11-(5) 信徒の末路
最初に異変を察知したのは、列車の先頭でその操縦桿を握り、一方は各種計器に目を配っ
て状況の指示を送る運転手の二人組だった。
「え~、次はリムデール。リムデールに停まります。お出口~右側です」
その副運転手が、車内アナウンスで次の停車駅が近付いている旨を放送している。
だが、そんないつも通りの運行は次の瞬間、終わりを告げていた。
拓かれた緩やかな丘陵に延々と敷かれた線路の上に、突如として何者かの人影を認めたか
らである。
「な……っ!?」
当然ながら、運転手は反射的に急ブレーキをかけていた。
列車全体がその操作の結果、激しく揺れた。背後の運転室のドアの向こうから乗客達の悲
鳴や転倒と思しき物音が重なって聞こえてくる。
幸か不幸か、列車はその人影の鼻先数センチの所で停止した。
「ばっ、馬鹿野郎ッ! 何突っ立てんだ、死ぬ気か!」
運転席の横窓を開いて外に身を乗り出し、運転手の片割れが原因となったその人影に怒号
を飛ばした。
しかし……様子がおかしい。まるで彼の者の反応がなかったのだ。
しかも目を凝らしてみれば、その格好はまるで戦場から帰ってきてすぐであるかのような
ズタボロになった神父風。被ったフードも同じく薄汚れ、俯き加減の表情はよく窺えない。
「……お、おい。聞こえてる、か?」
思わず顔を見合わせる運転手二人。そして次に向けた声色は、不審からくる怯えですっか
り気勢が削ぎ落とされてしまっていて。
「──ク、……ィン」
「あ?」「何だって?」
代わりに人影から聞こえてきたのは、断片的な、無機質な呟きの声。
二人は眉根を寄せて、頭に疑問符を浮かべてその声に耳を傾けたのだが──。
「ジーク、レノヴィンッ!!」
次の瞬間だった。
くわっと叫ぶように、顔を上げたその神父風の男──“結社”の信徒・ダニエルのその両
眼は、血に染まったような赤だった。
その刹那、そんな彼の身に変化が起きる。
突如として身体中からどす黒い靄が、瘴気が迸ったかと思うと、
「ォ、オォォォォォォ……ッ!!」
その身が巨大な爬虫類の姿をした怪物に変わったのである。
「ひっ……!?」
「ま、魔獣ぅ!?」
その姿は、一言で表現するなら“ゴツゴツとした巨大イグアナ”だった。
大型鋼車一台を軽く超える巨体を包むのは、岩肌のようなゴツゴツとした体表。隆々とし
た六本足は踏みしめる地面を、レールをぐにゃりと歪ませている。
何よりも、その額に位置する肌には、虚ろな目をしたダニエルの顔面が埋もれるようにし
て蠢いてさえいたのだ。
「なっ、何でこんな所に魔獣が……」
「知るかよそんな事……って、来たぁ!?」
当然ながら、二人は焦っていた。少なくとも一介の鉄道職員が対応できる事態ではない。
しかしそんな狼狽すらも吹き飛ばすように、次の瞬間、魔獣と化したダニエルが運転席に
向けて突っ込んでくる。
正面の大型窓は一瞬にして粉砕された。
情けない悲鳴を上げてその場から我先にと逃げ出す運転手二人。
そこにはスイッチをオンにしたままの車内アナウンスと、突っ込まれた衝撃で再びフルス
ロットルに入ってしまった操縦桿が残されて──。
「おいおい……。こいつあ……」
だからこそ、ダンやハロルドらを始めとしたこの列車に居合わせていた者達は、放置され
る形でだだ漏れてくるアナウンスから何が起きているのかを断片的にながら知り得ていた。
「魔獣、ですか。それにあの叫びは」
「ああ。だがそれよりも今は客どもの避難誘導だ。ハロルド、お前は何が起きてるか見てき
てくれないか? 魔獣相手なら、お前の結界も効く筈だ」
「なら、僕も行きます」「わ、私もご一緒します!」
「……はい。では護衛を宜しく頼みます」
急停止した列車が、再び動き始めていた。
