14-(4) 獣姫襲来(後編)
「何だって? 兄の方が魔獣の前に!?」
「は、はい……。先程、閉鎖した正門を破ってきまして」
「う……。つ、詰め所と回線を繋いでくれ」
報告はすぐさま側近らと共に執務室に集まっていたアウルベ伯に下に届いた。
よりによって、こんなタイミングで。しかもまた“結社”に喧嘩を売ろうとしている。
(何を考えているんだ。相手はあの“結社”だぞ? この街を自分達の手で廃墟にするつも
りなのか……!? 父上から受け継いだ、この街を……)
彼は役人らが繋いでくれた導話回線、受話筒からその現場間近の詰め所へと自ら言葉を掛
けて詳細を確認しようとした。
「私だ。一体どうなっているんだ? 冒険者達が門を突き破ったというが」
『は、伯爵殿ですか!? そ、そうなんです。先程レノヴィンを名乗る青年が閉鎖中の門を
バッサリと斬ってしまい……』
「も、門を斬った? 馬鹿な。確かあれは砲撃にも耐えうる強度の筈──」
だが、そんな時だった。
『おっ? お前今領主と話してんのか?』
『ちょうどいい、ちょっくら貸せ』
『な。こ、こら! お前達勝手に入って来──』
突如導話の向こうで割り込んで来たのは荒っぽい複数人の声、そして足音。
どうやら詰め所にも冒険者達が入り込んで来たらしい。アウルベ伯が眉根を寄せていると
彼らは話していた兵士から受話筒をもぎ取り、言い放ってくる。
『おい、一体お前らどういうつもりだ? この一大事に何で兵を動かさない?』
「お前達こそ何のつもりだ? 直接“結社”とぶつかって無事で済む筈がないんだぞ!?」
アウルベ伯は少しムッとなって言い返していた。
常識的に考えて“結社”と表立って対立関係になることがどれだけ後々この街に不利益を
もたらすか。それを思うと彼らの行動は蛮勇に思えてならなかったのだ。
しかし、対する冒険者達の反応は。
『……チッ。所詮は貴族のボンボンか。だったら大人しく屋敷の隅っこで震えてな』
『門を閉じた程度であの大群を止められるかよ。この街は、俺達で守ってやらぁ』
間違いなく嘲笑、侮蔑のそれで。
『お、お前達! 伯爵殿になんて暴言を……!』
『やかましい。図体だけで何もしないってなら自分達でやるしかねぇだろうが!』
『おら、どけどけ。位置的にもここに陣を敷くのが一番いいんだよ』
『何を勝手な……おわっ、よせ、やめ──』
導話は、そこで無理やり中断された。
執務室に残ったのは、嫌な感じが漂う空気と伯爵自身の胸中に突き刺さった衝撃の念。
「……」
アウルベ伯は、ゆっくりと受話筒を置いてから黙している側近らを見渡した。
自分が責められる。何故だ? 私はこの街を守ろうと……。
「……近隣の守備隊への応援要請はどうなっている?」
「はっ。既に要請は出しているのですが、如何せん相手が相手ですので」
「……そうか」
怖気づいているのか、或いは対抗できるだけの戦力を整えられていないのか。
アウルベ伯は口元に手を当てて暫し考え込んだ。
名士・有力商人などを中心とした側近達はこそこそと互いに何やら相談し始めている。
先代からの部下達。自分よりもずっとこの街の事を考えてくれている。そう思っていた。
だけど……果たしてそうなのか?
彼の中にふつっと疑問が過ぎり始めていた。
冒険者達に感化されたのか? 密かに自嘲しつつも、それでも否めない自分がいる。
自分が街の為にと思い、守りを固め衝突を回避するよりも、その住人らはむしろ迎え撃つ
という選択を採ろうとしている。
勿論、彼ら冒険者達がこの街の住人とイコールではない。ある意味特殊で好戦的な層であ
るのだから。そう自分に言い聞かせてみる。
それでも……この胸をざわめかせる違和感は何なのだろう?
