13-(4) 迫り来るもの
「う~ん……」
鞘から抜き放った愛刀の刀身を陽の光の下ためつすがめつしつつ、ジークは眉根を寄せて
小さく唸っている。
場所はアウツベルツの郊外。人気のない空き地の一角だった。
廃材などが詰まれたその場にはジークにサフレ、マルタ、そしてリュカの四人がいる。
「なぁ、リュカ姉。これで本当に六華の封印とやらが解けたのか? どう見ても普段と大し
て変わらない気がするんだが」
「ええ。でも今は魔導具としての効果を発動してないから。装飾品型の待機状態と同じよ」
ジークが刀──護皇六華を片手に下げたまま問うと、リュカは穏やかな声色で答える。
「シノブさんから六華の術式は教わってるわ。だから私はそこから逆算して施された封印の
密度を緩めただけ。あとはジーク、貴方のマナと意思で発動できるようになっている筈よ。
流石にマナを注ぐくらいはできるわよね?」
「ああ。錬氣みたくマナを移せばいいんだよな? それなら普段からやってるさ」
ジーク達が朝早くから人気のない場所に来ていたのには理由があった。
それは、特訓。
遠からず起こるであろう“結社”──あの時手も足も出なかったメアの面々との対峙に備
え、彼らに対抗しうる力をつける為にジークは手元に残った護皇六華を少しでも使いこなせ
るようにとリュカの指導の下、それらに施されていた封印を解いて貰っていたのである。
「ならいいんだけど。だけど気をつけてね? 六華はただの魔導具じゃない。力が強い分、
消耗も大きいからジークの導力だと連発は辛い筈よ。いざという時の奥の手──それぐらい
のつもりでいるといいわ」
とはいえ、六華は普通の魔導具ではない、対瘴気特化な「聖浄器」の一つ。
故に、魔導の知識や制御術に乏しいジークには非常にピーキーな代物でもあるらしい。
「ん……。分かった」
リュカに言われて、ジークは脳裏にサフレと戦った時のことを思い出していた。
その時の話を聞いた彼女曰く、あの時六華が見せたものは一種の暴走状態になっていたの
だそうだ。
術式展開──効果の発動に要するマナが足りない場合、術者から構築式の側へとマナが強
制的に流れてしまう。その結果、魔導を“使う”筈が“使われる”結果になるのだと。
今は彼女が構築式を調整してくれたので、よほど無理をしない限り同じ事が起きはしない
らしいが……それでもやはり、あの時の自分を思い出すと正直不安は残る。
「よろしい。じゃあ早速試してみましょうか。ジーク、サフレ君。そこに立ってくれる?」
すると一人うんと頷いて、リュカがそう指示を出してきた。
言われるまま、ジーク、そして魔導具使いの一人として今回フォロー役に回ってくれるサ
フレの二人は彼女から少し距離を置いた位置に立ち直す。
周囲、空き地一帯はしんと静かだった。
街中心部の喧騒も風に乗って微かに聞こえるかどうかといったところである。
すると、心なし不安そうに二人を見守っているマルタを傍らにして、リュカはそっと二人
に向けて手をかざすと呪文を唱え始めた。
「空を闊歩する藍霊よ。汝、我の描く箱庭を今ここに現出させ給え。我は夢想の箱庭にて
興じることを望む者。盟約の下、我に示せ──夢想の領」
次の瞬間、藍色の魔法陣が二人の身体をスキャンするように通り過ぎていった。
それと同時に目の前が眩しい白光でくらむ。
そして思わず瞑った目を開けた時には……二人は見知らぬ場所に立っていた。
そこ無色でだだっ広い、緩やかな丘陵が延々と続く空間。
空を見上げてみれば雲の一つもなく、代わりに呪文の文様が延々と連なり揺らめいている。
ジークは暫くそんな現実味のない空を見上げると、ぽつりと呟いていた。
「……何処だ、ここ?」
「空間結界だな。万が一君の剣の力が暴走しても周囲に被害が及ばないようにというリュカ
さんの配慮だろう」
『ご名答。どう? 私の声、届いているかしら?』
