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14-(1) 学院査問会

「……学院長が?」

 その言葉の文面や声色といった聴覚と、黒スーツ一色のいでたちという視覚と。

 アルスが最初に覚えたのは違和感だった。

 何と言えばいいのだろう。ただ、彼らを学院の職員と認識するにはどうにも抵抗があった

のだ。怪訝──ざっくりと片付けてしまえばそんな印象が先に立っていた。

「何だよ、お前ら?」

「……食事中に踏み込んでくるとは、行儀が悪いように思いますね」

 そして学友らもそんな怪訝を同じくしてくれていたらしい。

 付けていた料理を脇にやり、二人してアルスを庇うように間に割って入る。

『…………』

 黒服と学友達の睨み合いが始まっていた。

 そうなると当然、周囲の眼は自然とアルス達に集まる。

 それまでは互いに知らぬ存ぜずな態度を貫こうとしていたが、はたと醸し出された険しい

不穏な空気に流石に堪えかねたようでもあった。言葉こそ少ないが、好奇と傍迷惑が五分五

分に混じった視線が一挙に注がれ始める。

「そ、そんなに喧嘩腰にならなくても……」

 そうした状況の変化に、名指しされた当のアルスは戸惑い二人を止めようとしたのだが。

「──邪魔だ」

 次の瞬間、業を煮やしたとみえる黒服の一人が突然二人を突き飛ばしていた。

 かなりぞんざいに、しかし確実に悪意のある一発。フィデロはその場でよろけ、ルイスは

更に押し出されて背後のアルス達のテーブルに直撃する。

「この……ッ!」

 フィデロが顔をしかめて叫びかけたと同時に、周囲が大きくざわついた。

 乱闘か。椅子を倒して場から尻餅をついたルイスも、表情こそ変えていないが、この彼ら

の態度が流石に頭に来たらしい。上着の内ポケットから魔導具の指輪を取り出そうとしてい

るのが見える。

「……。部外者は引っ込んでいて貰おう」

「さっさと来い!」

「ッ!?」

 それでも──少なくとも学院の職員ではない事が明らかになった──黒服達は強硬策で早

急に事を片付けてしまおうと方針を決したらしかった。

 何かしら余計な真似をするものならば。

 数人がサングラス越しに眼を光らせて周囲の人間を制止する中で、残りの黒服達がずいと

進み出て無理やりアルスの手を引っ張る。

 何故これほど自分を連行する事に拘るのか。

「は、離──」

 これではまるで彼らが“何かに迫られている”かのようでは……。

「お待ちなさい」

 その時だった。

 ビシリと、周囲に毅然とした、力強い声色が響いた。

 続いて刹那、黒服達のアルスを捕る手を弾いたのはゲドとキース、二人の従者。

 それぞれに立ち上がり今にもアルスの為に飛び勇もうとしたフィデロとルイスを、彼らはサッ

と間に入って制止する。

 代わりに、キースは目にも留まらぬ速さで黒服の一人の喉元へとバタフライナイフの切っ

先を突きつけ、ゲドは腕輪型の魔導具を展開して巨大な大槌を出現させる。

 ゲドの得物・震撃の鎚グライドハンマーがズドンと地面を叩き、周りが強い揺れに見舞われた。

 この間、ほんの数秒。

 何もできずに立ち尽くしていた黒服達に向けて、二人の主・シンシアは言い放つ。

「貴方達は学院の者ではありませんわね? 事情は知った事ではありませんけど、生徒に対

する態度として最悪ですわ。それに何より」

 すると、今度は黒服達の背後、その中空からカルヴィンが姿を見せた。

 隆々とした身体に鎧を纏った人馬型の精霊であり、彼女の持ち霊。

「……先程からずっとカルヴィンが貴方達の首を狙っていたのにまるで気付く様子もない。

ここは魔導学司校アカデミー、魔導の卵が集まる場所ですわ。たとえ職員とはいえその最低限の知識・

技術を持ち合わせていない訳がありませんもの」

 身動きの取れる黒服の何人かが、おずおずと背後を振り返っていた。

 そんな彼らに、カルヴィンは「ヤるか?」と言わんばかりにパキポキと拳を鳴らして白い

歯をむき出しにしている。

 更にその隣にはむすっと同じく戦闘準備バッチリといった感じでエトナが、その背後の木

の陰には弓を番えているシフォンの姿も確認できる。

(さっきから姿が見えないと思ったら……)