「お前達」
しかし、彼らの有り様を放置しておいていいとも思わない。
「引き続き各所に援軍要請を。それにレノヴィン兄弟の確保も急ぐんだ。まだ何とかなる。
いや……しなくっちゃならない」
苦渋の面持ちで振り返ると、アウルベ伯はそう部下達に追加の指示を飛ばす。
「遊撃部門は背後に続け! 支援部門は援護射撃と障壁の用意を!」
「急げ! 奴らが迫ってる!」
魔獣の大群が迫っていた。
紅い刀身──紅梅を手に下げたまま立つジークの傍で、あっという間に仲間達や他の冒険
者らの隊伍が整えられていく。伊達に対魔獣戦のプロ達ではない。イセルナが、ダンが、皆
が一斉に得物を抜き放ち、錬氣を込める多重奏のオーラが大地を覆う。
大地を覆う黒が迫ってくる。
ギチッと構えて金属音を鳴らす皆の武器。
背後で術の使い手、支援部隊な面子の張り巡らせる障壁の列。
「──!」
そして、逸早く地面を蹴ったジークが、両者の衝突の合図となった。
勢いを緩めず迫ってくる黒い群れを、ジーク達冒険者らの軍勢が受け止めるように飛び出
してぶつかっていく。
魔が人を呑み込むように、或いは人が魔を薙ぎ倒すように。
冒険者らの第一撃、続く第二撃から三撃への連打。
「どっせぃ!」
ダンの斧の一閃が双頭の犬型魔獣の首を跳ねていた。その横で、ミアの拳が荒削りの棍棒
を振り下ろしかけた肉ダルマ風な魔獣の顔面を捉え、周りの魔獣らを巻き込んで殴り飛ばし
ている。
「ジーク、前に出過ぎちゃ駄目!」
「数が多過ぎる! 単騎は危険だ!」
イセルナもリンファも刀剣を振るい次々と襲ってくる魔獣らを迎え撃つが、ジークは紅梅
を片手に更にその先を行っていた。
「分かって……るっ!」
紅い軌跡が縦横無尽に宙に描かれる。
その斬撃の動作が一つ加わる毎に、数体の魔獣が真っ二つになって倒れていく。
護皇六華──聖浄器の効果は絶大だった。あれだけ不死性の高い魔獣達が次々に致命傷を
負って倒れ伏し、動かなくなっていく。
(でもやっぱ、コイツは相当身体にクるな……)
だが同時にジークに掛かる負担、マナの消費による身体の疲労は普段の戦い方よりもずっ
と激しく思えた。
(それでも……ッ!)
もう一度紅梅の斬撃で魔獣らを薙ぎ倒して、その場で一回転。
同時にその解放を解くと、今度はもう一本の太刀を抜く。
俺は、戦わなきゃならないんだ……!
自分の所為でこんな事になっている。こんな時に使わなくて、一体いつ使うというのか。
今までの歩みを“結社”の魔手で否定する気は毛頭ない。
そんな不条理も、全部この手でぶっ飛ばす。
その為に欲した筈の力。だから──。
「──撃ち掃え、蒼桜ッ!」
今度はその太刀にマナを込めて力を解放する。刀身が纏った光は、蒼色だった。
身を捻って再び正面へ。飛び掛かり襲い掛かろうとするのは、波状攻撃の如く止む様子の
ない魔獣の群れ。
ジークは叫びながらその刀身を水平に振り払った。
するとどうだろう。次の瞬間、刀身から蒼い軌跡が魔獣達に向かって飛んでいく。
それは紅梅が「増幅する斬撃」ならば「射出する斬撃」だった。
これが六華の一本・蒼桜の持つ特性。
その飛ぶ斬撃に、先程よりも多くの魔獣達が巻き込まれ、薙ぎ払われていた。殆ど同時に
魔獣達のけたたましい断末魔の叫びが重なりこだまする。
「おぉっ!」
「何だ……ありゃあ?」
一撃の威力こそは紅梅に劣る。しかし蒼桜にはそれを補って余りある間合いの広さという
利点が備わっているのだ。
「ははっ、こいつは心強いや!」
「でもあれって……ブルートバードの坊主だよな? あいつ、魔導具使えたっけ?」
「さあ? でもいいじゃねぇか。戦力になるに越したこたぁねぇ!」
「よっしゃぁ! どんどん斬り込めぇ!」
冒険者達はその奮戦ぶりに、六華の威力に驚いていたが、それよりも彼らが奮起する材料
になってくれたようだ。彼らは口々に雄叫びを伴うと、一層勢い付いて背後からの援護と共に
次々と魔獣の群れを突き崩しに掛かる。
「……ッ!?」
だがしかし、当のジークはここに来て限界を感じ始めていた。
元より一介の剣士である自分では──いやこの聖浄器自体、ピーキーな代物ではある。身
