12-(5) 終着点(はじまり)
「私達は二人の部屋へ行くわ。ダン達は村の皆さんをお願い!」
「分かった! 気を付けろよ!」
廊下を駆け出し、ジーク達は二手に分かれた。
イセルナ、そしてシノブに寄り添うリンファと共に、部屋の残り四本の護皇六華の下へ。
一方ダンとハロルド、シフォンの三人は、今頃警鐘で慌てふためているであろう村人らの
避難誘導へと向かっていく。
(くそっ、しくじった……!)
走りながら、ジークは奥歯を噛み締めながらそう内心で後悔していた。
帰郷を果たして何処かホッとしていた、列車への襲撃で一区切りという油断があったのか
もしれない。いくら愛刀達──護皇六華の正体を知らなかったとはいえ、お粗末だ。
程なくして弾くようにジークが部屋のドアを開け放った。
するとそこには、リンファが半ば勘付いたように抱いた懸念をそっくり再現したかのよう
に黒衣の一団──“結社”のオートマタ兵らが蠢いていた。ギョロッと。夜の暗がりの中で
真っ赤な複数の眼がこちらを見ていた。
丸く切り抜かれ、そこから鍵を開けたと見られる分解された窓ガラス。
捜索かはたまた犯行の顕示の為か、念入りに荒らされた室内。
そして彼らの手には、三本の脇差と黒の太刀、残り四本の護皇六華。
「こん、のぉッ!!」
お互いの視線があったとほぼ同時に、ジークはだんと地面を蹴っていた。
腰に下げていた刀を一本抜き放ちながら、ジークはその力任せの一閃を一群として固まっ
ていた傀儡兵らに叩き込む。
夜闇の中で、生々しい斬撃のめり込む音がした。
倒される何人かの傀儡兵。その中の一体、脇差の一本を持っていた手が斬り飛ばされ、宙
に舞うのをジークは見逃さなかった。
「先ずは……一本!」
空中でもぎ取るようにそれを回収して腰に差すと、返した刃で二撃目を。
だが傀儡兵らは既に退却の体勢に移っていた。一瞬暗がりの黒色を衝くような銀閃が走る
その寸前に、彼らは背後の窓を突き破って外へと逃げてゆく。
「ちぃっ! 待ちやがれ!」
考える暇もなくジークはその後を追った。
砕けたガラス片にも構うことなく同じく窓を乗り越え飛び出し──。
「ッ!?」
迎えたのは、先程よりも遥かに多い傀儡兵の眼。ぐるりと注がれる気配。
「しまっ……!」
こう来るだろうと待ち伏せられていたのだ。
地面に着地すると同時に、ジークは顔を引き攣らせて刃を盾にしようとする。
だが、待ち伏せの一斉攻撃は現実にはならなかった。次の瞬間、周囲の草木が無数の鞭の
ようになってしなり、傀儡兵らの一部を薙ぎ倒したからだ。
「兄さん、大丈夫!?」「もうっ、カッとなり過ぎ!」
「……すまん。助かった」
アルスとエトナのフォロー。
二人がよいしょと窓枠を乗り越えて隣に立つのを横目に見ながらジークは呟き、血が上り
掛けた頭の中をクールダウンする。
次いでイセルナとリンファ、シノブがその後に続いてくる。
「リンさん。母さんを頼みます」
「ああ。分かっている」
母が長太刀を抜いた彼女に護られているのを肩越しに確認してから、ジーク達は構えた。
奪った三本を手に駆けていく突入班だったらしき先程の傀儡兵。その追跡を阻むようにし
て待ち伏せていた他の傀儡兵らの隊伍がジーク達の前に立ちはだかる。
「時間稼ぎのつもりね。ジーク、ここは私が引き受けるから急ぎなさい」
「うッス」
言って隣に立ったイセルナが剣を抜いて片手を水平にかざすと、ブルートが蒼い輝きと共
に彼女のマナと同化する。飛翔態。始めから全力で叩く意思表示だ。
二人は殆ど同時に地面を蹴っていた。わらわらと飛び掛ってくる傀儡兵らを冷気を纏う剣
撃と錬氣で揺らめく銀閃が薙ぎ払っていく。
だが相手の数の上でジーク達には分が悪かった。加えて多少の傷ではひるみすらしない戦
う人形とくる。
懸命に剣を振るものの、次から次へと湧く傀儡兵らを前に中々道が開けない。
「くそっ! このままじゃ逃げられるっ……!」
「ジーク、イセルナ、伏せて!」
