67-(3) 隣人たち
『──君にちょっと、話があるんだ』
まだ予選が行われていた頃、エイカーは一人本棟に戻る通路の途中で、見知らぬ男に声を
掛けられた。目深にフードを被った小柄な男。誰何したこちらの問いにも答える事なく、彼
は自分が賞金稼ぎ“狩人”だと知った上で、そう話し始めたのだ。
『レノヴィン兄弟を試合の中で始末して欲しい。おそらく彼らは本選に進むだろう。そこで
彼らを君が仕留めるんだ』
『一方的かよ……。そりゃあ此処は試合で死んでも文句なしってルールだが……いきなり言
われてもはいそうですかとは言えないね。何処の誰とも知らねぇ相手に、そんなリスクを犯
そうとは思わねぇよ』
『……。君は冒険者──賞金稼ぎなんだろう? 報酬なら出す。これは前金だ。受け取って
くれ』
胡散臭い。だがフードの男はそんなこちらの反応も既に織り込み済みだったようで、そう
言うとひょいと懐から札束を一つ、放り投げて寄越してきた。検めてみる。そしてエイカー
はそこに纏められていた金額の多さに、思わず目を見張ったのだった。
『ご、五十万ガルド……!?』
『これは前金だ。もし成功すれば、更に百倍の上積み──合計五千万の報酬を払おう。どう
だい? 報酬としては、もう少し交渉の余地は残しているけれど』
唖然とした。見ず知らずのいち賞金稼ぎに、こんな大金を寄越してくるなんて。
参考までに、大体一億から二億ガルドあれば、国情にも拠るが、小さな国なら一年回せる
金額となる。寄越され、提示されたのはそのおよそ半分だ。よほど上玉の賞金首を獲らない
限り、こんな大金手に入りはしない。
『……本気か?』
『冗談で言う事じゃないと思うけどね。君だって“裏”に接している人間なら知っているだ
ろう? あの兄弟が持て囃される一方、どれだけの人間に疎まれているか』
『……』
確かに。奴らは既存権力に気に入られ、結社を含めて保守強硬派と正面からぶち当たって
いる急先鋒だ。奴ら一派が居なくなれば、これまで大きく改革・開拓派に傾いてきた世界の
パワーバランスを揺り戻す事ができる。そんな政治的な殴り合いには興味はないが、その対
立軸で儲けが得られるのなら悪い話ではないだろう。
『分かった。奴らと当たれば、再起不能にしてやればいいんだな? 任せておけ。そういう
のなら俺の得意分野だ。食い殺してやるよ』
『そうか。話の分かる相手で嬉しいよ。では本選が始まる前、コロセウム南棟の裏で落ち合
おう。彼らの色装や戦い方について、色々と情報を持ってくる』
『それは有り難い。じゃあそういう事で。約束の金……きっちり用意して貰うぜ?』
だから結局、彼はこのフードの男の誘いを受ける事にした。
レノヴィン一派に生きていられては困る者──“結社”のシンパか? まぁこっちが深み
に踏み入りさえしなければどうだっていい。今までも、そうやって稼いできた。
フッと口元に笑みを浮かべて男が立ち去っていく。此処には単に名を売りに来ただけだっ
たのだが、思わぬ収入が手に入った。
さて、これから忙しくなるぞ……。
ちろっと舌を舐めずり、早速彼は今後の金勘定をする。
──だが、とどめのつもりで放った四方八方からの爆発狼たちを、次の瞬間、何とアルス
は軽快にステップを踏んでかわしたのだ。這寄の岩槍! 《花》の色装によって複数、四方
八方から走った多数の岩槍は、下から刺し貫いてこの使い魔達をことごとく爆砕していって
しまう。
「なっ……!?」
エイカーは驚いていた。かわした? 馬鹿な。確かに自分の《猟》はあいつを捉えた。少
なくとも片足をやられてもう満足には逃げられない筈だ。
なのに、なのに何故立っている?
何故何ともなく平然と、こちらを向いて見つめている……?