一度無理やりレールの上を通るように大きく列車が揺れ、こうしている間にもどんどん加
速しているらしい事が体感として伝わってくる。運転手がすたこらと逃げてしまっている事
も聞こえてきたので、誰かが操縦桿まで行かなければ、全員がクラッシュに巻き込まれてし
まう末路は確実であろう。
すぐさま同行を申し出たサフレとマルタを伴い、ハロルドは混乱で人々の叫びがこだます
る中を駆け出してゆく。
「ったく。よりによってこんな形で逆襲とはな……」
非常事態だから仕方ないとはいえ、乗客らの我先にという逃げ惑いっぷりにダンは内心辟
易したい気分だった。
走り出してしまった以上、ここは密室に近い状態にある。どうすれば彼らを救えるか。
「……。ちょいと荒療治だが、他に方法はねぇわな」
論理的思考というよりも、長年の冒険者としての勘で以ってざっとプランを描き、ダンは
踵を返して仲間達と、そして乗り合わせた他の冒険者らを集め始める。
『ジー、ク……レノ、ヴィンッ!!』
アナウンスから断続的に聞こえてくる、ダニエルのそんな狂気の叫びを耳にしながら。
「──あの、野郎ぉッ!」
その声は当のジーク達にも届いていた。
少々くぐもってるが、間違いない。あの時の似非神父の声だ。
また、俺の周りの人間を巻き込もうってのか……! ジークはギリリと拳を握り締めた。
「に、兄さん落ち着いて!」
今にも声のした方、列車最前部の運転席へと駆け出そうとする兄を、一方でアルスは必死
に引き止めようとしていた。
「これは罠だよ! 状況ははっきりしないけど、兄さんを誘い出す気なんだ!」
「そんな事は分かってる! 放せ、アルス! このまま黙ってられるか!」
だがそれでも兄は一人駆け出そうとするベクトルを止める事はしなかった。
無理もなかったのかもしれない。
いくら普段は気丈に振る舞っていても、度重なる“自分の所為で起こる厄災”の連鎖。
一見相変わらずのぶっきらぼうに見えても、兄のその精神はじわじわと嬲られ続けていた
筈なのだから。
「で、でも……!」
「だからって飛び込んでどうするのさ! カッとなったままじゃ、死ぬよ!?」
列車が揺れている、動いている。いや……ドスンと大きな音と衝撃が頭上から響いてくる
のが伝わってきた。魔獣が移動を始めたのか。
「俺はどうでもいい! このままじゃ、列車ごとあの野郎にぶっ潰されるだろうが!」
落ち着け。そう止めようとする弟とその持ち霊の手を、ジークは振り払っていた。
「兄さん!」「ジーク!」
腰に差した六刀──アーティファクト級の魔導具たる“聖浄器”達。
その得物を激しく揺らして、制止しようとする二人を引き離して、それでも負い目の青年
は全力疾走でその場から飛び出していってしまう。
逃げ惑う乗客の人ごみを掻い潜り、ジークは途中で自分の姿を認めて合流してくれたリン
ファと共に列車の最前部へと駆けつけていた。
「ジーク君、それにリンファも」
「た、大変なんですっ。魔獣が……」
するとそこには、逃げ出してしまった運転手の代わりに既にハロルド達の姿があった。
三人は操縦桿を握り、計器の数値を読み、期せずして走る密室と化したこの列車の制御を
代行してくれていたのだ。
「ああ、分かってる。……上か?」
マルタが振り向きおたおたと声を漏らしている様に頷いて、ジークは天井を見上げた。
既に運転席は魔獣が突っ込んできた際の衝撃で粉砕されており、半ば野晒し状態になって
いた。加えて天井は乱暴にぶち破られており、金属の天井プレートには大きな風穴が空いて
しまっている。
「はい。どうやらここを伝って屋根の方の上っていったみたいなんです」
「一応ハロルドさんがすぐに周囲を結界で覆って奴の動きを鈍らせてはいるが……運転もし
ながらでは長くはもたないだろうな」
