11-(3) 残りし者達
「聞いてませんわ、そんなこと!」
ユーディ研究室にて、シンシアはそう叫びながら両手でテーブルを叩くと同時に立ち上が
っていた。ガタンと音がし、机上のテキスト類やカップが揺れる。
──アルス・レノヴィンが兄と共に故郷に帰省した。
その報せをルイスから聞かされ、思わず彼女は反射的にそんな反応をしてしまっていたの
だった。
「まぁそうだろうねぇ……。だけど別に、アルス君にはエイルフィードに話さないといけな
いっていう必要とか義務はないと思うんだけど」
しかし対するルイス自身はあくまで冷静──いや何処となく彼女のそんな反応を楽しんで
いるかのようだった。キンッと上がった声の響きが引いたのを見計らって、彼はそう少しば
かりの弄びな言の葉を加えつつ微笑んでいる。
「ぬぅっ。それは、そうですけれど……」
だがここで彼の口車に乗って熱くなってしまっては思う壺だ(このゼミで顔を突き合わせ
て以来、嫌というほど経験したためである)。生来の負けん気が抗議の声を上げているのを
無理やり無視すると、シンシアはぐっと堪えるようにして呟き、渋々席に着き直す。
(この前の“結社”との件もそうでしたけど、随分と急な話ですわよね……)
それでも胸の内のもやもやは打ち消せなかった。むしろトクトクと一層強くなっていくよ
うな気さえする。
多分、それは「また除け者にされた」という感慨。
じっと胸元に軽く握った片拳を当てていると、はたとそんなむくれている自分に気付かさ
れて思わずシンシアは眉を顰めた。
(な、何ですのよ……。これじゃあ、まるで私が彼と──)
そして脳裏に蘇るのは、演習場でヘトヘトになりながらも自分に全力を賭して応え、笑っ
てみせたあのとても優しい微笑みで。
「……ッ」
顔が、身体が沸くように熱を持つような気がした。
ずるい。追いつこうとしても、貴方はそ知らぬ顔で笑い、また何処か自分の預かり知らな
い場所へと赴こうとしている……。
「ヴェ、ヴェルホーク? そ、その。アルス・レノヴィンの帰省先というのは──」
「うん? 何、もしかして追いかけるの? 愛しの彼を?」
「そっ……! そそそ、そんな訳ないでしょう!? いきなり何を仰るのやら……!」
だからこそもっとルイスから詳しい話を聞いてみようとしたのだが、ルイスは微笑の細目
を僅かに開くとそんなフレーズを浴びせかけてくる。
ボフッと、身体中が沸騰するような心地だった。気付けば殆ど反射的に否定して怒鳴って
しまっていた。だがそんな彼女の反応を、ルイスはにやにやとほくそ笑んで面白おかしそう
に見遣っている。
(……結構、面白い人だな)
学年次席とは言っても、本質は同年代の箱入り娘といった所なのだろう。
ルイスはまた一つ“オモチャ”を確信したようで密かな笑いが止まらない。
(でも。だからこそ彼女には話せないよねぇ……。アルス君とお兄さんの帰省の理由)
しかしそんな表情も次の瞬間にはなりを潜め、微笑の中、冷静な眼が向けられていた。
詳細はフィデロからの又聞きであるにせよ、事は重大らしかった。
何せよお兄さんの持っていたあの六本の剣がこともあろうに“聖浄器”である可能性が高
いという結果が出たのだから。
フィデロの見立てなら笑って信じなかったろうが、実際はマグダレン先生。こと魔導具に
おいては学院随一の専門家だ。故に十中八九、聞かされた情報は正しいものだと思う。
フィデロの話では、マグダレン先生はお兄さんにその剣のルーツを調べる──彼にそれら
を託したという母に今一度問い質すべきだと助言したそうだ。だとすれば今回の帰省はその
目的の為だとほぼ確定する訳で……。
(アルス君の才能がアレな分、お兄さんの方も曰く有りってことなのかな……?)