「ふふっ。残念だったねー、狩人さん?」
「使い魔は何も、貴方だけの事じゃないんですよ。貴方の色装が奪ったのは、僕ではなくこ
の子達です」
言って、アルスは得意げに笑うエトナを背景にそっと左の袖口を捲った。
するとどうだろう。そこから目を回して転がり落ちたのは──小人だった。手乗りサイズ
の、綺麗な翠色をした三角帽子と服を着た小さな小人達が、ぽろぽろと彼の袖や裾の中から
次々に現れる。
『おおっと!? これは……? アルス選手の服の中から、何やら小さな生き物がたくさん
出てきたぞーっ!?』
「……まさか」
「はい。試合が始まった直後から、ずっと仕込んでいました」
エイカーの引き攣る顔。それを淡々と一瞥してから、アルスは目を回しているこの小人を
そっと優しく撫でて魔流へと送還してやった。すっく。起き上がり、彼はゆっくりと歩き出
しながら言う。
「おかしいなと思ってたんです。起爆して攻撃する、消耗型の使い魔なら、狼型などという
動物の姿ではなく、もっと機能的で効率的な姿にした方が対応の幅が広い筈ですから」
最初からアルスは勘付いていたのだ。尤もそれが兄達から聞いた、大都の外壁を守ってい
た信徒の使い魔に基づいているとはエイカーも知らない。小人達がぴょこぴょこと後をつい
てくる。ある程度気持ち距離を詰めると、アルスは続ける。
「単に個人の好みという可能性も考えましたが、戦略を犠牲にしてまで得られるメリットは
限られています。となれば発想を変えなければと思いました。つまり狼型に“しなければな
らない”理由が貴方にはあるのだろうと考えたんです」
実際、その読みは見事に当たっていたのである。彼の色装が狼型であって任意に変更出来
ないものだからこそ、その正体を隠す為に使い魔も同じ姿にしてカモフラージュする道を選
んだのだ。少なくとも直接的な攻撃力もなく、その効果がすぐに気取られてしまう性質であ
る以上、回避に専念されてしまえばこの色装を前面に出すような戦法は一定以上のレベルを
相手にするとなれば途端に限定的となる。
「……だから、先ずは様子を探る事にしました。僕の使い魔達を仲立ちに貴方の使い魔とか
ち合わせ、どのような変化を起こすのかを確認しました。問題は、気付かれずにどうやって
その準備をするかだったのですけど」
「……そうか。最初の岩砲の台は煙幕かっ!」
ギリギリ。エイカーは思わず強く歯を噛み締めた。
ようやく自分が出し抜かれていた事を知ったのである。彼はあの一見迎撃に見えた岩砲弾
とそれらが粉砕された後の土埃の中で、迅速に服の中に小人達を仕込んでいた事になる。
「能力の概要は大よそ掴めました。貴方が直後に朗々と喋ってくれたお陰です」
「ふふん。油断したよねー。お喋りが過ぎたってことだよ、おにーさん?」
「ッ……!」
断言するアルス、煽るエトナ。
形勢逆転をみえた展開に、観客達がアナウンサーが驚き、そして仲間達は彼の優れた機転
に安堵と賛辞のエールを送っていた。
「ほっ……。良かったぁ……」
「はは。あいつも中々芸達者になったじゃねぇか」
「いっけー! アルスー!」
怒りに叫ぶエイカーの猛攻を、アルスは尚も落ち着き払って見極めていた。
一斉に襲い掛かる爆発と《猟》の狼。だがタネさえ分かってしまえばこちらのものだ。数
が多くて一見すると慌てふためくだろうが、落ち着いて見氣を駆使すればどれがどちらに由
来するものか──内部に構造式を宿しているか、オーラで紐付けされているか判別できる。
《猟》で感覚を奪ってから爆発で攻撃というパターンがあるのだから、先ずは後者の噛み付
きを回避する事に意識を傾ければよい。
「さぁ、手筈通りに。──“隣人たち”!」
そして対するアルスは、従えた無数の小人達をエイカーにけしかけた。
ワ~ッ!! 豆粒の洪水のような群れが迫って来る。エイカーは鬱陶しいとそのまま踏み
潰してしまえと思ったが、次の瞬間一斉に飛び掛かってきた「小さな小人」により、あっと
いう間に全身に登られてしまう。
「あだっ!? 痛ででででっ!! こ、こいつら、見た目以上に力が……」
「小さくても侮らないでくださいよ。僕の隣人達は優しくて力持ちです。数も質も、貴方の
それには負けていない」
小さな小人は、エイカーを跳び付いた身体のあちこちから見かけによらぬ力で殴り、ぶつ
かっていった。
中位の小人は、ジャキンと何処からともなく身の丈の武器を取り出し、統率の乱れた彼の
狼達を討ち取っていく。
そして大きめの小人は、詠唱するアルスを守るようにして並び、文字通りその身で以って
討ち漏れた狼達を喰い止める。
「くぅっ……!」
油断した。この天才少年が使い魔を作れない訳がなかったのだ。
それにしても。エイカーは思う。
五十や六十では足りないほどの数を一度に使役し、尚且つこれほど細かい役割分担を、個
性を持たせている。
──こいつは一体、どれだけ複雑な構築式を使ってやがる……?
