60-(5) 謀りは彼の為に
すっかり日が暮れた頃には、署内の混乱も随分と収まってきていた。
尤もそれでも尚、使徒達の侵入による被害の把握とその事後処理、何より仕方なかったと
はいえ、ジーク達が空けた風穴を塞ぐ仮工事などは現在進行形で進んではいたのだが。
ケヴィンとウゲツ、そしてジーク達は署内の一角にある会議室に集まっていた。
四角形に並ぶテーブルを囲み、暫しどちらかも中々切り出せずに妙な沈黙が流れる。
一度ずずっと茶を啜る音。
それでもようやく、最初に口を開いたのは、署長・ケヴィンだった。
「……先ずはお侘びと、お礼を申し上げねばなりますまい。此度は我々の警備が至らず、皆
様に多大な迷惑をお掛けしてしまいました。誠に申し訳ございません。……そして有難うご
ざいます。皆様がいなければ、多くの部下達の命が失われるところでした」
「いやいや、気にしないでくれよ。謝らなきゃいけねぇのはむしろ俺の方さ。連中が狙って
くるとは予想してたのに、結局助けられたのはこっちだしさ。……それに、聞いたぜ。俺達
が鴉野郎とやり合ってる時、他の“結社”の囚人達が奴らに殺されてたんだろ? 完全に見
落としだよ。追っ払いこそできてもこれじゃあ引き分けですらねぇ」
「皇子……」
テーブルの上で組んだ腕、ギリギリッと握り締めた拳。
ジークの口調はあくまで淡々としていたが、その端々には強い後悔が滲み出ている。そん
な若き皇子の姿に、ウゲツは哀しく眉を伏せていた。
それは、自分こそです。皇子──。
一件落着の後、彼は至急手当を受け、今は頭や左腕に巻かれた包帯や肌のあちこちに貼ら
れた絆創膏がその負傷のほどを物語っている。
「かも、しれませんね。ですがそれは奴らの仕業です。皇子が気に病む事なきよう……」
されどケヴィンは言った。半分は慰みで、もう半分は自分自身にも言い聞かせる為の事実
であった。
ああ……。ジークは小さく頷く。だが彼も、同席する仲間達も、それで浮かぬ顔色が晴れ
ることはない。
「……。ともかくこちらの後始末は我々にお任せを。それより本題に入りましょう。改めて
伺います。皇子、魔人クロムを連れ出すというのは……本気なのですね?」
まだ柔和な気色を持っていたケヴィンの表情が、次の瞬間ゴツい外見と等しく険しいもの
へと変わった。
それでもジークはじっと彼を見つめている。コクと小さく、確かに首肯する。
仲間達も左右や後ろに座り、立ち、心持ちより注意を向けているようにみえた。
ちなみに当のクロムは──本人に逃走する意思が無いとは明らかなものの──現在別の牢
の中で待機して貰っている。
「本気だ。俺は、あいつをこのまま死なせたくない。折角奴らを裏切ってまで俺達について
くれたんだ。あんまりじゃねぇか。それに……きっと大きな力になってくれる。何せ元幹部
だからな。内情もよく知ってる。俺達はあいつらについて、あまりにも知らな過ぎる」
「……難しい話ですね」
しかしずいっと眼力を込めて訴えたジークに、ケヴィンは険しい表情を崩さなかった。そ
っと両手を組み、片手を口元に当て、伏し目がちの視線で訥々と紡ぐ。
「部下達から聞いて皆さんもご存知かと思いますが、統務院は彼を“捕まえた”と発表して
います。そして先の戦いの成果として、近く見せしめに公開処刑する予定です。尤もまだ王
達の間で意見調整が終わらず、詳しい日程は未定ですが……」
仲間達の表情が、明らかに沈んでいた。
それでもレジーナやサフレ、或いはエリウッドといった、クロムに対し慎重な面々はより
複雑な心境のようだったが──総じて即処刑というやり方には諸手を挙げて賛成とは考えて
いないらしい。
「そもそも我々は監獄の管理者に過ぎません。こちらの一存では、彼を解放する事は難しい
ですね」
「そ、そんな……」
「何とか、ならない?」
「……可能だとすれば、身元引き受けの上の保釈金支払いですかね。どのみち統務院の承認
がなければ無理ですけれど……」
するとマルタやミアが落胆し、或いは問う言葉に、ウゲツが心なし思い切ったようにそう
答えた。
ケヴィンが気持ち目を見開いてこの副官を見る。彼もまた以前より勘付いてはいた。
副署長という身分でありながら、こいつは囚人クロムに“あわれ”を感じている……。
テロリスト、世界の敵との誹りを免れないと解っていながら獄卒や看守達の悪意に耐え、
ひたすらジーク皇子との対面を待った。その時まで、決して多くを語ろうとしなかった。
そこにはある種、敵ながら見事なまでに強固な意志と覚悟があったのだろう。故にウゲツ
も、彼をいち武人として何処かで散らせたくないと思うようになっていたのかもしれない。
「ウゲツ、それは」
「……分かっています。ですが、私は信用してもいいと思っています。あれだけ頑なに口を
