9-(2) 狂信の隠れ家
何時しか沈み込んでいた意識が、纏わりつくような悪寒によって叩き起こされた。
それでも瞼は重い。身体も強い疲労や痛みを訴えている。
「んっ……」
再び沈み込みそうな意識に鞭打つようにして、シフォンは小さく唸りながら目を開いた。
全身を這う寒気、薄暗い視界、伝わってくる石畳の冷たさ。
暫くぼうっとその場にへたり込んだまま、彼は何とか今の状況を把握しようと努める。
(……そうか。僕は捕まったのか)
後ろ手の両手首にずしりと感じるのは、金属製の手枷の重みと冷たさ。
薄暗い周囲──どうやら牢屋の中であるらしい──を見渡しながら、シフォンはここに至
るまでの記憶を手繰り寄せ直す。
やはり、あの時ジークとリンファ達を襲った黒衣の一段は“楽園の眼”の手の者であるこ
とが分かった。
何故ジークの剣を? 当然の疑問は過ぎったが、正直自分にとって問題はそこではない。
やっと得られた新しい居場所を、仲間を奪われること、それに対する憤りだったと思う。
だからこそ何日も掛けて“結社”との関わりを渋る人々から情報を収集して回り、ついに
アウルベルツ近郊に奴らのアジトを見つけたのだった。
だが……自分とした事が、その時点で冷静さを失っていたことに気付けなかった。
こっそりと様子を窺い潜入を試みようとしたその矢先、黒衣の集団──結社のオートマタ
兵達に取り囲まれてしまったのだった。
──独断専行。
昔の悔しさに押されて、無茶をしてしまったなと思う。
何よりも、今頃皆はどうしているのだろう? 拘束されて何日が経ったかは判断がつかな
いが、少なくとも所在が分からないとなれば自分を捜し始めているかもしれない。
(……結局、僕はまた“仲間”に迷惑を掛けてしまったんだな)
反省するように、自嘲するように。
シフォンはフッと牢に繋がれたまま独り苦々しい笑いを零した。
だが先ずは状況把握、そしてどうすれば脱出できるかだろう。
相変わらず辺りは不気味な薄暗さの中にあったが、シフォンは疲労のたまった身体に鞭を
打ち、最大限に周囲に対して五感を研ぎ澄ませてみる。
すると、全身の感覚が告げたのは、点在するぐったりとした人々の気配と怯えたような精
霊達の様子だった。
他にも囚われの人達がいるのか……。
シフォンは無言のまま眉根を寄せた。自分一人ならともかく、人数を解放させるとなれば
その難度はぐっと跳ね上がるだろう。
(しかし居ると分かった以上、見捨てるわけにもいかないしな……)
金属の手枷にガチャガチャと抵抗してみながら、シフォンは深く深く思案をする。
ちょうど、そんな時だった。
「……?」
ほうっと、不意に空間の奥で灯りが点いていた。
コツコツと足音がする。耳を済ませてみれば複数人のようだった。
誰か、来る。
シフォンは目を凝らし、その人影らを待ち構えるかのように睨み付けていた。
ゆっくりと灯りがこちらに近付いて来るに合わせて、周りの他の牢の中に繋がれた人々の
ぐったりとした姿が薄闇の中に浮かび上がっては、また溶けて見えなくなる。
「お目覚めのようですね。シフォン・ユーティリア君」
照らされた灯りの中、牢の格子越しに見下ろしてきたのは一人の神父風の男だった。
その周りを黒い覆面で人相を隠した数名のヒトの兵士と、黒衣の人形達が固めている。
どうやらこの男がリーダー格らしい。
シフォンはより一層、睨む眼に殺気を宿らせていた。
「私は楽園の眼の“信徒”ダニエルと申します。ようこそ、古き良き民の方よ。わざわざこ
のような場所まで足を運んでくださるとは」
「今更上辺だけの丁寧さなど要らないだろう? 歓迎するというのなら、今すぐ僕や周りの
人達を解放しろ」
「それは、できない相談ですね」
神父風の男・ダニエルは敵意を隠さないシフォンと相対してもフッと笑うだけで、一見す
るとにこやかな表情を崩さなかった。
だが、シフォンには嫌という程に感じ取られた。
この男達は……強烈な“狂気”を抱えている。
「驚きましたよ。まさか貴方達からこちらへ乗り込んで来られるとは。……まぁ、できれば
ジーク・レノヴィンも一緒に連れて来てくれるともっとありがたかったのですが」
「やはり、お前達がジークを……!」
「ええ。ですが貴方達は愚かな抵抗をした。加えて放った尖兵も役立たずに終わりました。
人形達も随分と可愛がってくれたようですしね?」
言葉にならない怒りで、ガチャリと手枷が揺れる。
尖兵とはサフレの事だろう。しかも人質を取っておいて役立たず呼ばわり。
目の前の相手が“結社”という事もあったのだろうが、その言動の一々が癪に障る。
「しかし正直言って助かりましたよ。次の手を如何するか、思案していたのです。確か貴方
はジーク・レノヴィンが属するクランの一員でしたね? 今配下の者を放っています。一両
日中にも貴方と彼──いや、あの六振りと交換させて頂く」
「……冒険者を見くびるな。お前達相手に、取引などに応じるものか」
「愚かな。では今度こそ、貴方達は神の裁き見ることになりますよ?」
「そんな事はさせないッ!!」
そして何よりも、目的の為には平然と皆を手に掛けようとする事が許せなかった。
繋がれたまま、それでもシフォンは声を上げて彼らに飛び掛ろうとする。
「──ッ!?」
だが次の瞬間だった。
突如として全身に奔る激痛と、内部から侵食されるような感覚。
黒い血色の奔流がバチバチと唸りを上げ、シフォンの足元で不気味な輝きを放った。
身体から力が──いや、マナが奪われている?
