1-(3) 兄弟と三人娘
「え、えっと……。あ、改めてよろしくお願いします。お世話にな、なりますっ」
その後、マーフィ父娘と共に『蒼染の鳥』に到着したアルスとエトナは、ジークより話を
聞かされていたイセルナ以下団員達の出迎えを受けることとなった。
その思っていた以上のウェルカムぶり──というよりも大人数の眼差しに対して面食らい
ながらも、アルスは何とか笑顔を作ると、これからお世話になる下宿先の面々にコクリと頭
を下げてそう挨拶をしていた。
「そんなに硬くなるなって。俺だっているんだし、そんなに気兼ねされても困るって」
「ふふ。そうね。少々騒がしい所かもしれないけど、自分の家だと思って……ね?」
「……はい。ありがとうございます」
「ははっ、良かったねアルス。いい人達みたいで」
「うん。そうだね……」
ジークやイセルナ達は、そんな礼儀正しい彼に逆に若干の戸惑いを感じつつも今日から加
わるこの新しい仲間を微笑ましく見る。
「でも、凄いよね。アルス君ってアカデミーに入学するんだよね? 試験、結構難しいって
聞くのに」
「……そういえばアルスって、何歳?」
「十六だ。俺より三つ下だからな」
ポンと手を合わせて感心するレナと小首を傾げて呟くミアに、ジークが代わって答えた。
ちなみにレナは十七歳、ミアは十八歳である。
「ふむ? だとすれば浪人でもしたのですか? 確かアカデミーの受験資格は“成人である
こと──ヒューネス換算で十五歳以上”の筈ですが」
「い、いいえ。一応これでも現役合格……です」
ハロルドの言葉に、気恥ずかしそうに答えるアルスの言葉。
その返答に「おぉ~!」と場の面々が驚きの声を上げた。そんな面々の中空では何故かエ
トナがさも自分のことのように胸を張っている。
レナも言っていたように、確かにアカデミーはその門戸自体は開かれている。成人に達し
てさえいれば性別や種族、出自は問わない。だが魔導師という世界が必要とする人材を育成
する場所が故にその分入学試験自体のレベルは高く、一筋縄では合格できない筈なのだ。
否が応なしに向けられる羨望の眼差し。
アルスはそんな皆の視線に照れたように苦笑し、ポリポリと頬を掻いていた。
(……? リンさん?)
ただ一人、ジークはその中にあって、
「どうかしたんすか、リンさん? さっきからアルスを見てぼ~っとしてますけど」
「えっ? あ、ああ……いや、何でもないさ。ただ顔立ちこそ似ているが、兄弟なのに随分
と違うものだなと思ってね」
「ん~……まぁそうっすね。お互い強く受けてる血が違うんですよ。俺は母さん──女傑族の、
あいつは父さん──人族の血を濃く継いでるらしくて」
何処か上の空なようにも見えるリンファを認めて、そう声を掛けると、彼女のその疑問に
あっさりとした口調で答えていた。
「……。そうか」
大陸同士の行き来が難しかった大昔とは違い、今は飛行艇の航路も整備され人々の往来も
活発になっている。それに伴い、異なる種族同士の恋愛・結婚も最早珍しくはない。
だがリンファは何を思っているのか、苦笑の後に微笑を漏らすと、そう短く呟いた。
「十六か。だったらもう成人の儀は済ませてるんだよな? よぉ~っし、今日は宴会だ!
