67-(7) 真なる浄の衣
「……。何だ、あれは……?」
ディアモントがごちる。それははたしてこの場にいる大よそ全員の総意だった。
水平に太刀を掲げ、静かに目を瞑ってしまったジーク。だがそれも束の間、彼が目を開い
た瞬間、突然轟と蒼い奔流が辺りに渦巻き、場にいる者達は一斉に戦慄したのだった。
「……」
ジークが立っていた。
しかしその姿は先刻までのそれとは明らかに違う。握った蒼桜は異様なまでに強い輝きを
内包し、何より左肩に現れた蒼いモフ、瞳と髪に入った同色のメッシュが彼の印象をガラリ
と変貌させている。
観客達が、リオやクロム、リュカを除く、仲間達が唖然としていた。
薄らと開けた目がスッとリング上のディアモントを見据える。ビリビリと、その間近に相
対している彼には、今この青年が恐ろしく濃く巨大なオーラを纏っているのが診える。
「……行くぜ、ディアモント。あんま加減できねぇから必死で守れよ」
刹那、消えた。いや、消えたように見えた。
ディアモントが目を見開く。気付いた時には、彼は既に自分のすぐ懐まで入り込んで来て
いたのだ。咄嗟に《晶》を腕や胴に這わせる。彼の色装は、天井を上げれば上げるほど未知
数だが、ディアモントにはまだ何とか防げるという考えがあったのだ。
「──かッ!? ……?!」
しかし砕かれる。
文字通り、そんなディアモントの結晶装甲を、ジークの蒼く輝く剣閃は易々と斬り伏せて
いた。引き裂かれて粉々になった自身の結晶が宙を舞う。ディアモントはもろに入った痛み
すら感じる事も忘れて、只々丸く大きく、目を見開いてこの事実に驚愕する他ない。
「ぼうっとしてんなよ」
それでもジークの攻撃は続いた。軽々と、しかし恐ろしいほどに速く鋭く霞むような蒼い
斬撃が、このディアモントの防御を片っ端から切り裂いていく。
「……な、何? 何なの、あれ!?」
「何か……。ジークさん、人が変わってません?」
「だ、だよね? 何だかジークなのに、ジークじゃないような……」
『……』
ステラが、レナが、クレアがそれぞれ観客席で狼狽していた。
あんなジークの姿、見た事ない。それはこの場にいる殆どの仲間達とて同じだった。
それでも、密かに違う反応をしている者がいる。ぎゅっと唇を結んで不安そうに彼を見つ
めているリュカだ。魔導の専門家として必死に目を凝らしているブレアだ。或いはじっと黙
して微動だにしないクロムであり、両手を組んでスッと目を細めているリオだった。
(どうやらこちらも問題なさそうだな。六華の──聖浄器の完全解放、ものにしたか)
サンフェルノ襲撃からの帰還後、リュカがシノからの情報を元に六華に施したのは、言う
なれば“部分解放”だった。
即ち六華という聖浄器の、膨大なエネルギーだけを漏れさせ、一方的に利用するもの。
だがこの“完全解放”は違う。聖浄器の力の源、退魔の御旗の下に“生贄にされた魂”と
対話することで、聖浄器本来の力を百パーセント引き出すというもの。
尤もそれは聖浄器という束縛から逃れたい核たる魂らにとって自由への好機であり、復讐
の好機であり、従ってその正式な使用者とは多くの場合短命となるか、戦いの連鎖の末に非
業の死を遂げる。
……姉が執着する六華について、聖浄器について文献を読み漁っていた頃、この事実に気
付いて自分はどれだけ戦慄したことか。だがそうした秘密を知っても、ジークはあまり悩ま
なかった。寧ろ知らずに使っていた事を六華たちに詫び、その上でこれからも力を貸して欲
しいと懇願したのだ。
強いなと思った。同時にそれは、酷く危うい悪路を自ら進む選択でもある。自分が六華の
本来力を引き出せと促したとはいえ、はたしてこれで良かったのだろうかと思う。望むまま
に力を得て、あの子は一体どんな未来に行き着くのだろう。
「……」
せめてその結末が、彼にとって納得できる世界でありますように。
「こっ……のおぉぉぉぉッ!!」
吹き飛ばされかける意識の中で、それでもディアモントは戦意を失わなかった。
勢いに押されては駄目だ。冷静になり、反撃せよ。再び《晶》の装甲を身に纏い、殆ど直
感で捉えたこの無数の斬撃と拳で打ち合う。
何が起こった? 普段、二刀流で使っていた六華を一本にしたかと思えば突然オーラの絶
対量が増えた。一体何処にそんな余力が? さっきまでは只々マナを消耗するしかない劣勢
であった筈なのに。
六華。そうか……聖浄器。
詳しくは分からないが、おそらくその力を更に引き出したのだろう。これだけ見た目をも