「盟約の下、我に示せ──大樹の腕!」
するとその状況を見てアルスが援護をくれた。
エトナが叫んだその声に半ば反射的に応じ、身を低くする。すると次の瞬間、周囲の草木
を編み込んだ巨大な緑の鞭が目前の傀儡兵を吹き飛ばす。
「兄さん早く!」
「おうっ、サンキュー!」
殲滅こそはしてないが、しっかりと隙が、道ができた。
そんな、母を庇いつつも自分を促しアシストしてくれた弟に、ジークは返礼を投げながら
駆け出そうとする。だが……。
「させるかよォ!!」
「──ッ!?」
突如として頭上から荒々しい声が響いた。
そしてぞわっと全身が伝えたのは、警告のそれで。
ジークは反射的に駆け出そうとした脚に急ブレーキを掛けて身を捩って横へと飛ぶ。
すると直後、その場所をどす黒い靄を纏った大きな何がその地面へと激突し、激しい爆音
を上げた。
地面は勿論、場の傀儡兵すら巻き込んで爆ぜ飛ぶ地面。
「っう……。な、何だよ一体? それに、この靄って……」
「ええ。瘴気ね……」
濛々と上がる土埃を前にジーク達は手で口を覆い、思わず立ち尽くす。
「──やれやれ。君はいつも荒っぽいね。もう少し洗練された戦い方をしなよ」
「あ~も~! バトちゃん駄目だよ~。お人形さん達が壊れちゃうじゃな~い!」
すると、そんな土埃の向こう側から声が聞こえてきた。
ジーク達がハッと我に返って目を凝らす。やがて先程の衝突体──巨躯のそれを合わせて
三人分の人影が、ゆたりと揃い踏みとなって姿を現す。
「うっせぇな。大体こんなまどろっこしい真似なんぞせずとも俺らが早々にぶっ潰しとけば
こんな手間にならずに済んだっての」
一人は隆々とした体格をした、現在進行中で荒っぽい口調を吐いている大男。
「スマートじゃないじゃないか。事を万全に運ぶ為の配下達だろう?」
「あ~あ。お人形さん壊れてる……」
対するのは、青紫のマントを纏ったいかにも気障な感じの青年と継ぎ接ぎだらけのパペッ
トを抱えた幼い少女だった。
大男と青年がそれぞれに言い争っている(?)その場で、少女は先の衝突で大きく損傷し
て動かなくなった傀儡兵らをちょんちょんと突付きしょぼくれている。
「……てめぇらは」
もう一本、残った腰の太刀を抜いて構え、ジークが口を開いた。
するとやり取りをしていた青年がその声に振り向き、フッと口元に無駄に爽やかで気障な
微笑みを返してくる。
「やあ。お母様との対面は終わったかな? 中々感動的な話じゃないか。うん」
「……かもな。でも最悪だぜ。どこぞのキザ野郎どものおかげで台無しになったんでな」
言動こそ丁寧なように見えた。
だがジークは、そんな彼に殆ど直感に近い判断でその皮肉に言い返して睨み付ける。
村を襲ったこともある。だがそんな事云々以前に──こいつらは、敵だ。
フッと、また青年は大仰にすくめてみせながら哂っていた。青紫のマント、腰に下がった
長剣がガサッと揺れる。
「おやおや。さて、誰の所為かなぁ? 君が素直にその剣を──護皇六華をこちらに渡して
さえくれれば僕らもこんなに色々と手を打たなくともよかったんだよ? 全部君の所為だ。
金髪と桃髪の二人連れも、オートマタ兵達も、魔獣の身になってまで君達を討とうとした信
徒ダニエルも。全て君が拒んだから……巻き込まれ、死んだ」
「ッ……!」
正直ガツンと腸を打ちのめす一言だった。
思わずジークは悪寒と共に顔を引き攣らせ、言葉を詰まらせる。
「違う! 兄さんの所為じゃない!」
だがそんな兄の動揺を逸早く察した救いの言葉が、アルスから放たれていた。
「元凶はお前達じゃないか、楽園の眼! 兄さんの所為なんかじゃ断じてない。兄さんは、
兄さんは……ッ!」
ぐらりと揺らいだ瞳で見返してくる兄の姿すら顧みることなく、ただ強い意志──誰より
も優しく悔やみ続けた身だからこその反論をぶつけている。
「アルス……」
普段大人しい筈のアルスが、こうも激しく憤っているなんて……。
