもの理由よね」
「そうだ。だがな、竜の末裔よ。それだけではないのだ」
「……」
代表してリュカが──竜族の彼女が応えると、長老は少しだけ険しい表情を緩めてこちら
を見遣ったような気がした。
竜の末裔。
しかし、何故かそのリュカ自身はその言葉に何か引っ掛かりを覚えているかの如く、静か
に苦々しい表情をみせている。
「……世界は、マナで満ちている。だが我々を潤すこれらはただ漂っているだけではない。
無数のストリームとして集まり、流れを形成し、世界に秩序を成す」
長老はそんな彼女の様子を数拍見遣った後、再び背を背けた。
「そしてそれら全てを集束するストリームこそが“世界樹”であり、その四方東西南北を囲む
ように青、赤、緑、黄の四大ストリームが共に天地を貫く。謂わば、これら巨大なストリーム
群は世界そのものを固定している絶対の要──霊的な楔であると言える」
ジーク達は「何故今更そんな事を?」と思いつつも静かに頷いていた。
魔導師でなくとも、この世界に生きる者であれば教練場なりで幼い頃から繰り返し聞かさ
れてた世界の形。それを何故この守り人の民は改めて語っているのか。
「……だが、これらストリームも今や“世界の絶対軸”ではなくなりつつある」
しかし、そんな疑問はすぐに消し飛んでいた。
あくまで淡々と。
しかし長老の語るその話は、ジーク達この世界に生きる者にとっては決して聞き過ごせる
ものではない。万一、それが本当の話なのだとしたら……。
「ど、どういう事ですか!?」
「聞いたことねぇんだが、そんな話……」
気付けばジーク達は、その背中に矢継ぎ早に戸惑いがこもった疑問を投げ掛けていた。
「……それは、マナ濫用の影響を言っているのかしら」
すると、戸惑いを多く含む怪訝の中、リュカはぽつりと訊ねる。
ジークが、仲間達がそんな彼女の神妙な面持ちに注目する。
「そうだ。貴女は現役の魔導師か? ならば、今の世界が抱える“歪み”を知らぬ訳ではな
かろう」
「……ええ」
ジークやダンは眉根を寄せて両者を見比べていた。
ゆっくりと踏み締めていた歩みはいつの間にか止んでしまい、一同は目の前の、そして周
囲の物陰からこちらを窺っているガディアや気人らの視線に晒されている。
肩越しにリュカへ向けられていた長老の視線がそっと外され、ジーク達全員を捉えた。
杖先の装飾部品がガチャリと揺れ、彼は静かに言葉を続ける。
「マナは、我々に必須ではあるが必ずしも万能ではない。消費されれば劣化し、その状態が
過度となれば瘴気と成って魔獣や魔人を生み出し、消費する者──ヒトを含めた生命の絶対数
を間引き始める。同時に彼らは自ら瘴気を抱え、自然の自浄能力を下支えする」
冒険者として魔獣を屠ることを生業としていると言ってもいいジーク達には、耳の痛い言
葉であり、偽り切れない世界の姿だった。
七十三号論文。サフレがぽつりと口にする、かつて発表された、非人間本位の学説。
魔獣や瘴気の存在する理由の論理的証明であり、同時に彼らを忌むべき悪としてしてきた
人々の“信仰”を深く抉るその学説──今となっては再三に渡り検証し証明された事実。
それでも、ジーク達はやはり素直に受け止める気には中々なれなかった。
何よりも……魔人となり苦しんできた仲間がいる。
ジークが、レナがミアが、仲間達が誰からともなく彼女をちらりと見遣り、その当人の銀
髪と共に控えめに揺れる苦笑を目に映す。
「本来ならその自浄能力があれば世界を壊すほどの毒にはならない。しかし、現実はそうで
はない。……理由ははっきりしているだろう? 魔導というヒトの技術が日々マナを大量に
消費させ、加えて徒な開拓を続ける事で、世界という器を内と外から破壊している。それが
帝国の頃より連綿と続く今という時代なのだ」
再びゆっくりと歩き出すガディア達と、その後に従うジーク達。
そして次に彼らから向けられた眼は、明らかにジーク達を──今日のヒトを静かに責める
それだった。
「マナの濫用、世界の破壊……それらによって世界の絶対軸であった筈のストリームすらも
乱されている。歪められている。他ならぬ、領分を弁えぬヒトの営みによってな」
ジーク達はすぐに反論する言葉を持たなかった。
ヒトの幸福を求める営みが、世界を壊しているという論説は何もこれが初めてではない。
しかし彼らがそれを語っているという目の前の事実は、巷に溢れる終末論の類とは間違い
なく一線を画している筈だった。
それはきっと空想だけではない、ストリームの間近に居続けている彼らの実測であって。
だからこそ、各々に戸惑ったり面白くないと眉を顰めたりはしても、面と向かってそれを
真正面から否定する訳にはいかなかった。
逆説を採れば、その言質こそが、彼らの語る言葉を認めてしまうようなものなのだから。
「だ、だけど……っ!」
「勿論、我々とてこうした状況を見過ごしてきた訳ではない。何よりこの歪みが生じている
のは一朝一夕の間の問題ではない。魔導が開放され八千年余、機功技術が世界の開拓を推し
進め始めて千五百年余、ヒトの営みの中で生じてきたストリームの歪みを我々は調整し直し
続けてきた」
辛うじてジークが頭を振ろうとする。
それでも、長老はガディア達は、聞き入れるのでもなく、ただ淡々と自分達が長い長い時
の中で重ねてきた「調律」を語って聞かせてくる。
「元より導きの塔における空間転移の構築自体が、ストリームという世界の絶対軸を前提と
している。ストリームの流れを見定め、人々の求めに応じてそこに目的地までの橋渡しを設
ける。それが我々の基本的な施術──竜王より託されたものなのだから」
言わずもがな、それが今も尚、彼らが導きの塔に残っている理由だった。
誰よりも世界を巡るマナを流れを、魔流を知り、風を読んできた彼ら守り人にとって、
導きの塔は何者にも代えられぬ存在意義そのもので。
故に歴代竜王らがいなくなっても、彼らの王朝が滅んでしまっても変わる事なく、長い長い
時の中をじっと世界の静かな悲鳴と共に生きてきた。
「しかし……これらも所詮は対症療法だ。ヒトの営みを何処かで根本的に変えなければ、今
すぐにとは言わずとも、そう遠くない将来、この世界は根本から崩れ去ってゆくだろう」
一行は言葉が出なかった。
魔導を知る者、知らぬ者、その多寡に限らず徐々に迫っているという崩壊の未来。
「……ヒトの子らよ」
だからこそ。
「我々は問いたい。一体、汝らは何処に向かいたいのだ? 少なくとも滅びの未来ではない
のだろう……?」
長老がそう問い掛けながら静かに向けてきた、哀しい嘆きの中に救いを求めるかのような
その瞳に、ジーク達はこれだという言葉を返すことができなくて。
再び皆の足は止まっていた。
さわさわと、石の上に苔生した緑が静かに囁いていた。
「……汝らの求めるものは、やはり諍いなのだろう」
そして、その見つめ合いがどれだけ続いてからだっただろうか。
「願わくばその希求が、世界にとって良き変化となることを、我々は所望する」
最後にそんな殆ど形だけの、多分の諦観を含んだ言の葉をジーク達に託して。
ガディアらが行く先に示したのは、巨大な──複雑なルーンでびっしりと埋められた石床
の魔法陣を中央に祀った、一基の古びた祭壇だった。