12-(1) 故郷の墓標
(…………んっ)
閉じた瞼の裏を陽の光が刺激する。気だるい眠りの中にあったジークの意識はその静かな
揺らぎと共に目覚めを迎えた。
ぱちくりと瞬き、ごしごしと目を顔を掻く。
最初に目に映った天井は宿舎の部屋の模様ではなく、いつか記憶の向こうに消えかかって
いた実家の部屋の、木板のそれで。
そうだ……。昨夜自分達は村に帰ってきたのだ。
到着したのがたっぷり日が暮れた頃であった為か、迎えの後は結構なドタバタであった。
久しぶりの再会に快く皆が声を掛けて──もとい一通り弄られ、団長らが挨拶を済ませた
後は、とりあえず歓迎諸々の行事は明日に回そうという事になり、こうしてぐたりと就寝。
ちなみに他の面々は村の皆が分担して泊めてくれる手筈となっている。
「お~い。アルス、エトナ、朝だぞ~……そろそろ起きろ~」
「うぅん……むにゃ」
「あはは。もう~仕方ないなぁ、アルスは……Zzz」
まだ眠気の残る身体をベッドから引っ張り出し、隣のベッドで眠っているアルスとエトナ
を軽く揺さ振ってみた。
だが弟は実に無防備というか可愛らしい寝顔で気持ち良さそうで、エトナはエトナで空中
に浮かんでいる丸まっているといういつもの体勢で何やら意味深な寝言を呟いている。
(……ま、その内起きるだろ)
ポリポリと髪を掻いて、ジークは一先ず自分の着替えを優先させた。
母が用意してくれた寝間着を枕元に積んで、いつもの服装に着替える。同じくいつものよ
うに六本の愛刀らを腰に差す。長年の、慣れ親しんだ感覚だ。
「……」
しかしその感覚も、実は危ういリスクの中にあったとここ二月余りの中で否が応でも知ら
されることになったのもまた事実だった。
マルタという人質を取られていたとはいえ、刺客から狙われたこと。その最中にリンファ
を負傷させてしまったこと。それらの首謀者が“楽園の眼”であるらしいと分かり、
友すらもその危険に巻き込んでしまったこと。
そしてその全ての理由は……マグダレンにセージョーキと呼ばれたこの刀達に在る。
母に問い質す。その為に久しぶりの帰省をしたとはいえ、果たして彼女は自分達の求める
答えを知っているのだろうか?
アルスは僕も一緒に背負うと言ってくれた。
だが、あいつは何も悪くない。今も解決すべきは自分自身なのだと言い聞かせている。
正直な所を言うと恐かった。いや今も恐いのだろう。
母が何も知らなかったら、ルーツを探す旅は空振りになる。
だとすれば道中で似非神父──バシリスクが列車を襲ってきたあの一件もまた“無意味”
になってしまうのではないか。だとすれば、奴自身も無駄に命を……。
「……ッ」
そこまで思考してぶんぶんと首を横に振った。
いや、元より奴は“結社”側の人間だったのだ。友を仲間達を手に掛けようとしたのだか
ら今更情けをかける必要など……ない。
そう思うとやはり、と“責任”が自分の下にループしてくる気がしてならなかった。
知らなかったとはいえ、自分が──自分が愛刀らを持っているからこそ一連の事件は起きたの
は否定できない訳で。なのに皆はそれでも自分に味方し、付き添ってくれてさえいる。
──俺は、本当に皆と来てよかったのだろうか……?