その様に当のジークはむしろ冷静さを取り戻せていた。
確かに事の元凶は目の前の──傀儡兵を率いている事からも十中八九“結社”の連中であ
るのだろう。
でもな? それでもお前の言うほど“俺が何も悪くない”ってことも、ないんだぜ……。
既に飛翔態の冷気の翼を展開しているイセルナの横で、ジークは再び二刀を構える。
「ふむ? では、この期に及んで要求を呑むつもりはない……と」
「当たり前だ。こいつらのルーツを知った手前、おいそれと渡せるかよ。てめぇらこそ残り
三本を返しやがれ。それは……母さん達の刀だ!」
シノブはハッと目を見開き、そして瞳を潤ませて胸を掻き抱いていた。
さもなくば。それはジーク達の拒絶であり、臨戦の意思表示。
「……やれやれ」
だが、青年はむしろその意思を軽々と一笑に付していた。
一歩前へ。マントをばさりと翻し、
「仕方ないね。エクリレーヌ」
「は~い」
ぴっと立てた人差し指と共に、傍らの少女・エクリレーヌに一見軽々しい指示を与える。
「やっちゃえ! ポチ、ミケ!」
しかしその実行は、彼らのやり取りの軽さとはまるで反比例していたものと言わざるを得
なかった。彼女がまるでペットに語り掛けるようなそんなノリで言葉を発したかと思うと、
その左右からどす黒い魔法陣を伴って現れたのは巨大な狼と虎型の魔獣が一体ずつ。
「どっか~ん!」
開かれ、膨大なエネルギーが魔獣らの口に収束したかと思うと、次の瞬間、二体の口から
青と赤の巨大なエネルギー弾がジーク達の頭上を掠めて飛んでいったのだ。
直後、爆音を上げて村の家屋が吹き飛ぶ光景が現実になる。
そのいきなりの、あまりにも──バシリスクの時とは桁違いの破壊力に、ジーク達は思わ
ず目を丸くして硬直する他なかった。
「安心していいよ。これはまだ軽く試し撃ちをさせただけだから」
「……ッ。てめぇ……!」
そんな夜闇に点った火の手を、青年は実に爽やかな笑顔のままで眺めていた。
「でも次はないよ? いいのかなぁ? 拒んだら……消すよ? こんな村くらい、簡単に」
振り返り直し睨み付けてくるジーク達にすら、そんな笑顔を崩さない。
エクリレーヌが、呼び出した魔獣を従えて次弾に備えている。
何処からともなく新しく傀儡兵らが夜闇に紛れて現れ、再び青年ら三人の前に隊伍を形成
し始める。
悪意。全身に嫌な鳥肌が立つほどの悪意だった。
下手に応えることも、飛び掛っていくこともできず、ジーク達は得物を構えたままじっと
睨み付け、押し黙る。
そんな時だった。
「──這寄の岩槍!」
そんな声がしたかと思うと、突然ジーク達の足元を縫うようにボコボコと地面が隆起し、
勢いよく突き出した無数の槍型が傀儡兵らを貫き刺したのである。
一瞬の、スローモーション。
貫かれ弾き飛ばされる傀儡兵らが宙に舞う、青年らの立つそこへ今度はマナを帯びた矢と
手斧が飛んでくる。
「はんッ!」
だが青年らは、まるでこの奇襲に動じた様子はなかった。
それまで退屈そうに木の幹に背を預けていた大男が、その体躯に見合わぬ俊敏な動きで反
応したかと思うと回転して飛んでくる手斧、刃を。
「ぬるいッ!!」
隆々とした筋肉の腕、拳の一撃だけで粉微塵に、確実に捉えて粉砕する。
「だねぇ……」
そして、青年もゆたりと一歩を踏み込むと。
「閃光矢は、通じないよ?」
大男とほぼ同時に近いタイミングで飛んできた強化された矢の紙一重の位置を歩き過ぎ、
そっとかざした手でその矢を丸ごと一瞬にして凍らせてしまったのだ。
バラバラと木屑のように散っていく金属の手斧と、ゴトンと鈍い音を立てて地面に落ちる
分厚い氷に包まれてしまった矢。
「くそっ……。仕留め損ねたか」
「……ま、そう簡単にはいかねぇわな」
「だね。皆、大丈夫かい!?」
「あ、あぁ……。何とかな」
振り返ると、背後から槍を弓を斧を、得物を構えたサフレらあの場にいなかった面子を含
めたダン達が駆けつけて来ていた。
