11-(2) 兄弟を結ぶもの
「──里帰りだ? まだ入学して三ヶ月目になったばかりじゃねぇか」
レイハウンド研究室のソファに腰掛けて、ブレアはそう言って眉を顰めた。
何時ものように本の山の中にちょこんと座る教え子と二人──いやエトナも含めて三人、
ゆるゆると指導しされていた中でふと目の前の少年が言ってきたのである。
「はい。今度兄さんが久しぶりに村に帰省する事になりまして。僕もその付き添いに……」
「事務の人の所に届出を出しに行ったらさ、先ずは指導教官にサイン貰ってきてくれって言
うんだもん。だからこの時間まで待ったんだよ?」
解き終わった問題集を横に置き、アルスとエトナが互いを補足するように答えていた。
一人は少なからず嬉しそうでもあり不安そうでもあり、もう一人はたらい回しな事務の反
応に少々気を悪くしているようで。
「ふむ……」
口元に手を当てながら、ブレアはアルスが鞄の中から差し出してきた外出届の書類を受け
取ると、ちらと眼だけを上げて言う。
「そいつは、もしかしなくてもその兄ちゃんの剣──魔導具の件か」
「!? 知って、らしたんですか……?」
「おいおい。俺だってここの教職員だぜ? 教員同士、情報交換の一つや二つ普通にやって
るっての。……と言いたい所だが、実際はバウロのおっさんの方から聞かされたんだよな」
「マグダレン先生に、ですか……?」
考えてみれば充分過ぎるくらいにあり得る話だ。
マグダレン先生は魔導工学が専門であり、確か兄の刀を診てくれたと聞いている。その出
自が不明だというのだから、彼自身も気になって他の同僚を当たったという事はあってもお
かしくはないだろう。
アルスは静かに目を瞬かせつつ、そう内心で納得させていた。
「ああ。おっさん、凄ぇ剣幕でなぁ。『お前の教えている兄弟は一体何者なんだ?』って詰
め寄って来てさ……。その時は俺も初耳だったから知らぬ存ぜずで通したんだが……」
その間にも対するブレアはふっと肩をすくめて語っていた。
やれ顔が恐いのに至近距離はキツイだの、やれあんたの専門で分からねぇんなら俺が知る
訳ないじゃんよだの。
「でもびっくりしたぜ。何でもその兄ちゃんの剣、“聖浄器”だそうじゃねぇか」
「えっ? 聖浄器!?」
だが次の瞬間、ブレアから告げられたその言葉にアルスは思わず驚愕の声を上げていた。
「バ、バカ! そんなデカい声出すなって……! この話、まだ全員が全員知ってる訳じゃ
ねぇんだぞ……」
「す、すみません……」
「……まぁいいや。でも何で知らないんだ? お前、実の弟だろ? 下宿の部屋だって同じ
なんじゃなかったっけ?」
「そうですけど……。でも僕、そんなこと初めて聞きました……」
ブレアが慌てて身を乗り出して塞いでくる口をもごもごと動かしつつ、アルスは動揺でぐ
らつく眼でこの指導教官を見遣った。
何故兄さんはそんな大事なことを教えてくれなかったのだろう? もし本当に聖浄器だと
すれば間違いなくアーティファクト級──然るべき機関が預かり、保管すべき代物なのに。
(まさか……)
しかしややあってアルスは思い至る。そして苦笑を漏らさざるを得なかった。
おそらくだが、兄に故意はない。……多分忘れているのだ。
自分たち魔導師にとっては大層な代物だが、門外漢の──そして昔から小難しい勉学は不
得手だった兄にとっては意味不明の単語として記憶されているのだろう。
それだけならまだ良かった。帰って来てから訊いていれば皆でバックアップできたろう筈
だから。でも実際は、兄が学院に赴いた日の夕暮れにそんなやり取りのインパクトすら凌駕
する出来事が起こっている。言うまでもなく、シフォンさんが“結社”に囚われた一件だ。
あの時の交戦とその後の混乱は大きなものだった。
だからこそ兄は責任を感じ、先日ロビーでイセルナさん達に帰省の為の暇を申し出ていた
訳で。でもその時既に、記憶の中には「聖浄器」という専門用語は消えうせていたのだろう
と思われる。
兄の意識にあったのは、自分の刀が原因で皆が危ない目に遭ったこと、その罪悪感。
そしてその謂れを母さんが知っているかもしれないという可能性だったのだろう。
つまり兄は友の一件を挟んだ事で、記憶に急激な篩いが掛けられたとも言えるのである。
(兄さん……。何で忘れちゃうのさ……)
ぐわわんと慌しく脳裏を掠めていった推測を確信めいた直感に変え、アルスは大きなため
息をついていた。
