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ユーヴァンス叙事詩録-Renovin's Chronicle- 〔上〕  作者: 長岡壱月
Tale-10.道程より見渡せば
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10-(0) 因果の糸は手繰られし

 その日、とある書簡に目を落としながら一人の男性が眉根を寄せていた。

 淡い金色の長髪を後ろで緩く括り、腰掛ける黒革張りの椅子にどっしりと背中を預け、片

肘をデスクの上につき、じっと黙してその書簡に目を通している。

 彼自身を見れば胸元を緩めたワイシャツ姿──ラフなものの、その周囲を彩る室内の調度

品はどれも洗練された品質を漂わせており、彼が相応の身分であることを示していた。

 セオドア・エイルフィード。近しい者達からの愛称はセド。

 ここアトス連邦朝中西部の都市・打金の街エイルヴァロの領主その人である。

「セド様」

 軽い数回のノックの後、ドアの外からそう聞きなれた男性の声が聞こえてきた。

「おう。開いてるぞ、入れ」

 貴族──有爵位者の割には案外ざっくばらんな口調。

 顔を上げると、セドはそうデスクの上から彼を促し室内へと招き入れる。

「失礼します」

 折り目正しい一礼をして入ってきたのは、黒の正装を身に纏った壮年の男性だった。

 アラドルン・ヴォルガー。エイルフィード家の執事長であり、セドにとっては幼少の頃か

ら仕えてくれている頼れる副官でもある。

 その背後にはアタッシュケースを手に提げた数人の使用人──機巧技師らの姿もある。

 アラドルンは数歩進んで室内でセドに向き合うと言った。

「評議会の時間が近くなっています。そろそろ回線の準備をと思いますが」

「ああ、もうそんな時間か……。いいぜ、始めてくれ」

 壁際の柱時計を見遣りセドは呟くと、そう承諾の言葉を返した。

 すると「はい」と再び小さく低頭して、アラドルンはドアの前で控えていた技師らに作業

の開始を指示する。

 室内の隅に這わせた配線の繋ぎ口に、技師らが取り出した機材を接続していく。

 その様子を横目に見ながらセドは椅子から立ち上がると、背もたれに引っ掛けていた正装

の上着を手に取り、羽織ろうとする。

「……セド様、その書簡は?」

「ん? ゲドとキースからの報告書だよ。昨夜届いた。お前読んでないのか?」

「はい。執務室に届けるように指示はしましたが、私が検めた訳ではありませんで」

「そっか。まぁいいや……。だったらお前も目を通しておいてくれ」

「畏まりました」

 主が身支度をしているのを一瞥してから、アラドルンは断りを得てデスクの上に放置され

ていたそれを手に取り目を通し始めた。

 だがややあって、その整えられた白髪交じりの口髭、歳にも拘わらず精悍な顔立ちに静か

な緊張が走る。ぎゅっと寄せられた眉根。彼は書簡を手にしたまま、主に問い直した。

「この内容は……」

「ああ。またうちのじゃじゃ馬娘が面倒事に首を突っ込んだらしい。まぁ、半分は成り行き

みたいらしいんだが」

 険しいアラドルンの表情。

 だが、対するセドのそれは一見すると苦笑混じりながらも、何処か気楽なように見えた。

 正装に身を包み、鏡の前でタイの位置を調節しながら彼は笑う。

「全く我が娘ながら元気が良過ぎるっつーか何つーか。ホント、一体誰に似たんだか」

「…………」

 しかしアラドルンはその呟きに対しては黙していた。

 それは決して“それは貴方様しかあり得ませんでしょ”とは流石にツッコミを入れられな

かったからではない。入られなかったからでは、ない。

 小さく咳払いを一つ。

 書面に落としてた目を上げて、彼は代わりに憂慮の言葉を紡いだ。

「……宜しいのですか? この報告が間違いなければ、シンシアお嬢様は」

「これでもキースの密偵能力しごとぶりは信頼してるんだぜ? 後から追調査をさせるつもりだが、

まぁ間違っちゃいねぇだろう」

「では、尚更このままというのも」

「分かってる。苦言の一つくらいは遣るよ。でもまぁ、あいつの性格からしてそうはいはい

と素直に言う事を聞いてくれるとも思わねぇけどな……」

 胸ポケットから勲章バッジを取り出し、引っ掛ける。

 それは名士──この国の有爵位者の一人として、そしてこの領土の統治を連邦朝政府から

任されているという証でもある。

「……梟響の街アウルベルツに行かせちまうのは、間違ってたのかねぇ」