まだ顔を赤くして何やらもごもご言っているシンシアを見遣りながら、ルイスはそう既に
切り替わった思考の中にずずっと沈んでいく。
「……ヴェルホーク君。あまり彼女を苛め──弄らないように」
「は~い」
そしてエマも、デスクの上からそんな彼女達ラボ生らのざわめきを窘め、そっとブラック
のコーヒーを淹れたカップに口をつける。
『──それは、本当の話なのですか』
脳裏に蘇っていたのは、暮れなずみの学院長室。
エマは急遽呼び出されて同室を訪れ、ミレーユと既に同席していたバウロからその理由と
なる事態を聞かされることとなっていたのだ。
『ええ。マグダレン先生、念の為に確認しますが』
『うむ……。間違いないぞ。少年を帰す前に走査も施させてもらっている。これが、その分
析結果だ』
バウロの小脇に抱えられた紙の束がテーブルの上に広げられる。
それは一見すると複雑に多数の曲線が入り乱れたグラフのようだったが、彼女らはこの道
の専門家達。暫くじっとその分析結果に目を通すと、ミレーユもエマも一様に厳しい表情で
眉根を寄せていた。
『認めたくはないですが……。本物の聖浄器、ですね』
『ええ。このストリーム波形とルーンの構造式は間違いなく“魔導開放期”頃の主流様式と
一致する。驚いたわね、まさか一介の冒険者がこのような代物を所有していたなんて……』
『同感ですな。私も何故彼がこのようなアーティファクトを持っているのかを訊ねたのです
が、当人は知らぬ存ぜずでして……。曰く母から託されたものだ、父が昔愛用していたもの
である、と……』
『……レノヴィン君の、ご両親?』
ミレーユがぴくりと片眉を上げていた。
その反応に予想はついていたのであろう、バウロは居住いを正して彼女に向き直ると続け
て答える。
『はい。ですので、私は両親に出自を問うてみるべきだと進言した次第です。尤もその両親
ですらルーツを知らないという可能性はありますが……』
『そうね……』
学院長のデスクの上で、ミレーユは両手を組み、暫くじっと考え込んでいるようだった。
エマも、バウロも、何か見えない糸に捕らわれたかのようにその場に直立不動の姿勢を取
り、じっと次なる言葉を待っていた。
『……。マグダレン先生、この事は他の誰にも?』
『一応は。ですが一人だけ、彼を仲介してきた私の研究室生のフィスターという者は少なか
らずこの事態を知ってしまっています』
『そうですか。それでも、事態の大きさは多少なりとも理解しているでしょう。それとなく
口止めをしておいて下さい』
『承知致した』
やがて、彼女はスッと椅子に沈んでいた身を起こして二人に指示を与え始めた。
屈強なバウロすら圧倒する風格で。そこにはにこやかで飄々とした普段の彼女はなりを潜
めてしまっている。
『ユーディ先生』
『はい』
そしてエマには、また別の指示が下された。
『貴女には、内々に身元の再調査をお願いします。アルス君──いえレノヴィン兄弟の出自
をもう一度洗い直して下さい。取るべき対応は……今の段階で決めてしまうのは些か拙速だ
と判断します』
ビリビリとこの場に、身体中に緊張が走るのが分かった。
それでもエマは一度小さく頷くと、
『……承知致しました』
そう深々と腰を折ってその密命を拝承したのだった。
(……レノヴィン兄弟の里帰り、ですか)
コトンとデスクの一角に空になったカップを置き、エマは立てていた聞き耳から思案を巡
らせる。
確かルイス・ヴェルホークはフィデロ・フィスターとは同郷だったと記憶している。おそ
らくは先程のやり取りを聞いた時点で、彼はこの内々の事案について多少なりとも既知の身
となっていると考えてよい。マグダレン先生が一歩遅かったのか、何とも噂に戸口は立てら
れぬとでも言うべきか。
それでもレノヴィン兄弟自身が帰郷したとなれば、事態は何かしら動き出す公算が高い。
まだ調査が途中だが……どうやら彼らは少し前に“楽園の眼”の一派と交戦したという情
報も届いている。
(どうやら、ただの里帰りにはなりそうにないようですね……)
ざわざわと過ぎる暗く黒い不安のような感覚。
そんな一抹には大き過ぎる胸騒ぎを感じながら、エマは一人静かに嘆息を漏らした。