おいハロルド酒を」
「駄目だよ、ダン。アルス君はさっき着いたばかりなんだし、せめて今夜にしなよ」
ダンは既にアルスの歓迎(というよりもそれが口実で酒が飲めること)で笑っていた。
しかしそんな酒豪の彼をよく知っているからか、そこですかさすシフォンがやんわりとそ
う言ってその企みを諭す。
「そうね。アルス君の歓迎会をするにしても準備は要るし……。それでいいかしら?」
「え? でも、わざわざ僕のためにそんな……」
「気にすることはないよ。こういう時に騒ぐのは冒険者の習性みたいなものだからね。料理
やら準備やらは任せておいてくれ。いいかな? 二人とも」
「まぁいいっすけど。お前らもいいよな?」
「う、うん……。大層だとは思うけど兄さん達がそこまで言ってくれるなら……」
「私もオッケーだよ。というかアルスがうんっていうならついてくだけだもん」
「よっしゃぁ! 今夜は宴会だぜ!」
そうして話がまとまり、ダンは心底嬉しそうに笑った。
ぐいっとその太い腕を肩に乗せられ、ぐわぐわ揺らされる脳味噌ごとアルスの周りで、他
の団員達も宴会と聞きテンションが上がり始めている。
「あ~……。副団長、とりあえずアルスを離してやってくれません? 夜からなら、それま
でに俺達は細々とした用事を済ませてきますから」
「ん? おう。例の学院の手続きがどうのってやつか」
「ええ、そんな所です。いくぞアルス、エトナ」
「は~い」
「う、うん。じゃあ皆さん、一先ず僕たちはこれで」
そしてジークはそんな面々の渦中から弟を引き取ると、改めてペコリと皆に頭を下げる彼
の代わりにキャリーバックを持ってやり、三人して宿舎の方へ歩いていく。
「────へぇ、これがジークの部屋なんだ」
冒険者クラン「ブルートバード」が拠点を構える敷地内は、大きく分けて三つの施設に分
かれている。
表の通りに面する形で団員らの食堂を兼ねる酒場『蒼染の鳥』が。
その裏手の空き地──中庭はクラン面々の運動場として使われ、更にその向かいには団員
らが寝泊りする横長の宿舎が一棟建っている。
「何だか、思ってたよりもこざっぱりとしてるかも」
「というより……物が少ないんじゃない?」
「……まぁ基本、寝泊りに使うか着替えを置いてるかだけだしな」
ジークが使っている部屋も、団員の例に漏れずその宿舎の一角に宛がわれていた。
本人の言葉の通りやや殺風景な室内を見渡しつつ、アルスとエトナは言う。
「宿舎は基本、二・三人で一部屋になってる。まぁここはお前が来るって分かってた事もあ
るから俺一人だったんだけど。トイレ兼手洗い場は各階の真ん中と端っこ、風呂場は一階の
真ん中だ。使い方とかの細々とした決まりは……まぁその内覚えるだろ。分からないことが
あったら俺や他の連中に遠慮なく訊いてくれ」
「うん。分かった」
ボフッと二段ベッドの下に腰掛けてジークがさらうように説明をしてくれ、アルスは微笑
みながら頷いていた。キャリーバッグから荷物を取り出し、一先ず仮の整理を始める。
(あ……)
そこでアルスは気付いた。
窓際に真新しい机と空っぽな本棚が置かれていることに。
(もしかしなくても、これって僕の為の……なのかな?)
兄は自身が口にするくらいに勉学が苦手だ。だとすればこれらは十中八九自分の下宿に合
わせて用意され、運び込まれたものだろう。
アルスは素直に嬉しかった。
口調も言動も、いつものぶっきらぼうなままの兄。
だが、こうして密かに自分の為に手を回してくれる不器用な優しさが、嬉しかった。
エトナもそんなアルスの内心の嬉々を読み取っているのか、にこにこと静かに微笑を見せ
つつ、自分を見下ろしながら中空に漂っている。
「……なぁ、アルス」
そうして荷物を整理していると、ふとジークがベッドに腰掛けたままの格好で声を掛けて
きた。アルスは「何?」と言わんばかりに振り返り、いつの間にかじっと目を細めて自分を
見ている兄の表情を確認することとなる。
「お前、本当に宿舎でよかったのか? はっきり言ってここは騒がしいぞ? 依頼によっち
ゃあ昼夜関係なしで動くしよ。それに学院の近くにアパートを探した方がよっぽど環境は」
「ううん、大丈夫だよ。僕は……こっちの方がいいんだ」
