12-(3) 深夜の告白
村はその夜、予定よりも一日遅れの宴の始まりを待っていた。
会場となる村の集会場に集まった村人、そしてジーク達。今宵の主役としてレノヴィン兄
弟を上座に据え、その脇にシノブ及びイセルナらが着いている。
「あれ? クラウスさんとリュカ先生は?」
「ああ……。あの二人なら出て来ないってよ。挨拶はジークや団長さん達が昼の間に済ませ
てるって聞いてるし、今頃父娘水入らずで晩酌でもしてるんじゃね?」
「そっか。まぁ竜族って基本的に隠居人だもんなぁ……」
「言ってやるなよ。村の為に色々手を貸してくれている分、あの二人はまだ付き合いはいい
方だって」
「……。そうだな」
こそこそと。幹事役の青年らは話していたが、こういった事例は今に始まった事でもない
らしい。彼らはヴァレンティノ父娘の話はそこで中断すると、ざわざわと宴の時を今か今か
と待つ皆へと呼び掛けた。
「コホン……。皆さん、お待たせしましたっ!」
「それではこれよりジークとアルス、そしてクラン・ブルートバードの皆さんへのお帰りな
さいアンド歓迎パーティーを開会しようと思います!」
「さぁさぁ、もう待ち切れないって感じだねぇ。硬い前振りなんざ無しだ。では早速皆さん
杯を拝借──」
「じゃあ、ジーク達の帰還を祝して……乾杯ッ!」
『乾杯~ッ!!』
次の瞬間、待ってましたと言わんばかりに皆が掲げた杯がカチンと何度も打ち合う音を重
ねて、夜空の下に宴の始まりを告げる。
わっと場が一層騒がしく、陽気になった。
のんべりとした空気を弾き飛ばすかのように、皆が一気に羽目を外し始める様がジーク達
の着く上座からありありと窺える。
「ほらほら、ボサッとしてないでお前も飲めよ。今夜の主役なんだからさ」
「お、おぅ……」
「ハハハッ! ほれほれくいっと。今夜は飲むぞ~!」
そうしていると実に自然に、同年代を中心にわらわらと村人達がジークの下に集まり出し
てくる。乾杯の際に飲み干した杯に新しく二杯目が注がれた。
本当は“帰還”ではなく“帰省”なのだが……。
ジークはそんな本音から複雑な想いを抱きつつも、喜色で楽しんでいる皆の水を差す真似
をする訳にはいかず、促されるままくいと手にしたその杯を煽る。
「いやぁ、それにしても正直驚いたぜ。まさかお前が帰ってくるなんてな」
「……色々忙しかっただけだ。皆、帰省くらいで大袈裟なんだよ」
「まぁこれくらい大目に見てやってくれよ。お前らもそうだけどさ、俺達くらいの世代──
若い連中ってのは大抵街の方に出ちまってるからさ……」
「嬉しいんだろうよ。住み心地はいい、悠々自適と言ってみても寂れてるのは否定しようが
ないからな。だからおっさんから上の世代はそれだけで十二分に酒の肴になるんだろうよ」
「……。かもしれねぇな」
初っ端からややハイペースで飲みながら語る、同年代の村の青年達。
それはきっと間違っていないのだろう。少なくとも逃げるように村を飛び出していった自
分に地方集落の衰亡を語る資格があるとは思えない。
くいっと杯を傾け、呟くように応えながらジークは静かに目を細める。
「……で? アカデミーでの勉強はどうなんだ?」
「魔導師にはなれたのか?」
一方で、アルスは刻一刻と出来上がりつつある年配の村人らに囲まれて質問攻めに遭って
いた。兄と違ってあまり飲めないと皆知っているので酒を強要してくることはなかったが、
それでも酒臭さは否が応にも全身の感覚が伝えてくる。
「ええ。順調、ですよ。入学してよかったです。講義も興味深いものが多いですし、友達に
も指導教官の先生にも恵まれて……」
「おうおう。そうかそうか。ハッハッハッ!」
「あ、あと。入学してすぐですし、正式に魔導師を名乗れるのはまだまだ先ですよ?」
「んぅ……? アカデミーに入ったら魔導師じゃねぇのか?」
酔いで思考力が削がれている部分もあるのだろうが、やはり一般人には魔導師へのプロセ
スについての知識はそう豊富ではないらしい。
ほくほくと肉厚のソーセージを咀嚼し飲み込んでから、アルスはゆっくりと説明する。
「……ええ。そもそも学院自体にそういう機能はないんですよ。正式に魔導師を名乗って仕
