67-(2) 狩人エイカー
間違いなく事件の影響なのだろう。先日とは違って、観客席にはぽつぽつと虫を食うよう
に空きが見られる。
コロセウムの北棟・第一リング。三日ぶりに再開された大会は、引き継いだ興奮と先日の
事件の不安、その双方を孕んだ中で始まろうとしていた。控え室のジークや、見舞いに行っ
ているダンを除いた仲間達もこの人々の中に交じり、今か今かと試合の時を待っている。
『皆さん、お待たせしました! 先日は思わぬアクシデントに見舞われましたが……皆様の
ご愛顧により、こうして大会を再開できる運びとなりました。高い所からではありますが、
大会本部を代表してお詫びとお礼を申し上げます』
実況席の男性アナウンサーが、そう集音器越しにぺこりと頭を下げた。
観客たちの何割かが、そんな彼の方を何となしに見遣っている。いいから速く始めてくれ
と言わんばかりの表情だ。
『……え~、先日からのアナウンスの通り、残り試合に関して多少の変更がございます。先
ずユリシズ選手は身分詐称・規定違反の殺害未遂行為のため失格となります。ミア選手及び
イセルナ選手は負傷により棄権が申請、受理されています。よって本日は、組み合わせにあ
った第三試合と第四試合の勝者から決勝進出者を選び、本年度の優勝者を決定したいと思い
ます。詳しくは入場時にスタッフが配布した書面をご確認ください』
促されて、観客達もまた手にしたり、荷物に突っ込んでいたそのパンフレットを見遣る。
そんな彼らを守るように、神妙な面持ちのスタッフらが点々と階段状の通路に配置され、
立っている。加えてそこには剣を下げ、銃を担いだ傭兵も少なからず交じっており、再開に
際してのウル達の警戒具合が窺える。
『では、選手に入場して貰いましょう! 第三試合、エイカー選手とアルス選手です!』
おぉぉぉ!! 人々の歓声の中、噴き出す白煙の演出を潜って二人が姿を現した。
一方は小さく舌を舐めずり、ばさついた茶髪を揺らめかせている青年・エイカー。その這
うような視線に晒されているのは、隣で心持ち距離を取りながら併行しているアルスだ。
二人はリングに上がり、審判の指示に従って規定の間合いを取った上で位置に着いた。ぐ
ぐっと片掌を閉じたり開いたりしているエイカーを、アルスは相棒を伴ったままじっと身構
える事もなく観察している。
「アルス君……大丈夫かな?」
「何か相手、性格悪そうな顔してるしねえ。あいつも一応魔導師らしいけど」
「“狩人”エイカー、地底層では中々名の知れた賞金稼ぎだ。東の──迎心街を拠点にして
いる男だったか」
「魔導師同士の戦いか……。ちっとアルスにゃ不利かもしれんな。あいつがどれだけ頭が回
っても、経験の多さって意味じゃ相手の方が一回りも二回りも上だろうしな」
観客席の仲間達も、思わず心配せずにはいられない。
レナの呟き、ステラの顰めっ面。リオやブレアが淡々とそんな彼女らの言葉に続き、例の
如く彼の二年間の成果を見極めようとしている。
それでも、迫るその時は避けて通ってくれる訳ではなかった。やがて審判が二人が位置に
着いたのを確認してリングから離れていき、実況席の方へ合図が送られると、この男性アナ
ウンサーがいよいよ開戦の合図を叫ぶ。
『……準備は宜しいですね? それでは本選第三試合、ヘルバルト・エイカー対アルス・レ
ノヴィン、開始っ!』
打ち鳴らされたゴングの音と共に、二人の魔導師は早速詠唱体勢に入った。共に魔導を主
軸として戦うタイプの為、それは傍目の観客達でも充分予想はしていたのだが……。
「食い殺せ、我が眷属達よ!」
先手を取ったのは、エイカーだった。彼は詠唱ではなく宙にササッと呪文を書きつけ、そ
の割れ目から複数の魔力の狼を呼び出したのだ。
使い魔……。だがアルスは落ち着いている。この先制攻撃への対処を相棒に任せ、彼は先
ずはともかく、予定通り最初の詠唱を完成させる。
「盟約の下、我に示せ──時の車輪!」
紺色の魔法陣がその身体を通り抜け、瞬間アルスは文字通り“加速”した。エトナが植物
の触手らを操って狼型の使い魔達と相殺するのと同時、彼は一旦大きく跳んで回避。そのま
ま駆け出してぐるりとエイカーの方へと旋回していく。
「なるほどな……。だが想定内だ。お前の色装は既に視聴済みだ。あの能力は厄介だが、そ
んな精度、数で乱してやる……」
指揮するように右手を、左手を振るい、狼達が次から次へとアルスに襲い掛かった。
牙を突き立てる度に、爆ぜる。
大きく避けなければ無傷ではいられなかった。刻魔導で加速したアルスは、ぶつぶつと次
の詠唱を始めながら、この爆風の合間を縫うように走っていく。
「盟約の下、我に示せ──岩砲の台!」
