64-(1) 魔都ラグナオーツ
リオの提案から数日後。
旅支度を整えたジーク達は飛行艇に乗り込み、一路地底層の一つ、魔界へと向かっていた。
ぐるぐると、ゆっくりと一行を乗せた飛行艇は霊海の空を旋回しながら下へ下へと下って
ゆく。世界と世界の境目が近いのだろう。気付けば辺りの靄──魔力の気流が濃く鈍一色に
なってきた。
「魔界か……。どんな所なんだろうな」
「そうだね。僕も本で読んだ事しかないけど、基本的に今はもう顕界と大差ないって話だよ」
船内の団体用客室の一つで、一行は寝泊りしながら到着の時を待つ。
今回遠征するのは、最初リオが話していた通りクランの中核・精鋭のメンバーだ。
ジーク、イセルナ、ダン、グノーシュ、リンファにシフォン、ミア、サフレ。更にここへ
アルス(とエトナ)が加わる。
勿論ジーク達は心配して参加を希望する彼を止めたのだが、どうしても一緒に戦いたい・
成果を確かめたいと食らいつく彼に根負けし、最終的に学院の許可が下りればという条件付
きでこれを許したのだった。
「どの世界も中央に世界樹が通ってて、東西南北にそこへ繋がっていく支樹があるっていう
構造は変わんないからねえ。結局は住んでる人達の歴史と文化次第なんだよ。昔は……色々
あったしね」
窓際でぼうっと変わり映え乗せぬ景色を観ていたジークとアルスの兄弟に、傍をふよふよ
と横になりながら浮いていたエトナが言う。
向かいの席でリオが、一人黙したままじっと腕を組んでいた。
「そうですね……。今でこそ共存していますが、以前は万魔連合と統務院が直接戦ったんです
よね……」
一方彼を始め、大会自体には参加しないものの、ジーク達に同伴するメンバーも今回は相
応数にいる。
言わずもがな、成果の見届け役であるリオとクロム。
ジーク達の応援と諸々のサポートの為について来たレナとステラ、マルタにクレア。
加えてイヨ以下侍従衆が数名。リュカと、アルスの参加に際してお目付役として派遣され
たブレアがこの面々に名を連ねている。ハロルド・リカルド兄弟、及びオズや他の団員達は
梟響の街で留守番だ。
「ま、百年以上も前の話だ。今は地上からの開拓と技術流入で便利になった生活を享受して
いる奴が大半だろう。それでもただでさえこっちは皇子様が二人、公子が一人いるしな。大
会以外で目立つような真似は控えるのが吉ではあるんだろうが……」
フッと知識から湧き起こったレナの不安に、背後のソファ型の席で横になっていたブレア
が言う。ジークとアルス、そしてサフレに流し目が向けられた。
分かってますよ──。
不敵・苦笑・神妙。三者三様の面持ちが、そっと彼に返される。
『お客様にお知らせします。これより次元装甲を展開致します。速やかにお席に着き、衝撃
に備えてください。お客様にお知らせします──』
「おっと……」
そんな時だった。船内にアナウンスが響き渡り、ジーク達はだらりとしていた心身を一度
引き起こした。繰り返されるメッセージの中、席のシートベルトを着けたり、壁面に備え付
けてある手すりを握るなどをしてその時を待つ。
……ゴゥンッ!
