62-(3) 箱舟計画
鋼都は相変わらず、人々の熱気と鉄の匂いで満ちている。
その大通りから外れた裏路地の先、ルフグラン・カンパニーの社屋前では、レジーナ以下
社員達が慌しく動き回っていた。
「ほらほら、へばってないでもっと手を動かす!」
「図面のチェックに登録手続、予算やら資材の確保まで。やらなきゃならない事は山のよう
にあるんだからね!」
そのさまはまるで大規模な引越しのようだった。
社員達に交じり、レジーナとエリウッドは屋内から小分けに分解した種々の機材や、ダン
ボールに詰め込んだ備品などを次から次へと軒につけてある大型鋼車に運び込んでいく。
「……ようやく戻って来たと思えば。相変わらず落ち着きのない連中だ」
そんな折、道向かいから現れる人影があった。
機巧師協会の現会長・ドゥーモイである。
彼はいつものように刈り込んだ頭と厳つい顰めっ面のまま、同じく威圧感ある黒服の取り
巻きらを連れ、荷造りをしているレジーナ達の方へとやって来る。
「なーに? 冷やかしなら間に合ってるわよ。今忙しいんだから」
「……話は聞いたぞ。ブルートバードに造船の注文を受けたんだってな」
「ふふん。羨ましい? 言っとくけど、あんたらには分けてあげないからね? それに今回
の仕事はイセルナさん直々よ。あたしの“夢の船”を、造らせてくれるってんだから……」
──話はまだ、レジーナとエリウッドが成り行きのまま梟響の街に滞在していた頃に遡る。
実は折り入って、お二人に相談があるのですが……。
ようやく帰還を果たし、ジークがその想像以上の反発に塞ぎ込んでいた頃だった。クラン
の一員でもないのに彼らのホームに居る。その気まずさにどうしたものかと皆を傍観してい
た最中、はたと団長イセルナが思いもよらぬ話を持ち掛けてきたのだ。
『私達に──クラン・ブルートバードに、飛行艇を造ってくれませんか?』
正直驚いた。全くの初対面ではなかったとはいえ、いきなり商談を持ち掛けられるとは予
想だにしていなかったからだ。
『皆さんの事は、ジーク達から色々と聞いています。オズ君をああも直してしまった技術力
も、貴女がずっと温めている“夢の船”の事も』
『えっ……?』
そこから二人は、イセルナからクランの抱える課題を聞かされた。
数奇な巡り合わせによって“結社”との戦いに身を投じ、その為に多くの新団員らを加え
たこと。その結果、ただでさえ手狭な現在のホームでは近い将来、その収容能力はパンクし
てしまうだろうと。
加えてこっそりと、なるべく他言しないようにと付け加えられた上で聞いた。
いずれ、自分達はこの街から出て行くつもりだと。過去二度も実際に“結社”の襲撃を受
けた上、これから先も特務軍として彼らとの戦いは激しさを増す。……これ以上、この街を
拠点にし続けて皆を巻き込む訳にはいかない。
『ジークにその船の事、話してくれたんでしょう? 聞いています。もしその船が実現すれ
ば、私達のものになれば、今抱えているこの問題も一挙に解決できる』
『……』
だからレジーナは目を瞬き、戸惑った。隣のエリウッドもじっと黙したまま互いのやり取
りを見守っている。
確かに可能だ。自分が描いてきた“夢の船”の図面が形になれば……彼女達の憂いは間違
いなく解消に向かうだろう。
レジーナの描く夢の船。
その最大のコンセプトは「船を丸々一つの街にする」というものだったのだ。
何処までも飛んで行ける夢の船、冒険心の塊。その実現に必要なものは安定した拠点作り
だと考えている。ならば一々地上の街に降りずとも、ある程度船上で地上のそれと大差ない
自活を行えればいい。その為には、飛行艇自体が一つの街として機能すればいいと考えたの
である。
しかしこれまで、それはあくまで理論上だけのものだった。
図面は長年の計算と試行錯誤を重ねてほぼ出来上がっている。しかしいざ実現しようとな