ジークは一瞬ホッとして声色を上げつつも、すぐに状況を思い直して尻すぼみになる。
「見てみろよ、フェイアン。結局こーなったろ? だから端っから俺らで殺っときゃよかっ
たんだってのに……」
「それは結果論だよ。戦いも、美しくなければ」
「はん。相変わらずのナルシストが」
村の向こうで火の手が上がり続ける中。
ダン達を加えて、ジーク達は改めて青年ら──いや“結社”の軍勢と対峙した。
「……。ねえ、どうして?」
そんな中、最初に口を開いたのはレナの横でぎゅっとその袖を握っていたステラだった。
怯えによる震えか、或いはもっと別の何かか。
自身もまた、魔人の証である高揚時の血の赤の眼を隠すことなく訊ねる。
「あんた達だってメアなのに、どうしてこんな酷い事するの? もしかして、恨み……?」
すると対する彼らは、同様に自ら目を赤くすると、その嘲笑を隠す事なく答えた。
「恨みだぁ? お前バカか。何で今更そんな小せぇ事で暴れなきゃいけねぇんだよ」
「私はただ、魔獣をお外でもっと自由に遊ばせてあげたいだけだよ……?」
「ふむ? 一言で言えば信仰の為、ですかねぇ」
「……信仰。貴方がた楽園の眼の言う『世界を在るべき姿に戻す』、ですか」
眼鏡のブリッジを押さえ、レンズ越しの眼を静かに光らせながらハロルドが呟いた。
ぴくとその言葉に反応している、矢を番え、構えていたシフォン。
それでも気障な青年、フェイアンはあくまで飄々とした態度を崩さない。
「正直答える義理はないんだけど……。まぁ全体の大願はそうだよ? 僕ら個々人の理由は
ともかくね」
「ハロルド、対話なんざやってる場合じゃねぇだろ。そんな次元の『敵』かよ」
「好戦的……と言いたい所だけど、今回ばかりは同意ね。……ジーク達は下がっていてね。
相手が魔人なら、生半可な力じゃ太刀打ちできないわ」
「でもっ!」
「目的が違っているわよ? 冷静になりなさい。今貴方がすべきことは、六華の奪還よ」
ジークは食い下がろうとしたが、背中で静かに語るイセルナの言葉に二の句を継げること
はできなかった。
その左右を、冷気の翼を纏った飛翔態のイセルナと戦斧を担いだダンが通り過ぎてゆく。
「バトナス。君はあっちの獣人を。レディのお相手は僕の役目だ」
「だろうと思ったよ。おいエク、お前は手ぇ出すなよ?」
「おっけ~♪」
イセルナと青年・フェイアン、ダンと大男・バトナスがそれぞれ向き合う格好となった。
ジーク達が、エクリレーヌや傀儡兵らがじっと見守る中、
『──……!』
はたと、両者が同時に地面を蹴って初撃を放つ。
瞬間、力の奔流が周囲を揺るがした。ビリビリと感じられる闘気。
確かにそれはジーク達が安易に踏み入れては即、死に繋がるようなレベルに思えて──。
「ほほう?」「ふん……」
だが様子のおかしさに、ジーク達はすぐに気付いてしまった。
イセルナの飛翔態を以っての全力攻撃も、ダンの錬氣を滾らせた渾身の一閃も、このメア
の二人はあっさりと受け止めていたのだから。
「おいおい。その程度かよ? 本当に本気出してるかぁ?」
「ふふ。気高く、美しい……。ですが、僕には効きませんね」
ダンの斧を素手で受け止めていたバトナスの腕からどす黒いオーラが。
イセルナの剣を、冷気の渦を平然と受け止めているフェイアンの背中から。
「ぬるいんだよッ!!」「ほら」
次の瞬間、ジーク達は、そして当のイセルナとダンも勿論、驚きに目を見開いていた。
バトナスの片腕は禍々しい異形のそれに変貌し、フェイアンの背からは八体の巨大な冷気
の蛇が現れ、一挙に二人を押し始める。
「ダン! イセルナ!」
「拙いぞ。退けっ!」
ハロルドやシフォン、そして融合していたブルートらが口を揃えて叫んでいた。
そしてそれとほぼ同時、ダンは戦斧ごとその禍々しい──いや魔獣そのものな剛腕の拳を
受け、イセルナは逆にフェイアンの冷気の八頭蛇に侵食されかけ、共に大きく吹き飛ばされ、
後退する。