 再び黒革張りの椅子に腰掛け、セドはぽつりとそう静かに誰にともなく呟いていた。

「旦那様。回線の準備が整いました」

「ん。じゃあ早速繋いでくれ」

 しかしそんな当主──いや一人の父親としての心配が脳裏を巡る中で、技師らが準備完了

の旨を伝えてきた。

 いけない。自分には課された仕事がたんまりとあるのだ。

 セドはもう一度居住いを正してデスクに着いてから、技師らに合図を飛ばす。

 すると、彼らが駆動を開始した機器を操作して中空に呼び出したのは……左右に何枚も展

開されたディスプレイ。そこにはセドと同じく、勲章を付け正装に身を包んだ人々の顔が映

し出されている。

『やぁ、ごきげんよう。エイルフィード伯』

「こちらこそ。ごきげんよう、サヴィアン侯」

 それは国中の、領地の統括を任された貴族らだった。

 更に中央のディスプレイには一際大きく、豪勢な議場らしき場所とそこに着いている正装

の人々が見て取れる。

 これから始まるのは、アトス連邦朝の評議会。

 各領地の統治を任された貴族らと、各地から選抜された市民の代表・評議員らによる国の

意思決定の場である。

 この国を含め、世界は未だその多くは王国という態を採っている。

 だがかつての「帝国」の圧政による人々の忌々しい記憶は今日も引き継がれている。

 しかし、王を倒して市民じぶん達が権力を握ろうという動きまでにはならなかった。

 理由は単純だ。帝国による圧政で権力集中の危うさを知り、そして──その後の度重なる

混乱、即ち権力の奪い合いを市民達かれら自身で続けた結果、得られる筈だった安定した暮らしす

らできなかったという末路を知っているからだ。

 ならば貴族と市民、双方が国政を動かそう。……その最終的な責任は国王に押し付けて。

 謂わば折衷型の立憲君主制。多くの場合、評議会(国によって多少名称や仕組みが異なる

ものの)を中心としたシステムが一般的になっているのが現在なのである。

『──静粛に。静粛に』

 やがて中央のディスプレイの向こう、議場の最上壇で国王列席の下、議長が評議会の開会

を宣言していた。セドらもまた、その形式儀礼の前に小さく静かに頭を垂れる。

 本来ならば、全ての領主・議員らが馳せ参じるべきなのが建前だ。

 だが大抵の場合、セドら遠隔地の領主達はこうして導話回線による参加である事が多い。

 世界は……広いのだ。

『それでは、最初の議題に移る』

 淡々と議事は進み始める。手元の紙資料、ディスプレイにも表示されたデータ。双方を合

わせて出席者らは議論と、あわよくば採決にまで至る。

 だが……結局は、多い者勝ちの“数の暴力”に他ならず、議論よりも事前の根回しが結論

を決めている現実がある。

 表面上はそんな議会に出席しながらも、セドはやれやれとやや冷めた想いを抱いていた。

(それよりも……)

 セドは静かに目を細める。

 先程まで目を通していたゲド・キースからの報告書簡。

 そこには、娘達が知り合った冒険者達と“楽園エデンの眼”のアジトにてその一派と交戦したと

の文面が踊っていた。

 幸いシンシアに大事はなかったものの、囚われていた人々が少なからず“結社”の手によって命

を落としてしまったらしい。

(まぁアランの言う通り、何がなんでも首を突っ込む相手にしちゃあリスキー過ぎるわな)

 娘が無事だったことへの安堵。一方で犠牲になった人々がいること。

 セドはフッと、そんな自分を内心で哂った。

 随分と俺も小さくなったものだ。それとも……父親になれば誰しもこうなるものなのか。

 ──だが、これでこの一件の全てが終わる気が、どうしてもしなかった。

 報告書に上っていた当事者の名前。

 囚われていたエルフの青年、シフォン・ユーティリア。

 奪還戦に加わったメンバーの中に見た、ホウ・リンファやサフレ・ウィルハートといった

姓名。何よりも……ジークとアルスというレノヴィン兄弟の名。

 内心凍り付いた背筋が、もう一度逆襲を受けたような気分だった。

 人違いか? だがおそらくこの直感は間違っていない……。

(やれやれ……。因果なもんだぜ)

 やがてセドはずしりと心の奥底を覗き込んでくる重量感に、思わず息を吐くと、

(なぁ? コーダス……)

 評議のやり取りをBGMに、そう心の中でかつての遠き戦友ともの名を呼んだ。

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