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2-(0) 辛酸の日

 それはある意味、世界にとっては日常の出来事であった。

 だが同時に当の彼らにとっては、それらは決して納得できることわりではない。

 魔獣は、人々にとって時にその生命すら脅かされる忌むべき害獣である。

 それはただ、瘴気という“死の毒に中てられても尚、生きようとした者の末路”である、

故に彼らは邪悪な存在である──そんな人々の「常識」からの起因だけに留まらない。

 ヒトと魔獣の境界が侵される時。

 それは圧倒的な彼らの「狂気」が、人々に襲い掛かることを意味するからである──。


「ぐっ……! ダメだ、押さえ切れん……っ」

「踏ん張るんだ! これ以上下がったら村の皆が危ない!」

 何処にでもある、ありふれた小さな村だった。

 ヒトによる開発の魔手が及んでいない、山間の小さな集落。

 その鬱蒼とした森の奥から、魔獣の群れが迫っていた。

 ギラリと血のような真っ赤な眼を向けて、その狂気の歩みを押さえ込もうとする村の自警

団の面々と、押し合い圧し合いの競り合いを繰り広げていた。

「何が何でも耐えろ! 守備隊(国が領内各地に派遣している駐留軍事・警察隊)には連絡

を飛ばしたんだ。それまで持ちこたえるんだ!」

 だが相手は魔獣。腕っ節だけのにわか勢力では容易に退けられる筈もない。

「バカヤロー! 死ぬ気か!?」

 ちょうど、そんな最中だった。

「で、でも……っ。精霊達みんなが泣いてるんだ、苦しんでるんだ!」

「だからってお前まで森の中に行って何ができんだよ!」

 自警団らの戦線の少し後ろ──ちょうど村と外を結ぶ小川の橋の手前で、一組の幼い兄弟

が揉み合っていたのである。

「ジーク、アルス!? 何でここに……」

「馬鹿野郎っ! 何してるんだ、早く村の中に逃げろ!」

 それは村に住むとある兄弟。

 彼らは剣や槍に力を込めて魔獣の猛進を押さえながら口々に叫ぶ。

 だが、その一瞬のやり取りが“隙”にならない訳がなかった。

「がぁっ!?」

 次の瞬間、一つ目のゴリラのような魔獣──サイクロプスの剛腕が彼らの一人を捉えた。

 地面に叩きつけられる音。くぐもった叫び声。そして崩される防衛線。

 その兄弟達はビクッと身体を震わせて硬直し、その変化を見た。弾き飛ばされた自警団員

らを蚊帳の外に、魔獣の鋭い爪が倒れた彼の身体を、

「──が、ぁぁぁぁぁぁッ!!」

 突き刺した。

 絶叫と、飛び散る血飛沫。他の自警団員たちも思わず尻餅のまま、顔を背ける。

 だが……事はそれだけでは終わらなかったのである。

「う、あァ……」

 突如倒れた彼から、濛々と上がり始めるどす黒いオーラ

「あ、あれって。まさか」

「……瘴気」

 兄弟達、そして自警団員らはすぐにそれが何を意味しているかを悟る。

「まずいぞ。マーロウが“中てられ”やがった……!」

「に、逃げろぉ! 巻き込まれるぞ!」

 そして武器も投げ捨てて一目散に逃げ出していく大人達。

 その言葉はきっと兄弟達にも向けられたものだった筈だが、二人は恐怖と動揺で耳に入っ

ておらず、ただ唖然とその場に立ち尽くしている。

「ァ、ガアァァァァ──!!」

 やがて、狂いの絶叫が響いた。

 どす黒い靄、生を蝕む毒素・瘴気が彼をじわじわと覆い尽くしたと思った次の瞬間、その

黒の皮膜を破るようにボコボコと隆起し、何かが飛び出す。

 腕。しかしそれは最早ヒトのものではなかった。

 隆々とした巨大な、鋭い爪を持った怪物のそれ。

 間違いなく今まさに、彼は──魔獣と化そうとしていた。

「お、お前達……」

 ゆっくりと起き上がった彼は、右半身は既に瘴気に中てられ魔獣化しつつあった。

 一つ目のゴリラのそれと同じような、明らかにヒトの身体には不釣合いな膨張したように