「がっ……ぁ!?」「ぐぅ……!」
悲鳴に近い。
ジーク達が口々に叫んでいた。特にダンの実娘たるミアと長く彼女と秘密を共にしてきた
リンファはより悲痛な叫びを上げている。
「嘘、だろ……?」
ほんの一度の切り結びであったのに。
「団長と副団長が、押し負けた……?」
その力量差は誰もが見ても明らかとしてしまっていて。
ダンもイセルナも、お互いに仲間達に駆け寄られ介抱されつつも、大きなダメージを負い
肩で息を荒げて只々その事実に愕然とすることしかできない。
「何だよ。弱ぇなあ」
「ま、元から負けるつもりなんてないんだけどね」
バトナスとフェイアンはそう呟くと、やれやれと言わんばかりに悪態をつき、肩をすくめ
てジーク達を哂っていた。
「……まさか、魔獣人もいるなんてな」
そんな彼らを眉根を寄せながら、ダンがそう小さく呟いている。
魔人の中でも特に魔獣に近しい性質を持つ者。それが魔獣人だ。
彼らはバトナスのように魔獣そのものに変じる、圧倒的なパワーを持つが……その力の大
きさの反面“狂気”に蝕まれ易い。
「おうよ。だが結社のお蔭で存分殺れる。そういう意味じゃ、復讐なのかもなあ」
「……ッ!」
その顔は血を見るのが好きで好きで仕方ないといった、戦うことへの狂気に他ならず。
原理的には“同じ”である筈のステラは、思わず戦慄の表情で震え出す。
「さて……と。これで状況は分かって貰えたかな? 君に、拒否権はないんだよ?」
そしてフェイアンはそう言い、今一度問うてきた。
それは間違いなくジークに、彼のその残り三本を寄越せという趣旨で。
「……」
ジークは二刀を握ったまま黙した。
譲るつもりは、ない。だがこのままでは間違いなく村が奴らに焼き尽くされるだろう。
(どうする? 団長達でも勝てない相手を、どうやって……)
答えが決まっている筈の、迷い。
つぅっとその頬に冷や汗が伝って落ちようとした。
──その時だった。
「盟約の下、我に示せ──伏さす風威」
明瞭な声と共に紡がれたのは、一つの詠唱。
すると次の瞬間、ドンッとジーク達の目の前の空気が咆えた。
まるで目に見えぬ巨大な誰かが空間ごとその場を押し潰したような、そんな吹き下ろされ
た猛烈な風圧。その一撃に、傀儡兵らが一人残らず巻き込まれるのが見える。
更に、第二撃が間髪を入れず“飛んできた”。
風が咆えたと形容するなら、これもまた、咆える衝撃だと言ってもいいのかもしれない。
そんな衝撃波が続いて傀儡兵らを、フェイアンらを巻き込んで辺りの地面を丸ごと削ぎ取
るように蹂躙していったのだ。
「…………。ぇっ?」
目の前で起きた突然の光景に、そんな少々間の抜けた声しか絞り出せなかったジークとそ
の仲間達。
「大丈夫ですか、皆さん?」
しかし次の瞬間、土煙の向こう側から聞こえ、現れた姿にジーク達は心底安堵する思いに
駆られることになる。
「リュカ先生!」
「せ、師匠……!?」
突然の攻撃が放たれたその線上の基点。
そこから歩いてきたのは、他ならぬクラウスとリュカの父娘だった。
クラウスは軽い武具に身を包み、身の丈はあろう大剣を片手に。リュカはいつもの村の女
性といった趣から、高潔な魔導師といった白と空色のローブをまとって。
驚きの声で、ジーク達はそんな援軍な二人を迎える。
そして面々はそこでようやく、先程の攻撃がこの二人の魔導と剣圧だと悟ったのだった。
「……やれやれ」
しかし、肝心の敵は生きていた。
ジーク達が振り返ると、そこには分厚いガラスのような球体──いや、これも間違いなく
障壁なのだろう。それもとんでもなく練り込んだ──の中に守られるように包まれ、平然と
しているフェイアンら三人(と先の大型魔獣二体)の姿があった。
「驚きました。なるほど、斥候役の人形達が帰って来なかったのは貴方の仕業だったという
わけですか……。元・七星、竜帝クラウス」
静かに消えていく障壁から足を踏み出しつつ、フェイアンがそっと目を細めて言う。