体に訴え掛けてくる消耗の感覚は次第に大きくなっていた。
(飛ばし、過ぎかよ……)
まだ自分には、扱いあぐねる得物なのだろうか。
キッと睨み付ける視線の先、魔獣の群れの向こうにあの“使徒”がいる。
なのに……届かない。今の自分では、まだ──。
「一繋ぎの槍!」
すると、容赦なく襲い掛かろうとしていた魔獣らを、急速に伸びた槍が薙ぎ払っていた。
こいつは……。ジークは片方に蒼いオーラを残した二刀を手に振り返る。
「やれやれ。やはり配分ミスをしていたか」
案の定、そこに立っていたのはサフレだった。
手元に引き寄せ戻した槍を握り直し、すぐさま次の魔獣らを貫き地に伏せさせる。
「……皆は?」
「心配要らない。大方避難はできつつある。すぐに誘導に回っていた戦力も集まってくる。
まぁ僕はイセルナさんに頼まれて皆と他の門の方をチェックしていたんだが……」
振り返ってみれば、確かに門の方から増援が来ているようだった。
目を凝らしてみれば遊撃隊を率いたシフォンの姿も見える。
彼ら中衛集団は中空を飛び交って襲ってくる魔獣や、遠距離攻撃を撃ち落していた。
その中にあってシフォンの得物は弓でありながら、その精度の高さは相変わらず外れとい
うものを知らないレベルであり、一際目を引いている。
「それにしても……。この数は予想以上だな」
サフレと共に、冒険者らに混じって魔獣の群れを一体また一体と屠り続ける。
だがその数は一向に減っているように思えなかった。それだけ相手の数の力が膨大である
という証でもあるのだろう。
「ああ……。正直、多少こっちが増えた所でどうにかなるって感じじゃねえな」
自身の消耗だけではない。
だがようやく頭がクールダウンしてきて周りの状況にも目を遣れるようになる。今は何と
か前衛集団が奮闘しているが、このままではいつ押し合い圧し合いの勢力図が相手側に傾く
か分かったものではない。
(このままじゃ、呑まれる……)
開戦の端緒は自分だとはいえ、改めて敵の物量を知らしめされる。
身体はそうしている間も消耗を訴え、重い疲労で自分を奥底に沈めてくるかのような錯覚
を与えてくる。
「……ッ」
それでも──自分じゃなきゃ、六華がなきゃ、どうするんだ。
ジークはそんな限界を訴え続ける身体に鞭を打ってもう一度六華を解放しようとする。
「──無茶しないで。兄さん」
だが、ちょうどそんな時だった。
戦いの喧騒の中で、ふと風に乗って耳に届いたのは……間違う筈のない弟の声で。
「盟約の下、我に示せ──咆哮の地礫!」
「盟約の下、我に示せ──威神の旋風!」
少年と女性。二人の呪文の声が重なり、そして完成した。
すると巻き起こったのは、咆哮の如く広大な範囲を巻き込んで爆ぜる地面、そして視界す
ら遮るほどの空色の巨大な竜巻だった。
黒と白、墳と天魔導の魔法陣。それらが魔獣らの蠢く地面に展開され、その大群を一気に
巻き込んで吹き飛ばし、薙ぎ払ってゆく。
「アルス……。リュカ姉……」
ジーク達は声のした後方上空を振り返った。
そこにあったは、街を囲む城壁の上に立つアルスとエトナ、そしてリュカの姿だった。
魔導師の加勢か? 面々は「おぉ!」と嬉々の声を漏らしていた。先程まで徐々に押され
始めていた魔獣の大群。その多くが、見た目にも大きく崩されているのが確認できる。
「ふむ……。これは思った以上に大群ね」
更に、アルスらには同行者達が付いて来ていた。それも──とびっきりの。
「これだけの魔獣を使役するとはな。悪名高い“楽園の眼”とはかくあるか」
「問題ありません。その為に我々が赴いたのですから」
「だよなぁ。街が潰されちまったら学院も失くしちまうし」
次いでアルス達の両側から姿を見せたのは、ミレーユら学院の教師陣だった。
眼下の門の前方で彼女達を見上げている冒険者達が、ジーク達がこの思わぬ援軍に驚きざ
わついている。
「魔導学司校学院長、ミレーユ・リフォグリフです。当学院も皆さんの援護に回らせて頂
きます。一旦、魔獣達から距離を取って下さい」
城壁の上にずらりと横並ぶ魔導師達。