ダメージを受けた身体で視線を足元に遣ると、そこには黒血色の光でなぞられた魔法陣が
床一面に描かれているのが分かった。
「う、ぐっ……!」
ガクリと身体中から力を奪われて脱力する。同時に魔法陣をなぞる光も消えてゆく。
一見しただけでは何の呪文かは判読できなかったが、どうやらこの上に居る者がマナを使
おうとすると、そのマナを吸収する──魔導師封じの効果があるらしい。
疲労していた身体に追い打ちを掛けられたようで、思わずシフォンは再びその場に崩れ落
ちてしまった。肩で荒い息をつく彼に、ダニエルはにんまりとしたり顔を見せて言う。
「無駄な抵抗はしない方がいいですよ? お分かりですね? 貴方は一般の“罪人”達とは
少々勝手が違うので、少し特殊な部屋を用意させて貰ったのです」
「……。罪人、だと?」
だがそんな自身を見下し哂うダニエルらの表情よりも、シフォンはそのごく自然と発せら
れたフレーズに反応していた。
それは周りの、囚われた他の人々の事だろうか。
黒衣の兵士の一人が手にして照らしている灯りの照明を通して、シフォンは薄闇の向こう
で力なくうなだれ、或いは生気なくこちらを見ている彼らを見遣りながら思う。
「ええ、罪人ですよ。世界を徒に掻き乱す罪深き者達です」
「……開拓派の人間を罪人扱いして投獄、か。そんな私刑、馬鹿げている」
「分からぬ方だ。貴方も古き良き民でありましょう? 彼らのような輩を野放しにしておけ
ば世界は掻き乱される。我々はその歪みを正そうとしているのですよ」
「確かに、開拓によって自然が荒されるのは一介のエルフとしては複雑な心境だが……それ
でもお前達のやり方は間違っている。一方的な暴力に変わりはない。そんな事、許される訳
がない」
「何が私どもを許さないのです? 人の法が常に正しいとでも? 我々は世界の理の下、そ
の理想を遂行しているに過ぎないのですよ。大義は……常にこちらにあるのです」
睨み合う両者。
シフォンとダニエルらは平行線だった。
聞き及んでいた通り、彼ら“結社”の掲げる『世界を在るべき姿に戻す』為の暗躍は常軌
を逸していると、シフォンは改めて再確認していた。
狂信。まさにその一言に尽きるのだろう。
開拓への邁進に疑問を抱くことは正直自分にもある。だがそれらを力ずくで封じ込めよう
とする、多くの人命の犠牲を厭わないそんな“信仰”を自分達は認める訳にはいかない。
『…………』
暫し両者は、見下ろし見下ろされる格好のまま、じっと互いを睨み付けていた。
過去と今、重なり合う敵意の眼と、狂信が見せる一種の陶酔の眼。
そしてそんな対峙が、どれだけ続いていた頃だったろうか。
「ダニエル様」
ふと再び奥から灯りが点り、数人の黒衣の兵士達が近付いて来た。
振り向いたダニエルに、その内の一人が歩み寄り、何やら耳打ちをしている。
表情こそ貼り付けた笑みのままだったが、何か状況の変化があったらしいことは窺えた。
「……そうですか。では丁重にお迎えしてあげなさい」
「はっ」「お任せを」
ややあってダニエルがそう言うと、彼らは低頭して承諾し、再び来た道を戻っていった。
薄闇の中を照らす灯りが、二つからまた一つになる。
「……。残念ですよ」
やがてダニエルはゆっくりと踵を返すと、
「古き良き民の出自ならば、我々の理想にも共鳴してくれると思ったのですが」
睨み付けてくるシフォンを、肩越しに狂気の微笑で見遣ってそう言い残し灯りを揺らしな
がら、配下の兵士や人形ら共にその場を後にしていく。
「──ここが結社のアジトなのかよ? 随分としょぼいんだが……」
暮れなずみの空は、陽の落ちた夜闇に塗り変わっていた。
思いもかけずキースから提供された、楽園の眼のアジトの情報。
精霊達を伝ってアルスが皆にその旨を報せると、ジーク達は一度ホームに集合し直してか
ら早速そこへ向かってみようという話になった。
「間違いないわ。彼の情報通りならここで合っている筈」
「しかしまぁ、アウツベルツの郊外にこんな場所があったとはな。知らなかったぜ」