れば船体が大型化するのは避けられず、何より人員や資金の面がどうしてもネックとなる。
それを、イセルナは全面協力したいと申し出てきたのだ。
幸か不幸か自分達にはこれまでの皇子──レノヴィン兄弟護衛で得た資金もある。特務軍
の事実上の切り込み役として相応の予算も下りる。造船自体も“結社”との戦いのため各地
を飛び回るのに必要とでも主張すれば問題なかろうとの事だった。
『必要とあらば、全力でサポート致します。ただ、その船を私達の新たな拠点として使わせ
てください。私達は団員の収容問題を解決できる。貴女は“夢の船”を造る事ができる。お
互いにメリットは、あると思いますが』
『──』
だから唖然と、しかしやがてレジーナの表情はぱぁっと、これまでにないくらい咲いた。
相棒を見遣る。彼はゆっくりと頷いていた。内心、湧き上がる興奮を隠し切れずにずいっ
とイセルナに迫り寄って言う。
『はい! 是非造らせてください! 私の、私達の船を……!』
「だから、これから暫くは向こうでの造船一本になるわ。うちの社員総出プラス寄越して貰
える人足で二・三年ぐらいの工期。だから引越し準備をしてるのよ。エリや皆とも話して、
受け入れてくれたわ。社長がそう決めたんなら、自分達はついていくだけですって」
「……」
後ろの方でエリウッドが、社員達がニカッと笑い、中には腕まくりもしながら然りと意思
が示されていた。えっせらほっせら。その間にも社内の設備・備品は次々と大型鋼車に積み
込まれていく。
「だから行くよ。あたし達は──ブルートバードの仲間になる」
「会社はどうする? 先祖から受け継いできたものだろう?」
「うん……。畳もうかなって思ってる。今すぐって訳じゃないけどさ。どのみち片手間な覚
悟じゃ絶対成功しない仕事だもん」
ドゥーモイが、あくまで淡々とした声色を貫いて問うた。
しかし対するレジーナの答えはあっけらかんとしたものだ。笑ったり真剣な職人の表情に
なったり、その決意は一見した印象以上に強固である事が窺える。
「皆には悪いけど、大体うちはとっくに落ちぶれてるからねぇ……。新しい土地でやり直す
には、いい機会かもしれないと思ってさ」
「……身勝手な。お前達にだって顧客の一人や二人はいるだろうに」
だがそんな自嘲を聞いて、次の瞬間ドゥーモイは苛立ちや不快感を露わにしていた。ギリッ
と白い歯を噛み締め、吐き捨てる。そんな彼に、されどあくまでレジーナ自身は飄々たる
さまだ。
「ん? 何? あんたが庇い立て? 珍しい事もあるのねぇ。明日辺り、雪でも降るんじゃ
ないかしら」
けらけらと笑う。それでもドゥーモイの表情は険しいままだ。
「何時もそうだ。何時もお前はそうやって、頑なに“普通”に馴染もうとしない……」
彼の呟き。そこでようやくレジーナの哂いが止まった。
真っ直ぐ怪訝に、彼を探るような眼差しをしている。しかしそれでも最後まで、この二人
の思いが交わる事はない。
「あたし達を追い出した張本人が言っても世話ないでしょうに……。あんたこそその石頭か
ら卒業しなさいな。これまでの繁栄も、これからの繁栄も、あたし達を保証してくれるもの
なんて何処にも無いんだから」
「……ふん」
緊迫する空気。だがドゥーモイはそれ以上無駄な口論をする気はなく、ザリッと踵を返し
て彼女達に背を向けると、再び取り巻きらを連れて歩き出した。
べーっ。死角からレジーナが舌を出して威嚇している。これにエリウッドは苦笑し、既に
諦観してさえすらいる慣れっこさでそんな彼女を宥め、移転作業に戻らせようとしている。
「……確かに、お前みたいな奴は大嫌いさ」
ぽつり。立ち去りながら呟く声。
「だがお前達の技術力まで、俺は否定してきた覚えはないぞ」
ドゥーモイはそう彼女達に聞こえぬまま、言う。