事も受けられるようになるには、魔導師の資格が必要なんです」
「資格? そんなのがあるのか」
「はい。一つは“汎用免許”。これは魔導師としての技能全般を持っているという証。要は
共通の免許です。もう一つは“専門免許”といって、こっちはそれぞれ自分の専門分野を
示すものです。……ええと、例えば母さんなら魔導医なので『医薬師』の免許を持って
いる筈ですし、リュカ先生なら教練場の先生もしているので『学師』の免許があります」
「あと、リュカは『星詠師』も持ってたんじゃなかったっけ?」
「あ、うん。そうそう。スキルドライセンスは自分が扱う分野ごとに色々持てるんですよ」
「要するに魔導師の免許ってのは二階建てなんだよね。皆共通の一階部分がベースライセン
スで、二階のスキルドライセンスは自分の好みで色々付け足すって感じ」
「ほぅ……。なるほどなぁ」
エトナが補足的に噛み砕いて説明してくれたお陰か、皆もようやく理解が追いついてきた
ようだった。アルスは「ありがとね」と彼女に微笑むとお茶で軽く喉を潤す。
「少なくとも、先ずはベースライセンスを取得しない事には始まりません。大きく捉えても
そこを通過できなくっちゃ魔導師は名乗れませんし……。人によりますけど、その為の勉強
は──基礎過程の二年から三年くらいは確実だと思います」
「試験自体が半年のスパンだからね~。一度落とすと色々痛いもん」
「うん。だから受ける前の準備をしっかりしなくっちゃってこと。……まぁ、その受験への
ゴーサイン自体は指導教官の先生の裁量なんだけど」
「大丈夫だよ、アルスなら。何せ学年主席なんだから」
そして、はたとエトナが口をついてしまった言葉。
アルスは咄嗟に「そ、それは……!」と慌てて彼女の口を押さえたが、もう遅かった。
「何だって……?」
「それ、本当なのか!?」
「……え、えぇ。僕も知ったのは向こうへ下宿を始めてからのことなんですけど……」
今まで以上にずいっと迫ってくる(酒臭い)村人達。
その人数的な質量に気圧されるように、アルスは仕方なく苦笑いで頷く。
『おぉぉぉ……っ!?』
「ハハッ! こいつはめでたいじゃないか! シノブさんとリュカ先生に続いてこの村から
また優秀な魔導師が誕生するってことだろう?」
「祝杯だ、祝杯っ。お~い、こっちにもっと酒持って来てくれ~!」
どうやら彼らの酒の肴がまた一つ増えてしまったらしい。
アルスが目をぱちくりと瞬かせている内に、またテーブルの上へ酒や料理が積み上げられ
るかのように追加されていく。
「……皆、流石に気が早すぎるよ……」
時間を追うごとに、宴は益々盛り上がっていた。
集会場の一角ではサフレとマルタが横笛とハープでリズムを奏で、それに合わせて村人ら
が輪になって躍ってさえいる。
「ほぅ。ではハロルドさんは教団本部にいたんですか」
「ええ……。今は辞めてこうして野に下っている身ですが」
「教団本部っていうと“聖都”ですよね? いいなあ……」
「だよなぁ。クロスティアって言えば『地上で最も美しい街』って言われるもんな。死ぬま
でに一度でいいから行ってみたいねぇ」
「……。そうですね、是非訪ねてみて下さい。景観の美しさ“だけ”は保障しますよ」
徐々に野放図な集団も、見てみれば幾つかのグループに分かれつつあるように見えた。
ジークやアルスの主役の座る上座は勿論、シノブと静かに飲むイセルナやリンファ、教団
関係者だったハロルドの周りに集まっている年配中心の集団、それらの周りを取り巻く中小
のどんちゃん騒ぎなグループ群。
「よう。楽しんでるか?」
一通り村人らの質問攻めも波が済み、ジークがちびちびと飲んでいるとふと酒瓶を片手に
したダンとシフォンが近付いて来た。
まぁ、一杯飲めよ。
そう言わんばかりに瓶先を傾けてくる彼に応え、杯を差し出して注いで貰うと、ジークは
くいとそれを飲み干して、どっかりとその場に座る二人に相対する。
「やっぱ宴席ってのはいいねぇ。生き返る」
「否定はしませんけど。でもあんまり飲み過ぎて迷惑掛けないで下さいよ? 俺やシフォン
と違って、村の皆はごくごく普通の一般人なんスから。副団長がバシバシ叩いてたら冗談抜
