65-(5) 偽と真(まこと)
『大会一日目、予選後半戦──開始ッ!』
映像越しに中継し合い、四人の実況役の声が重なって響く。
東棟・第六ブロック。アルスとエトナ、リンファ及びシフォンが所属する組。数百名。
開戦を告げるドラが鳴らされた直後から、選手達はリングのあちこちで互いの得物をぶつ
け合っていた。彼らの剣戟と雄叫びが積み重なる度に、観客達のボルテージも天井知らずで
上昇していく。
「アルス・レノヴィン!」
「覚悟ぉ!」
勿論、その中にはアルス達も含まれていた。
開始直後から早速、その知名度に釣られた選手達が襲い掛かってくる。
「──」
だがそんな彼らよりも速く、リンファの剣閃がリング上を舞った。
身構えたアルスやエトナ、シフォンよりも逸早く地面を蹴ると、彼女はさも放たれた矢の
ように石畳の上を低姿勢で疾走──次々と彼らの懐に潜り込んではこれを斬り捨てていく。
「ぐっ!?」
「は、速い……」
「立ち止まるな! 数で一気に押し切」
更に反撃は続く。思わず足を止めた同胞らを叱咤していたこの戦士のこめかみを、一条の
輝くマナの矢が撃ち抜いていた。
シフォンである。掌に集めたオーラを器用に矢状に変えながら、同時にアルスと自分に迫
ってくるライバル達を合気と肘鉄で捌きつつ、彼は慣れた手付きで且つ的確にこの迫る者達
を一人また一人と減らしていった。
「盟約の下、我に示せ──群生の樹手!」
そして、そんな二人のアシストを受け、アルスが詠唱を完成させる。
石畳を突き破って現れたのは多数の植物の触手。それらが彼とエトナの意思に呼応するよ
うに大きく蠢き、周囲を囲む選手達に一斉に襲い掛かった。
「ひっ……!?」
「ぬわぁ~っ!」
「ぐえッ?!」「だばっ!?」
手足に絡み付いたかと思うとそのまま場外へ投げ飛ばされたり、剣や盾を掠め取られて無
力化されたり。或いは選手同士をぶつけて、ダウンさせたり。
半ば無意識だったが、アルスはあくまで相手の戦意を失わせる方へ失わせる方へとその攻
撃方法を採っていた。
それはひとえに、彼の性根の優しさが故の事だったのかもしれないが……。
『ナイスコンビネーション! アルス選手、リンファ選手、シフォン選手、見事な連携で襲
い掛かるライバル達を薙ぎ倒していきます! 兄ジーク選手が“力”の戦い方だとすれば、
弟は“技”の戦いか? やはりこの兄弟、只者じゃな~い!』
おぉぉぉぉ……! 実況役の女子アナウンサーの声に、観客達が次々に立ち上がって賛辞
を送っていた。更に彼女は、がさごそと机の上のメモを引き寄せながら、言う。
『え~、ちなみにこれは顕界の報道からの情報ですが、何と先日アルス選手は魔導学司の
汎用免許に合格、取得したばかりだそうです! この場を借りて、祝福を送りましょう!』
『おめでとー!』
『おめでとう~! アルス皇子~!』
「……あはは」
粋というか余計というか。
アナウンサーの音頭にすっかりノリノリになって、そんな観客達からの思わぬ声が重なり
響いた。中には少なからずお姉さん方の黄色い声が交じっている気がするが、当のアルス本
人は苦笑いで軽く手を振るだけで、敢えて気に留めないようにする。
「ふふ……。人気だねぇ、アルス」
「ま、本人は実際の所不服な筈なんだがな。それに、俺達やブルートバードの名前の時点で
名を挙げたがる連中には格好の餌なんだし」
同じく観客席でクレアがそんなさまを微笑ましく見守っている。
平たく長い席の上で胡坐をかき、ジークが澄ました表情でそう嘯いている。
(ウルのおっさんが言ってたみたいに、あそこにも“結社”の刺客が紛れてるかもしれない
んだしな……)
「……?」
ちょうどそんな時、何十人目かのライバルを斬り伏せたリンファの背後から、ヌッと大き
な影が差した。
その気配に気付いてリンファが肩越しに振り返る。するとそこには、出刃包丁のような剣
を各々の手に持った、蟲人族の巨漢が立っていた。
「どいてろ、お前ら! 俺が叩き潰してやる!」
言って次の瞬間、この大男は彼女に向かって猛烈な速さで剣撃を叩き込んできた。
ドドドドド……ッ!! 土埃を上げて、六本腕の微塵切りがリンファを襲う。
「おおっと~、何という早業! これではリンファ選手もただでは済まな──んんっ!?」
だが濛としたその土埃が晴れた時、そのリンファは掠り傷一つ負わずそこに立っていたの
である。観客達が、大男本人が驚愕する中、彼女は少し悪戯っぽい笑みを浮かべて握った刀
に力を込める。
「悪いね。私は目が良過ぎるんだ」
『──やはりそうか。リンファ、お前の色装は《真》だ。超感型の一種だな』
リンファは、修行に入る前から内心複雑な気持ちを抱いていた。
それは後ろめたさに類するもの。かつて彼女は殿下──当時のシノ皇女と共に逃亡生活を
続けている中コーダス達と出会い、サウル及びセドの指導の下より強くなる為の修行、即ち
色装の修得に努めたのだが、結局唯一彼女だけがその能力を発現出来ないままに終わってし
まったのである。
