60-(4) 獄を揺るがせ
「ははは。無駄だ無駄だ! もうお前達に逃げ場はないぞ?」
ギルニロック最下層・地下封印房。
そこは今、まさにセシルの瘴気に変じるオーラによって呑まれつつあった。
左右から回り込むように、東西の進入路を遮るようにして押し寄せる膨れ上がった瘴気の
オーラ。正面からはそれらを纏い、不敵な笑みを浮かべながら近付いて来るセシル本人。
『そんな奴ら、さっさと見捨てておけばいいものを……。本当、馬鹿ね』
更にヒルダと精霊融合した彼の背や首元のモフから生える幾つもの触手が、仲間や獄卒達
を守ろうとするジークらを追い込んでいた。
──近付けば奴の剣にやられる、瘴気に喰われる。
──だが距離を取ればその分、自分達はより瘴気に追い遣られる。何よりあの百足のよう
な触手達の餌食になる。益々かわし切れなくなる。
「くっ……」
対抗できるとすれば、クロムの厳重に硬化した黒鉄色の拳。ダンの炎を纏う技、ジークの
接続状態の剣といった所か。或いはリュカの魔導や、オズのレーザー砲も数える事は出来る
だろう。
「リュカ姉、オズ!」
「だ、大丈夫。まだ……防げてる」
「デスガ長クハモチマセン。障壁トテ魔力、コレダケノ瘴気ニ曝サレレバ……」
だが今二人には後ろ、獄卒達を守る側に回って貰っている。
迫り来る瘴気によって、レジーナらが避難させようとしていた獄卒達は、一旦牢の前まで
退かざるを得なくなっていた。
すると自然、ジーク達の陣形は三層構造になる。
牢の前には獄卒と、これを瘴気から守る為に障壁を張るリュカとオズ、直接には戦えない
レジーナや、不安げながら健気に戦歌を奏でるマルタなど。そしてこの外側に、襲ってくる
セシル(とヒルダ)から皆を守って戦うジーク以下六人。
じりじりと迫ってくる瘴気と、猛烈な速さで飛んでくる百足の触手達。
ジーク達は剣を拳を、斧を槍を、銃撃を矢継ぎ早に叩き込んで正面のセシルの瘴気の衣を
剥がそうとするが、それは全て一瞬にしかならない。次のタイミングには空いたそれを周り
の瘴気がサッと埋めてしまうからだ。
触手達を、サフレの槍やミアの拳脚、エリウッドの銃撃が必死になって叩き落す。
そしてその隙を縫うようにしてジーク、ダン、クロムの三人がセシルと激しく鍔迫り合い
を繰り返すのだが──結局程なくして埋め合わせてくる瘴気に退けられ、また一歩、侵され
ていないスペースが消されてしまう。
「……ジリ貧」
「場所が悪いな。能力的に、地の利は完全に奴の側だぞ」
「だよなあ。せめて、あの瘴気を吹き飛ばせりゃあいいんだが……」
「……」
ジークは仲間達と忌々しくセシルの滾らせる瘴気のオーラを見上げた。その間も刻一刻と
自分達の稼動域は埋められてしまっていく。
(どうする……?)