きに怪我人が出かねないですし」
「大丈夫。そうならないように僕が見てるから」
「……言いたい放題だなおめぇら。……まぁいいや」
にっこり笑顔で隣のシフォンが言うのをジト目で見つつも、ダンは別段怒る素振りはない
ように見えた。代わりに残っていた酒を煽り、ふうと大きく一息をつく。
「……で、どうだ? お袋さんに肝心の質問は果たせたのか?」
「いえ……。何だか上手くタイミングが掴めなくて」
言ってジークは背後のアルスを見遣った。
気疲れもあったのだろう。彼は既にテーブルの上に突っ伏して穏やかな寝息を立て始めて
いた。そっと薄手の毛布を掛けてあげつつ、エトナが「こっちは大丈夫」と頷いている。
「そうか。実は俺達も、それなりに探りは入れてみてるんだがな」
「えっ」
「そんな顔すんなって。探りって言っただろ。遠回しにお前の剣の事を話題に噛ませてみて
るだけだ。だがこれといって収穫はねぇな。皆、頭にはてなマークだ」
「やっぱり、シノブさんに直接訊いてみないといけないかな」
「……ああ」
心持ち気弱に頷く。それは分かっている。そのつもりで久々に帰省をしたのだから。
だが、正直恐くもあった。母は……どんな事を知っているのだろう。或いは知っていない
のか。どちらにせよ、この目的を知ったことで純粋な帰省でないとがっかりさせてしまうか
もしれない。そうもやもやとする胸の内で思った。
「まぁそれが元々の目的だしな。しかしなぁ、俺にはどうもきな臭──」
だが次の瞬間だった。
にわかにザワッと宴の集団が騒ぎ出す。
それまでの半ばな嬉々のBGMではない、短い悲鳴のような重なる声色。
ジーク達が反射的に立ち上がりかけ、その方向を見遣る。
「ステラ、ちゃん?」「……ステラ?」
「お……お嬢ちゃん?」
それはステラらが混ざっていた女性陣の集まる一角だった。
不意の事だったのか、驚いているレナやミア、そして村の奥様方な面々。
当のステラは何かを見たかのように一人ついっと森の奥へと目を凝らしていたのだが。
「その、目が……赤い……」
「ッ!?」
震え出して指摘されて、ようやく彼女自身は気付いたようだった。
弾かれたように引き攣った表情で、バッと両手で顔を覆う。
「まさか」
だが、既に周囲の村人らはその事実に気付いてしまっていた。
「お嬢ちゃん……。あんたまさか、メアなのかい?」
ステラの振り返って咄嗟に隠した顔。その両眼が血色の赤に染まっていたことに。
弾かれたように村人らがざわざわと動揺で騒ぎ始めた。
魔人──瘴気に中てられても尚、ヒトの姿を持って生き残った者達の総称。それはかつて
魔獣の襲撃によって大きな被害を被ったサンフェルノ村の皆にはとっては充分過ぎるほどに
恐れ、忌むであろう存在でもある筈で……。
「ち、違うんです!」
逸早く動いたのはレナだった。
バレた。その事実にガタガタと震え出すステラを庇うように割って立ち、村人らを説得す
るように力説する。
「た、確かにステラちゃんはメアです。でも彼女はただ巻き込まれただけで……」
「うん。そう。ステラは、何も悪い事はしていない」
だが一般的に魔獣や魔人への忌避意識は強い。
レナとミアが友人として仲間としてそう断言したが、村人達は戸惑いを隠せないでいる。
「……大丈夫だ。こいつは俺がクランに連れて帰ってきたんだ」
するとザッと足音がした。
近付いて来たのは夜風に結んだ後ろ髪を揺らし、ポケットに両手を突っ込んだジーク。
彼は左右のダンとシフォンと共に言った。
「昔、魔獣に滅ぼされた村に仕事で行ったことがあってな。こいつはその中で唯一生き残っ
てたんだ。……だから団長達に頼んで保護した。年格好もアルスと一緒だ。見捨てられねぇ
と思ったんだ。嫌だってんなら、俺も一緒にこいつとホームに帰る」
一同が驚きの眼をジークに注いでいた。
村人達も、クランの仲間達も、何より掌の隙間からそんな様を窺っていたステラも。
沈黙が宴だった筈の場に降りて──。
「あらあら、そうなの。ビックリしたわあ」
「それならいいや。すまねぇな、嬢ちゃん。ビビらせちまって」
だがしかし、それらはあっという間に四散していた。