すると何処からともなく──気持ち中空からリュカの声が聞こえた。
しかし姿を探してみるが彼女の姿はない。
「ええ、聞こえますよ。流石ですね。これは界魔導ですよね? 空門の術式は扱いが難しい
というのに」
ジークが頭に疑問符を浮かべて辺りを見渡しているその横で、サフレは落ち着いた様子で
その呼び掛けに答えている。
『ふふ……ありがとう。どうやら上手く結界内に移送できたみたいね。こっちも貴方達の様
子はしっかり確認できているわ』
ふっと微笑んでお愛想を。
一方でリュカ達の目の前からジークとサフレの姿が消えていた。代わりに二人の姿は彼女
の掌に浮かんでいる光球の中に確認できる。
マルタがそ~っと横からそんな様子を覗いているのを横目にしつつ、彼女は言う。
「これからジークにはその中で模擬戦闘をこなしてもらうわ。さっき教えた通りに六華を解
放してみてね。手順は、ちゃんと覚えたわね?」
『お、おう……。どんと来いだ』
「オッケー。じゃあ早速使い魔を出すわよ」
中空からのリュカの声に応えてジークは視線を戻した。
するとそのタイミングに合わせたかのように、少し離れた位置に多数の魔法陣が現れ、白
い甲冑を纏った、しかし中身のない人影が次々と姿をみせる。
「よし……」
要は彼らを倒すのが、六華を使って倒すのが今回の特訓の内容だった。
ジークは手に下げたままの刀をぎゅっと握り締めると、錬氣の時の感覚で以って己のマナ
を刀身へと流し込む。
「──薙ぎ払え」
次いで、シノブから教わっていた愛刀らの──長らく存在する事すらも知らなかった銘を
以って呼びかける。
「紅梅!」
変化が起きたのは、その瞬間だった。
刀身を中心に突如として瞬き輝きだした紅い光。
ジークの脳裏にあの時の、サフレとの戦いで窮地に陥ったあの時に見た灰色の空間とそこ
に佇むおぼろげな人影達の姿がフラッシュバックのように過ぎる。
そして同時に身体中で感じたのは、マナごと自分自身を持っていかれそうになるかのよう
な強烈な力。
「ぬぅッ……!?」
思わず柄を両手で握り直し、意に反する身体のぐらつきに耐える。
そうして顔をしかめ暫くその威力に抗っていると、やがて暴れていた力のベクトルが徐々
に収まっていくのが分かった。
「……。これでいい、のか……?」
「みたいだな。とりあえず第一関門突破といった所だろう」
煌々と刀身が紅く光っている。
ジークが疑問系で傍らのサフレに問うと、彼はフッと肩をすくめて一応の肯定をみせた。
大方発動自体にそう手間取っていては使いこなせたとは言えない。そんな所なのだろう。
静かに眉根を寄せ「そうかよ……」と呟くと、改めてリュカの聞こえてくる。
『じゃあ使い魔達を迎撃してみせて? さっきも言ったけれど、消耗には気をつけてね』
「ん……。分かった」
頷き、刀を構える。
するとそれまでぼんやりとその場に立っていた抜け殻甲冑らがはたと動き始めた。
盾と剣。おぼろげな靄でできた身体を震わせ、彼らは一斉にジークに襲い掛かってくる。
だが、そこは冒険者としてならしてきたジークだった。
相手の動き出すよりも早く、強く地面を蹴って駆け出すと、彼らが斬撃を繰り出さんとす
るモーションよりも素早くその刀を振るう。
『──!?』
六華の持つ力は絶大だった。
刀身を振り抜いた瞬間、一撃で粉微塵になる抜け殻の甲冑。その衝撃の余波は凄まじく、
その立っていた地面すらも巻き込んで大きな抉れた陥没を作り出してしまう。
六振りの一つ、紅梅。その特性は『増幅する斬撃』。
威力に所有者自身が押される感覚を伴うが、その分一撃の破壊力は爆発的に増加する。
「ははっ、こいつは凄ぇや!」
ジークはその紅い軌跡を残しながら甲冑らの間、モーションの間隙を縫い、次々と彼らを
薙ぎ倒していった。
元より真っ直ぐで鋭い一撃を持ち味とする彼にとって、この特性は相性が良いらしい。
(……ぬぅ?)