 助けて貰っているのに、何だかアルスは黒服達に申し訳ないとさえ思えた。

 間違いなく……今ここの面子が実際に襲い掛かれば、彼らは無事では済まないだろう。

 流石にこれは止めないと。

 そうアルスが思っていた最中で、シンシアは更に言った。

「私の学友に狼藉を働こうというのなら、我がいえに対する反抗と解釈致します」

 そして懐から取り出したのは、一枚の紋章エムブレム

 その六角形の枠の中には、鍛治用の鎚とフラスコ瓶と思われる絵柄が複雑な文様に巻き付

かれるようにして斜めに触れ合っている。

「私の名はシンシア・エイルフィード。アトス連邦朝エイルフィード伯爵家の嫡子ですわ」

「エイル、フィード!?」

「ま、まさか“灼雷”の……?」

 おそらく掲げてみせたのは彼女の家の家紋──爵位章なのだろう。

 そして彼女が自ら堂々と名乗りを上げると、黒服達は明らかな狼狽を見せた。

 相手が貴族の令嬢ともなれば手荒な真似はできない、そんな思案だったのだろうか。

 彼らは暫し互いの顔を見合わせると、小さく舌打ちをし、左右から散開してそのまま逃げ

去っていってしまう。

 やがて、黒服達の姿は見えなくなった。

 キースもゲドも得物を収め、持ち霊達もシフォンも臨戦体勢を解いてゆく。

「……助かった、のかな?」

「ふむ? どうやらそうみたいだね」

「チッ、やりたい放題しやがって……。一体何なんだよ? あいつら」

 一先ず安堵の一息を。

 アルスがふよふよと「大丈夫?」と声を掛けて傍らに戻ってくるエトナを迎えながら呟く

と、学友二人は各々に怪訝の思いを濃くしているようだった。

「あ、あの。シンシアさん。キースさん、ゲドさん」

 だがそれよりも。アルスはまだ少々ざわついている周囲の中で向き直る。

「助けてくれて、ありがとうございました」

「……れ、礼など必要ありません。この学び舎に狼藉者が踏み入るのが許せなかった。それ

だけの事ですわ」

「そ、そうですか」

「……。ったく、素直じゃねぇんだから……」

「ガハハ! 然り。シンシア様もよくぞ立ち向かわれた。それでこそ我らが主!」

「我は別に倒してしまってもよかったのだがな」

 ペコリと頭を下げて謝意を。

 それはアルス当人にしては当然の、自然な所作と反応だったのだが、対するシンシアには

何故かちょっとばかり捲し立てられるように突っ撥ねられた気がした。

 そう言うのなら。アルスは目を瞬かせて一応頷いておく。

 ぼそっと微笑ましげな嘆息を、主の豪胆さを讃える彼女従者二人と、持ち霊の三者。

 ──とりあえず、妙な闖入者は去ったらしい。

 まだ少々ざわつき、少なからぬ人数の視線が集まっている中、アルス達はさてこの場をど

うしようかと思案し始める。

「うーむ、ギリギリセーフって所か」

 ちょうど、そんな時だった。

 黒服達が逃げ去って行ったのとは別の方向、学院の敷地の奥の方からブレアが小走りでこ

ちらに向かって駆け寄ってきたのである。

「あ。ブレアだ」

「どうしたんですか、先生? それにセーフって何が……」

 エトナとアルスを始めとして、今度は皆の視線が彼へと集まる。

 何だ落ち着いて食事も摂れないなと困り顔なテラスの面々、互いに顔を見合わせたり事態

を見守ろうかと黙する学友らやその従者達。

 思った以上に騒ぎになっていたのに少々面食らったのか、ポリポリと頬を掻いて数秒。

 ブレアは、自分の教え子とその持ち霊に向かって言った。

「それなんだがな。アルス、エトナ、すぐに一緒に来てくれ。学院長達が待ってる」