バトナスはポキポキと両拳を鳴らし、エクリレーヌは使役する魔獣二体に無邪気な笑顔を
向けてさえいる。
「し、七星!? 師匠が? そんなの初めて聞──」
「……昔の話だ。今はただの隠居老人に過ぎん」
「ご冗談を。軽々と大剣を振り回せるようなご隠居なんていないでしょうに」
ジークやアルスが驚愕の表情であたふたとしている中でも、フェイアンとクラウスは淡々
とやり取りを交わしていた。
それでも心なしか、フェイアンの表情は先程よりもほんの少しばかり焦りや思案といった
感情が出てきているようにも思える。
だがそんな悠長な会話など要らないと言わんばかりに、クラウスは剣の切っ先を向けた。
「……即刻この村から去れ。そして二度と立ち入るな。さもなくば、問答無用で斬る」
「はんっ。隠居爺がヒーロー面か? いいぜ、その顔の傷、倍にして」
「待つんだ、バトナス」
それを挑発と受け取ったのか、ずいっと戦おうと前に出るバトナスを、フェイアンは即座
に制していた。
隠すつもりもなく不満げに苛立ちの表情を見せるバトナス。だが当のフェイアンはあくま
で冷静さを失わず、彼を窘めるが如く言う。
「今回は退くとしよう。“竜帝”と戦うのが僕らの目的じゃないだろう?」
「そりゃあそうだが……。でもよぉ」
「まぁ後の障害になるなら消してもいいけど、その労力に見合う成果かなとね。何せ相手は
引退している身とはいえ“七星”クラス。そう易々と倒れる相手じゃない」
それに……と、フェイアンは続けた。
ちらと横目の視線を寄越した先では傀儡兵がものの見事に全滅し、そんな粉微塵になって
再生も不可能になった彼らをつんつんと突付いているエクリレーヌの姿がある。
「連れて来た人形達もすっかりこの通りだ。いくら何度でも替えが効くとはいえ、無駄に浪
費しながら戦うというのは割に合わないし僕のポリシーに反する」
「けっ。またその手の話かよ。ま、倒すに多少骨の折れる相手なのは認めるがな……」
クラウスはまだ剣の切っ先を向けて静かに睨みを利かせ続けている。ジーク達も揃って身
構え、徹底的に抗う意思を曲げていない。
「……チッ。どいつもこいつも」
バトナスは眉を顰めて悪態よろしく舌打ちをした。
「でもいいのかよ? 三本まだ残ってるぞ?」
「仕方ないさ。ここでまた0本にさせられるよりはマシだろう? それに、残りはまた機会
を作れてしまばいいだけの事……」
言って、フェイアンが舐めるようにジークを見遣った。
勿論ジークも皆も渡すつもりなどなかった。握り締めた二刀を、辛うじて取り戻した脇差
をもう二度と離さないようにぎゅっと力強く握り締める。
「……今日の所は退散致しましょう。でも僕らはまた訪れます。ジーク・レノヴィン。全て
は君の英断に掛かっている。……その剣は、本来君達が持つべきものではないのだから」
バサリとマントと翻してそう言い残すフェイアン達。その言動と直後の行動に、ジーク達
やクラウスが追い縋ろうとした。
だが次の瞬間、フェイアン達をどす黒いオーラが包み込む。
瘴気だった。反射的にジーク達は駆け出そうとした足を止め、それらを吸い込まないよう
に口元を押さえて飛び退かざるを得ない。
「──それではごきげんよう。愚かなる邁進者の諸君」
そして、集束する瘴気の渦と共に瞬く間に消えたフェイアン──“結社”らの痕跡。
辺りは急にしんとなった。ただ村の奥で上がっている火の手の音だけが聞こえてくる。
目の前には交戦でことごとく抉り取られた地面が広がっている。
「……った」
「? 兄、さん……?」
「盗られちまった。母さん達の、刀が……」
『…………』
ぐらりとその場に崩れ落ちて悔しさに声を漏らす兄と、そんな吐露に返す言葉さえ見つけ
られない弟や仲間達と。
蹂躙と、嘲笑の跡。
告白の夜は、そんな圧倒的な闖入者らによってズタズタにされてしまっていて。
「──本当に行くのね?」