そして彼らはミレーユのその加勢宣言を合図に、一斉に呪文の詠唱体勢に入る。
「盟約の下、我に示せ──抹消の空」
ミレーユから放たれたのは、藍色の魔法陣だった。
すると地面の広範囲をカバーするその円陣を中心としてごっそりと削ぎ取られるように、
大量の魔獣ごとその空間が丸々“消滅”し、次の瞬間にはまっさらな地面だけが残る。
「盟約の下、我に示せ──震撃の荒土!」
「盟約の下、我に示せ──喰尽の灼蛇」
バウロとブレアから放たれたのは、黒色と赤色の魔法陣だった。
振り下ろす拳をバウロが魔法陣に突き立てれば、その動きに合わせるように目の前の大地
が猛烈な隆起と断絶を起こし、ブレアが振り上げた手をサッと眼下にかざせば、彼の周囲に
浮かんだ無数の巨大な炎球が蛇のような姿になって突撃を始め、次々と魔獣の群れを飲み込
んでいく。
それは、間髪入れずに放たれてゆく魔導攻撃の雨霰。
頭上からその圧倒的な火力の前に魔獣の群れはあっという間に巻き込まれ、吹き飛ばされ
確実にその数を減らされていく。
「盟約の下、我に示せ──逆巻の把紋」
そしてエマの魔導によって、一旦魔獣達の群れに肉薄していた最前線の冒険者らが一挙に
紺色の魔法陣の中に包まれて“巻き戻し再生”の如く城門のすぐ傍まで戻ってくる。
「……あまり出過ぎていると巻き込まれますよ? こちらで微調整は致しますが」
あくまで淡々と冷静に皆に注意を促すエマ。
位置的に見下ろす格好という事も相まって何処かその言葉はいつも以上に有無を言わせな
い威力を以って訴え掛けてくるかのようだ。
「お、おぅ……」
「ああ、分かった。恩に着る!」
「ハハッ! これほど心強い援護はねぇや!」
それでも眼下の冒険者達は大きく色めき立っていた。
想定していなかった方面からの援護射撃。
しかも彼らは皆、学院の教員を務めているプロの魔導師ばかりだ。
いける。これならこの大群相手でも……。
(ははっ……。アルス達の奴、さては学院に頼みに行ってたな?)
そんな皆の中で、ジークもまた自身の消耗に苛まれながらも、密かにそんな弟らの支援に
感謝する。
そうしていると、城壁の上からリュカがジークに向かって叫んできた。
「ジーク、一旦退きなさい! 今の貴方の導力では連発は無理よ!」
「それは……。だけどっ」
正確な見立てだった。しかしこのまま自分だけ退いてもよいものなのか……。
だが、そんな憂いは次の瞬間、ジークと再び襲い掛かろうとする魔獣達との間に割って入
ってきたイセルナとバラクの一閃によって叩き伏せられていた。
ブルートと合体した飛翔態の青白い冷気の剣。
巨大な鉤爪と酸毒で魔獣の身体を根こそぎ溶かすバラクのガントレット。
二人、そして両クランの面々が次々に魔獣らに対応し、薙ぎ倒してゆく中で二人は言う。
「いいから一度戻りなさい。貴方に倒れられたら何の意味もなくなっちゃうわ」
「よく分からんが……。だが俺達は、お前一人の穴で遅れを取るほど鈍っちゃいねぇさ」
「僕達なら大丈夫だ。そう簡単にくたばるものか」
「……。分かった、頼んだ!」
彼女達、サフレと頷き合い、ジークは駆け出していた。
マナの消耗が、走り出すその身体すら否定しようとしてくる。だがそれよりも仲間達の言
葉をやせ我慢のせいで無駄にしてしまう方がよっぽど情けない筈だ。
現在進行中で魔獣の群れとぶつかり合う「戦場」の合間を縫って、ジークは一旦街の門に
隣接した、即席の(街の冒険者達が乗っ取った)兵士詰め所──もとい本陣に足を運ぶ。
「あっ……。ジークさん、こっちです!」
領主傘下の兵士達の殆どが追い出された格好となり、代わりに支援要員な冒険者らで込み
合う詰め所の室内。
そんな中、ジークが重たい身体を引き摺って入ってくるのを認めて、呼び掛け駆け寄って
くる者達がいた。
「お前ら……。何でここに……」
それはレナとステラ、聞いていた限りではハロルドの下にいる筈の少女達だった。
「見て分からない? 皆のサポートに回ってるの」
「ジークさん達のことが心配で……。それで、お父さんに無理を言って追いかけてきちゃい
ました」
「そ、そうか」