「アルスの代わりに言ったげる。人は一人じゃ生きていけないんだ。自分の使い魔を、仮に
も命を与えた子を只々遣い潰すだけのようなあんたに、私達は負けられない!」
構想は、二年よりもっと前からあった。
清峰の町での静養、それまでに必死で乗り越えてきた数々の戦い。
何度も自分の力不足を思い知った。どれだけ学んでも、技を磨いたと思っても、願った結
果の半分も引き寄せられてはいない。それが悔しくて、何度も自分は駄目だと責め立てた。
でもあの夏、友人達と一度ゆっくりと自然の中で休息する中で、少しずつ考えが変わり始
めた。サァッと、開けていくような感触があった。
僕は、僕一人のことしかできない。一人では充分に戦えない。
でも、だから“皆”がいる。“皆”がいるから、強くなれる……。
「盟約の下、我に示せ──剛伸の樹手!」
全身全霊の。アルスが詠唱を完成させ、螺旋する巨大な樹木の触手がエイカーに襲い掛か
った。やられる──! だが小さな“隣人”達に散々ボコボコにされていた彼は、それでも
食い下がり、寸前の所でこの一撃を回避。指先にオーラを走らせてほくそ笑む。
(ははっ、勝ちを焦ったな! こんな発動直後では満足に回避もできまい。勝つのは俺だ。
このまま使い魔どもを散々に撃ち込んで、欠片も残さず──)
うん……? だが次の瞬間、彼の視界の端に映る変化があったのだ。
むくむくむくっと、樹手の先端が大きく腫れ上がり始めている。まさか……。エイカーは
半ば直感的にその正体を察し、だが避ける事など出来なかった。
──飛び散った無数の硬い種。
怪樹の種弾。高速で種を撃ち出して攻撃する、魄魔導の一つだ。それをアルスはこの樹手
の中に仕込んでいたのである。無数の種弾がエイカーの全身を徹底的に叩き、白目を剥いた
彼をどうっとリングの上に吹き飛ばさせる。
「……。エイカー選手失神! 勝者、アルス選手です!」
審判がリング上に駆けて来て彼がもう動かないのを確認し、そう試合終了を宣言する。
おぉぉぉっ!! 観客達が一斉に歓声を上げ、実況役のアナウンサーも『決まったーッ!
変幻自在の魔導の前に、エイカー選手撃沈! 本選第三試合勝者はアルス・レノヴィン選手
です!』と高らかにアナウンスする。
観客席で、ステラとクレアが大喜びで互いにパチンと両手を叩き合せていた。リンファや
イヨ、リュカにブレア。ほか仲間達もそれぞれが安堵や喜び、見極めの終了に一息をつく。
「……。ほっ」
多分に黄色い声が交じる歓声の中、アルスは相棒と手を鳴らし合った。
ぽんぽんと少々交戦で汚れたローブを叩き、そっと胸元に手を当て安堵の息を漏らして。
「……やられたか。まぁ期待はしてなかったけど」
そんなリング上の決した勝敗を見下ろして、フードの男──もといヘイトが人知れず観客
席の出入口から踵を返して消えてゆく。