兄の何度目かになるその言葉に、アルスは半ば遮るように答えていた。
実は受験の為に一度アウルベルツに来た時も、アルスはクランの面々に顔を出そうと思っ
ていた。普段兄が世話になっているその仲間達に、せめて挨拶ぐらいはしたいと。
だがそれは他ならぬジークが断わった。
曰く「お前は大事な時期なんだから、今は受験に集中しろ」と、わざわざ学院近くに宿ま
で取ってくれて。
そしてその後合格通知が届き、今度は──少なくとも在学中はこの街に住むと決まった時
も、彼は同じくアパートを探してやろうかと打診してきたのだ。
しかし、今度はアルスがその申し出を断わった。
『僕なら兄さんの部屋でいいよ。クランの皆さんがいいよって言ってくれればだけど……。
家賃だってゼロにできるし、母さんも兄さんと一緒だったら少しは安心すると思うんだ』
そうして切り出した、このクラン宿舎への下宿話。
ジークはその時も「勉強に集中できるのか?」などと渋って──心配してくれたが、家賃
や母の名を出された事で最終的には承諾し、話を通してくれた。
とはいえ、その際にアルスが口にした言葉。それは半分本当で、半分は違う。
確かにそういった打算があったのも事実だが、本音を言えば“久しぶりに兄さんと一緒に
暮らせる”からというのが大きかった。
「……そっか。ま、お前がいいって言うなら無理強いはできねぇしな……」
十五歳──成人の儀を済ませるや否や、一人故郷を飛び出していってしまった兄。
寂しかったのかもしれない。息子が足早に姿を消してしまい、ぽつねんとしていた母の心
の機微に影響されていたのかもしれない。
だから母の為にも──自分の本音からも、アルスは一人暮らしよりも兄(とクランの皆)
との再びの共同生活を望んだのだった。
「あ~……。とりあえず荷物の整理は大雑把でいいぞ? 必要なら後で何人かに応援を頼め
ばいい事だしな。それよりも、軽く一服したら学院へ行くぞ。さっさと急かされた手続きと
やらを済ましちまおうぜ」
「……うん。そうだね」
腰掛けたベッドから起き上がり、ガシガシと髪を掻きながら言うジーク。
アルスは荷物に伸ばしていた手を止めると、そんな思いをごまかすように苦笑した。
一方、時を少し前後して。
レナとミアは同じく宿舎内の相部屋でのんびりと昼下がりの時間を過ごしていた。
「…………」
ただ一つ、いつもと少しだけ違っていたのは、ルームメイトたるミアの様子が何だかおか
しいという点で。
(ミアちゃん、どうしたのかな……?)
レナはぱらりと手に取る本のページを捲りながらも、テーブルに両肘をつきぼんやりと何
か物思いをしているかのような彼女を時折ちらちらと覗き見るように見遣っていた。
同じクランの創立メンバーの娘同士(といってもレナ自身は養女だが)として、二人は物
心がつくよりも前からの付き合いがある。
決して口数は多くないが、いざという時は主張し肝の据わっているミア。
養父譲りの柔らかな物腰と、控えめで常に相手を立てる清楚可憐なレナ。
お互いに補い合うように、惹かれ合うように、二人はこれまで幼馴染──いや親友として
の関係を重ねてきた。
ただ、ちなみにもう一つ付け加えるとすれば──。
「……ん? あ、は~い」
コンコンと控えめなノックの音。
レナははたと気付き本から顔を上げると、反射的に返答を寄越す。
「……入ってもいいかな?」
するとそっとドアを開けて顔を出してきたのは、白系の銀髪を左右の耳元辺りで結い、淡
く黒いローブに身を包んだ眞法族の少女。
年齢は二人よりも下の十六歳。とはいえ、ウィザード特有の銀髪がその印象を実際よりも
少し上に、神秘的にも見せている。
ステラ・マーシェル。
付き合いはまだ短いものの、二人と行動を共にするもう一人の親友とも言える少女だ。
「うん。勿論」
レナはふんわりと微笑んで即答していた。
するとステラはきょろきょろと辺りを見渡してから、おずおずと室内へと入ってくる。
「ねぇさっき、誰か来ていたみたいだけど……?」
「うん。アルス君っていってね、ジークさんの弟さんだよ。今度こっちのアカデミーに入学
するんだって。凄いよねぇ」
