14-(5) 空より発ちて
魔性の群れは去った。
それでもアウルベルツが全くの無傷であった訳ではなく、襲撃騒ぎの翌日には街のあちこ
ちで損傷した家屋の修理や怪我を負った人々の治療が始まっていた。
しかし、人々の表情の多くは陰鬱なそれではなかった。
アウルベ伯が彼らの支援に全力を尽くすよう計らってくれたこともある。何よりもそれ以
上に“結社”の魔手を撥ね退けた、その自信が多くの人々の目を前へと向けさせていたのか
もしれない。
「──行くんだね。大丈夫? まだ街の中はごたごたしてるけど」
そして、ジーク達が皇国への出発の路に就いたのは、その七日目の夜だった。
「ああ。だから夜まで待ったんだよ。むしろ今日まで掛かったのは遅いくらいだ」
夜闇の下、ブルートバードの面々は宿舎前の中庭に集合していた。
その輪の中心にはジークを始めとしたトナンへ向かうメンバー九人。
アルスが寂寥感を堪えるように心なし抑えた声色で言うと、ジークは小さく頷く。
先日、直接“結社”が攻めて来た事で「早く自分達が発てば皆に迷惑を掛けずに済む」と
いうある種の楽観論は崩されていた。
それでも、ずるずると街の厚意に甘えている訳にはいかない。
故に街がまだ復旧作業にある中で、ジーク達は足早に旅立の準備を整えていたのだ。
「それはそうだけどね。でも……いいのかい? 伯爵が直接謝罪に行きたいと連絡があった
ばかりじゃないか」
「……いいんスよ。向こうとしてはけじめなんでしょうけど、頭を下げられるのを待つより
もやらなきゃいけないことの方がごまんとあるでしょう? すみませんけど、団長達で応対
しておいてくれませんか」
「そう……。分かったわ。じゃあ貴方の代わりに宜しく言っておいてあげる」
そしてもう一つ、ハロルドの問い掛けにジークはそう答える。
早く六華を取り戻す。表向きの理由はそれで。
だが、多分彼は気恥ずかしいのだろう。あの場の激情に身を任せていたからとはいえ、仮
にも領主にため口で説教までしてしまったのだから。
幸い伯爵自身は彼の言葉を受けて心底悔い改めたようだったが、冷静になって考えれみれ
ばあの振る舞いはその場で「不敬」と斬り捨てられてもおかしくなかった筈である。
イセルナはそんな推測を脳裏に浮かべると、くすっと苦笑を微笑みで隠してその面会の代
役を承諾してやることにする。
「しかしよ。どうするんだ? 出発するにしても例の襲撃騒ぎでまだ街の門は検問が続いて
るんだぞ? 俺達がすんなり通して貰えるとは思えないんだが……」
ゆさっと肩に引っ掛けた旅荷を揺らし、僅かに片眉を上げてダンが問うた。
「ああ……それなら大丈夫ッスよ。リュカ姉」
「ええ。それじゃあ、皆さんちょっと離れていて下さいね。向こうに付いて来るメンバーは
私の傍に立ってくれるかしら」
すると、ジークは待ってましたと言うような口調で傍らのリュカに合図を送った。
どうやら事前に申し合わせていたことらしい。
リュカは穏やかに頷くと、一旦イセルナら待機組に距離を置かせ、一方でジークやダン、
リンファなどの出発組を自身の傍へと誘う。
団員らが、少なからず頭に疑問符を浮かべていた。
そんな面々の様子をざっと見遣ってから、リュカはスッと神妙な面持ちになって片手を地
面と水平に伸ばしてもう片方の手を胸元に当てると、静かに詠唱を始める。
「天を闊歩する白霊よ。汝、その空への翼を我が朋へ授け給え。我はその悠々たる浮き巡る
脚にて天駆けることを望む者。盟約の下、我に示せ──風紡の靴」
そして呪文が完成した次の瞬間、リュカを中心に白色の魔法陣が地面に展開された。
その円陣の中に収まる格好となっていたジーク達出発組の面々。
同時に足元にフッと風が吹く感触がする。見てみれば、彼らの両脚に風が集まり、その身
体をゆっくりと浮かせ始めていたのだ。
「これは……飛行の魔導。と、いうことは」
「ああ。そうさ」
アルス達がそれを確認して、再び視線をジークらに向ける。
「簡単なこった。──空から出て行けばいい」
リュカがサッと手を振った。
するとふわりとジーク達九人の身体が宙に浮かび出す。
空を飛び、街を出る。だからこそ気付かれ難い夜をその時に選んだのだ。
「シフォン。案内の精霊を」
「ああ。気を付けて。アルス君のことは任せておいてくれ」
「おうよ。……頼んだぜ、親友」
ほうっとシフォンの意思に応じるように、はたと数体の下級精霊らが闇の中に灯る光の如
く姿を現す。そんな彼らを道しるべにするように寄り添わせると、次の瞬間、ジーク達九人
はぐんと加速して夜空の彼方へと舞い上がっていく。
数秒も経たぬ内にジーク達の姿は夜闇に紛れて見えなくなった。