皆の言う通りだ。クロムこそ解放する事には成功したが、奴らの魔の手から脱しなければ
意味が無い。
脱出経路は三つだ。自分達が来た正面──南側通路の先にある昇降機と、左右の連絡路。
戦いながら獄卒らに訊いた話では、左右、東西の端にあるのは階段だという。これらはど
ちらも南側の昇降機同様、地上に続いているそうだが、緊急時には各階に遮断壁が下りるら
しいので結局は行き止まりになるだろう。そもそも東側はあのガキと鴉野郎が飛んで行った
ので論外だ。
なので目指すべきは正面南、昇降機なのだが……もうセシルによって場は通せんぼされて
しまっている。それこそ副団長のごちるように、黒藤でこの場を一度吹き飛ばすくらいの事
でもしない限り全員を通し切るのは難しいだろう。
「直接攻撃では駄目だ。遠くから攻めろ! 非物質の遠隔攻撃、それでしか奴の瘴気の衣は
破れん!」
両腕を黒く硬質化し、クロムが触手をまとめて叩き潰しながら叫んだ。見ればセシルの表
情にサッと影が差している。
(……やって、みるか)
ジークは肩越しに仲間達の気配を確認した。そして握る二刀を地面に刺し、黒藤にそっと
手を掛けようとする。
「──非物質の、遠隔攻撃だな?」
だがそんな時だったのだ。ふと緊迫する場にそんな渋い男性の声が響き、次の瞬間ジーク
達の視界の向こうで何者かが大きく空に裏拳を叩き付けたのである。
『ガッ……!?』
震動。
刹那セシルも含め、場の者達全てが、大きく横へ吹き飛ばされるような錯覚に陥った。
それが衝撃波だと悟ったのは、もう数拍挟んでからの事である。見れば向こう側の人物が
オーラと共に打ち付けた拳、その空間の接触面には激しい波紋が奔り、あの剥がす事すら難
しかったセシルの瘴気の衣がこの横殴りの衝撃によって一挙に剥がれ飛んでいたのである。
「痛たた……」
「な、何だぁ?」
「……。これって、まさか……」
場に満ちていた大量の瘴気が西通路へと流れて霧散する。セシルだけでなく、ジーク達も
一緒になって煽られ転倒し、何事かと起き上がってこの一撃の主を見遣る。
「失礼。私の“色装”は見ての通り加減があまり効きませんでな。ですがその魔人にはどう
やら有効な性質のようです」
はたして、それはケヴィンであった。背後には彼が引き連れて来た、援軍の獄卒らがずら
りと銃を構えて整列している。
「署長!」
「嗚呼。た、助かった……」
「署長? じゃあ、あの牛のオッサンが」
直前に床に刺した二刀を掴んで何とか踏ん張ったジークを始め、仲間達が起き上がる。迫
っていた瘴気が消し飛んだ事で、戦況は一気に変貌する。
「皇子。貴方の意思、奇しくも監視室から拝見しました。クロムの処遇については今は置い
ておくとして、我々も加勢致します」
ケヴィンが言う。ジークも少し間を置き、驚きながらも頷いていた。
そして左右挟撃となった中で、セシルがむくりと起き上がった。精霊融合の姿のまま、片
手で顔を覆ったままふるふると軽く首を横に振っている。
「調子に乗るなよ……獄吏風情が」
『私達の瘴気に、呑まれて死ねッ!』
だが再び瘴気のオーラを滾らせた彼らを、ケヴィンは再び圧倒してみせた。急激に膨れ上
がるその衣を、空間越しの衝撃波でまた吹き飛ばしたのである。
「同じ手は通じんよ。その撒き散らす害悪、我が《震》の色で塗り替えてやろう」
瘴気のオーラを吹き飛ばされよろめくセシル。ケヴィンはそこへ更にもう一発正拳突きを
空間に打ち込むと、伝う波紋で彼の動きを一層封じに掛かる。
「皆さん、今です!」
そして叫ばれたその合図で、ジーク達は「おう!」と一斉に地面を蹴った。
地面から抜き放った接続状態の錬氣二刀。
炎のオーラを纏って振り下ろされる戦斧の一発。
黒く硬化した拳に、少女の蹴り、高速で射出された槍先、鎖で繋がれた機械の右腕。
「ぬぐぅッ!?」
初めてまともに攻撃が入った。
だがそれでも、セシルは剣と眼前を覆わせた百足触手達で以って防御し、致命的なダメー
ジまでには至らない。
「……少しは効いたか。この野郎」
「い、今の内です!」