それはまるで人の眼を警戒するような、怯えの混じった様でもあって。
「ジークの……そっか。あ、えっと……」
「大丈夫だよ。さっきお父さんが、ジークさんと一緒に出掛けたって言っていたから。すぐ
には帰って来ないと思うよ?」
だがそれは無理からぬ事だった。
「……。うん」
何故なら、彼女は“とある事情”によりこのホームで半ば引き篭もりに近い生活を送って
いるのだから。
籠り切り故かはたまた元々の体質か。
ステラは先んじてレナに微笑と共にそう補足を受け、白い肌と銀髪の下で複雑な表情を浮
かべていた。くるくると、耳元の横髪を指先で巻いてはゆるりと離して弄って場を濁す。
「それで……ミアはどうしたの?」
だがそんな彼女も、先程から上の空状態のミアには気付いていたらしい。
レナは静かに苦笑いを零してから、肩をすくめてみせて言う。
「よく分からないんだけど、さっきからずっとこんな感じなの。ダンさんと一緒にアルス君
をホームに案内してきてからかなぁ……? 私が呼びかけてみても全然反応しなくて」
「ふぅん……」
ステラはその話を聞きながら、暫くじっとミアの横顔を見遣っていた。
対するミアは、相変わらずテーブルに両肘をついたままぼんやりとしている。
すると、ややあってステラはおもむろに立ち上がった。レナはその行動に、頭に疑問符を
浮かべて見守っている。
そしてステラは、そ~っとミアの傍らに忍び足で近寄って──。
「アルスが来てるよ」
「……!?」
ぼそっと、彼女の耳元にそんな一言を囁く。
次の瞬間、それまで心ここに在らずといった状態だったミアが突如として反応した。
頭の猫耳とふさっとした尻尾が一緒にビクンと逆立って跳ね上がり、まるで弾かれたよう
に身を返して部屋の奥へと飛び退る。
「……? あれ、ステラがいる」
「み、ミアちゃん? 大丈夫……?」
驚いていたのはミアは勿論、レナも同じだった。
そんな互いに別々に驚きや戸惑いの表情を見せる二人を、ステラは暫し黙して観察してい
るようにも見える。
「うん。やっぱりね」
そして、ステラはその中で何かを確信したように言い放った。
「ミアはアルスに惚れている」
「えっ」「──ッ!?」
レナは短い驚きを。ミアは茹で上がったように耳まで真っ赤な表情で。
そしてミアのそれは、語るまでもなく彼女の言葉が間違っていないことを認めているよう
なもので……。
「えぇっ!? それって本当なの、ミアちゃん? そっかぁ。ミアちゃんが……」
「ち、違う。ボクはそんなこと一言も……」
「でも顔に出てるよ? ミアには珍しいくらいはっきりと真っ赤っか」
「……っ」
ミアは頭がショートしたようにふらふらとしながら、その真っ赤になった自身の両頬を押
さえて押し黙ってしまっていた。
その傍らに寄ったレナは何故かウキウキしながら、まるで自分の事のように満面の笑みで
そんな親友を微笑ましく見遣って呟いている。
一方でステラは、そんな二人の友の姿を見つめながら、
「……ふふ。そっか。でもこれで“私達は皆”恋する乙女って事だね……」
小さな小さな声で一人、そうごちる。
「うわぁ……随分と人が多いんだね」
「うん。サンフェルノとは大違い」
一息の休憩を入れて支度を整えた後、ジークとアルス(そしてエトナ)はアウルベルツの
街中へと繰り出していた。
「ま、そりゃそうだろ。この辺りじゃ一番大きい街だしな」
少々興奮気味な二人とは対照的に、ジークは慣れっこな様子で腰の三刀を揺らしながらそ
の一歩先を歩いている。
その言葉の通り、ジーク達の歩く通りの両翼には大小様々な露天が軒を連ねており、人族
をはじめ多種多様な種族の人々が行き交っていた。
露天を開いている内の少なからぬ者は、商才に長ける奉人族。
往来を客に手相を視ているのは、額に第三の眼を持つ星詠の民・星眼族。
木箱を背負った両生類系の亜人は、優秀な薬師を多く輩出する蛙人族。
軒先で酒瓶片手に碁を打っているのは、頭に角を持つ鬼族と半人半器の付喪神たる宿現族。
各地から集まり、或いは旅立つ。そんな人々の流れがこの街に賑わいを形成している。
「分かってると思うが、人が多いからくれぐれもはぐれるなよ? 二回目つってもお前はお