 結局、その場の収拾はシンシア達に丸投げする格好となってしまった。

 ブレアに請われるまま、今度こそアルスとエトナ──そして何かあるなと自然と合流して

きたシフォンはその呼び出しに応じて彼の後をついてゆく。

 歩みを進める度に学友ともらや周囲のざわつきは遠くなっていった。

 代わりに周囲を彩るのはいつも通りのキャンパス内の風景。解放感と緑がちりばめられた

構内には様々な出身、種族の学生──魔導師の卵らが行き交い、今日も同じく旺盛に学び、

学生生活を満喫しているかのように見える。

(何なんだろう……)

 少し後ろを、静かに注意を配りながらついて来るシフォンを肩越しに見遣りつつ、アルス

はもやもやとした不安が増していくのを感じざるを得なかった。

「レイハウンドです。アルス・レノヴィンを連れて来ました」

「ご苦労様です。入って下さい」

 やがて、アルス達は学院長室へと到着した。

 扉の前でブレアがノックをし、来訪を告げると中から学院長──ミレーユの返事が聞こえ

てくる。

 心なしか彼女の声がピリピリとしていたような……?

 アルスはふとそんな印象を受けていたが、そんな合間も構わずにブレアは「失礼します」

と一声を残すと、そのまま扉を開けて面々を中へと促す。

「よぅ。やっぱお前も呼ばれてたか」

「……あれ? 兄さん? それに先生、サフレさんにマルタさんも……」

「ええ。そっちは大丈夫だった?」

 すると室内にいたのは、ずらりと並んだ席に着いた険しい表情の大人達。エマやバウロも

その中にいる。おそらくは学院の職員や役員などなのだろう。

 だがそれよりも、アルスが目を遣って驚いたのはその場に兄達がいたことだった。

「? はい……。黒服の人達に連れて行かれそうになりましたけど、そこはシンシアさん達

のおかげで何とも」

「……らしいですよ。やっぱり、もうあっちも動き出しているみたいです」

 ぐるりと学院の要人らに囲まれる形で、兄や師から掛けられる声。

 しかしアルスはまだ事態が掴み切れずに、そうもごもごと答えながら小首を傾げる。一方

でその隣に立ったシフォンは、既に状況の把握に努めようと無言ながらしきりに面々の様子

を観察していた。

 ブレアがポリポリと髪を掻きつつ、少々面倒臭そうに、しかし神妙な様子で相槌のような

言葉をミレーユに返す。

 席上の面々が互いの顔を見合わせて少しばかりざわつき出した。

 そして上座の学院長席に着いていたミレーユが目の前で両手を組んだまま、ようやく本題

に入るようにして言う。

「いきなり呼び出してごめんなさいね。ですが、事態は少々厄介な事になっているのです。

その為、貴方たち兄弟に急遽使いを出させてもらいました」

「い、いいえ。それはいいんですが……。その、厄介な事というのは?」

「……それについては順を追って話します。レノヴィン君、そしてお兄さん方。つい先日ま

で貴方達は里帰りをしていましたね? 先ずはその際に何があったのか──いえ、何が明ら

かになったのかを私達に話して下さい。お兄さんの持つ剣、その出自について……ね」

 アルスがエトナが、何よりもジークが半ば反射的に眉根を寄せていた。

 ちらと兄が自分を見てくる。だがアルスもその「何故?」を聞きたい思いは同じだった。

 確かに兄が自身の剣──護皇六華についての調査をマグダレン教諭に依頼したのだから、

そしてそこで初めてかの剣が聖浄器だと判明したのだから、ミレーユら学院側に自分達のこ

れまでの行動とその動機を把握されているのは分かっている。だが……。

(ど、どうしよう……。話しちゃっていいものなのかな?)