「列車の方は私達が何とかします。二人とも、すみませんが──」
「分かってます。元からそのつもりなんで。リンさん、行きましょう」
「ああ。ハロルド、そっちは頼んだぞ」
最低限の応急処置は施され始めているようだった。
だが、肝心の元凶である屋根の上の魔獣を退けない事にはそれも根本的な解決にはならな
いだろう。ジークとリンファはハロルド達に運転制御を任せると、風穴をよじ登り屋根の上
へと上がっていく。
「──……」
そこには、巨大なイグアナのような魔獣がいた。
二人が加速の風に煽られつつも屋根の上に立つと、背を向けていたその巨体はのそりと鈍
重な動きで振り返り、額に埋もれている男性の──ダニエルの虚ろな顔を対面させる。
「ジー、ク……。ジーク、レノ、ヴィン……ッ!」
それでもヒトならざる身となった彼から紡がれるのは、怨嗟のような掠れ声だった。
「やっぱ、あの時の似非神父か……」
「よもや魔獣化してまで襲ってくるとはな。気をつけろ、ジーク。あれは確かバシリスクと
いう種だと記憶している。しかし本来はもっと乾燥した環境に多い筈なんだが……」
「それは今は置いときましょうよ。少なくとも、現にこうして襲ってきてるんだ」
言って、ジークは二刀を抜き放った。リンファも続いて太刀を抜く。
のしりと小さく身じろぐダニエル──もとい魔獣・バシリスク。
真っ先に動いたのはジークだった。ぐっと両脚に力を込め、屋根を蹴って駆け出す。その
動きにバシリスクも応じていた。二刀を引っ下げて突っ込んでくる彼に向けて、大きく口を
広げ始める。
「……ッ!? ジーク、避けろ! いなすな!」
だがその動きを見て、リンファは何かを思い出したように叫んでいた。
その声に、ジークは反射的に駆けていた運動ベクトルを横へと逸らす。リンファも言って
飛び退くようにその場を離れる。
するとどうだろう、バシリスクの口から収束した灰色の光は光線となって放たれ、先程ま
で二人のいた空間を薙いだのである。
「……こいつは」
加えて、そのヒットした部分、屋根の一部は急激に熱を帯びつつ“石化”し始めていて。
「……思い出せてよかった。石化の光線だ。まともに触れれば動けなくなる。掠ったとして
も、おそらくはこんな感じになる。奴の突進で粉微塵にされるのがオチだな」
「な、なんつー厄介な……」
ジークは二刀を握ったまま息を呑んだ。
彼女の咄嗟の判断がなければ、今頃自分は石像にされていただろう。これでは下手に近付
くことも難しい。
(どうする? ただでさえ、ここは足場が悪いってのに……)
奥歯を噛み締めて、ジークは熱している自分を諫めつつ思案した。
状況は決して良くはない。足場もさることながら、この下には未だ数千人単位の乗客が逃
げ惑ってもいるのだから。
(でも……。俺達がやるっきゃねぇんだ)
ジークはもう一度刀を握り直し、リンファの方を見遣った。対する彼女も同じ事を考えて
いたらしく、コクリと頷いてくれるのが見える。
石化光線は確かに厄介だ。
だが大きくかわせれば、相手は間違いなく隙ができる。そこを一気に叩けば……。
再び大きく口を開くバシリスク。ぐぐっと両脚に力を込めて散開する姿勢を取る二人。
「──お願い、征天使!」
だが次の瞬間だった。
飛び出そうとした二人の前に巨大な影が庇ってくれるように降り立ち、放たれた石化光線
をその盾から生じた障壁で掻き消したのである。
「な、なんだぁ……?」
目を丸くしてジークがその巨躯を見上げる。
それは、巨大な“天使”に見えた。
六枚の白い翼を持った、鎧に身を包み剣と盾を携えた天使。
ジークとリンファがその想定外の援軍(?)にぼうっとしていると、天使が次の行動に移
ろうとしていた。掲げた盾をそっと引き、今度は手にした剣を振り上げる。