上りだしな。ここは村みたいに気のいい奴らばっかりじゃないんだ」
「うん……分かってる」
ちらとすぐ後ろをついてくるアルス達を確認するように肩越しで見遣ると、ジークはそう
淡々とした口調で言葉を重ねていた。
アルスはそれに小さく頷いていたが、
「……やっぱり兄さんは、村に戻ってくるつもりはないの?」
ふと暫しの沈黙を挟むとそんな事を兄に問い返す。
ジークはその問いにすぐには答えなかった。再び振り返ることはせず、
「俺はこれでも一応、稼ぎの半分はそっちに送ってるだろ? 責任は果たしてるつもりだ。
今の生活もそこそこ忙しいしな。依頼はこっちの都合なんて待ってくれねぇし」
「そう、だよね……」
「……その、なんだ。母さんや師匠やリュカ姉、皆元気にしてるか?」
「うん。母さんもクラウスさんも、先生も村の皆も……元気だよ。僕がこっちに出発する前
には村総出でパーティーまでしてくれたし」
「そっか。変わんねぇなぁ、そういう所は」
ただじっと背を向けたままで往来の中を歩く。
「……それよりも今は、お前のやるべき事に集中しろ。皆もそれを望んでる筈だ」
「うん……」
背中でそう語る兄。
アルスはか細く頷いていたが、その後ろ姿をまともに見ることはできなかった。
ジークはそんな弟と、自分達を複雑な表情で見比べているエトナの姿をそっと肩越しに一
瞥すると、曲がり角に差し掛かって言う。
「ほらこっちだ。さっさと行くぞ」
魔導学司校は、今日の魔導の最高学府・魔導学司が魔導師育成のために各地に設立・運営
している教育機関である。
ある程度の人口規模を有する都市を中心に開校されており、難関の試験を通った者であれ
ばその出自は一切問わない。倫理と実践、何よりを実力を重んじる──そんな学び舎だ。
当のアカデミー・アウルベルツ校は、通りの角を折れ、緩やかな坂を上った先にあった。
「ちょっと待ちなさい」
どっしりと建てられた正門。
ジークがアレスとエトナを連れ立ってそのまま門をくぐろうとした時、はたと両端に立っ
ていた守衛らしき男性二人がその進路に割って入ってきた。
「君は何だね? 剣を下げてこの学院に何の用かな?」
「あん?」「あ、えっと……」
彼らの視線の先には──ジークが下げている三刀。
ジークは眉間に皺を寄せたが、アルスの方は素早く彼らの意図を察したようだった。
アルスは持って来ていた手提げ鞄の中を弄ると、
「あの。僕、今年度ここに入学する事になったアルス・レノヴィンといいます。学院の方か
ら早めに手続きに来てくれと連絡を受けまして……。あ、こっちは付き添いに来てくれた兄
さんです。この街で冒険者をやっています」
紙製の『仮学生証』と印刷されたカードを守衛達に見せて、そう説明する。
「……ジーク・レノヴィンだ。これで身元は確認できると思うが」
弟のその対応を見て、ジークも若干面倒臭そうにしながらも懐から自身のレギオンカード
を取り出してみせ、余計な誤解を解こうと試みる。
「ふむ。冒険者か」
「レノヴィン……ああ、例の」
すると守衛達は、ゆっくりと警戒を解いたようだった。
内一人が傍の詰め所へと駆けて行って何処かへ連絡を取っていたかと思うと、再びこちら
へと戻ってくる。
そしてそれまで塞いでいた道を、二人は促すようにして互いに身を退いて言った。
「失礼したね。どうぞ」
「一応言っておくが、学院内での無闇な抜刀は控えるように」
「……ういっす」「はい。では失礼します」
以前に受験で来ている事もあって、学院の敷地内に入ってからはアルスが先頭に立った。
知的な静けさの漂うキャンパス内。まだ長期休業中ということもあるのだろうが、人の姿
は疎らに思える。
アルスの記憶と構内の案内板を頼りに、三人はほどなくして事務局のある棟に着いた。
「あの~、新入生の入学手続きに来たのですが」
「はい。では合格通知と仮学生証を見せて下さい」
窓口から呼び掛けたアルスに、一人の女性職員が応対してくれる。
アルスが鞄の中から言われた通りそれらを提示すると、彼女は手元に置かれた端末を操作
して照会を開始。
「……はい、アルス・レノヴィンさんですね。それで、そちらの方は……?」
「こいつの兄だ。今日は付き添いで来た」