 少なくともアルスの一存で打ち明けられる訳がなかった。

 兄の剣が護皇六華という皇国トナンの王器であり、自分達兄弟はその皇族、皇子であるなど──

仮に話した所でどれほど信用されるものなのか。

 案の定、ジーク達も難しい顔をして黙り込んでいるようだった。

 兄は弟を、弟は兄を気にして口にするのを憚っている。

 当事者順でいえば彼ら二人の意思が一番最初に来るべきものなのだが、その当人らが戸惑

いを濃くしているがために、仲間達も迂闊に口を開けずにいたのだ。

「……訊いてくるのであれば、こちらからも聞かせてはくれませんか? 僕らの友人の帰省

の件が先の厄介な事とどう繋がっているのか。何も分からないまま饒舌になるつもりはあり

ませんよ?」

 暫しの沈黙。それを破って最初に駆け引きを始めたのは、それまでじっと場の様子を窺っ

ていたシフォンだった。

 出席者の内の数名が不快気味に眉根を寄せるのが見えた。

 それでも彼は肝が据わっているのか、冷静な表情かおで学院側のレスポンスを待つ。

 ちらと視線を向けたリュカやサフレもどうやら同じことを考えていたらしく、彼に小さく

頷いてみせると「どうなのですか?」と無言の催促をミレーユ達に送っている。

「……伯爵が、貴方たち兄弟の捕獲に躍起になっているのですよ」

 反抗的な。立場を弁えろ。

 そんな印象を多くの出席者が抱いたようだったが、そんな彼らを視線でそれとなく制する

と、ミレーユは数拍の後にそう言った。

「伯爵、というのはこの街の領主の、アウルベ伯の事ですか?」

「そうです。どうやら何者かにレノヴィン兄弟を差し出すよう圧力を掛けられているような

のですよ」

 シフォンの確認に彼女が頷いて言うと、ジークとアルスは顔を見合わせていた。

 領主に自分達が狙われている? それに圧力というのは……。

「……なるほど。つまり先にこの子達を確保して優位に立とうと」

 次いで静かに状況を理解したらしいリュカが呟いた。

 しかしその声色こそ落ち着いていたものの、その眼は全く笑っていない。

「或いは──二人を身代わりにして学院としての安全を図りたい、そんな所でしょうね」

 そう、憤っていたのだ。

 愛弟子にして姉弟同然の仲のアルスとジークをそんな大人達の取引材料に使われて堪るか

といった、親心のような感情。しかし、この場に集まった学院の要人らはその意図を看破さ

れても尚、心積もりを変えるつもりはないらしい。むしろ「だから何だ?」と言わんばかり

に片眉を上げて見下ろしたり、目を細めて睨み返してきたりしている。

 アルスとジーク、そして仲間達はそこでようやく自分達が連れて来られた意味を把握する

ことになった。

 自分達が狙われる理由──十中八九、伯爵に圧力を掛けている相手というのは“結社”だ

ろう──の如何によっては、このまま伯爵側への「生贄」にされかねないという事を。

「そういう事だ。私の所に持ってきた時点で問われることは予見できたろうに」

 腕を組んだまま、バウロが言った。

 他の面々に比べればまだ刺々しくはない。それでも疑問を解決したいという要求が声色の

中に透けて見える。エマも同感だったのか微かに頷き、眼鏡のレンズの奥から怜悧な眼を向

けてくる。

「で、でも……」

「……」

 それでも、アルス達は躊躇した。

 言った所でどれだけ信じて貰えるだろう。むしろ事態が深刻だと懸念が現実になってしま

いかねない。指導教官のブレアや見立ててくれたバウロは多少擁護してくれるかもしれない

が、二人ともあくまで学院の教員、組織側の人間だ。あまり期待し過ぎる訳にもいかない。

 兄弟は逡巡と無言の後、横目で互いを見遣るとぐらりと大きな迷いの中に落ちる。

「……分かりました。お話しましょう」

 しかし、決断は他ならぬ仲間から下されていた。

「その代わり、皆さんも覚悟して頂きますよ?」

 そう告げたのは、二人にとって姉のような存在・リュカであって。