一閃。大上段からの斬撃が、バシリスクへと叩き込まれていた。
敵意を察知して当のバシリスクも身をよじろうとしていたが、その身は鈍重の類。天使か
らの攻撃をかわし切ることは叶わず、左の肩──前足付け根部分を中心に深々とした裂傷を
刻まれる。
そして上がった、バシリスクの絶叫。赤黒い大量の血飛沫。
鈍重な筈の魔獣の巨体も、流石に額のダニエルの顔を苦悶に変えてのた打ち回った。
「ジークさん、リンファさん、大丈夫ですか!?」
聞き慣れた、それでいて緊張した声色がする。
二人が振り向くとそこには、風穴からよじ登ってくるレナの姿があった。
慣れないアスレチックな場面を、同伴してきたステラの差し伸べる手に支えられて何とか
通過して、彼女らは一層目を丸くしたジーク達の傍らへと駆け寄ってくる。
「レナ、ステラ……。お前らどうして」
「もしかして、この巨体は……?」
「そうだよ。召喚型の魔導具・征天使。レナのとっておき」
「……そっか。ありがとよ、コイツは心強ぇや」
言われ、恥ずかしそうに指先の指輪──この巨大な天使の本体を撫でているレナの代わり
にステラが答えていた。
思わぬ援軍だ。それにしても、レナが自分から戦いに来てくれるなんて……。
ニッと笑い返してやりながらもジークは思った。
「目には目を歯には歯を、デカブツにはデカブツだな」
二刀を構え、のた打っているバシリスクに警戒の視線を向けままの“征天使”と横並びに
なる。
レナとステラを背後に控えさせて、再び構えるジークとリンファ、そして征天使。
対するバシリスクも、肩口から血を流しつつも魔獣の再生能力で持ち直しながら再び向き
直り、再度攻撃をしようとしてくるのが見えた。
「──前ばかりじゃないのよ?」
だが今度は背後からの邪魔が入った。
口を大きく開こうとしたバシリスクを、強烈な冷気の波が圧し倒していた。ギシッと列車
の屋根がその衝撃で凹む。
「団長!」「イセルナ」
ジーク達の持ち上げた視線の先、バシリスクの背後の中空に、イセルナがいた。
持ち霊・ブルートと合体し、冷気の翼を纏った飛翔形態。始めから全力全開で加勢してく
れている団長の姿。
「遅れてごめんなさいね。今、ダン達が皆を後ろの車両に誘導しているわ」
「避難が完了した後、ここと後続車両とを切り離す。それまで時間を稼ぐんだ!」
「分かった! 任せとけ!」
そして中空から叫ばれた作戦、仲間達のフォローの全容を知り、ジークは頷いて叫び返し
ていた。少なくとも乗客をこの場から逃せられれば、後は存分にぶちのめせる。
「……来るぞ!」
正眼に太刀を構えたリンファの叫びが合図だった。
三度バシリスクから放たれた石化光線。それを征天使の障壁で掻き消すと、ジークとリン
ファはその発射後の隙を突いてぐんと屋根を駆けてゆく。
懐に飛び込んで来た二人に、バシリスクは雄叫びと共にその巨体を振るってきた。
振り降ろされる強靭な脚や尾。そのひどく重い一撃を一つ一つ、撹乱しつつ避けながら、
二人は錬氣を込めた斬撃をぶつけては飛び退いていく。
「じっとしてなさい!」
「盟約の下、我に示せ──悪魔の擲槍!」
そんな二人を、イセルナとステラが援護した。
中空からは冷気の翼の羽ばたきから放たれる無数の氷の刃を。頭上の紫色の魔法陣からは
血色の文様に彩られた槍状の闇を。バシリスクは身体を、そして最大の武器である口を、彼
女達の魔導によって塞がれる格好となる。
「グ、オォォォォッ!!」
だがバシリスクもやられっ放しでいる筈はなかった。
身体中に刺さった氷や血色の槍を激しくもがきながら振り払い、引き千切ってゆくと、同
時にまた口の中に石化光線のエネルギーを収束させ始める。
「なっ、至近距離で!?」
