68-(3) 聖女の証(しるし)
時はジーク達の決勝戦から四日前に遡る。
夜の梟響の街。一人ホームの酒場で飲んでいたハロルドは、はたと現れた弟・リカルドに
連れ出され、街の郊外──人気のない平原の一角に立っていた。
月は朧。人々は寝静まり、およそこれから自分達に起こることを知る者はいるまい。
「──それで? こんな時間に何の用だ」
「とぼけるなよ。さっきの眼といい、もう俺が言おうとしてる事の目星はついてるんだろ」
見上げた空からそっと視線を逸らし、しかし彼を見ずにハロルドが問う。
やや語気を強めて。すかさずリカルドは言い返し、たっぷりと間を置いてから切り出す。
「単刀直入に訊きたい。レナちゃんは……“一体何者”だ?」
そこでリカルドは、肩越しに振り向いた兄の眼が先ほどと同じ殺気を孕んだのを見逃さな
かった。
いや……同じ、と言うには甘過ぎる。
更に苛烈だった。口にこそ出さないが、その射殺すような眼鏡の奥の瞳はまさに鬼気迫る
という表現に相応しい。
一瞬、それだけで心が折れそうになった。自分の中の直感の部分が、すぐに止めて逃げ去
れと警鐘を鳴らしている。
それでも、リカルドは退かなかった。退けなかった。
今しかない。ずっと疑問に思い、しかし今日まで問い質せなかったこと。
自身が威圧されているのを明確に自覚しながらも、それでも彼はぎゅっと唇を噛み締めて
から言った。
「あんたは知ってる筈なんだ。把握してるぜ? 二年前、ジーク・レノヴィン達が帰って来
てすぐの頃、こっそり“剣聖”に会ってただろ? 俺もその時その報告だけじゃ何も繋がっ
てこなかった。でもその後、色装の修行が始まった。レナちゃんもそれに参加したいって訴
えて──あんたと大喧嘩になったんだ。そこで理解したんだよ。何故かは分からないが、兄
貴にはレナちゃんが色装を学ぶと困る何かがある、ってな」
「……」
「普段クールに止まってるあんたが珍しく酒を煽ってたのも気になった。まぁダンさん辺り
は気を良くして飲んで、勘付かなかったみたいだけど」
肩越しから覗く殺気の眼。リカルドは途中そんな閑話を挟みつつ、じりっじりっと黙秘す
る兄へと迫っていった。
間違いない。もう無かった事にはできない。
リカルドは抱いていた仮説が正しかったのを確かめるかのように、押す。
「《慈》の色装──」
「……っ」
「レナちゃんに開花した特性だ。分類は操作型。自身のオーラを相手のオーラに同化させる
事の出来る性質……。一見地味だが、要するに万能のマナ輸血能力だ。これほど回復魔導の
使い手にとって相性のいい能力はない」
「……」
「それに、だ。俺の記憶が正しければこの色装は……“聖女”クリシェンヌが持っていたも
のと同じ色装だった筈なんだよ」
ザリッ。土を掠り、ハロルドがその鋭い殺気の眼のままこちらに向き直った。
リカルドは一旦言葉を切る。可能性。そうであっては欲しくないという、個人かつ希望的
な観測。それでも自分は問わねばならない。クリシェンヌ教団直下『史の騎士団』の部隊長
として、何よりあの子の義叔父として。
「教えてくれ。兄貴がレナちゃんを連れていったのは、その所為なのか? 兄貴はあの頃に
もう、この事を知ってたっていうのか……?」
それはリカルドにとり、切実な問いだった筈だ。
当時遊び人であったものの、兄が引き取ってきた彼女は、間違いなく自分達エルリッシュ
家の一員であった。愛されていた。血縁の有無など関係なく。なのに突然彼女と共に自分達
の前から姿を消し、教団司祭という身分も放棄した兄に、彼はどうしてもその理由を問い質
さずにはいられなかったのだ。
今までは団長イセルナ以下、他の幹部やレノヴィン達がいて近付けなかった。
だが今なら、彼女達が地底武闘会出場で留守にしている今ならば絶好のチャンスだ。
蓄えてきた怒りと信じたい気持ち。二つの感情が何年も何年も入り混じり、最早プラスア
ルファになって、彼は今この瞬間、こうして問うている。ぶつけている。
「……まさかお前が、よりにもよって史の騎士団に入るとは思わなかった。あそこは教団内
でも特に開祖や旧時代の情報に明るい。……やはり、知り過ぎたか」
なのに。
ハロルドはゆっくりと口を開き始めた。だがそこに譲歩という気配はない。ただ問い詰め
られた事による緊迫と固まった何某か決意が在り、その放つ殺気を、躊躇いが掃われた確固
たるものへと変えてみせるばかりである。
「兄、貴……?」
じりっ。思わずリカルドが気持ち後退った。
それでも対するハロルドは、そっと懐から一冊の魔導書を──本型の魔導具を取り出して
いた。そして身の回りの暗闇を、押し弾くかの如き濛々としたオーラを纏い始めながら、重
く重く呟くのである。
「お前には……消えて貰う」