1-(4) 歓迎の夜
「それじゃあ、未来の大魔導師クンのこれからを祝して……乾杯!」
『乾杯~っ!!』
そしてその夜。
酒場『蒼染の鳥』にて、アルスの歓迎会が幕を開いた。
大ジョッキを片手にしたダンの音頭を皮切りに、クランの団員達は一斉に唱和してお互い
のジョッキを打ち合わせる。
「か、買い被り過ぎですよ……」
そんな彼らの輪の中に放り込まれたようにして、今夜の主役たるアルスは恥ずかしそうに
苦笑しながら呟いている。
「そんな事ないよ。アルスはもっと自信を持っていいと思うけどなぁ」
「う~ん……。そう言われても」
ふわふわとその傍らで浮かんでいるエトナは、パートナーが主役なこの宴を喜んでいるよ
うだった。ちびちびと目の前の料理を口にしているアルスに、彼女はせめてこんな時くらい
は胸を張っていいものにと思いながらそんな言葉を投げ掛けてみる。
「ま、謙虚も美徳だがな。だが顔を上げなきゃ見えるものも見えなくなるってもんよ。ほら
よアルス。お前も飲め飲め」
「……はい」
そうしているとダンと、複数の団員達がずいっと身を寄せてくる。
ドンッとテーブルの上にジョッキを置き、ダンがそこになみなみと酒を注ぎながら言う。
アルスは勧められるがままにそっとジョッキを両手で掴んだ。シュワシュワと静かに泡が
せり上がってくるたっぷりの酒を、ゆっくりと時間をかけて飲み干していく。
「ふはぁ……。げぷ」
わっとテンションの上がる面々。
だがその量も相まってか、飲み終えたアルスは苦しそうに見える。
「ん? どうした、もしかしてキツイのか?」
「は、はい……。正直あまり慣れていなくって……すみません」
「お前が謝ることはねぇよ。副団長。そいつに無茶させないで下さいよ?」
「……お父さん、お酒が絡むと強引だから。アルス、大丈夫?」
「は、はい。何とか大丈夫です」
すると皆の輪の横でシフォンと飲んでいたジーク、焼き魚の肴をつまんでいたミアが口々
にダンに批難の声を漏らした。
「ぬぅ……ミ、ミアまで。あ~……分かったよ、俺が悪かったって」
堪らず渋面を漏らしてダンが言い放つと、周りはにやにやとしたり我が事と苦笑したり。
そして流石にその後はアルスに無理に飲ませようとする者はおらず、代わりに彼への質問
攻めの時間が始まっていた。
「魔導は何処で勉強したんだい?」
「村の教練場(寺子屋のようなもの)の先生が元魔導師で……。その先生に基礎から教えて
貰っていました。あとは自分で色んな魔導書を読んでみたり、でしょうか」
それは魔導師としての彼だったり。
「エトナちゃんとの馴れ初めはどんな感じ?」
「ふふ~ん。聞きたい? 聞きたい? えっとねぇ──」
「村の近くの、子供の頃よく皆で遊んでいた森の中に住んでたんです。その頃から僕は精霊
が見えていたみたいで、一緒くたになって遊んでいて。多分それが最初だと思います」
「むぅ。それは確かにそうなんだけどぉ……」
持ち霊エトナとの出会いについてだったり。
「はいは~い。アルス君の好きな女の子のタイプは何ですか?」
「ちょっ、レナ──」
「う~ん……あまり考えた事ないですね。馬が合うのなら別にこだわりなんてないと思うん
ですけど、やっぱり僕にないものを持っている人がいいのかなぁ」
「そっか~。だって、ミアちゃん?」
「……レナのバカ」
はたまた色恋沙汰についてだったり。
語らい、飲み交わし、笑い合い。
やがて宴の空間は主役だった筈のアルスをそっちのけで散らばってゆく。
『ハイ八杯目、ハイ八杯目、ハイ八杯目~!』
「んぐっ。くはぁ~!」
「……うむ。美味だ」
中央のテーブルではいつの間にかダンとリンファの飲み比べが始まっていた。
すっかり出来上がった団員達のコールの下で、豪快な飲みっぷりのダンと、同様に飲んで
いる筈なのに平然としているリンという酒豪二人が何度ともなく空ジョッキを置いていく。
その騒々しい輪の外では、シフォンらが静かに時折肴をつまみながらそんな光景に視線を
遣っており、カウンター席では溜息顔のブルートと微笑を湛えるイセルナ、そしてその内側
ではハロルドとレナがゆたりと皆が平らげた料理の食器を洗っている。
「……?」
だがそんな中で、
(アルスとジークが、いない……?)