「くっ……! 退け、退くんだ!」
こうなると、ジークとリンファも肉薄し続ける訳にはいかなかった。灰色の光が強くなっ
ていくのを瞳に移しながら、急いで散開し、大きく距離を取り直そうとする。
「──いや、その必要はないよ」
だが、また変化があった。
ポツリと呟くような声が聞こえたかと思ったその刹那、マナを纏った一条の輝きが寸分の
狂いもなくバシリスクの顔面──ダニエルの右目に命中したのだ。
堪らずバシリスクは痛みに咆哮し、その所為で石化光線はあさっての方向の空へ消える。
「車両の方はダンとミアちゃん達に任せてきた。僕らも加勢するよ」
「大丈夫!? 兄さん、皆!」
「ああ……。大丈夫だ!」「すまない、助かった」
背後、イセルナの眼下の屋根から蓋を開けて姿を見せていたのは、弓を放った姿勢のまま
のシフォンとその傍らに張り付いて風圧にふらついているアルスだった。
ジーク、そしてリンファが答えると二人はフッと安堵したように笑った。そしてアルスが
自分達で挟み撃ちにしている魔獣をじっと見て、叫ぶ。
「皆、先ずは背びれを壊して! バシリスクの光線のエネルギーは背びれから取り込んでい
るんだ!」
「本当か? 分かった! ……ん? でもアルス、何でお前そんなこと──」
「何をぶつぶつ言っている、来るぞ!」
アルスからの作戦指南。ジークは反射的にそれを信じ受け取ったが、同時に何故そんな事
を弟が知っているのかという疑問が思考を過ぎった。
しかし既にバシリスクは動き出しており、リンファがぼやく暇すら与えない。
「盟約の下、我に示せ──大地の加護!」
先ずは薙ぎ払われた尾を飛び退いてかわし、アルスが完成させた詠唱がジーク達の身体の
表面に土色のオーラを付与する。
振り上げた脚、吐き出す石化光線。
だがそれをジーク達がかわし、或いは掠ってしまう度に、まるでそのダメージを受け止め
るように薄らと土色の壁のようなものが見え、石化も痛手も防いでくれていた。
どうやらアルスの掛けてくれたこれらは、防御系の術式であるらしい。
「兄さん、早く背びれを!」
「ああ、分かってる!」
巨体からの迎撃、それを押さえ込もうと飛んで来るイセルナやステラ、シフォンからの援
護射撃。その雨あられの中を掻い潜って、ジークはリンファと併走し、再度バシリスクの懐
へと切り込んでいく。
「トナン流錬氣剣──」「おぉ──」
両側を挟んで二人が跳んだ。
どっしりと構えた横撫での太刀と、振り上げた大上段の二刀。錬氣を宿した一撃を、
「鬼刃!!」「らぁッ!!」
二人はすれ違いざまにかの魔獣の背びれへと放って斬り結ぶ。
バシリスクは悲鳴にも似た断末魔の声を上げた。二人の渾身の一閃に、ゴツゴツと生えて
いた背びれが縦に横に斬り捨てられ、走り続ける列車の遠景の中へと吸い込まれて消える。
「おっと……」
「はわっ。だ、大丈夫ですか?」
「ああ。フォローすまない」
「お、おぅ……。悪ぃ」
そして跳躍した余り屋根の外へ飛び出しかけた二人を、イセルナとレナの征天使がしっか
りと受け止めてフォローしてくれる。
イセルナに手を取られてぶら下がったリンファが、征天使の掌に乗っかったジークが、そ
れぞれに苦笑を漏らして礼を述べていた。
「お~い! あんたらだな? 乗客の誘導が完了した、衝撃に備えてくれ!」
するとドタドタと運転席に駆けてきた人影があった。
風貌はジークらと同じく冒険者。どうやらダンらと共に避難誘導をしてくれていた一人で
あるらしい。
彼は運転席の風穴からこちらを見上げると、そう準備完了の報せを持って来てくれる。
「分かりましたー! そちらも手筈通りお願いしま~す!」
一番風穴に近いレナが眼下の彼に返答をした。ハロルドやサフレ、マルタと共に彼は大き