「兵士さん達、急いで向こうへ! あの牛──署長さんと合流しちゃって!」
ジーク達六人を壁にするように、レジーナ達が牢の前の獄卒達を西側から迂回させ、南側
の進入口前に陣取っていたケヴィンら一隊と合流させた。
これでいい。最悪の事態は免れよう。一同の切っ先が銃口が、ざらりと顰めっ面のセシル
ただ一人へと向いていく。
「これは……。私の出番は無さそうだな」
「!? 副署長!」
「ご無事だったんですね!」
「……“結社”の魔人だ。おそらくお前の《波》も有効だろう」
更に直後、西側通路から今度こそ本物のウゲツが姿をみせた。
頭には痛々しい出血の痕があり、軍服もすっかりボロボロに痛んでしまっていたが、その
衰えぬ闘志とフッと僅かに浮かべた柔和な笑みは部下達は勿論、ちらと目を遣ったケヴィン
をも安堵させる。
「はい」
「お前、どうしてそこから……。ヘルゼルとヘイトはどうした」
「何の話だ? 確かに途中、魔人達と会ったが……私には構おうとせず何処かに消えてしま
った。空間転移、だな。そうか。お前は見捨てられたのか」
「……」
セシルの独白のような問いにウゲツは片眉を上げていたが、ややあってそう彼なりの早合
点を漏らしていた。
押し黙る。されど対するセシルはそっと目を細め、彼の口にした状況から二人の追跡劇が
この監獄島の外にまで及び始めたと理解したらしかった。
「ふっ……。ふふふふふ」
すると笑い出す。何処かが壊れたように、プツンと何かが切れたように、次の瞬間セシル
は大声で笑い出していた。
ジーク達が怪訝にこれを見遣る。改めてじりっと身構えていた。
クロムも、そんなかつての同胞らの姿を、複雑な様子で見守っている。
「……まさかここまでひっくり返してくるとはな。俺達と相性の悪い“色持ち”がいたのは
計算外だった」
だが。セシルは吐き捨てるように言った。
すると突然、彼は百足の触手達をぐるんと伸ばし振り回して三方の進入口の上枠を破壊、
瓦礫の山でそれらを埋めてしまうと、今までにないほど膨大なオーラを練りながら叫んだの
である。
「今回はこのくらいにしておいてやる。だが次会った時こそは……殺す。我々の救済を受け
入れないというのなら、死んでしまえばいい!」
ちらり。言って彼はクロムを見遣った。
当て付けなのだろう。当の彼はこの怒りを湛える元同胞を見据えたまま黙っていた。
言葉はない。だが答えているような気がした。
私はもう──戻れない。
「……あばよ。精々、残りの人生を楽しむんだな」
だからそう言い捨てて彼が一人空間転移の中に消えた時、ジーク達はようやく自分達が置
かれた状況に気が付いたのである。
「って……。にゃろう! あいつ、瘴気を丸々置いて行きやがった!」
「拙いぞ。出入口が塞がれちまったら、俺達は──」
完全にではない。だが大きく積み上がった三方の瓦礫は、セシルが練り上げ、場に残した
大量の瘴気を滞留させるには充分だった。
必然、それらはゆっくりとジーク達一同を覆い始める。
最後の最後にセシルはとんでもない置き土産を残していったのだ。このままでは、この場
にいる全員が瘴気に呑まれてジ・エンドである。
「どどどっ、どうしましょう!? このままじゃ私達皆死んじゃいます!」
「瓦礫は!? 一箇所でもいいから瓦礫を吹き飛ばしちゃえば……」
「時間がないな。仮に出来ても、逃げる途中にこっちに流れ込んで来ておしまいだろう」
「いーやぁぁぁ~! 何でこうなるの~!?」
「やっぱ駄目だ~……。俺達は助からないんだぁぁ~……」
「……」
パニックになる仲間達、或いは獄卒。
だがそんな中で、一人迷いなく天井を見上げていた人物がいた。他ならぬジークである。
「おい。ここから最短で一番外に近いのって、どの方向だ」
「へっ?」
「外? そう、ですね。あっち……かな?」
騒ぎ右往左往する彼らを余所に、彼ははたとそんな事を訊いていた。そして獄卒らの何人
かが同じ方向を指差したのを見ると、一旦二刀をしまいながらその方へと歩いていく。
「リュカ姉。もう一回接続を。んでもって俺が合図したら、風で思い切り此処の空気を外に
吐き出してくれ」