だが一瞬忘れかけていた。導力がさほど高い訳ではないジークにとって、六華という刀剣
はピーキーな得物であるということを。
踊るように切り結んでゆく、調子付き始めたその最中、ジークは突然身体が重くなるのを
感じ取ったのだ。
しかし肉体的な疲労というにはどうにも違う。
これはまさに心身の力が抜き取られていくかのような──。
「一繋ぎの槍!」
するとジークの傍をサフレの槍が駆け抜けていた。
ちょうど位置としては、ジークの死角を狙う格好で剣を振り上げていた甲冑を突き倒すよ
うな格好。
「やはりな。どうだ、身体の芯が疲れてきただろう? それがマナを使うということだ」
「……らしいな。サンキュー、助かった」
砕かれて崩れ落ちるその使い魔と、そのフォローしてくれた彼を交互に見遣って。
ジークは身に感じた変化を隠す訳にもいかず、思わず苦笑する。
そして残った数体を、疲労する身体に鞭打って斬り伏せると、リュカの繰り出した使い魔
達はようやく全滅をみたのだった。
「…………ふぅ。こいつは、思ってた以上にしんどいな……」
刀に込めていたマナを、使うという意思を引っ込めると紅梅は静かにその光を収めた。
元に戻った普段の愛刀。ジークは大きく肩で息を吐くと、そうしみじみとした実感で以っ
て呟く。
『お疲れさま。でもまぁ初めて意識的に使ったにしては上々よ。剣自体を普段使っているの
が大きいんでしょうね』
「ですね。今後の改善点を挙げるとすれば、ペース配分でしょう。本当の実戦で使うには正
直これではもちません」
「そう言われてもなぁ……。具体的にどうすればいいんだよ? 何というか、使ってる間も
ずっと力をもぎ取られてるような感覚だったんだぜ? 配分ってのがこっちで出来るもんな
のかよ、そもそも」
刀を鞘に収めて半ば嘆息気味に。
口調は強気だが、それでも口にする内容は教えを請うものに他なからなかった。
自分は剣士であって魔導師ではない。知らない知識や技術が“結社”との戦いで必要とな
るのならば、ここで聞き惜しむことはしたくない。そんな思い。
『勿論できるわよ。そもそもね、ジーク。錬氣というのはあくまでマナ制御法の一つでしか
ないの。それも“身体の中のマナを移し変える”っていう全体からすれば初歩的なものよ。
だけど魔導具を含めた魔導の行使はそんなエネルギーの移動じゃない。文字通り“消費”す
る行為なのよ』
「だから今ジークは疲れているだろう? マナは精神から僕ら生命を潤すエネルギーだ。空
腹になると力が出ないように、マナも枯渇に近付くほど活動能力に大きな支障を来すんだ」
「……ふぅむ?」
分かったような分からないような。
少なくとも、今まで通りにマナを使うのではこの力は扱いあぐねるらしい。
ポリポリと頬を掻きながら、ジークは半眼を作り足りない頭をフル回転させようとする。
『だ、大丈夫ですよ~。マナも休んでいれば溜まってきますし、ご要望があればそこから出
た後にでも私の音楽でジークさんの中にマナを呼び込んで回復させる事もできます~』
「そうか。じゃあ、後で頼めるか」
『了解しました~』
とりあえず大体の感触は掴めてきた。後は練習あるのみだろう。
ジークは中空から降ってくるマルタの気遣いをありがたく頂戴しながら、ぎゅっと何度か
自身の掌を握ったり閉じたりすることを繰り返していた。
「……やっぱ俺も、アルスみたいに導力が高くないと駄目って事なのかねぇ」
「そうだな。ただでさえ君のそれは消耗が大きい代物だ。術者の基礎体力という意味では導
力が高いに越したことはない」
『…………』
そして思い出したのは、魔導に通じた弟のこと。
剣は使えるが学問はからっきし。
学問には優れているが武芸はからっきし。
無いものねだりと言われればそれまでだが、中々上手くいかないなとジークは思う。
『……ねぇ、ジーク』
だが同じく彼のことを脳裏に過ぎらせたのは、何もジークだけではなかったらしい。
ふと、声色を神妙なそれに落として呼び掛けてくるのはリュカの声。
『どうして貴方は、あそこまでアルスの同行を押し止めたの? もっと他にも言い方はあっ
た筈じゃない。どうしてあそこまで強く……』
ジークがその声にふっと視線を上げ宙を仰ぐと、彼女の声色は静かな批難となっていた。
「……。ちゃんと否定しなきゃあいつは諦めないだろ。トナンへ行くのは単純な里帰りなん
かじゃねぇんだ。何事もない旅になるわけがねえ。少なくとも俺と六華があいつから離れて
いれば“結社”の連中の矛先はこっちに来るだろうしさ」
静かに眉根を寄せ、ジークは言う。
「あいつを巻き込むわけには、いかねぇんだよ……」
暫く、場の皆が黙っていた。
弟の身の安全を想うからこその敢えて突き放した言葉。分からなくはない。でも。