閉ざしていた彼に語らせたんです。少なくとも彼にとって、皇子達は信頼に値する人間では
ないでしょうか?」
うむ……。ケヴィンは渋面で静かに唸り、ざりざりと顎髭を擦っていた。
そしてジーク達は、ウゲツのそんな弁護するような言いに少なからず驚いていたようだ。
互いに顔を見合わせて目を瞬き、この本来クロムを獄に繋ぐべき側の人間──それも副署長
という要職にある筈の彼を見遣る。
「保釈金、か。まぁそれで解決するなら越した事はねぇが……。どうすっかな。俺の手持ち
じゃ絶対に足りないだろうし、団長に──最悪母さんに頭を下げるか……?」
ぶつぶつ。ジークもまた口元に手を当て呟き始めていた。
可能性はある。だがそれは可能ではあって、前にも後にも困難を伴う事には変わりない。
「まぁ、まさか力ずくで連れて行くなんて訳にもいかねぇしなあ」
「だがどうする? 何にせよ、その為には統務院を説得しなければならないんだぞ? これ
までの経緯からしても、彼らがそう易々とこちらの要求に応じるとは思えないが……」
故に仲間達も迷っていた。
ジークに協力しよう、或いはもっと取れる行動は……? それぞれに少しずつ違う想いが
その胸に脳裏に去来する。
「そうね。だけど先に手を打てば、事を有利に運べるかもしれない」
するとそんな中、思い切ったようにリュカが言った。
「取引と……情報戦よ」
その手には、起動させたばかりの自身の携行端末が握られている。
「──どうもお世話になりました」
「我々からも御礼を申し上げます。本当に有難うございました」
朝方の清峰の町、フィスター武具店前。
この日アルス達は荷物をまとめ、見送ってくれるカルロらに繰り返して頭を下げて挨拶を
していた。
彼らと向き合うその背後には、行きと同じ馬車。
この日アルスは静養日程を終え、一路梟響の街に帰る予定だった。
故に軒先にはフィデロら一家だけでなく、ルイスを始めアルス出立の話を聞きつけた町の
人々がぞろぞろと集まって来ている。
「いやいや。こちらこそ満足いくおもてなしが出来たかどうか……。ですがまぁ、自分達も
楽しかったですよ。滅多にない経験でもありましたし」
「よければまた、遊びにいらしてくださいね?」
「アルス、エトナ。皆、トモダチ!」
「はは。そうだな」「僕らはこのまま残るけど……。また中期日程で会おう」
「……うんっ」
いつものローブに薄い襟巻きを加え、アルスはにっこりと微笑んでいた。
カルロは謙遜、照れているようだが、今回の静養は彼が色々と気を砕いてくればければこ
こまでゆったりと過ごす事は出来なかった。だから文字通りアルスは、リンファやイヨ以下
侍従達は、彼ら一家の配慮に感謝してもし足りない。
(それに……)
思う。自分は改めて学んだ。皆に元気を分けて貰いながら、心底身に沁みた事がある。
即ちそれは、自分は数え切れない位たくさんの人達に支えられているということ。理屈の
上では当たり前の事だが、殊そんな思いを新たにしない日はなかった。
リンファさんやイヨさん、侍従の皆。
フィデロ君にルイス君、ポフロンにおじさんおばさん達。
そして毎日そっと自分を包み込んでくれた、この町の豊かな緑と水、空気。
僕は、たくさんの人達に支えられて生きている。同時に、少しずつたくさんの誰かの力に
なれていると信じたい。そうでなければ、自分はずっと負い目を持たないといけなくなって
しまうから。
たくさんの人達に支えられて生きている。支えるために此処にいる。
だから“自分の力だけ”で如何こうしようというのは、結局そんな見えたり見なかったり
するたくさんの人達を蔑ろにする事であり、思い上がりでしかないんだということ──。
「しかし大変でしょうなあ。帰ったら帰ったで、また色々面倒な事が待っているようで」
「……ええ」
だから何となく、いや間違いなく名残惜しくて。暫くアルスは皆と立ち話をした。
ゆっくりと朝日がより鮮明に差し込んでくる。言葉はなくとも、何だかじわりと急かされ
ているかのようだった。
そしてややあってそんな立ち話もフッと途切れると間が空き、いよいよアルス達一行は出
発の時を迎える。
「達者でなー! 元気でなー!」
「お身体を大事に~。応援してますよ、皇子~!」
「また来てくださいね~!」
一行を乗せ、ガラガラと走り出してく馬車。
アルスとエトナは、その幌の隙間から半身を出してそんな皆に微笑むと、彼らの姿が見え
なくなるまで手を振り続けた。
「……よかったね、アルス。元気一杯貰えて」
「うん。本当に、来てよかった……」
そんな彼の鞄に突っ込まれていた今朝の朝刊。そこにはこんな文面が踊っている。
『ジーク皇子とクラン・ブルートバード、元“結社”の魔人を団員に』