何度も魘されるように胸の内で繰り返されてきた自責の念とでもいうべきもの。
だが、ジークはまたぶんぶんと首を横に振った。先程よりも、強く。パンパンと気付けの
ように自身の頬を数度叩く。
(……しっかりしろ、俺。やらなきゃいけねぇことは待ってくれねぇんだぞ……)
疼くような後悔を奥底に押し込めるようにギリッと奥歯を噛み締めて。
ジークは気合を入れ直すと、ばさりと身を翻した。
四度目の揺さ振りでやっと起きた弟とその持ち霊と共に洗面所で洗顔を済ませ歯を磨いた
後、ジークはキッチンへと足を運んでいた。
そのテーブルの上には既に用意されていた人数分の朝食。
懐かしい匂い。我が家の、母の温もりの気配がふわっと色彩を増したような感覚がする。
「おはよう。昨夜はよく眠れた? 朝ご飯できてるわよ」
三人の近付いて来る気配を感じ取って、流しに立っていたシノブが振り向いた。
その姿は、普段着の上に何故か引っ掛けた白衣。
何を隠そう彼女は村唯一の医者──魔導医なのだ。自宅を増築する形で隣の棟には診療所
も構えており、それまで遠くの町まで出掛けるしかなかった(病気持ちな)村の人々には大
層ありがたがられている。
そんな母はジークとアルスにとって、密かな自慢でもあった。
「お、おう……」「うん。いただきま~す」
早速、兄弟揃ってテーブルに着く。
献立はふっくらした自家製のパンに分厚いベーコンエッグ、温かなコーンポタージュ、も
さりと盛られたサラダパスタ、それと(甘党な彼女好みの)ミルク多めなホットコーヒー及
び取り分け自由に置いてあるフルーツ各種。
結構しっかりとした内容だった。
大方、久しぶりに息子達が帰って来たことで気合いが入っているからなのだろうが……。
「……?」
パンとベーコンエッグを適度に千切って口に放り込みながら、ジークはちらと自分達の向
かいに座ってにこにこと微笑んでいる母を見た。
手元にコーヒーの湯気が上っているが、彼女には息子の投げきた視線に対し僅かに小首を
傾げているだけでこれといった変化は見られない。
(どうするかね……。今なら他にも誰もいねぇし、刀の事も訊けるが)
そっと眉根を細めて思案する。
元よりその為に帰省してきたのだ。本音を言えばあまりのんびりと飯を食っている精神的
な余裕すら実は覚束なかったりしている。
今度はちらと視線をアルスへ。
すると彼も似たことを考えていたのか、気付かれぬようにと僅かに頷いてくれる。
──確かにチャンスではあるよね。
──じゃあ、どっちが母さんに訊く?
何度かアイコンタクトでのやり取りを交わしての作戦会議を。
結局、当事者ということでジークが訊く手筈になった。色々と頭が回るのでアルスにはそ
の都度フォローに回って貰おうとする。
「ねぇ。二人とも、梟響の街での暮らしはどう?」
だが……ジークがごくりと息を呑み口を開こうとした次の瞬間、先に飛んできたのはそん
なシノブからの問い掛けだった。
「えっ。向こう、での……?」
先手を打たれたようで、思わず即座の返答に詰まるジーク。
「うん、楽しいよ。学院の勉強は凄く面白いし、友達もできたし。……まぁ、ちょっぴり変
わった知り合いもできちゃったけど」
「……。まぁ何時も通りだよ。ギルドに行って依頼の目星をつけて契約して、その仕事をこ
なして稼いでくる。その繰り返し」
だからか、アルスはフォローしてくれるように微笑みを作って答えてくれていた。
実際、その言葉の内容は間違っていない(弟の後半は十中八九、シンシアの事だろう)。
そのフォローに合わせるように、ジークも一度コクンと頷くと自身の近況もオブラートに
話した。
「そう……。元気そうで良かったわ。でもジーク、お仕事ばかりで根を詰めちゃ駄目よ?
これは医者としても言ってるのだからね?」
「へいへい……。気分転換くらいはしてるさ。シフォンやリンさん、副団長とかとはよく一
緒に酒を飲んでるし、空きの時にはトレーニングしてるし」
「……それって息抜きなの? やってる事がもうおっさん──」
「うるせーな。余計なお世話だっての」
エトナが呆れ顔で突っ込んでくるのをぶっきらぼうに制しながら、ジークはもしゃっと皿
の上のサラダを口に運んだ。
ちらと目を遣っているのは、くすくすと笑っている母の顔。
偶然だろうか? 何だか訊きそびれてしまったような気がする……。
もう一度目を遣ってみるとアルスも同感だったらしく、コーヒーを啜りながら小さく頷き