隆起した巨大な上腕。

 それでも尚、彼は内から押し寄せる狂気に激しく顔をしかめながらも、兄弟達に言う。

 ビクリと。二人は肩を寄せ合って震えた。

「…………俺を、殺せ」

 その震えは次に紡がれた言葉によってより激しく確かなものとなった。

 弟は焦点が合っておらず、今にもその場に崩れ落ちそうで。

 兄は辛うじてそれは免れるも、その命令──懇願に黙って震えながらふるふると首を横に

振っている。

「殺すんだッ!! このまま、じゃ俺は……完全に、魔獣になってお前……達を、村……を

ほろ、滅ぼし……ちまう」

 彼は殆ど怒声に近い叫び声でそう拒否しようとする少年の兄を叱咤した。

 途切れ途切れになってゆく声でヒトの意識を繋ぎ止めながらそう言うと、一度発狂したよ

うな叫び声を上げて魔獣化した腕を渾身の力で振るった。

 その思わぬ一撃。すると残りの魔獣達は首を狙った一閃を受け、例外なく倒れ伏す。

「こ、これで……一先ずは、時間が……稼げる。俺を、殺せ……。俺が本当に、魔獣になっ

て……お前らを殺しちまわない、内にッ」

 苦悶の顔から遣られた視線。

 その先を追うと、地面に転がっていた自警団員らの武器がある。

 それを兄が認めたのを確認してから、彼はゆっくりとこちらに向かって近付いて来た。

「何でもいい……。首だ。首を、刎ねれば……何とかなる……」

 ごくりと兄が息を呑んだ。

 近付いて来るのは魔獣? それともよくしてくれた気のいい村のおじさん?

 その場に崩れ落ちて震えている弟をそっと傍の木の幹に預け、少年は再びゆっくりと顔を

上げた。ふるふると。自分には殺せないよと、拒もうとする。

「いいから早く! お袋さん──シノブさん達が、巻き添えに……なっても」

 再び彼が叫ぼうとする。

 だがその瞬間、ドクンと何かが強く脈打ったようにして彼ははたと動きを止めた。

 しかめていた顔がガクガクと震える。

 そして俯いていた顔を上げたその両の眼は──血のように真っ赤に染まっていて。

「ガ、アァァァァァァ……ッ!!」

 狂気が彼を押し遣った瞬間だった。

 ボコボコと残り半身を魔獣に変えてゆく瘴気の毒。少年に振りかざされようとする剛腕。

 そしてそれは少年にとっても殆ど自己防衛という本能だったのかもしれない。

 その襲い掛かる一撃を頭上に、彼は咄嗟に駆けていた。

 地面に叩き付けられた腕。駆けながら拾い上げた一本の剣。

 それを、指示の通りに魔獣化したその首へと力の限り跳んで、振り下ろして──。

「がッ!?」

 深々と刃がまだヒトの姿を残す首を横断していた。

 短い悲鳴と、どす黒くなりつつある血飛沫。少年は数拍遅れてから、ぎゅっと瞑っていた

その目をゆっくりと開いた。

「…………よく、やっ、た……」

 目に映ったのは、グラリと自分の目の前で倒れてゆく、魔獣として侵食されていった村の

おじさんだった筈の姿で。

 首が半分千切れるようになりながらも、自分にそんな言葉を遺して逝こうとする村のおじ

さんの姿で。

 ズンと大きな音と共に、彼は倒れた。

 生気を失っていく眼。尚もシュウシュウと瘴気によって滅んでゆくその身体。

「ぁ……ぁぁ……」

 少年の手にはどっしりと剣の感触があった。

 べっとりと魔獣の血で塗れた刃。よく知る村のおじさんが殺められた元凶。

 驚愕、恐怖、悪寒。

 見開いた目だけでは自分の姿を直視することができないような錯覚だった。

 血塗りの剣を握ったまま、少年はガクガクと震える。

 殺した。俺が、マーロウおじさんを……。

「あ、あ、ぁあ──」

 生まれて初めて魔獣いのちをこの手で殺めたその日。

 少年は血に汚れた姿のまま、曇天の空に向かって慟哭の声を上げた。

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