またかと片眉を上げてレギオンカードを取り出してみせるジークの返答を受けると、冷静
な事務的な口調で「そうですか」とだけ小さく頷いて一旦席を外し、後ろのオフィスの一角
から手続き用の書類の束を持ってきた。
「それでは、こちらに必要事項とサインをお願いします」
「はい。分かりました」
そしてアルスがそれらにペンを走らせ始める。
ふよふよと中空に浮いたまま、エトナは後ろからその様子を眺めている。
ジークも、これで一先ずかと窓際に背を預けて腕を組んで目を瞑り、じっと手続きが済む
のを待つことにした。
(アルスがアカデミーの生徒ねえ……。昔っから頭は良かったけど……)
閉じた視覚の中、ペンを走らせる音が微かに聞こえてくる中、ジークは改めてそんなこと
を思った。
自分とは違って勉学──魔導に才能に恵まれた弟。勿論、本人の努力も相当なものだが。
しかし剣を振り回すぐらいしか能のない自分に比べれば、よっぽどこの先彼はきっと世の
中に通用する人材になると自分は思っている。
だからこそ、あの村の中で小さくまとまっていて欲しくない。そう思うのだ。
気心の知れた村人達との暮らしと“あの日”の辛い記憶が残るあの村には……。
(まぁこんなのは所詮、俺の勝手な押し付けになっちまうんだろうけどな……)
行きがけにアルスにあんな事を訊ねられたからだろうか。
ジークは窓際にもたれ掛かったまま、静かにフッと自嘲気味に己を哂う。
「兄さん、終わったよ」
「ん……? おう」
そうしていると、はたとペンの音が止んでいた。
鞄を提げ直しながら向き直ったアルスとエトナに、ジークは目を開いて身体を起こす。
「お疲れ。それじゃあ、さっさと帰──」
「あ、ちょっと待って下さい」
だがその時、ジークの台詞に割り込むように先程の女性職員が口を挟んできた。
何事かと振り向く三人に彼女は言う。
「え~と、アルス・レノヴィンさん。このまま学院長室へと向かって貰えますか? 学院長
から直接会って話したい事があると伝達を受けています」
「学院長が? アルスに?」
「はい、構いませんが……。ねぇ兄さん。もしかして連絡のあった、早めに学院に来て欲し
い理由って……」
「ああ。どうやらこの事らしいな」
「では少々お待ち下さい。学院長室に繋ぎますので」
そして互いの顔を見合わせるこの兄弟を横目に、彼女は早速導話を掛け始める。
「──こちらが学院長室になります。くれぐれも粗相のないように」
暫くして、三人は連絡を受けてやって来た一人のウィザードの女性によって、別棟の一角
にある学院長室の扉の前へと案内されていた。
眼鏡を掛け、ビシッとスーツを着こなした一見すると秘書風の外見。
エマ・ユーディと名乗った彼女も、その道中の事務的な自己紹介からするにこの学院の教
員の一人であるらしい。
「あ……アルス・レノヴィンですっ。お呼びに預かりさ、参上しましたっ」
傍で控えるエマの視線と目の前の重厚な扉、これから会う人物からかアルスは緊張で身体
を硬くしつつも背を伸ばしてドアをノックしていた。
「はい。開いていますよ。どうぞ」
ドアの向こう側から返ってきたのは、穏やかな声色。
後ろのエマに無言で促されるようにして、アルスとエトナはおずおずといった感じで中へ
と足を踏み入れていく。
「……ようこそレノヴィン君。そしてその持ち霊・エトゥルリーナさん。私が当校の学院長
を務めています、ミレーユ・リフォグリフです」
学院長・ミレーユは室内の上座の自身のデスクに着き、そうアルス達を出迎えた。
ウィザードである事を示す白系の銀髪が、さらりと長く流れている。
アルスはどれだけ老練な魔導師なのかと思っていたが、少なくともその外見は若かった。
フッと両肘をついて組んだ手。
すると彼女は入口の前で思わず立ち尽くしている二人を、
「そんなに緊張しなくてもいいですよ。さぁ掛けて? よければお兄さんもどうぞ」
「あ、はい……」
「……。じゃあ、失礼します」
そして廊下側で待機の姿勢を取っていたジークにも声を掛ける。
三者三様の戸惑い。
だがこのまま立ちっ放しというわけにもいかず、三人はややあって彼女と対面するように