「お、おいリュカ姉……。いいのかよ、話しちまって?」

「そうだよぉ。この堅物連中が靡いてくれるなんて保障はどこにも……」

「そうね。だけど、このまま睨み合っていても事態は好転しないわ」

 咄嗟にジークとエトナが慌てて押し止めにかかる。

 何気にエトナに悪口を言われて顔をしかめる要人らだったが、

「……それに、ここでなら学院の皆さんを“共犯”にできるじゃない? 少なくも奴らから

すれば同じように映るでしょうし」

 次の瞬間、微かに口角を吊り上げて目を光らせるように答えた彼女に思わず凍りつく。

 アルスが何とも言えず苦笑する。

 これは先生が本気になった時の眼だと知っていた。下手に反論しない方がいい。

 そんな中でリュカが「いいかしら?」と兄弟と仲間達に同意を求めてくる。

 ジークとアルス、仲間達は躊躇いつつも頷いた。

 できれば巻き込みたくないが……仕方ない。できればシノブにも了解を取れる状況があれ

ば尚良かったのだが、そうもいかない。代わりに村の代表として同行してきたリュカをその

役に宛がっておくことにする。

「それでは、お話致しましょう──」


 予想通り、場の面々は分かり易いほどに驚愕していた。そして──。

「何て事だ! よりにもよって“結社”を敵に回すなど!」

「トナンの皇子、か……。予想以上に厄介な事になっているらしいな」

「しかしどうするのです? このままでは学院の存続が……!」

 出席者達の保身の弁は一層苛烈になっていた。

 口々に飛ぶのは後悔、或いはジーク達への叱責。

 ジークやエトナはあからさまにその反応に不快感を示していたが、リュカやアルスといっ

た他の面子は予想のままだと冷静に、しかし興醒めしつつそんな光景を目に映している。

 飛び交う罵声、もとい保身の叫び。

 事態の好転の為とリュカが正当化した告白もそんなざま。

「……落ち着きなさい」

 だが、そんなうねりを持った彼らのざわつきは、はたとミレーユの発した一声によって霧

散していた。

 途端にしんとなる場。

 傍らでエマが静かに眼鏡のブリッジを押さえ直し、ミレーユが小さく息を一つ。ざっと場

の面々を見渡してから言う。

「皆さんはそれでも組織を治める人間ですか? みっともありませんよ」

 面々は息を合わせたかのように黙り込んでしまった。

 彼女は声色こそ穏やかだったが、それだけ一切の温情もないストレートな戒めだった。

 ようやく抑えられ、静かになった場を確認してから、

「レノヴィン君。一つ貴方に今一度確認したいことがあります」

「は、はい……。何でしょう」

「……貴方は、学びたいですか?」

 彼女はついっとアルスへと視線を向けるとそう問い掛ける。

 ぱちくりと。アルスは思いもかけない質問に目を瞬かせていた。

 どういうつもりなのだろう? エトナも同じく一抹の怪訝と共にこの相棒と顔を見合わせ

てくる。

 だが幸い思考はすぐに戻ってきてくれた。

 アルスは居住いを正して表情を引き締めると、

「……はい。僕は、一人前の魔導師になりたいと思っています。少しでも皆の力になれるよ

うな、皆を救うことができるような魔導師に」

 真っ直ぐにミレーユに向かってそう包み隠さぬ正直な答えを述べる。

「そうですか」

 フッと。学院長席に着いたままのミレーユは静かに微笑んでいた。

 目の前で両手を組んだまま、少し落とした視線で数秒の思案を。

「……分かりました。ならば貴方はどうあろうとも当学院の生徒です。この学院に在籍して

いる以上は、学院長たるこの私が、責任を持ってアウルベ伯や“結社”の圧力を跳ね除ける

と約束しましょう」

 そしてそう、生贄ではなく、庇護と協力を誓ってくれる。

「が、学院長!?」

「何を仰っているのです!」

 一方で他の要人達は違っていた。

 独断を諫める声、つまりは保身。彼らはそれでも中々アルスを庇い立てすることをよしと

はしなかった。