ちなみに、道中への足は(何故かホームに来ていた)シンシアらが自家用の馬車を出して
くれたおかげで確保できている。
彼女らと団員らの一部を離れた場所に残し、ジーク達は街道から大きく逸れた獣道の中を
分け入っていった。
やがて姿を見せたのは……夜闇の中にひっそりと佇む廃村。
魔獣や瘴気にやられたのか、或いは単純に住む者がいなくなってしまったのか。今となっ
ては判断できないが、どの家屋もボロボロに朽ちており、少なくとも長い間放置された場所
である事が窺える。
「……だが、これなら奴らの隠れ家にはもってこいだな」
そしてブルートバードの面々だけでなく、今この場にはバラクらクラン・サンドゴディマ
の面々も加わっている。
ジークが街の中を捜索している途中、偶然出くわしたのだ。
威圧感に押されて仕方なく事情を話すと、その場で協力を申し出てくれたのである。
「ですね。気を引き締めなきゃ……」
正直部外者を巻き込むのは戸惑ったが、心強い。
何せ相手の力が未知数なのだ。味方の戦力が多いに越した事はない……のだが。
「……なぁアルス、エトナ。やっぱりお前らも来る気なのか」
前衛に立つジーク達の少し後ろ、ハロルドやレナの支援隊に交じって立っているアルスに
ジークは再度確認──いや、説得しようとするように肩越しに声を掛けていた。
「勿論だよ。一大事だからね」
「僕らにとってもシフォンさんは仲間だもん。じっとしてなんて、いられないよ」
「……だがなぁ」
「ジーク、大丈夫。ボクらが守る」
「私からもお願いします。アルス君だって心配なんですよ」
「お前らまで……」
弟とその持ち霊。本来ならばこんな危険の伴う場所に連れて来たくはなかった。
それでも本人達が、更にミアやレナまでもがジークにそう懇願の言葉と眼差しを向けてく
る。それ以上強く言えずに言葉を詰まらせる彼に、リンファ達も視線を遣った。
「心配は要らない。アルスも守る、シフォンも救う。そうだろう?」
「弟だものね、心配なのは分かるよ。でも卵だとはいえ、魔導師が戦力に加わってくれるの
は心強くもあるさ」
「……」
そして今度は目上のメンバー達からも容認の声が出る。
アルスを仲間として認めて貰っているからだとも、戦略的なプラスだからとも両方共。
ジークは顔をしかめていた。それでも腰の刀の柄をそっと撫でると、
「……分かったよ。でも、絶対無茶はするな」
「うんっ」「分かってる」
小さく舌打ちをして数歩、荒い土の地面を歩き、仲間達と共に廃村の奥へと進んで行く。
敷地の外から眺めている分もそうだったが、やはり不気味なほど人気がない。
打ち棄てられた家屋が静かに佇み、今にも夜闇の中に溶けてしまいそうだった。
ただ一同が進む土を踏む音だけが、薄ら寒いくらいに耳に届く。
「本当にがらんとしてるな。アジトらしい建物なんて何処にも──」
「!? 皆、待て!」
「誰かいる……。ううん、いっぱいいる!」
だが、不気味な探索は長くは続かなかった。
廃村の敷地、そのちょうど中央辺りまで来た所で、ハッと気配を感じ取ったブルートとエ
トナの精霊二人がそれぞれに皆へ警戒の声を上げたのだ。
それとほぼ同時に現れたのは、黒衣の戦闘人形と若干名の黒衣の兵士達。
どうやらずっと気配を殺して待ち伏せていたらしい。次の瞬間には、ジーク達は廃村の物
陰から次々と姿を見せた彼らによってぐるりと包囲されてしまう。
「チッ。待ち伏せてやがったか」
「アルス君、レナちゃん、支援隊の皆を中央に。私達も円陣を作るわよ」
「俺達もだ。……ブルートバードの連中のフォローをするぞ」
「ま、予想はしていたがな……。団体さんのお出ましだ」
ザラリと敵味方、お互いの得物が一斉に抜き放たれ、展開された。
周りを包囲して徐々に距離を詰めてくる黒衣の一団に対峙し、一同は身構える。ジークも
抜き放った二刀にマナを伝わせ、刀身が全身がオーラを纏う。
「……覚悟しろよてめぇら。ダチに手を出されて頭にキテるんだ……加減なんてしねぇぞ」
そして次の瞬間、内側へと外側へと。
両者二つの円陣が拡がり──激突が始まった。