ホームの中庭にはイセルナ達待機組の面々だけが、驚きや感嘆の様子で一様に空を見上げ
て立ち尽くしている。
「兄さん……」
そんな皆の中で、弟はエトナと共に静かに兄達のこれからを案じてぽつりと呟き、只々夜の
黒に染まった空を星々を視界一杯に映し続ける。
「ハハッ! こいつは凄ぇや」
「あわわ……。飛んでる? 私、飛んでる!?」
「……レナは元から飛べるでしょ」
ジーク達は夜空の中を文字通り飛んでいた。
ダンが驚きの後に呵々と笑えば、レナは強い風圧で捲れようとするスカートを押さえなが
ら動揺し、そんな鳥翼族の友にスパッツ姿のミアが冷静にツッコミを入れる。
「この人数を一度に制御するなんて……。流石はアルスのお師匠様です」
「ふふっ。ありがとう」
ステラは一介の魔導の使い手として素直に感嘆し、リュカも応じて上品に謙遜する。
「ところでジーク。シフォンが言っていた例の場所は……?」
夜空の中を舞い上がり、飛行するジーク達。
大きく靡かされる髪を押さえながら、リンファは肝心の本題をジークを問うた。
「ええ。精霊達が案内してくれる筈ですけど……。リュカ姉、はぐれないように頼むぜ」
「分かってるわ。貴方達こそ下手に暴れないでね? この高さ、落ちたら即死よ?」
視線の先にはシフォンが寄越してくれた案内役の精霊達の灯火がふよふよと浮かんでいる
のが見える。この空中浮遊の制御をリュカに一任し、ジーク達は最初の目的地へと向かう。
──トナンへ赴くのに、飛行艇を利用するのは“結社”側に対して真正面過ぎる。
何よりも空中で撃ち落されてしまえば自分達、そして乗り合わせる人々の命を犠牲にして
しまう可能性高い。だからこそ、地上経由で「導きの塔」を利用する事にしていた。
だが、それでも“結社”は近場の主立った塔には手の者を遣っている可能性がある。
そこでシフォンが話し合いの折、提案してきたのがもっと別な導きの塔──彼自身がこの
顕界に降りて来た際に使ったという人知らぬ塔だった。
距離こそアウルベルツから離れていたが、こうして空を飛んでいけばそう長く時間はかか
らない。
故にジーク達はその提案を採用し、彼が案内に寄越してくれた精霊達を目印にこうして夜
の空を移動しているのである。
「おっ……? あそこか」
そうして夜空の空中散歩を始めて暫く。
はたと、それまでゆらゆらと飛び続けていた精霊達がゆっくりと地面に降り始めた。その
動きに合わせてジーク達も彼らに続いてゆく。
辺りに人家の灯りなどは見えなかった。
目を凝らしてみても、人が手を入れているような痕跡は殆どなかった。
一面の、森林。その中に……石造りの古びた塔が一棟、物音一つなく佇んでいた。
「ここがシフォンさんの言っていた場所なのだろうか?」
「多分、そうだと思いますよ? 精霊さん達も入口で待ってくれていますし……」
地面に降り立って少し歩く。
サフレが誰となく確認するように呟いていたが、塔の入口付近では既に精霊達がジーク達
を待つように周囲をほんのりと照らし、漂っている。
どうやら、ここで間違いなさそうだった。
「よし。じゃあ行くか」
「そうだな……。だが気を付けろ? 結社の手の者がいないと決まった訳じゃない」
到着の安堵とまだ残る警戒心と。
ジーク達はいつでも戦えるよう得物にそっと手を伸ばしつつ、塔の入口を閉ざす金属質の
扉に手を掛ける。
ギギィと、扉は少なからず年季の入った軋みの音を立てながら観音開きに開いた。
一歩、また一歩とジーク達はその内部に足を踏み入れる。
するとこれでお役御免だとでも言いたかったのか、案内してくれた精霊達はふわっと中空
に舞い上がると、フッと一斉に顕現を解いて姿を消してしまう。
内部は奥に長い楕円形のような床になっていた。
入ってすぐには祭礼場を兼ねていたその歴史よろしく左右に木の長椅子が何列にも横並び
になっており、正面の複雑なレリーフが彫られた石壁とその上に備え付けられた祭壇が静か
にジークら深夜の来訪者を出迎えている。
『……』
いや、それだけではなかった。
ふと複数の人の気配、視線が向けられていることに、ややあってジーク達は気が付いた。
半ば反射的に顔を上げ、その主──祭壇が祭る種々の彫像の隙間に隠れていた、ローブで
頭からつま先までを隠し杖を握った術者風の一団の姿をようやく認めることができる。
「……あれは、衛門族か」
眉根を寄せて、そうポツリと漏らすサフレ。
「ガディ……? ああ、あの門番民族の……」
面々が祭壇上の彼らを見上げてひしと場に走る緊張感に身を強張らせる。
『…………』
薄闇の中で静かに密かに目を細めて。
このローブ姿の守人の民らは、じっと眼下のジーク達を見つめていたのだった。