く頷く。するとまた数歩車両の方へと駆け出し、後続の仲間達に手旗の合図を送った。
「よぉし……。それじゃあ、切り離すぞ!」
車両を切り離すその境目の位置にスタンバイしていたダンが、その合図を見て振り向いて
叫んだ。ミアや誘導に協力してくれた冒険者らと共に、車両同士を結んでいる連結器の隙間
へぐぐっと蹴りを込め始める。
「う~……っ」
「にぎぎ……!」「ぐぬぬ……!」
「どう、りゃぁぁぁッ!!」
やがて大人(ミアも一応は成人だ)達が一斉に加えた力が、ぐらりと連結を緩め始めた。
こうなると後は力を込め続けるのみで、車両は遂にバシリスクが乗っている車両と残りの
乗客達がまとめて避難した後続車両に分断される。ダンらが振り落とされないようにサッと
飛び乗り直す中で、切り離された後続車両が乗客達の不安げな眼差しと共にどんどん遠退い
ていく。
「切り離し成功だ! 速度を上げろ!」
「……了解!」
運転席へダンが叫び、ハロルドがぐっと操縦桿をフルスロットルに前倒しして自分達の残
る車両を加速させた。ぐんぐんと速度は上がり、動力を持たない遠くレールの上の後続車両
との距離はますます離れ、その姿が豆粒以下に小さくなる。
そんな変化をバックミラー越しに確認し、ハロルドが風穴の先のジーク達に叫んだ。
「作戦成功です! バシリスクを外へ弾き飛ばして下さい。こちらもすぐ追いつきます!」
「う……ういッス!」
飛翔態のイセルナやレナの征天使に庇って貰いながら、ジーク達は衝撃に備えて屋根にし
がみついていた。
これで乗客という憂いは排除できた。後はもっと別な場所に似非神父を隔離して──。
「吹き飛ばして、征天使!」
「え? ちょ、待っ」
すると次の瞬間、レナの呼び声と共に征天使が急に加速して、背びれを失ってうめいてい
たバシリスクを突進と共に列車から弾き飛ばしたのである。
先刻から征天使当人(?)に抱えられていたジークも、当然その爆発的な加速の風圧に晒
される格好となり、ぐわんぐわんと脳味噌を揺さ振られる格好になった。
「……レ、レナ。お前って、結構大胆なんだな……」
「え? あぁっ!? ご、ごめんなさい! ごめんなさい!」
冷気の翼を纏う伴霊族の女戦士と、巨大な天使を従えた有翼の少女。
彼女達に運ばれるようにしてジーク達は列車から離れ、地面に降り立った。
衝撃がよほど凄かったのだろう。バシリスクは大きな転がりの軌跡を長々と地面に残し、
ピクピクと悶えているようにも見える。
「あはは……」
「ぼさっとしないで。皆、とどめを刺すわよ!」
そしてジーク達はよろめいて立ち上がろうとするバシリスクに向き合った。
咆哮。そこに最早かつてダニエルという一人の人間だった面影はない。ステラが無言で眉
間に皺を寄せる中、面々は一斉に地面を蹴る。
アルスの助言の通り、バシリスクはもう光線を吐けなくなっていた。
だとすれば、後は巨体の薙ぎ払いを封じればいい。
アルスとシフォン、ステラの援護射撃を受けて、ジーク達は最後の抵抗をみせるこの狂信
の徒の成れの果てを追い詰めていく。
「おぉぉぉぉ!!」
そして──ジークが駆け抜けざまにその腹を深々と斬り裂いたのが決め手となった。
辺りに響いた断末魔。
ブバッと血飛沫が上がり、ジークの背後でどうっとバシリスクの巨体が地面に倒れ込む。
そうしていると、ようやく停車させた車両からハロルド達が合流してきた。
「やりましたか?」
「ええ……。何とか」
流石に疲労して、ジークは肩で息をしながら振り返っていた。
しかし、そんな彼の横を通り過ぎてバシリスクの方を見ようとしたダンは「む?」と眉根
を寄せて呟く。
「……この野郎、まだ息があるぞ」
確かに、よく見てみるとバシリスクは再生が追いつかないほどの大量出血に見舞われなが