それから数日、ジーク達は滞在予定を延長し村の修復の手伝いに奔走した。
家屋の損害は決して少なくなかったが、犠牲者が一人も出なかったのは何よりもクラウス
とリュカが逸早く“結社”の軍勢に気付いて村の皆を避難させていたお蔭に他ならない。
そして事件の大きさ故に、村人達に真実を隠す事はできなかった。
意を決してシノブ──シノ・スメラギらによって告白される彼女達の出自や、それが故に
息子達が“結社”に狙われていることを諸々と。
だが……村人達はそれを理由に彼女らを爪弾きにすることはしなかった。
当然だったのかもしれない。ずっと秘密を隠されていたショックも、他ならぬ彼女自身の
口から打ち明けられ、且つ自分達を必死になって助け出してさえくれた。
何よりも、二十年近く村唯一の医師として自分達の身も心も癒し続けてくれた彼女に、今
更倦厭の念を抱く者は誰一人としていなかったのである。
「ああ……。皆と話し合って決めたことだからな」
一通り村の修復が済んだ、その翌朝。
ジーク達はアウツベルツへの帰途に就こうとしていた。
村の入口に立つ一行を、シノブを始めとした村の面々が見送りに来てくれている。
「……奴らから、六華を取り戻す。あれは母さん達が守ってきたものだ。それに俺が油断し
ていた所為でもあるしな。このままやられっ放しで済ませる気は毛頭ねぇよ」
六本から三本になってしまった愛刀らをそっと撫でつつ、ジークは言った。
仲間達と共に決めたこと。それは護皇六華の奪還──即ち“結社”との全面対決。
その意思までを否定するつもりはないし、できないだろう。
それでもやはり。母は心配そうな様子で息子達を見遣っている。
「でも、一体どうやって……」
「簡単なこった。皇国に行く。元々はあそこの国宝だったんだろ? 連中が六華を狙う理由
がイマイチ分からない以上、一番六華に近い場所の筈だ」
「それに……僕達にとっては血筋の故郷でもあるからね」
でも。そう呟くかのようにシノブはぱくと口を開けて閉じ、一度静かに目を瞑った。
決意は昨夜までの内に聞かされた。それでも今も躊躇いは残る。元はと言えば、自分があ
の日々から逃げ続けてきた所為だというのに……。
「……分かったわ。でも、絶対無茶はしないで」
そっと瞼を開いて、シノブは言った。
頷く息子達。二人を護るように囲むクランの面々。彼らに彼女は深々と頭を下げる。
「リン、イセルナさん、クランの皆さん。どうか息子達を……よろしくお願いします」
「勿論ですわ。責任を以って、お預かりします」
「ま、皇子云々以前にジークもアルスも俺達の仲間だからよ。言われずともって奴でさぁ」
「……頭を上げてください。御安心を。私もこの一命を賭して御守り致します」
そして兄弟を爪弾きにしないと決めたのは、何も村人達だけではなくて。
慈愛、同朋意識、友情、或いは思慕や忠誠のそれ。
仲間達のそれぞれの快諾に、ジークとアルスは言葉少なく気恥ずかしそうにしている。
「……。そろそろ行こうぜ? このままじゃあ、頭を下げ合い続けるみたいで敵わねぇや」
わざとらしく視線を逸らしつつのそんな一言。
それが、一行の出立の合図となった。
「気を付けてね~!」
「……常に冷静でいろ。お前達の命は、もうお前達だけのものではない」
シノブやクラウス、村の皆が見送る中、ジーク達は一歩また一歩と村の敷地の外へと踏み
出し、来た道を戻っていく。時折振り返って皆に振り返りつつ、久方ぶりの、しかし非常に
濃い帰省──その故郷の全てに惜別の手を振る。
(待ってろよ……。絶対に、取り戻してやるからな……)
半分を奪われ、その物足りなさや寂しさを奮起に変えながらジークは決意を新たにする。
横目で見遣ってみた弟とその持ち霊も、同伴する仲間達も想いは同じ。皆コクリと小さく
頷き返しくれる。
一つの旅が終わりを告げ、一つの旅が始まろうとしている。
道をゆくジーク達を、静かな朝の光が照らしていた。
《梟響の街 編:了》