刹那、機体全体が何か大きな質量に包まれて圧迫される感じが分かった。その直前に窓か
ら見える景色は、全て迫り出してきた分厚い折り畳み式の壁に覆われ、その一切が見えなく
なる。
これが次元装甲だ。霊海の濃いエリア──特に世界と世界の境界線ではあらゆるものが無
に還る、咽返るような高いエネルギーが充満している。そこを渡り世界同士を行き来するに
は、竜族の屈強な身体や導きの塔による転移網を除けば、こうして飛行艇に専用の緩衝装備
を備えた上で突っ切るしかない。
暫し景色も見えない中で、ジーク達は断続的な振動に耐えつつ待った。今まさに世界の垣
根を越えようとしている最中だった。
『──』
そして……開ける。
フッとにわかに衝撃が止んだかと思うと、機体の速度が緩やかになった。霊海の高濃度を
抜けたのだ。ややあってアナウンスと共に機体全体を覆っていた次元装甲が再び格納され、
一行の眼下には魔界の──地底層の世界が果てしなく広がる。
『お客様にお知らせします。長旅お疲れ様でした。これより終点、魔都ラグナオーツへと着
陸致します』
“魔都ラグナオーツ”。
そこは魔界のほぼ中心に位置する都で、地底層世界の政治・経済の中心地でもある大都市
だ。
地上と同じく茜色を帯びた世界樹を背後に抱く街。
その全景は岩山立ち並ぶ一つの浮遊大陸に丸々都市を形成したような姿だ。
都の空港、空の玄関口から降り立ち、その上下の落差と独特の石造りの街並みにジーク達
は、暫く辺りをぐるりと見渡しながら呆気に取られる。
「……でかいな」
「そうだね。大都といい勝負かも」
「人口はあれの三分の二ほどだ。鬼ヶ領、迎心街、幻夢園、常夜殿──ちょうど東西南北に
魔族達の本拠地が散在しているからな」
その中であたかも場慣れしているかのように、サッと黒衣を翻しながらリオが歩き出す。
ジーク達もそんな解説を聞きながら、坂道の多いこの地底の都を歩き始めた。
「……都があるのに、本拠地じゃないのか?」
「地底層の土地柄だな。古くから魔界以下、地底層では各地の豪族がそれぞれの支配に腐心し、
長らく統一された政権が作られる事はなかった」
「あ、それなら私も知ってる。派閥でしょ?」
「今は特に宿現族のそれを指す事が多いがな……。昔からこちらの世界の住人は、地縁・血
縁を重んじ独立独歩の精神が強かったんだ。開拓線を広めたい地上の者達と、一度は戦にま
で発展したのも、それまでのコミュニティが壊される事を懸念した人々が相当数いたからな
のだろう」
「ふーん……。地上で言う東方みたいなもんか」
両手を頭の後ろに回し、ジークは語るリオや「はいっ!」と手を挙げるステラを横目にし
つつ空を見上げた。
そこで思ったのは一言。暗い。今はまだ昼前の筈なのだが、見上げた魔都の空は均等に淡
い灰で塗りつけられたように暗く、陽の光というものに乏しかった。
「地底層は何処もこんな感じみたいですよ? 太陽の軌道との位置関係上、どうしても光は
届き難いんですって」
「へぇ……」
そんな見上げているジークに気付いて、観光案内の雑誌を開いていたレナが照れるように
そう補足してくれた。なるほど。確かにこう年がら年中薄暗くっちゃ、身内で凝り固まるよ
うにもなるか……。
それから少し街中を歩き、ジーク達は路面鋼車に揺られながら波打つように街の坂を上っ
ていった。
「此処だ」
やがて着いたのは、坂もかなりの高さ、丘になっている広々とした公園のような一角。
『……』
そこにはどんと、見上げるような巨大なドーム群が姿を見せていたのだった。
地底闘技場。
毎年マスコリーダが開かれる会場であり、ここ魔都を代表するスポットの一つだ。
構造としては主立った施設が集まっている本棟と、そこから東西南北に分かれている実際
の試合会場となるドーム棟が四つ。観光ガイド曰く、これらは世界樹と四大支樹をイメージ
しているのだそうだ。
「……思ってたよりデカいんだな」
「うん。ここにお客さんが全部入っちゃうんだよね……?」
「上等だ。俺達の修行の成果、披露するにはもってこいの舞台だぜ」
「そう上手くいくといいけれど。これだけ、規模が大きいとなると……」
「……」
集大成の舞台を前に、ジーク達は思い思いにこの場所を見上げていた。驚きや不安、不敵
な笑みで思案。それら一同の姿をリオはじっと肩越しの眼で見つめている。
「先ずは受付を済ませるぞ。日程的にギリギリだしな。ミフネ達も宿のチェックインを済ま
せている頃だろうから、連絡を取って──」
だがそんな時だったのだ。カツンと、次の瞬間石畳の上で靴音を鳴らし、ジーク達の前に
現れたのは、とある見知った人物の姿だった。
「……やれやれ。よりにもよって儂の縄張りにやって来るとはな」
「!? あんたは、確か」
「……」
両目の下の線を持ち、黒いテンガロンハットと分厚いコートを着込んで葉巻を噛んだ、貫
禄たっぷりなマフィア風の男。ジーク達が、リオが、その姿に一斉に視線を向ける。
ウル・ラポーネ。
万魔連合の頂点・四魔長の一人にして、宿現族の長。
「暫く──二年ぶりだな。レノヴィン兄弟」
そんな、かつて大都で共に脱出戦を戦ったその一人が、取り巻きを連れ一行の前に現れた
のである。