ステラは意気込んだ様子で、レナはお淑やかに苦笑を漏らして。
そんな二人にジークは出掛かった小言を飲み込んでいた。
ここで危ないから戻れと言ってもおそらく聞かないのだろう。何よりもそうして時間を浪
費している暇などないのだ。
「状況、学院の人達のおかげで押し返せてるね」
「ああ。だけど数で言えば向こうの方が圧倒的だからな。どれだけもつか……」
だからこそ、ジークは偽る事なく頷き、二人と共に強化ガラスで縁取られた窓の外から見
える両者の激突の模様にちらと目を遣ると、少し身体を引き摺って静かに顔をしかめた。
「あの。ジークさん、お怪我を……? 大変ですっ、すぐに手当てを」
「ん……? あぁそれなら大丈夫。こっちの方は掠り傷だ。それよりもレナ、マナを回復す
るとかってできねえか? あいつらをぶっ倒そうにも六華はどうにも燃費が悪くてよ」
そう少し無理して気取ってみせて、腰に下げた三本の得物をポンポンと叩く。
レナの言葉はあながち間違っていなかった。確かに彼女の言う通り魔獣からの攻撃であち
こちに傷が走っていたが、幸いそれらが致命傷になっている訳ではない。
「は、はい……分かりました。では」
レナは頷くとジークの胸元にそっと手を当てた。呪文が唱えられていくと同時に緑色の魔
法陣が彼女の足元に展開される。
「盟約の下、我に示せ──精神の枝葉」
温かい緑の光がジークを優しく包んでくれた。
そして身体の中に力が再び湧いてくるのが感覚として伝わってくる。
「? こいつは、何時かの……」
「はい。確かサフレさんと戦っていた時にも使いましたっけ。ご要望の通り、対象にマナを
補給する回復系の術式のです」
「あ、言っておくけど別にレナのマナをジークが奪ってるんじゃないからね? 周りのマナ
を意識的に集めて、今ジークの中に送り込んでるの」
すると二人が語ってくれる魔導の断片的な講釈。
ステラからのそんなフォローは、自分のふと思ってしまったことを見透かしての言葉だっ
たのだろうか。
正直ジークは、何だかこっ恥ずかしい気がして話の内容も半々くらいしか入らない。
「……そっか。ま、ありがとよ。だいぶ楽になってきた。これで──」
もう一度、あのガキんちょと魔獣どもに一発を叩き込める。
マナの回復を受けつつも、そわそわと気持ちだけが逸ってしまう。再び、ちらと未だに仲
間達が交戦を続けている景色を窓越しに見る。
ちょうど、そんな時だった。
「見つけたぞ、レノヴィン兄弟だ!」
突然聞こえてきた不躾な声に振り向いてみると、詰め所の入口からこちらへ向かってくる
黒服達の姿が見えた。その両脇には、一度追い出された兵士達の一部が引き連れられている
のも確認できる。
「……。まだ捜してたのかよ」
周囲の冒険者達が何事かと怪訝の眼を少なからぬざわつきを漏らす中、ジークは彼らに睨
みを効かせたままで小さく舌打ちをして、呟く。
皆の眼が怪訝から警戒のそれへと変わっていく。
だがそんな面々を手荒に撥ね退けつつ、黒服達は近付いて来る。
途中で「弟の方は城壁にいるようです」「捕まえろ」といったやり取りが聞こえてきた。
しかしあちらにはリュカやミレーユ達がいる。自分が追いかけて行かずとも上手い具合に撒いて
くれるだろう。
無意識の内に立ち上がって、レナとステラを自身の背後に遣って。
ジークはそう数秒の内に頭の中で判断を下すと、ずんずんと向かってくる彼ら黒服達と相
対するように真っ直ぐに前を向く。
「ジーク・レノヴィンだな? 伯爵様からの命令だ。我々と来て貰──ぃぎゃお!?」
だがしかし、黒服達の開口一番の台詞はそんな締まらない語尾で寸断されていた。
ジークが、彼の背中に隠れておずおずとしていたレナとステラが、それぞれに小さく驚い
た表情を漏らす。
「おい坊主。よく分からねえけど今の内に前線に戻っとけ!」
「もしかしなくてもお前なんだろ? 領主が捜してるっていう“生贄”はよ」
「ぬぅっ! こら、お前ら離せ……っ!」
「私達を誰だと……!」
「やかましい! ろくに手を汚さない甘ちゃんの言う事なんぞ聞けるかってんだ」
「こいつらは俺達で押さえとく──というかボコっとくから、さっさと終わらせて来い」