「貴方達こそいい加減目を覚ましなさい。我々にとって大切なことは何ですか? 本部から

の資金ですか、利権ですか? 違うでしょう。何よりも生徒達を育てる、その一点にあるの

ではありませんか?」

 しかし、ミレーユもまた譲らない。

 むしろ彼女は保身に走って止まない経営陣らを詰った。

 今まで以上に強い声で。威厳に満ち溢れた正論を。

 面々はまたしても黙り込んでいた。痛い所を突かれたというのもあるのだろう。だがそれ

よりも彼女自身の強い眼差しが抵抗──利己的な足掻きの一切を許さなかったのだ。

 もう一度アルス達を見遣って、表情を優しく戻して、ミレーユは言った。

「私達アカデミーはその出自を──性別種族、或いは王侯貴族や庶民の如何を問わず、魔導

を学びたいと欲する者に門戸を開いています。その学びたいと思う志を、私達は摘みはしま

せん。貴方が望むのなら、その学びを私達は全力で保障しましょう。……それにレノヴィン

君。貴方は今年の新入生の中でも屈指の逸材ですから。このまま組織の都合で弾き出してし

まうというのは、あまりにも惜しいですしね」

 そう茶目っ気を交えてのウィンク。

 アルスもエトナも、ジークも、仲間達も場の皆が呆気に取られていた。

 だがしかし彼女のその言葉が意味するものを、皆はややあって理解し始め、

「……それが学院長のご判断であれば、私達教職員一同は従うまでです」

「ふむ。よかろう。魔導工学を究める者としても、彼らの件は見過ごせぬしな」

「やれやれ……。ま、よかったなアルス。学院長からのお墨付きだぜ?」

 同席した既知の教員らもフッと硬くなっていた表情を解いて笑い掛けてくれる。

 そしてジーク達も、その反応につられるように程なくしてホッと胸を撫で下ろしていた。

 互いに顔を見合わせ、何とか事態の悪化を防げたと安堵する。

 とはいえ、まだアウルベ伯からの外圧が消えた訳ではないが……。

「は、ははっ。……何つーか、助かったみたいだな」

「そう、みたいだね……」

 兄と師と仲間達と相棒と。

(……ここに入学できてはいれて、本当に良かった……)

 アルス達は互いに顔を見合わせて苦笑いに近い笑みを遣り合って──。


「弟の方を捕り逃した!?」

 時を前後して、場所は梟響の街アウツベルツを眼下に臨む丘の上の屋敷。

 その執務室で報告を受けて叫んだのは、灰色の正装に身を包んだ貴族の青年だった。

 学院へ確保要員を送ったのに、退散させられたのだという。

「何をしてるんだ! 早くしないと……早くしないと……ッ!」

 青年は頭を掻き毟りながらその場をぐるぐると歩き始めた。

 落ち着かない、切羽詰った強い焦りの現れ。そんな彼の反応に部下たる黒スーツの男──

伯爵家の役人達は互いに顔を見合わせ、戸惑っている。

「お、落ち着いて下さい。伯爵」

「現在、レノヴィン兄弟の所属するクランへ人員を向かわせています。ですのですぐにでも

包囲の後、確保を──」

「だったらもっと人員を割くんだ! 一刻も早くレノヴィン兄弟を確保しろ!」

 役人達が何とかこの主を取り成そうとするが、それでも彼──アウルベ伯の焦燥感は癒え

なかった。

 再び、一見気弱な外見だが爵位の権限で以って命じる彼に、役人達はおろおろとして部屋

を飛び出していく。

「……」

 室内には年若い領主一人だけになった。

 ふらふらとデスクに近寄ると手をつき、胸を苛む焦燥感と必死に戦おうとする。

「……捜さなければ」

 伯爵は誰にともなくぽつりと言った。

 ギンと焦点の合わない目を見開き、ついた手を机上をじっと見つめる。

「私の街が、危ない……」

 そんな彼の手元には、彼宛に届いていた解封済みな一通の手紙。

 そして彼が呟いた次の瞬間、その手紙はひとりでに黒い炎に包まれていたのだった。

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