らも、まだ辛うじて虫の息を残していた。
その言葉を聞いて小走りに集まってくる仲間達。
暫しじっとダンは黙っていたが、そのまま戦斧を取り出して振り上げ……。
「待って下さい」
だが、その手をジークは止めていた。
視線を向けてきたダンに、彼は真剣な──自身に何かを課すかのような眼で言う。
「俺が殺ります。けじめをつけなきゃいけないのは……俺なんです」
「……分かった」
斧を下げて、ダンが一歩下がった。
代わって、バシリスクのすぐ傍らに立ったジークは。
「これで……ようやくお終いだ。似非神父」
そう呟くと、正眼から振り上げた刀にありったけのマナを込め、その太くゴツゴツとした
魔獣の首へと刃を一気に振り下ろして──。
かくして、突然の襲撃事件は解決をみた。
しかし何の了承もなく車両を切り離され運行を乱されたとして、鉄道当局やまるで頼られ
なかった所管の守備隊の担当者らにはこってりと絞られる羽目になってしまった。
──理不尽な。こっちは必死の思いで倒したのに。
ジーク、そして仲間達は少なからずそんな事を思ったものの、言った所で理解される保証
など何処にもない。所詮は“保身”や“不変”にしか関心がないのだ。ジークは説教されな
がらそう結論付けて適当に話を聞き流す事にしていた。
故に、当局から解放され、再びサンフェルノへの旅路に戻った頃には予定は大きく狂って
しまっていた。急いでダイヤを確認し、村の最寄の駅に着いたのは日も暮れてしまった後。
仕方ないにしてもずんと身体に纏わりついた疲労感を供に、ジーク達は薄暗くなった林道
の中を歩く結果となっていた。
「……すみません。俺の所為でまたこんな……」
「いいのよ。仕方ないじゃない。“電車が事故で遅れた”のだもの」
「そうだよ? だから兄さんが悪いんじゃないんだよ。ね?」
「……。分かったよ。そういう事にしとく」
旅荷を背負いぼやくジークに、弟からは、仲間達からはあくまで許してくれる言葉が返っ
てくる。少々トーンを落としジークは不承不承よろしくやり取りを収めこそしたが、やはり
自責の念が消えるようなことはなかった。
(やっぱり、俺が村になんて……)
ぶり返してくる帰省の躊躇い。遅れる旨は道中で連絡を入れたが、果たしてこれで如何ほ
どの迷惑を重ねたことになるのか。
「──あ、来た来た。お~い!」
だがそうしていると、その時はやって来た。
ふと目に飛び込んでくる、夜を照らす集落の灯り。こちらに手を振ってずらりと待ち構え
ている多くの人影。
「皆……。母さん、先生……!」
アルスがぱあっと心なし明るい顔になって先んじて駆け出していた。ジーク達も顔をちら
と見合わせると、同じくやや歩む速度を上げる。
「……」
待ってくれていた。遅くなると言ったのに。
村の、故郷・サンフェルノ村の入口の前で、村の皆が灯りを焚いて待ってくれていた。
「おぅ! 随分と掛かったな!」
「ブルートバードの皆さんですね? どうも。ジークとアルスがお世話になってます」
見間違う訳がなかった。皆の顔。歳月は経っているとはいえ、記憶にあるそれと、彼らは
綺麗に次々と一致していく。
「──お帰りなさい」
ハッとなって、ジークが、そしてアルスが視線を向けた。
村の皆のやや中央拠りな位置。そこに立っていたのは、簡素な白エプロンを纏った、一人
の柔和な顔立ちな黒髪黒瞳の女性で……。
「母さん……」
兄弟は躊躇いと嬉色と、互いに別な感情を漏らして母──シノブ・レノヴィンを見遣る。
だが彼女はそんな“不安”も何もかも、全てを包み込んで癒してくれるかのよう。
歓迎の意。彼女はそんな村の仲間達と共にフッと小首を傾けて微笑むと、
「お帰りなさい。……久しぶりね。ジーク、アルス」
そう静かに優しく、息子達を迎えてくれたのだった。