駆けて行く自分を守るようにして、次々とその足元から岩石で出来た砲台がせり上がって
きた。《花》の一つ連撃強化である。牙を剥き、涎を垂らして襲い掛かってくるエイカーの使
い魔達を、この砲台は同じく岩石の砲弾で迎撃し、幾つもの爆発・相殺で以って押さえて
みせる。
「ふん。無駄だ無駄だ。そっちの詠唱よりも、俺の召喚の方がずっと速くて多いぞ?」
しかし当のエイカーはまだ余裕をみせていた。追加で宙に呪文を書き、減らされた分の使
い魔達を矢継ぎ早に補充・追加してくる。
『これは開始早々から激しい攻防! アルス選手、エイカー選手からの猛攻に何処まで耐え
られるかー!?』
「……」
良くも悪くも煽ってくる実況役のアナウンサー。だがアルスは、そんな言葉さえ何処か遠
く余所のものとし、ただ注意深くエイカーからの攻撃を見つめていた。
事前に予選の録画映像をチェックしたが、想定以上に攻撃の手が速い。魔導には違いない
のだから中和結界で無力化できるかと考えたが、これだけ素早く、且つ矢継ぎ早に数を増
やせるとなればあまり有効打にはならないだろう。ここはやはり対魔導師の定石通り、如何に
相手に直接的な攻撃を打ち込めるかに考えをシフトさせた方がいいかもしれない。
(……思った以上に粘りやがる。流石だな。このまま時の車輪の効果が切れるのを待っても
いいが、あの天才児のことだ、下手に時間を与えれば何をしてくるか分からん)
故に、そう内心の両者の思考は一致していた。
エトナの援護を受けつつ、アルスが詠唱を始めている。エイカーもやや遅れてそれに続い
ている。橙色の魔法陣と紫色の魔法陣、二つの魔導が互いの相手を直接撃つべく迫った。
「盟約の下、我に示せ──大樹の腕!」
「強化!」
「盟約の下、我に示せ──悪魔の顕手!」
より太く強く強化され、より合わさった植物の鞭と、禍々しい闇色をした鋭い爪を持つ手
が二人の間に割って入るようにぶつかった。アルスがその腕の指揮でこの植物の鞭を操るよ
うに、エイカーもこの闇の豪腕を、魔法陣の展開された右手とリンクさせて振るう。
リングが震え、観客達が息を呑んだ。激しく取っ組み合う鞭と手。だがそれも数拍の間、
やがて力押しでエイカーが勝ち、闇の手がそのままガイアブランチを握り潰しながら引き千
切る。
「……っ」
「はは、魄魔導の攻撃力で勝てる訳ないだろうが! 喰らえッ!」
そして、続けざまに左手をぶんっと振るった。狼型の使い魔達が再び襲い掛かり、エトナ
が先程と同じように操る植物でこれを相殺しようと試みる。
「ぐっ──!」
……だが、出来なかったのだ。エトナの援護は確かにこの狼型の使い魔達を捉えていたの
だが、彼らは先と同じように衝撃で誘爆することはなく、ただ弾かれてその内の一匹がすれ
違いざまにアルスの左腕を噛んだのである。
『アルス!』
仲間達も思わず観客席で叫ぶ。
しかし、ふらつきながらも立ち直した当の彼を見て、一同も観客達も程なくしてその様子
がおかしい事に気付く。
……血が出ていなかったのだ。あれだけ鋭い牙で噛み付かれたと思われたのに、左腕は殆
ど無傷で、だけども心なしかだらんと力なく垂れ下がっているようにみえる。
「アルス」
「……うん」
「ククク。そうだろう、そうだろう。喰らったお前が一番解っている筈だ。俺の《猟》は直
接ダメージを与える訳じゃない。だがその代わりに、噛み付かれた部分を中心としてその感
覚を奪う」
ざわっ……。エイカーの発言に観客達の少なからずが戦慄した。
感覚が無くなる。それはこと戦闘において致命的なロストだ。攻撃を避けられなくなる。
それにもしあれが喉にもやられてしまったら、呪文の詠唱すら出来なくなるのではないか?
「理解したようだな。流石は天才魔導師クンだ。そうだ。俺の《猟》は現出型、元からこの
狼の姿なんだよ。だから使い魔も同じ姿で、且つ攻撃用のものにした。《猟》の一撃を確実
なものとする為に、こいつらでたっぷり注意を逸らさせてな」
そっとアルスがだらりと下がった左腕を触り、エイカーが水を得た魚のように嬉々として
好戦的な笑い声を上げていた。
フェイク。爆発する狼と、感覚を喰う狼。一見しただけでは見分けのつかないこの二種類
の使い魔達によって対峙した者はじわじわと全身の感覚を奪われ、そして恐怖しながら爆発
する狼の餌食となる。
故に《猟》。標的を追い詰め、捕食する者の性質……。
「さぁ、存分に逃げ惑え! そして死ね!」
咆哮。四方八方から狼達がアルスとエトナに向かって襲い掛かった。
囲まれた。逃げ切れない。必死にアルスは身を捻って駆け出すが、それでも今度は後ろか
ら右脚を噛まれ、正面から爆発に吹き飛ばされる。
「ははは、ちょろいちょろい! アルス・レノヴィン。その首、貰ったァ!」