『これは視力に特化した性質だ。おそらく、発現はしていたがお前自身がこれがそうだと自
覚出来ていなかったのだろう』
リオ曰く、この能力はいわば見氣の達人になれる特性なのだそうだ。
オーラを纏った眼。その眼差しは如何なる複雑・困難な状況においても、瞬時に“最善解”
を導き出せる。これを鍛えれば、お前は次の瞬間、敵がどんな攻撃をどんな位置からどんな
タイミングで撃ってくるかが手に取るように分かるとも。目が良過ぎる──それは如何なる
攻撃の嵐も掻い潜り、的確な一撃を返す事のできる最強の眼だと。
だからだったのだ。人は普段からその外部情報の殆どを眼に頼っているがために、その身
近が能力が強化・覚醒されても気付けなかったのだ。
二十年越し、リオがまさかと思って走査器を引っ張り出してくれたお陰でようやく自分に
も色持ちというステップアップが実現された。……何より自身、この能力を内心とても気に
入っている。
超覚型の傾向に漏れず、直接的な攻撃力はない。
だがこの力を百二十パーセント活かせば、きっと守れる。守りたいもの、守るべきもの達
を迅速に確実に守ってみせる事が出来る──。
「……っ!?」
ザワッ……。蟲人の大男は刹那、自身の腸を通り抜けていく冷たい刃の感触がした。
思わず青褪め、振り返ろうとする。
だがそれだけだったのだ。振り返ろうと視線が移ったその瞬間、今度は背中側から腹に向
かって刺し貫く衝撃が全身を撃つ。
「──トナン流錬気剣。朧双月」
白目を剥いて、どうっと男の巨体が倒れた。リンファがいつ間にか──否、始めからそこ
に立っている。彼の胴には二度、往復したような深い裂傷が刻まれている。
「ゾニエスがやられた!」
「いや、今がチャンスだ! これであの女はレノヴィンから引き離されてる!」
一方そんなリンファと倒された仲間を見遣りながら、別な戦士達がリング上を迂回しなが
らアルスを叩こうとしていた。
あいつには悪いが、引きつけたこの隙を使って……。
「酷いなあ。僕もいるんだけど」
だがそんな彼に立ち塞がったのは、サッとアルスとエトナを庇うように前に出たシフォン
だった。
尖り耳、色白の肌と一見穏やかな表情。
だがその弓を片手にした全身には、既に濛々と立ち込めるオーラの塊がある。
「? 何だ?」
「靄? いや、まさかこいつの──」
故に気付いた時にはもう遅かったのである。戦士達が慌てて急ブレーキを掛けたのとほぼ
同時、シフォンはゆっくりとその拡げた自身の靄状のオーラの中を歩き出すと、一人が二人
に、二人が三人に、三人が五人にとまさに鼠算式にその数を増やしていく。
「ふ……増えた?!」
「分身、か? まさか、これがあいつの……」
「そうだよ。これが僕の色装さ」
あっという間に戦士達は無数のシフォン達に囲まれていた。それぞれが同じタイミングで
喋り、そっと弓を引いてマナの矢を輝かせる。
彼の色装の銘は《虹》。自身の幻影を作り出す事ができる、操作型の一つだ。
由来は“見えるのに決して届かないさま”。これをシフォン自身は己の魂が投げ掛ける皮
肉だと解釈している。
かつて外界に憧れ、里の秩序を乱してまでその夢を追おうとした過去。
その見通しの甘さとそこにつけ込まれた事件の末、半ば自棄になって出奔した故郷。
……だが、あれほど憧れていた地上は、急速に進む開拓によってその自然を酷く傷付けな
がら進んでいた。自分は絶望し、それまで抱いていた理想が砕け散る音を聞いた。
「くそっ! 厄介な能力だな……」
「いや、そうでもないぞ。これは幻だ。だったら本体以外が俺達にダメージを与えてくる事
はない筈だ」
「さて……それはどうかな?」
焦り、されど言い聞かす。
含んだ微笑いを浮かべつつ、シフォンの群れは矢を放った。戦士達は咄嗟に円陣を組み、
一挙に“本物”を見極める作戦を取る。
「ぐぁっ!」「ぎゃぁッ!?」
「そんな馬鹿な。全部が、ダメージ……?」
しかしその作戦はむしろ裏目に出た。矢を弾き損なった仲間達その全員が、確かに目の前
で矢を受けて倒れ、悶え苦しんだのである。
「身体が錯覚してるのさ。高度な幻は、時に偽物だけで人を殺すことだって出来る」
まぁこれ、うちの仲間の受け売りなんだけどね──。
相変わらずのシフォンの微笑だったが、逆に戦士達は総じて戦慄していた。
ただ惑わすだけじゃない。リアル過ぎる幻は、それが幻だと言い聞かせても意識の何処か
で恐怖を覚えてしまった時点で、現実の攻撃力を孕むのだ。
では、やはり“本物”の矢は一本だけ?
いや、そもそもあいつは“本物”の矢を放ったのか……?
彼らはじわじわと、そして急速に確実にその意識の中を焦りと恐れで満たされていった。
とにかく幻だと念じて弾き返す? あんな正確無比な一発一発を?
刺さってしまっても幻だと思えばいい? だが、あいつが必ず“マナの矢”で撃ってくる
保証なんて何処にも──。
「……さて。次いってみようか」
ひぃっ?! 蛮勇にも自分達に向かって来た彼らに対し、無数のシフォン達の群れはそう
変わらず笑みを浮かべながら“矢”を番える。