返してきていた。
「で、シノブ。朝から白衣着てるけど、急患でもあったの?」
「ううん。そうじゃなくって。ほら、昨夜ジークとアルスと、クランの皆さんが着いた後、
皆が色々騒いでいたでしょう? ザックさんとかトマおじいちゃんとか、昨夜、二人の帰省
祝いだとかいってお酒を煽っていたみたいだから……。肝が悪くなっていないか診に行こう
と思ってね」
今度はその間を持たせるようにエトナがちょいっと白衣のシノブに向けて訊ねる。
すると彼女は苦笑し、そう往診に出向くつもりだと言った。
「ああ……。つーかまだ懲りてねぇのかよ、一回死にかけたんじゃなかったか?」
「そうね。でも昨日今日くらいは許してあげて? それだけ二人が村に帰ってきたのが嬉し
かったのよ。まぁだからと言って肝臓に悪いのは変わらないんだけども」
ジト目になって、記憶の中からやたら口実を作りたがるのん兵衛な村の中年・老年連中の
顔を思い出すジーク。
だが主治医である筈のシノブも、今日だけはそんな彼らに同情的な言葉を漏らしていた。
無言のまま、ついとジークは視線を背ける。
寛大というか何というか。俺は、村の仲間を殺した人間なのに……それなのに……。
「あ、そうそう三人とも」
するとポンと思い出したように両手を叩き、シノブは続いて口を開いた。ジークら三人は
それまでバラけていた視線を自然と彼女に集中させる。
「昨夜は遅かったから延期になったけど、今夜は開くからね? お帰りなさいパーティー」
「ああ……」「そういえばそうだったねぇ」
「もう。皆、そんなに気を遣ってくれなくてもいいんだけどなぁ……」
「ふふっ。皆、嬉しいのよ。あと口実が欲しいのよ。飲んで騒いでできるっていうね。もう
集会所の方でも準備が始まっていると思うけど……」
遠い目での嘆息と、苦笑が四人分。
シノブもその内の一人だったが、それでも当の兄弟よりはずっと嬉しさが勝っているよう
に見えた。優しく懐かしい柔和な微笑み。だからこそ、ジークもアルスも表立ってそんな村
の皆のお節介に露骨な苦言を呈する気にはなれなかった。
(……でもなぁ。皆が集まったら余計に刀のこと、訊き難くなっちまうじゃねぇかよ……)
それでも、心の中でそっと拙いなと不満を吐きつつ。
ジークはもきゅっとふっくら柔らかな食感のパンを頬張る。
朝食を済ませて暫く一息をついてから、ジーク達は久々の我が家を出てとある場所へと向
かっていた。
そこは村の敷地の外れ、少し小高い丘にある村の共同墓地だった。
丸みを帯びた刺又のような柱部分に支えられるように合わさった丸い木製の球。
クリシェンヌ教徒の墓であればもっと厳密な様式を求められるのだが、一般的に墓標とい
うと、石にしろ木にしろこのような形を人々は連想し、用いている。
何でもこれらの形はヒトと“世界樹”とを表しているのだそうだが、あまり詳しい事を
ジークは知らないし、別段興味があるわけでもない。
(……ん? 誰かいる……)
途中で献花用の花束を調達──といっても近くの山野に入れば摘めることもあり、村には
花屋といった洒落た店はないのだが──して墓地内に足を踏み入れると、ジーク達はすぐに
そこに既に先客らしき影があるのに気付く。
「リンファさんに、イセルナさん……?」
その人影二人はクランの団長と切り込み隊長の女性二人組だった。
ジークよりも先にアルスがぽつと呟き、三人が近付いて来る足音を聞くと彼女達はフッと
墓標の群れに落としていた視線をこちらに向けてくる。
「ん? ああ……。お前達か」
「どうしたの? 貴方達もお祈りに……みたいね」
「ええ。まぁそうなりますか」
ちらとアルスが胸元に抱えている即席の花束を一瞥して、イセルナが呟いていた。
ジークは静かに頷くとアルスらと伴い、彼女達がぼんやりと見ていた敷地──他の墓標に
比べて人の手がよく入っているように見える墓標の群れの前に移動し始める。
「……ジークです。訳あって、久しぶりに村に帰ってきました」
ぽつりと先ずはジークがそう墓前に報告を。次いでアルスが花束をそこへと供え、ゆっく
りと腰を降ろして屈み込む。
イセルナとリンファもそっと後を歩んできてその墓標らに刻まれた名を読んだ。
デビット・マーロウ、コーダス・レノヴィン──ざっと数えても三十人近くはある。
「これは、まさか」
「……ええ。父さん達の墓です」
「まぁ、半分近くが亡骸すら見つからなかったんですけどね。おそらくは……」
「魔獣に喰われた、のか」