どうやら役人連中の高慢な態度が癪に障っていたのは周りの皆も同じだったらしい。
ジークのすぐ目の前まで近付いて来た彼らに、突如他の冒険者達が飛び掛かって羽交い絞
めにし始めたのだ。
黒服達は何気に自尊心を傷付けられて怒りの表情と声を露わにし、その縛めを振り解こう
とするが、よもや腕っ節の領域で冒険者に敵う筈もない。
「…………」
しかし当のジークは眉根を寄せたまま、すぐには動かなかった。
数秒、何やら考え込んだ後、バッと何かに押し出されるように踵を返し、騒ぎの中を早足
に歩き始める。
「は、はい。今確保をしようとしているのですが、冒険者達が抵抗を──」
その先には壁に備え付けられた導話で報告を送っている兵士がいた。
するとジークは、
「……おい。その導話、領主に繋がってんのか?」
「え?」
「ちょっと貸せ」
「なっ……。い、いきなり何を──ぉうふ!?」
戸惑う彼の同意も何も無視して、強引にその受話筒をぶん取る。
弾き飛ばされてこの兵士がよろめき後退する。その勢いが余って壁のスイッチが「館内」
に切り替わってしまったのだがそれの事に気付く者はなく、事態は進行していく。
「おい、領主か?」
『ん……? どうした何があった? お前は……?』
皆がそんな想定外の行動に出たジークに一斉に眼を遣る中、当のジーク本人は片肘を壁に
当てながら、受話筒を耳元に遣りつつアウルベ伯との通話を開始しようとしていた。
「ジーク・レノヴィンだ。てめぇが捜してる、な」
『なっ!?』
当然の事ながら導話の向こう、屋敷の執務室でアウルベ伯は驚いているようだった。
このやり取りが現場の全員に聞こえているなど知る由もなく、周りでざわつく側近らにち
らと眼を遣ってから受話筒を持ち直して叱責しようとする。
『……な、なら部下達から話は聞いてるな? すぐにこちらに来るんだ。早くこの状況を』
「馬鹿かお前? 結社が俺達を“生贄”にして素直に退いてくれるような、そんな穏便な
タマかよ。いい加減俺を誘き出す為に利用されてることぐらい気付けよ」
だが対するジークもまた一切の遠慮がなかった。
相手が領主である事は周りも察していたので、レナやステラを始めとした面々は少なから
ず事態がこんがらがると思い、慌て、大きくざわつく。
『……。元はと言えば君達が“結社”とゴタゴタを起こしたのが原因じゃないか? それを
まさか棚に上げて加えて私を誹る気か? は、恥を知れ!』
ムッとした若き伯爵の声色が導話越しに伝わってくる。しかし。
「──んな」
『んっ?』
「ふざけんなって言ってんだよッ!!」
ジークの内に込めた憤りは、その比では無かったのだ。
あまりにも激しく噴き出した、その剣幕。
周りの面々も、そして対するアウルベ伯も思わず言葉を失い目を丸くする。
「恥だ? てめぇは本当に馬鹿か!? 自分達だけは安全な場所に居て、問題が起きたら誰
か一人に全部押し付けてやり過ごそうってのかよ? ふざけんじゃねえ!!」
そしてその声は、勿論街の城門周辺で戦っていた仲間達や他の冒険者達にばっちり聞こえ
ていて。
『…………』
アルスが、イセルナが、仲間達や同業者達が、街の人々が。
アウルベルツを護ろうとする全ての者達が彼の滾る言の葉を耳に届ける。
「確かに俺達は“結社”とやり合ったよ。だけど最初に仕掛けてきたのは向こうだ。俺達だ
ってただ仲間を助ける為に立ち向かっただけだ。それの何が悪いってんだよ。見殺しにしろ
とでも言ったのか?」
黒服達がちらちらと、戸惑いのまま互いの顔を見合わせ始めた。
これは、釈明というより反論だ。いや……説教だ。それも街の領主に対する。
「てめぇは領主だろ。この街を守る為にいる人間だろうが。なのに今のてめぇは何にも守れ
ちゃいねぇ。せいぜいその傍でぬくぬくとしてる成金どもの我が身可愛さくらいだろうが」
『……』
目を見開いたまま、アウルベ伯は押し黙ってもう一度側近達の方を見た。
先代、父の代から仕えてくれている側近達。信頼できると思っていた者達。
なのに……どうしてお前たちは、私の目を見ようとしない?