まるでジークのその言葉が合図だったかのように、皆はそれまでの宴の陽気さを取り戻す
とステラに軽い謝罪の弁を掛けて、すぐにまた宴の一時を愉しみ始めたのである。
「……え? え?」
ステラは驚いていた。いや呆気に取られていたというべきか。
変わり身の早い、瞬時の理解。その未経験の光景に唖然としていると、そっとその傍らに
ジークが「よっと」と腰掛けてきて呟く。
「な? 何ともなかったろ? お前が縮こまらなきゃいけねぇ理由なんてねぇんだよ」
傍にあった酒瓶を引っ手繰り、くいっと持ってきた杯で喉を潤す。
見渡せば、ダンやシフォンも皆に混じっている。ミアはこくと静かに頷き、レナも同様に
微笑を──ちょっぴり羨ましそうに──返してくれている。
「……うん」
ほうっと頬を染めて。
ステラは恩人であり想い人でもある彼の傍で、ちびちびと茶を啜る。
歓迎の宴は大盛況の内にお開きとなった。
長く飲めや歌えやと騒いでいたのもあってか、すっかり辺りは暗くなっている。今頃は皆
はしゃいだ疲れの中で深い眠りについていることだろう。
「アルス、まだぁ?」
「……うん。もうちょっと」
ばしゃばしゃと手を洗う水音がする。
ふよふよと漂って待っているエトナの前のドアを開けて、寝間着に身を包んだアルスが姿
を見せた。要するに、お手洗いに来ていたのだ。
「ごめんね。起こしちゃって」
「いいって。私もまだちょっと興奮気味だったから」
二、三やり取りを交わして二人は夜更けの廊下を行く。
灯りは全て消え去っており、照らすのは雲の合間から漏れ注ぐ月明かりくらい。
その筈、だったのだが──。
「……?」
アルスはふとその例外があることに気付いた。
廊下の向こうが、控えめだが灯りが点っているらしい。ほんのりと夜闇の黒を薄める程度
の光が息を殺しているようになっているのが見える。
(……まだ、誰か起きてる?)
ちょこんとアルスは首を傾げた。
兄は先程部屋を出てくる時も眠っていた。エトナがトイレの外で待ってくれていたので彼
が通り過ぎたとも考え難い。
「診療所の方、みたいだね」
「急患じゃない? 何せあれだけ飲み食いしてたんだもの。誰かがお腹壊して薬でも貰いに
来てるんじゃないかな」
「うーん……」
だとすれば、あんな半端な灯りで迎えるものだろうか。
アルスは少し考えたが、結局一抹の好奇心が勝っていた。
「ちょっと見に行ってみようか。もしかして泥棒だったりするかもしれない」
「まさか。ま、でも念のために……ね?」
そろりそろりと、廊下を進んで増築してある診療所の方へ。
灯りの白は心なし強くなっていった。そしてその距離が数メートルまで迫った所で、二人
ははたとその足を止めざるを得なくなる。
「──それ、本当なのかよ……」
ダンの声だった。
しかしその声色は普段の豪放磊落としたそれとは打って変わり、明らかな、それも今まで
アルスが彼に対し耳にしたことのないような戸惑いの色を濃く備えているように思えた。
(……エトナ、気配を消して)
(う、うん。分かった……)
囁くような小声でエトナにそう言い、彼女は一時的に顕現を解いて姿を消した。
アルスもまた、身体から外に流れていくマナを深呼吸の下に押し留める。
マナの一時的な遮断“断氣”。
錬氣法と同様、マナの制御法の一つであり、主に相手から気配を悟らせない目的で使う。
謂わば「息止めのマナ版」とでもいうべきか。
何処なく、いや先程よりも確実に存在感を薄めたアルスは、静かにドアを僅かに開けると
そっと聞き耳を立てる。
「ああ……本当だ。偽りは一切ない。この話の為に皆をわざわざ密かに呼んだのだから」
中には母とイセルナらクランの幹部メンバーが揃っていた。
しかし妙だ。母の傍らにリンファとイセルナ、彼女達に向き合うようにダン、シフォン、
ハロルドの三人が──表情はそれそれだが何れも驚きや戸惑いの様子で佇んでいる。
一体、こんな時間に何を?
だがアルスのそんな落ち着いた思考は。
「シノブとはコーダスがつけた仮の名。真名はシノ・スメラギ。我々女傑族の国“トナン皇国”
先皇の一人娘にして、正統なる皇位継承者であらせられる」
次の瞬間、紙くずのように吹き飛んでいた。