ぼ~っとテーブルに肘をついていたミアはふとそんな様子の変化に気付き、ピクンと頭の
猫耳を揺らす。
「こんな所にいたのか、二人とも」
アルスは酒場の裏手の軒下、クランの宿舎と中庭を臨む小さな段差に腰掛けていた。
ふらっと現れ、声を掛けてくるジーク。アルスはゆっくりと振り返った。
すっかり暗くなかった夜闇に、エトナの碧色のオーラが静かに溶けるように漂っている。
「どうしたの? 皆まだ飲んでるんじゃ……」
「ああ。すっかり出来上がってる。だから抜けてきた。副団長やリンさんのペースに合わせ
ちまった日には悲惨なことになるからなぁ。身を以って経験してる者としてさ?」
「あ、はは……」
思わず苦笑いを浮かべるアルス。その傍らに、ジークはそっと立った。
「とりあえずお疲れさん。見ての通り荒っぽくて騒がしい連中だけど、少なくともここの皆
は信用できるぜ? 五年ここにいる俺が保障する」
「うん。僕もね、なんかいいなぁって思った。……家族みたいな感じだよね」
「家族ねぇ……そういう類とはちょっと違う気もするが。まぁでも、同じ釜の飯を食ってる
冒険者仲間って意味じゃそうなのかもな」
ジークはそんな少々過大評価な弟の言葉に、照れ気味に頬を掻きながら言った。
家族というよりは、拠点を構えたパーティというものに近いとジークは考えていた。
冒険者としての目的は一にするが、必要以上に馴れ合う事までが集う理由ではない。とは
いえ、確かにこのクランは結束は強い方なのだろう。他のクランではもっとドライなのかも
しれないが。
「……僕も学院で友達、できるかなぁ」
するとポツリとアルスがそう呟いた。
ジークはその声を耳にし、フッと口元に笑いを浮かべる。
「大丈夫だろ。何せお前は新入生主席なわけだからな。友達かは分かんねぇけど、少なくと
も注目はされるんじゃねぇの?」
「うぅ。やっぱりそうなのかなぁ……? あまり目立つも恥ずかしいんだけど」
「おいおい。入学式のスピーチを頼まれた奴の言う台詞かよ。……やっぱ、緊張しているの
か? 無理そうなら断わればいいだろ。式までまだ日はあるんじゃねぇのか?」
「うん。来週の賢者の日(第六曜日。十二日で一週間である)だけど……。でも断われる訳
ないじゃない。学院長先生から直接頼まれたことだし……」
「真面目だなぁ」
ジークは思わず苦笑した。
だがそんな所も弟のいい所だと思った。恥ずかしくてとても口には出せないが。
「…………」
アルスはエトナのオーラを灯りに、じっと夜空を見ていた。
そこには星々の他に、遠くマナの雲海の中に“浮かんでいる大陸”が点々と確認できる。
「……僕ね。不安なんだ。厳密にいうと期待半分、不安半分ってところなんだろうけど」
ぽつりと一言。アルスはその視線のまま、そう兄に抱く思いを漏らし始める。
「……今までずっと僕は村で暮らしてて、魔導も先生にみてもらって勉強してきた。だけど
本からだけじゃ、満足できなくなっている気がするんだ。もっと色んなものを見て聞いて、
いっぱい勉強して……。もっともっとたくさんの事を知りたいんだ」
そこで一度、アルスはフッと苦笑のような声を漏らした。
「当たり前の事なんだけど、僕達の知ってる世界は今こうして立っている地面──大陸だけ
じゃない。この大陸だって実はマナの雲海に浮かんでる大陸の一つに過ぎなくて……一つの
顕界っていう世界に過ぎなくて。この空の向こうには他にも色んな世界が広がってる」
「ああ、そうだな。普段はアウルベルツの周りで仕事してるから忘れがちだけど」
「……初めて本で読んで知った時はびっくりしたよ。でも、それ以上に怖かった。結局は僕
なんて、そんなたくさんの並列した世界の中の小さな一粒でしかないのかなって……」
ジークは合いの手の後のその言葉に押し黙っていた。
学院生活の不安だけではなかったのか。
なまじ知識が豊富なだけに、そこから広がるイメージの広大さに押し潰されそうになると
いう不安。いや恐怖感なのだろうか。分からなくはない。でもそれは──。
「だから魔導を習ってるのか? 魔導は別界に行ったって通用するしな」
「う~ん……それもあるのかもしれないけど。でも、一番の理由はもっと別の事だよ」
「じゃあ何なんだよ?」
「……。内緒」
人差し指で口元を押さえ、アルスは茶目っ気ぽくそう言ってみせる。
だがジークには、それが何処か無理をしているようにも思えた。
ふよふよと傍らに浮いたまま、そんな彼を黙して見つめているエトナへちらと一瞥を向け
てから、ジークは片眉を上げて両手を組む。
「なんつーか……。お前は高い所を見過ぎだな。ポジティブな言い方をすれば上昇志向だと
も言えるんだろうが……」
ふーっと大きく一息。
今度はジークが夜空を、夜闇の中に浮かぶ大陸群を目に映す番だった。
「俺だって冒険者だ。色んなものを見てみたいって気持ちがないわけじゃない。だけどな、
そんな遠い目標つーか何つーか……背丈に合ってない所ばかりに目を遣ってばかりもどうか
と思うぞ? 頭を上げっ放しで足元が留守になってちゃ本末転倒だろうよ。高い所を目指し
たきゃ、足元から少しずつ積み上げてゆかねぇとさ」
「……足元から、積み上げる」
「ま、お前は俺と違って出来がいいんだ。そんなに焦らなくたっていいって事だよ。無理し
て崩れちまったら、結局遠回りだ。お前はお前の道をゆっくりしっかり進んでりゃいい」
アルスは少し驚いたようにそんな兄の横顔を見つめていた。
ジークもちらとそんな弟の様子を見遣る。
「……そうだね。ありがとう、兄さん」
「礼を言われるようなことはしてねぇよ。……無茶だけはするなって話だ。まだお前の学院
生活は始まったばかり──というか、厳密にはまだ始まってすらいねぇんだしな」
フッとアルスは微笑んだ。ジークはその笑顔を直視できないとでも言わんばかりに、再び
夜空の方へと顔を向けてしまう。エトナがくすくすと静かに笑っている。
無数の浮遊大陸。並列する世界。
だがそんな事は関係ない。ただ自分達は、自身の道を誠実に歩んでいければいい──。
「……頑張れよ、アルス」
「うん。兄さんも」
広き世界の片隅で。
久々に再会を果たした兄弟の一日目は、こうして過ぎてゆくのであった。