入ってすぐ傍、下座のソファへと腰掛けた。ボフンと高級さを示す沈み込みの感触が全身を
包み込む。
「先ずは合格おめでとう。そしてようこそ本校へ。私達教職員一同は貴方を歓迎しますよ」
「あ、ありがとうございます……」
ミレーユは一先ずといった感じで合格への祝辞を述べる。
その言葉にアルスは緊張して恐縮していたが、一方で隣に座るジークは対照的だった。
「で、学院長さんよ。まさかそれがアルスを呼んだ理由じゃないだろ? 一体うちの弟が何
をしたっていうんだ?」
言葉なく慌てるアルスに、中空から「ちょっとぉ。失礼だよ」と視線を投げるエトナ。
ミレーユの傍らに移動していたエマも僅かに眉間に皺を寄せていたが、当のミレーユ本人
は多少の荒っぽさには動じないらしく、むしろフッとその微笑を濃くして答えていた。
「勿論です。今回わざわざ早めに来て貰ったのは他でもありません。レノヴィン君、貴方に
は今度の入学式でスピーチを頼みたいのですよ。……新入生主席としてね」
『えっ!?』
その言葉に、ジークとエトナは重なった驚きの声を漏らした。
だがそんな二人よりも、
「…………スピーチ? 主席? ぼ、ぼぼぼ、僕がですかっ!?」
むしろ告げられた当人が一番驚いていた。
学院長直々という事もあるのだろう。アルスはソファにちょこんと座ったまま、動揺でぐ
らぐらと瞳を揺らしてその場で固まっていた。
元々あまり活発な方ではないとはいえ、コイツは……。
ジークはそんな緊張で既にガチガチになってしまっている弟に向かって訊ねる。
「つーかお前が主席なんて聞いてねぇぞ? 合格通知に点数は書いてなかったのかよ?」
「書いてないよぉ……。合格したかどうかしか……」
「試験の個人成績は、入学式の三ヵ月後までに事務局で手続きをすれば書類として発行され
るようになっています。プライバシー保護の面もありますので」
「……なるほど」
すると半ば泣きつくような返答をみせるアルスの言葉を補足するように、エマが眼鏡のブ
リッジを軽く押さえながら言った。
「ちなみにレノヴィン君の成績は二百点満点中、筆記試験は二百点。実技面接は百八十八点
でした。受験生の中でも断トツのトップ成績です」
「それに、確か面接前の導力測定では750MC……だったわよね?」
「はい。今年の受験生達の平均値が520MCでしたから、こちらも高水準ですね」
ちなみに導力とは、個人が制御できるマナの限界量の指標である。
単位はMC。一般人の平均は100MC前後だが、訓練による導力強化が大前提である魔
導師に関しては、一般的に1000MCを越えると一流と言われている。
「……改めて聞くと凄ぇな」
「すっご~い、凄~い! やったね、アルス」
「う、うん……ありがと。頑張った甲斐が、あったみたいだね……」
ミレーユとエマが教えてくれたアルスの成績。
ジークは驚きで勢いを削がれ、エトナはアルスの傍をくるくると飛び回りながら我が事の
ように喜んでいる。
ただ一人、当のアルスはまだ緊張しているのか、返す言葉はぎこちない謙遜だった。
「別にご実家に導話させて頂くか、書面を送れば済んだ事ではあったのですが……。内容が
内容ですし、直にお願いするのが筋だろうと思ったのです。それに……これほどの好成績を
収めたルーキー君をこの眼で見てみたいという個人的な理由もありまして」
口元に手を当てて上品に笑い、少し茶目っ気ぽくそう理由を話したミレーユ。
──そんな事の為に、わざわざアルスの上京を繰り上げさせたのかよ?
対するジークは内心そう思ってあまり面白くなかったが、はにかんでいる弟と嬉々として
いるエトナの姿を見ると結局言葉にする気にはなれなかった。
「それで、どうかしら? スピーチ、引き受けて貰えるかしら?」
「あっ。えっと……」
そして改めて、この依頼に対する意思表示をミレーユは訊ねてくる。
アルスはまだ戸惑っているようだった。ちらちらとジークの、エトナの顔色を窺うように
視線を泳がせている。
「……わ、分かりました」
だがそれも数十秒。やがてアルスは意を決したように、
「そのスピーチ、お受けします。精一杯頑張らせていただきます」
ごくりと息を呑むと、そうミレーユを見据えて受諾の意思を伝えたのだった。