少なくとも聖浄器らしい件を話してくれれば、自分も協力する事はできたろうに……。
“結社”との一件の後感じていた負い目も、自分が一緒に背負ってあげられたのに……。
そんなアルスの呆れや申し訳なさ、色んな感情が混じった苦笑に気付き、何を思っていた
のかを察してくれたのか、傍らのエトナもまた複雑な表情でこちらを見遣ってくれている。
「……ま、知らなかったなら仕方ねぇわな。俺がこの話をしておいて正解だった訳だ」
そんな二人のやり取りを横目に映しながら、ブレアはテーブルの上の書類を手にざっと目
を通していた。
項目がアルスの自筆で埋められていることを確認すると、後ろのデスクに振り向いてペン
立てから一筆を取り出し、サラサラっと指導教官印の欄にサインを走らせる。
「ほれ。これで事務の連中も受理してくれるだろう。そのもやもや、スッキリさせて来い」
ピッとその書類を差し出し返すと、アルス達にそうにんまりと笑い掛けて。
出発の日はシフォンの退院の日程に合わせて決められていた。
その当日、酒場『蒼染の鳥』のドアには「CLOSED」のプレートが下がっていた。
ハロルドがその木目をサラッとなぞり、そっと踵を返して皆に合流する。
「皆、準備はいいわね?」
「おう。バッチリだ」「ああ。問題ない」
メンバーはイセルナら創立メンバー五人とミア、レナ、ステラの三人娘。そしてサフレと
マルタ。何よりも当事者であるジークとアルスのレノヴィン兄弟を忘れる訳にはいかない。
旅支度を整えたイセルナを筆頭に、合計十二人(持ち霊二人を加えれば十四人)。
そのジークら面子を見送る形で、留守番を任された残りの団員らが店側に立っていた。
「それじゃあ私達が出掛けている間、ホームの事はよろしくね。大丈夫だと思うけど、何か
不測の事態があったらバラクに──サンドゴディマに連絡を飛ばして。彼には助力して貰え
るよう話をつけてあるから」
「ういッス!」「お任せを!」
「大丈夫ですよ団長。俺達でしっかり守ってみせますって」
次々に自分達のクランに誇りを持って胸を張ってみせる部下達に、イセルナはふっと優し
い微笑みを浮かべてさえいる。
「……」
だがそんな中にあって、ただ一人ジークだけは少々浮かない顔をしていた。
腰に下げ、差した六刀。今回の一連の騒動の原因と目されている刀剣の魔導具。それらを
無意識に手で撫でたり握ったりを繰り返しながら、彼は嘆息めいて皆に改めて問う。
「……なぁ皆、本当について来る気なのか?」
「勿論よ。認める代わりにって言ったでしょう? 今回の件は、貴方だけが背負うことじゃ
ない。私達皆で解決すべきことよ?」
「そうだな。せめて共に歩くことくらいは許してくれ。友として、仲間として……ね」
「シフォン……」
それでも仲間達の答えは随伴のそれで。
退院し、すっかり元気を取り戻した友の言葉に──見舞いの折、彼自身から語られた思い
を反芻させるようなその言い回しに、ジークは思わず彼の微笑を見返す。
「もう、兄さんったら。……人の厚意は素直に受け取らなくっちゃ駄目なんだよ?」
「そうそう。ジーク一人じゃ危なっかしくて見てらんないもの」
アルスもエトナも、彼の言葉に追随していた。
酒場の前を舞台にするように、団員ら同胞らと今回随伴するメンバー達と、ジークと。
「…………」
皆の眼差しが、笑顔がジークには眩しかった。
同じ釜の飯を食うといった仲間意識、興味や好奇心、或いは友情、密かな決心諸々。
元を辿れば自分の所為なのに。なのに皆は自分達の依頼を足早に片付けてまで時間を作っ
てくれた。申し訳なさと嬉しさが、胸の内に同居する。
「……分かったよ」
だからか、それとも始めから本気で拒絶する意思はなかったのか。
やがてジークはため息交じりの声を漏らしてみせ、ゆたりと身を翻した。
眼前に遠く広がっているのは、朝靄にまだ眠っているアウルベルツの街並みとその先に広
がり故郷に繋がっているであろう遠方の大地、おぼろげな稜線群。
「後悔すんなよ? 俺にだって、これから何があるか分かんねぇんだ」
遠回し。だけどそれは許諾と出発の合図に他ならなくて。
だからアルス達は、皆はニッと笑い合った。先に足を踏み出していこうとするジークの背
中を一瞥し、ダンがここぞと音頭を取る。
「じゃあ行くとしますか。レノヴィン兄弟の故郷──サンフェルノへ!」
『応ッ!』
拳を突き上げ、その期待も不安も一緒くたに抱き込むように。
肩越しに苦笑するジークとその仲間達の重なる声が、朝ぼらけの街にこだました。