リンファが喉を詰まらせたように苦悶の声で問うていた。アルスは言葉でこそ答えはしな
かったが、無言の僅かな頷きがその返事だった。
暫く黙り込んだ後、イセルナ達は語った。
泊めて貰っている村のご夫妻から“ジークはやはり今も悔やんでいるのか?”というニュ
アンスの質問を投げかけられたこと。そこでのやり取りから、レノヴィン兄弟がそれぞれ剣
と魔導を習い始めた切欠となった村への魔獣襲撃の一件を聞いたこと。
そして、ならば自分達も弔いの祈りを捧げようとこうして墓地に赴いたこと。
「そうッスか……」
余計なこと喋りやがって──。
丘に時折吹く風に混じって、ジークがそうぼそっと付け加えているのが聞こえた。
イセルナがそんな彼の背中に落とした視線を隣のアルスに向けると、対して彼は複雑な表
情、苦笑を肩越しに返してくるのが見えた。
「……」
暫くイセルナは静かにそんな兄弟の背中を見つめていた。
実はリンファが、アルスの下宿が始まって少し経った頃に彼自身の口で語れたその話を又
聞きしていて初耳ではなかったのだが、ジークの機嫌を余計に損ねそうだったのでここは大
人しく黙っておくことにする。
「……お父さん、コーダスさんでいいのかしら。貴方達のお父さんって、どんな人なの?」
その代わりというのも何だが、イセルナは少し間を置くとそう繕うように訊ねていた。
リンファが隣で黙したまま眉根を寄せ、肩越しからこちらを振り返るアルスが少し驚いた
ように顔をつっと上げてくる。
「何でまた……。訊いたっていない人間を」
そんな中でもジークはじっと背中を向けて墓前に屈み込んだまま、淡々と答えていた。
「……ま、一言でいうとお人好しみたいでしたよ。俺達がガキの頃もちょくちょく路頭に迷
ったとか言ってる連中を連れて帰っては母さんが診てましたし」
「そうだねぇ。で、実はそいつが盗賊で、朝になったら家からお金が抜き取られてた~!
なんて事もあったけ」
「ああ。流石にあの時は母さんも怒ってたな。……表情は笑ってたけど」
イセルナが敢えて“どんな人”と「過去形」を使わずに訊いたにも拘わらず、当の実子で
あるジークはあっさりと「でした」とその言い回しを使っていた。
懐かしさよりも何処か苦痛のような。
それを感じ取ってかエトナがそれとなくサバサバとした口調で相槌を打っていたが、それ
でも彼の声はやはり重苦しく思える。
「……だったかな? 僕はあまり覚えてないや……」
そしてアルスも、こちらは年少故の自身の記憶の風化を感じて少々感傷的になっていた。
穏やかだが内心はきっと辛い、そんな苦笑い。
そんな弟の様子に、流石にジークもちらと心配な眼を向けたのだが、
「でも、これだけははっきり覚えてる。母さんは、父さんと一緒で凄く幸せそうだった」
「……そうだな」
それでもすぐに自身で繕うように言い、兄の同意を得る。
無言で苦笑し合う二人に、エトナが静かに胸を撫で下ろしていた。イセルナはそんな姿を
見遣りながら、リンファは何処か遠くに目を遣って風に身を任せながら互いに黙り込む。
それから、お互いにどれだけの沈黙が場を支配していただろうか。
じっと墓前の前に座ったままでいた兄弟とエトナに、リンファがそっと声を掛けていた。
「……。私達も、手を合わせていいだろうか。生憎献花する花束は持ち合わせていないが」
「ええ……」「勿論です」
承諾を得てイセルナとちらりと顔を見合わせると、彼女達もまた墓前に屈み込んだ。
はっきりとは分からないが、その状態から見て立てられてから十年弱といった所か。
名と共に歳月を刻んだ木製の墓は、アルスが供えた即席の花束をそっと抱いているように
静かに並び立っている。
残されたもの、喪ったもの。
(……父さん。俺の刀は一体何なんだ? 父さんは、知ってたのか……?)
(コーダス。あんたの息子達はちょっと危なっかしいけど、ちゃんといい子に育ってるよ)
(ごめんなさい……父さん、マーロウさん、皆……。必ず償うから……。だから……)
言葉にする分にはたった数文字で済んでしまうその事実も、間違いなく当事者らには重く
付き纏い続けるであろう過去で。
(やっぱり慣れないものね。魔獣を殺すことが仕事でもある筈なのに……)
(……コーダス。君の妻子は私がこの身命を賭して守る。だから、どうぞ安らかに……)
遺された者とその仲間達と。
間を置きつつ風の吹き抜ける墓群の丘で、五人は暫くその場で祈りを捧げ続けていた。