『それは……エゴよ。ジーク、貴方はあの子の意思を認めないとでもいうの?』
「……ッ」
しかしリュカの静かな反論に、今度はジークが押し黙る番だった。
顔をしかめ、しかし言い返す言葉が見つからず。ただバツが悪く視線を逸らして黙ってそ
の場に立ち尽くすだけの兄。
だが、だからといって彼女の言い分通り、弟の意思を受け入れる気にはなれなかった。
サンフェルノへ向かう列車の中で吐露された彼の言葉、想い。
もしあの時に汲み取ったものが間違っていなければ、弟が魔導を学んでいる理由は自分と
同じ筈なのだ。
罪滅ぼし。あの日の悔しさから“力”を求めてきた自分という存在。
だったら尚の事、俺はあいつを自分と同じ道に走らせる訳にはいかない──。
「……」
そしてリュカもまた、思っていた。
本音を言えば言葉通りに彼を責めた訳ではない。しかしあの頃からこの兄弟は変わってい
ないのだなとも思った。
“自分を殺して”でも誰かの力になる。救いを成す。そんな負い目とでもいうべきもの。
彼らの優しさなのだろう。そして責任感なのだろう。
だが必ずしも、その動機を貫くには「正しい」とは思えなかった。
義を成すことを否定するつもりはない。
だけど、姉同然の間柄として、一人の人生の先輩として思う。そこまで、自分を追い詰め
なくてもいい筈だと。
(それに……貴方は分かっていない。自分達が“皇子であること”がどういう事なのか)
心苦しい。私自身では変えられないけれど、どうして。
血筋がそれであるというだけで、今の貴方達は“一人で己を擲つ”ことすら──。
「ッ!?」
だが、ジーク達の沈黙は次の瞬間、文字通り破られることとなった。
リュカが先ずその異変──空間結界への干渉を感知したのとほぼ同時に、展開していた訓
練用のフィールドが砕け、ジークとサフレが彼女の目の前に放り出されてきたのである。
「マスター、ジークさん!」
慌ててマルタが地面に倒れこんだ二人に駆け寄っていった。
だが幸い二人に結界破壊による後遺症の類はなかったようで、すぐに「何事?」といった
様子でマルタと共に辺りを見回している。
リュカはすぐさま気配を辿った。
自分の空間結界を掻き消した誰かがいる。
その人物は間違いなく腕利きの魔導師だろう。そうでなければ亜空間に干渉するという真
似すらできないし、二人を何事もなくこちらに引き戻すこともできないのだから。
「……見つけましたよ」
そしてその張本人は、リュカ達のすぐ向こう側に立っていた。
マルタを含めた三人と共に、じっと視線を向ける。
「アルス・レノヴィン君のお兄さん、ジークさんですね? 一先ずはお久しぶりですとでも
言うべきでしょうか」
「……あんたは、確か」
静かな淡々とした声色で。
そこに凛として立っていたのは、他ならぬ学院の教員・エマ女史その人で……。
「はい。休んでいた間のノート」
「あ、うん。ありがとう。助かるよ」
時は前後してお昼時。場所は学院の食堂、テラスの一角。
アルスは例の如くルイス、フィデロと落ち合い昼食を共にしていた。
弁当を、トレイの上の献立を広げてすぐルイスが鞄から数冊のノートを取り出し、差し出
してくれる。帰省の前に頼んでおいたものだった。アルスはありがたく拝借し、いそいそと
自身の鞄の中に収めて礼を述べる。
サンフェルノに帰省していた約一週間のブランク。
正直を言うと学院の講義がどれほど進んでしまっているか気になってはいたが、軽く彼が
まとめてくれた講義ノートを見る限りは何とかなりそうに思えた。
僕なんかにも、ちゃんと友達ができたんだよね……。
心なしほっこりとして、アルスはこの学友二人と暫しの会食に興じる。
「……で? どうだったのよ、里帰り」
「えっ?」
そしてフィデロがふとそんな事を口走ったのは、その最中の事だった。
ちみちみとフォークでこま切れにしたハンバーグを口に入れた格好のまま、アルスは数秒
彼の言葉の意図を量るように硬直する。
「ど、どうって。普通だよ? まぁ兄さんにとっては五年ぶりの帰省だったから、村の皆は
随分騒いでたけれど……」
「そういう意味じゃねーよ。訊いたんだろう? お袋さんに。お兄さんの剣のことをさ」
ごくんと、ハンバーグの塊が喉を通っていった。
少し咽てお茶を一杯。アルスはぐるぐると焦る思考の中で笑みを繕って言う。
「そうだけど……。母さんも知らないみたい、だったよ? うん。知らないって」
「ふぅん……? そっか」
もしゃっと焼きベーコン巻きのパンを齧りつつも、幸いフィデロはそれ以上の追求はして
こなかった。あっさりとしている性格故か、それとも配慮をみせてくれたのか。隣のルイス
もまた、特に何かを言い出すわけでもなく微笑のままその様を見つめている。
何とか誤魔化せたかな……?