「おい。てめぇのそのお偉い肩書きは飾りか? 自分達を着飾って威張る為のものか?」
ドゴッと。ジークは空いた手、拳で強烈な一撃を壁に叩き込んでいた。
握り締めた受話筒、力をギシギシと込めた指先。それら全てが彼の憤りと爆発して止まら
ぬ情熱を物語っている。
「違うだろうが! 偉いってのは単に金や肩書きがあるからじゃねぇだろ! ……救えるか
らだろ? その権力ってもので人やモノを動かしてたくさんの人間を救える、その“力”が
あるからじゃねぇのかよ!?」
『──ッ!?』
導話の向こうでアウルベ伯が息を呑んでいた。
ハッと身に詰まされた思い。衝撃。それでもジークはまだ吐露することを止めない。
「俺だって一人じゃ力が足りねぇよ。皆で集まっても助け切れないかもしれねぇ。だけど、
お前らならもっとたくさんを救えるかもしれねぇ。てめぇは……何を守りたいんだよ? こ
の街なんだろ? 何を見てきた? 屋敷に籠って狸どもの言うことだけ聞いてて何も見えて
ねぇんじゃねえのか? 救ってくれよ……。街の皆が逃げ惑ってる。震えてる。それがお前
ら貴族って奴らの役割じゃねぇのかよ……?」
皆がしんとなっていた。
誰が言ったかではない。ただその吐露があまりにストレート過ぎて。
「兄さん……」
「ジーク、貴方……」
兵士や黒服達も、彼らに追い立てられ抵抗していたアルスらも。
「……はん。大層な言いようだなぁ、おい」
「ふふっ。そうかもね」
「だが、あれが本心なのだろうな」
魔獣の大群と戦っていた、仲間達も。
「ジークさん……」
「……変わってないんだね。あの時から、ずっと」
そんな言葉を間近で聞いていたレナやステラも。
只々、暫しその威力に立ち尽くす他なくて。
「──っはぁ。分かったら、さっさとこんな意味の無い追いかけっこなんざ止めろ。今はそ
んな事をしてる場合じゃねぇだろうが……」
その自然発生した沈黙の中で、その当人だけは一気に喋り過ぎて少々息切れしつつ、そう
結ぶように言い残して打ち込んでいた拳をだらりと下ろした。
「……。んあ?」
そして、そこでようやく、ジークは周りを大きく巻き込んでいたことに気付いたらしい。
じっと向けられている皆の驚愕やら感心やらの眼差しの束。
ジークはついポロリと受話筒を手から滑らせつつ、唖然と皆を見遣る。
『…………そうだ』
そんな時だった。
はたと、導話の向こうからアウルベ伯の震えた呟きが聞こえた。
ぐらりと心も体の倒れそうになるほどテーブルの上に体重を任せるように手を突き、俯き
加減になった表情を垂れた紺色の前髪が隠す。
そこでようやく側近──街を代表する名士や商人達がおずおずとこの若き主……いや態の
良い操り人形の顔色を窺うべく、ざわつき見返し合っていた顔を向けようとする。
「すぐに、アウルベ家傘下の者全てに伝えろ」
だが、結論から言えばもう彼はもう“以前の彼”ではなくなっていた。
ゆっくりと上げた顔、その瞳には強い意思が。
只々、父から受け継いだ街を守る。その使命という重圧の中でもがいていた日々から身を
乗り出し、自らの心に従い決断したその一言を。
「人員を三班に分ける。住人達の避難と保護に一つ、残りの二つを魔獣達の迫っている正門
に集結させろ。前線の冒険者と学院の者達を援護しあの狼藉者どもを討ち払え!」
命令。権力としての叫び。
側近達は慌てた。退けられるのか? それに“結社”からの報復があれば自分達の商いに
どんな悪影響があるか──。
「何をしている、早くしろ!!」
しかしもうアウルベ伯は迷わなかった。もう彼らに“使われて”いなかった。
気付いたから。
自分は随分と狭い視野の中でもがいていたに過ぎなかった事を。
「財物ならまた時間を掛ければ蓄えられる。だが人は、失ったら二度と戻ってこない……」
そうでしょう、父上?
貴方が護りたいと願ったこの街は何も石造りの家屋ばかりではない。何よりもそこに息づ
く人々であるのですよね……?