変質させるという事は、更に自身にリスクを負った上での強化か。全く、この世界とはまだ
見ぬものが多すぎて嬉しい。
「お前が諦めないのと同じように、俺も全力でぶつかる! これが、俺の戦いだぁ!」
更に両手と頬、背中と竜の手や翼を現し、再度竜人態へ。押されっ放しだった状況が少し
ずつ変化する。
『…………。はっ!? し、失礼。み、皆さんご覧になられますでしょうか? その、何と
いいますか、もう私には解らない状況になっております。ただ一つ、両選手が凄まじい力の
応酬を繰り広げている──それだけが、今の状況です!』
実況役のアナウンサーがやっと我に返り、こちらを向いた。脂汗を掻いたカメラマン達が
ずいっと一度映像機のフォーカスを彼に向け、そして再びリング上のジークとディアモント
を映した。
恐ろしく激しい打ち合いが続いている。
それでも遠巻きながら、必死なのはディアモントの方で、寧ろジークの方は感情を表に出
さないかの如く沈着冷静にこの拳撃を受け返しているように見えた。
「おぉぉぉぉぉぉッ!!」
「……っ」
ぐるん。そしてはたと、幾発目の拳が空を切った。寸前ジークが半身を返して跳び、彼の
真上に滑り込んだのである。
ギラリ。蒼い刃がディアモントを襲った。殆ど直感だけで彼はこれに反応し、全力の結晶
装甲でこれを防御、自身を中心にリングを割るほどの巨大な亀裂を走らせる。
「ぬぅ……!!」
全身が今にも潰されると悲鳴を上げた。竜族の本来力を以ってしても、変貌した彼のオーラ
はいなすには大き過ぎる。
ここまでとは……。ディアモントは終始驚かされっ放しだった。これだけ本気を出してい
れば、大抵の相手ならとうに返り討ちに遭っている。なのに実際は寧ろこちら側が押され、
全身にダメージが押し迫る。
ダメージ。そう、ダメージだ。
まるでこの心と体、全ての黒い部分を抉り出すように執拗で強烈な、魂にまで染み込むほ
どの破壊力。これが聖浄器の本来の力だというのか? なるほど。あの“結社”が世界を敵
に回してでも欲しがるのも分かる気がする。
「……だが!」
受け止めるのを諦め、ディアモントはぐいっと重心を気持ち後ろに逸らした。
轟。振り下ろされていたジークの蒼桜がリングを叩き、遂にひび割れていたそれは完全に
多数のパーツに分かれる。
だけどもジークは上を見ていた。空を仰ぎ、竜の翼で高く舞い上がったディアモントの姿
を見ていた。
「……お互い、長くは持たんようだな。これで、決着をつけるっ!!」
轟。全身にオーラを練り上げ、ディアモントが吼えた。両腕・両肩・顔面。およそ上半身
の全てに硬く刃を生やした《晶》の装甲を纏わせ、彼はこの身体を抱いたまま一気にジーク
へと向かって滑降する。
「──」
しかしジークは、これを待ち構えた。ゆっくりと蒼桜を水平に振りかぶり、膨大なオーラ
を孕んで真っ直ぐに彼に向かって振り放つ。
それは……あたかも光線のようだった。蒼く輝く巨大な飛ぶ斬撃。それが真っ直ぐに急降
下してくるディアモントを捉え、その姿をあっという間に上空高くへと押し戻したのだ。
「……カァッ!?」
白目を剥いて仰け反り、ディアモントの纏う《晶》は粉々に吹き飛ばされていた。
皆が呆然として、目を見開いてその行方を追う。彼はそのまま空を駆けていく蒼桜の剣閃
に叩き付けられ、観客席前面に施されていた防護用の障壁にぶち当たる。
それでも、その障壁さえも激しくひび割れ、砕けた。悲鳴を上げる人々。どうっと高く上
空から落ちて来た、白目を剥いたディアモント。
コンクリ固めの通路の一角に、彼は落下した。周囲の観客達が恐る恐る近寄るが、もう彼
はピクリとも動く様子はない。
『…………。な、な、何という事でしょう! まさかまさかの防御障壁すら撃ち抜く強烈な
一撃ィィ! ……はい、はい。え~、現場に駆けつけた係員から連絡がありました。ディア
モント選手、完全にダウンとのことです。故に、最後はとんでもない結末となりましたが、
第四試合勝者はジーク・レノヴィン選手! 弟に続き決勝進出だー!!』
お、オォォォォォッ!! そしてそんな実況役のアナウンサーの宣言に、じわじわと遅れ
伝染するように観客達が轟くような歓声を上げた。ディアモントに落下された地点の彼らは
ぽつねんと取り残されたように戸惑っていたが、「やった~っ!」と、レナほか仲間達の女
性陣は、混乱と安堵と嬉し涙で互いに手を叩き合って飛び跳ねている。
「あ~……。すっげぇ疲れた……」
どうっ。
そんな中で当のジークは、蒼く変貌したその姿を解き、一人リングの上で大の字になった
のだった。