アルスは苦笑を漏らしながら内心ホッと胸を撫で下ろしていた。
まさか事細かに話す訳にはいかなかった。
自分たち兄弟がトナンの皇子で、且つ兄の剣がその国宝でもあるだなんて。……言える訳
がない。隠すことへの後ろめたさはあった。だがそれ以上に真実を知ってこの二人から友と
いう位置から遠ざかってしまうのではないかという怖さが強かった。
「……」
ちらとテラスの柵の向こう、キャンパス内の植木へとそれとなく目を遣る。
そこには木の幹にもたれかかってこちらを静かに見つめているシフォンの姿があった。
彼曰く、兄に留守中の自分の護衛を頼まれたのだそうだ。
別に嫌という訳ではない。信用できる仲間がついていてくれるのなら安心ではある。
(言えない、よね……?)
だがこの時ばかりは……下手な発言を監視されているかもしれないという猜疑心がちらり
と顔を出してくるようにも思えた。
「ここにいましたのね。アルス・レノヴィン」
そんな時だった。
ふと向いていたのと逆方向から聞こえてきたのは、聞き慣れた、しかし何かとトラブルの
種になりがちな少女の声。
振り向くと案の定、そこには腰に両手を当ててシンシアが立っていた。
すぐ後ろには例の従者二人組が待機し、何事かと怪訝と好奇の眼を向けてくる他の学生ら
に「すまねぇな」「失礼するぞ」と何気に侘びを入れつつ彼女のフォローに回っている。
「シンシア、さん……?」
嫌な予感がした。
だがこの場から一人勝手に逃げ出せる筈もなく、アルスは席に着いたままつかつかと近付
いてくる彼女達を見遣るしかない。
「やっと戻ってきましたのね。いい加減教えて貰いましょうか。一体、貴方達は何をしよう
としているの? この前だってそう。あの野蛮──貴方の兄が“結社”とやり合う理由も、
全て聞かせて頂きますわよ」
にわかに周りが動揺の声でざわついた。
無理もない。事情はさっぱりだっただろうが、彼女の口から“結社”の名が出た事で只事
でないらしいということは十二分に伝わっていたのだから。
「し、シンシアさん!? こ、ここでその話は」
「やはり何か隠してますのね? 教えなさい。私だけ除け者なんて……認めませんわ!」
アルスは慌てて場を収めようとした。彼女をやんわりとでも追い返そうとした。
しかし対するシンシアは何故かすっかりご立腹らしく、捲し立てるようにアルスに詰め寄
ってくる。
そんな感情を沸騰させた主にキースとゲドの二人も流石に手を焼いているようで、彼らは
何処かバツが悪そうに控えているようにも見える。
「……これは初耳だね」
「アルス、お前“結社”と何が……?」
「あう。え、えっと……」
静かな驚嘆と強い疑問符と。友人二人もアルスに問い掛けていた。
拙い。シンシア達と彼ら、両者に視線を往復させながらアルスは思わず言葉に窮して狼狽
する。遠巻きに様子を見遣っていたシフォンもまた、そっと身を起こして何か対応に打って
出ようかとしている。
喋る訳にはいかない。僕達のことを知ってしまえば、何が降り掛かるか分からない。
しかし、そう直感的に思うと同時にアルスはそんな己を哂う自分にも気付いていた。
(……これじゃあ、まるで兄さんと同じじゃないか……)
眉間に皺を寄せて小さな嘆息を。
しかしその飛び火した思考が、彼を結果的に落ち着かせることになった。
とりあえず彼女を人気のない所へ。昂ぶっているようだから落ち着かせなければ。それと
この場のフォローはルイス君とフィデロ君に頼もう……。
そしてそう狼狽から冷静さを取り戻し、アルスは早速事態の収拾に動こうとする。
だが、その時だった。
「──アルス・レノヴィンさんですね」
ふと、今度は黒スーツの男達が数人、アルス達を取り囲むように近付いて来たのである。
シンシアを含めた場の面々が一斉に視線を向けた。
追求を逃れられた、のか……?
アルスの内心に過ぎったのは、乱入者の登場によって断たれたそれまでの詰問状態からの
解放、そんな一抹の安堵の念。
だがそれも、結局は束の間のことでしかなった。
「私達と一緒に来て頂きます。学院長がお呼びです」
じっと束ね向けられた黒服達の視線。
彼らはアルスを見据えると、そう粛々と告げてきたのだった。