「私はこの街の領主だ。この地の人々を、何にも替え難い財産を、私は護る義務がある!」
──当然、館内通話になっていた兵士の詰め所、ジーク達面々にも彼の言葉は全て届いて
いた。次の瞬間、場が一気にざわめき、鼓舞される。外の前線からも同じく重なる皆の声が
聞こえてくる。
「伯爵殿の命令だー! これより我々も攻撃に参加する!」
「撃ち方、全門開放っ! 発射準備!」
もしかしたら、兵士ら自身はジーク達と同じく街の為に戦いたかったのかもしれない。
アウルベ伯の命が下って数分と経たない内に、街を囲む城壁から兵達の呼び声が響いた。
そして次々と迫り出してきたのは、街の防衛時に使われている多数の砲台、その砲身。
「てーッ!!」
撃ち出されたのは、その数と等しい多数の砲撃だった。
砲弾は宙を飛び、魔獣らの群れの中へと次々と飛び込んでは爆散してゆく。
「……よっしゃあ! 何か知らねぇが領主も味方についたぞ!」
「今だ、一気にたたみ掛けろぉ!!」
その勢いに乗じ、表の冒険者達も一気に攻勢に転じた。
頭上から砲撃が降ってこようが何のその。魔獣が、街を襲う災厄が討たれるなら拒む理由
は何処にもない。そう言わんばかりに彼らの猛進が始まり、黒い大群へと更に深く深く斬り
込んでいく。
そして、情勢は更にジーク達の側に加速することになる。
『──こちらアトス連邦朝守備隊東部統括本部。応答願います、アウルベ伯爵』
『守備隊……!? こ、こちらアウルベ伯ルシアン。こちらの様子は確認できるか?』
『はい。先程より正門付近での交戦を確認しています』
『遅くなって申し訳ない。こちらも対応できるだけの兵力を集めていたもので』
以前より、アウルベ伯より援軍要請を受けていた守備隊が到着したのだ。
彼らが語るように、その兵力数はざっと万規模。ちょうど正面からアウツベルツの軍勢と
ぶつかっている魔獣達の群れの左右を挟む形で二手に分かれ、その長銃・長剣を装備した隊
伍が地面を覆う格好。
『これより全軍、加勢致します。許可を』
『りょ、了解した! 援軍感謝する!』
アウルベ伯が届いてきた導話通信に応えると、守備隊の軍勢は早速攻撃行動に移った。
必然、正面の冒険者と学院の魔導師、伯爵傘下の兵達と共に魔獣の群れを三方から囲い込
んで進撃してゆく戦況となる。
数の力の差はこれで一気に縮まることとなった。
正面からの猛進、左右両側からの強襲。故に人間ほど統制された訳ではない魔獣の群れは
徐々に崩れ始める。
一体、また一体、確実にそしてより急速に。
集った軍勢は一丸となり、ぐいぐいと魔性の軍勢を攻め押してゆく。
「──おかしいの。何で私達のいう事聞かないの……?」
怒涛の勢い、重なる人々の声。
ヒトを駆逐する筈の魔獣達が押されているのが、戦況を眺めていたエクリレーヌにも伝わ
っていた。
しかしその表情は、自身の配下らが劣勢に傾くことよりも、
「フェイちゃんの言っていた通りにすれば“皆バラバラになる”筈なのになぁ……」
むしろ思い通りにいかない目の前の現状にむくれる子供のそれで。
ぎゅっと継ぎ接ぎだらけのパペットを抱き締めて。
この幼女の姿をした魔人は、手の中のメモを一瞥して大きくため息をつく。
「皆~! 帰るよ~っ! お兄ちゃん達意地悪過ぎるの~!」
そしてそう彼女が叫んだ次の瞬間だった。
突如として辺り一帯の地面に現れた毒々しい赤紫色の魔法陣。
彼女は残っていた魔獣の軍勢をその円陣の中に収めると、サッと手を振る。
するとどうだろう。その瞬間、彼女は魔獣ら諸共、一挙に姿を消してしまったのである。
「……い、いなくなった?」
「こ、これって……」
「もしかして俺達、勝ったのか? あの“結社”に……?」
魔獣が蹂躙した目の前の大地は荒れてこそいた。
だが、取り残された、勝利してその場に立っていたのは間違いなくアウルベルツを守ろう
とした者達の群れで。
「うぉぉぉぉーッ! 勝った、勝ったぞぉぉ!!」
だからこそ冒険者達も、兵士達も、次の瞬間には一斉に勝ち鬨をあげていた。
安堵、或いは歓喜。人々の嬉々の叫びが大地に満ちる。イセルナら仲間達は密かに胸を撫
で下ろし、にわかに晴れ始めた空を仰ぐ。
「……終わった、の?」
「みたいだね。よ、よかったぁ……」
詰め所の中のレナとステラも互いに手を合わせて喜び、安堵していた。
室内の周りの冒険者や兵士、そして黒服らも(半ば強引に)その喜びの渦の中にあって。
『……。ありがとう、ジーク・レノヴィン。私は、これでやっと父上から“領主”を受け継
げることができたような気がする』
「いきなり礼なんざ言うなよ。気持ち悪い。ま、そう簡単に本当の領主なれるなら誰も苦労
なんぞしねぇだろうけどな」
そしてそう皆が歓喜に包まれている中で、ジークはアウルベ伯の静かな謝意を導話越しに
聞いていた。
受話筒を片手に壁に寄り掛かり、そんな皮肉を付け加えて口角を吊り上げる。
「……まぁ精々頑張ってくれよ? この街のリーダーさん?」
『ああ。誠心誠意力を尽くすさ。……約束する』
導話の向こう、屋敷の中から救われた街を眺めて微笑む彼に、ジークもまた静かに笑みを
返して──。