「? ジーク、何を──」
「皆、協力してくれ。この地下を……ぶち抜く」
はぁっ!? 仲間達は勿論、ケヴィン・ウゲツ以下牢獄関係者達が驚いていた。
だが大量の瘴気はすぐそこまで迫っている。先ずダンが、サフレが、ぽりぽりと髪を掻い
たり嘆息をついたりしてジークの後について歩き始めた。更にオズとミア、そしてクロムが
これに続く。
「ま、考えてる暇はねぇか」
「全く。君は相変わらず滅茶苦茶な事を考えるな……」
ぼやく仲間達。ミアも「うん。ジークだし」と呟きながらコキコキッと握り拳を鳴らして
準備に入る。
仕方ないわねといった感じで、リュカが二度目の接続を施した。注視して手繰り寄せた魔流
を一本、ジークに差し込み、その導力を一時的に跳ね上げさせる。
「……いくぜ」
ざらりと黒藤を抜いて解放、接続状態で強化された主に倣い、より豪奢で巨大になった
鎧武者の使い魔がこの地下空間に所狭しと顕現した。
サフレが三つ繋の環に槍の魔導具だけを装填し、オズはぐっと左腕を押さえてその手首
から上をスライド、砲門にエネルギーを集中させ始める。クロムは静かに呪文を唱え、サッと
胸の前で印を結んだ。マーフィ父娘は互いに並び、それぞれありったけのオーラを滾らせる。
「ぶっ壊せ、黒藤──」
「一繋ぎの槍──」
「石修羅──」「閃滅砲、出力リミット解除。エネルギー充填──」
「三猫」「必殺──」
そして六人各々の大技が見守る皆の前で膨れ上がった。背後には大量の瘴気、除去してい
る暇もない瓦礫の山。ケヴィンやウゲツも、固唾を呑んで見守る。
「らっ……せいッ!!」
「剛!」
「発射!」『破ァッ!』
轟。それは刹那、おびただしい程の光だった。
大刀を振るった鎧武者。高速回転しながら射出される巨大な槍にこれまた巨大なレーザー
砲。クロムの右半身を大きく覆って渾身の一撃を叩き込む岩石の巨人に、父娘がそれぞれに
放った牙剥く巨大なオーラの塊。
目を真ん丸にして驚愕している獄卒達。その間も六人分の必殺技は、猛スピードでこの島
の地下岩盤を粉砕して進んでいく。
『──っ!?』
そして……開いた。一瞬かはたまた数秒か、ジーク達の渾身の大技らは地下の閉ざされた
空間を打ち破り、文字通り島の外へとごっそり大きな風穴を空けたのである。
「リュカ姉!」
「っ……! 盟約の下、我に示せ──重の風砲!」
ジークが叫んだ。合図だ。リュカは正直この光景に驚きながらも、前後して開始していた
詠唱をぴったりと完成させた。
轟。掌に展開した白い魔法陣に周囲の空気が、他でもない瘴気と共に集められ、一気にこ
の外に繋がる風穴へと射出されていく。
びりびりと、リュカの腕が強力な反動で弾き飛ばされそうになった。だが彼女は最後まで
この風の魔導を御し続けた。
轟々と、渦巻きまるで悲鳴にように吐き出されていく瘴気。
彼女の風砲は、それを最後の一粒まで吐き出し切る。
『…………』
そうして、辺りがしんと静かになった。暫し多くの者が茫然とし、やがてゆっくりとこの
地下牢の空間を見遣る。
瘴気は綺麗さっぱり無くなっていた。ジーク達の一撃と、リュカの天魔導によりその全て
が島の外に霧散していったのだ。風穴から差し込んでくる日の光が眩しい。そうしてようや
く、彼らは自分達が助かったのだと知る。
「や──」
「やったぁ! 成功だぁ!!」
「生きてる……。俺、生きてる……!」
「マジかよ。ほ、本当に大陸一つに穴空けちまったぞ……」
「は、ははは……。話には聞いていたが、本当にとんでもない方達だな……」
故に皆狂喜していた。今度こそ生還したのだと獄卒らは互いの生を喜び、或いはジーク達
が目の前で為したものに圧倒される。
ウゲツも苦笑うしかなかった。するとポンと、そっと隣に立っていたケヴィンが
彼の肩を叩き、静かに微笑みかけてくれる。
「……あ~、しんど。やっぱ接続はきついわ……」
「当たり前でしょ。もう、仕方なかったとはいえ無茶苦茶よ……」
ジーク達一行も同じだった。大きく消耗してばたりとその場に仰向けに倒れ込むジーク。
ややあってその周りにリュカを始め、苦笑したり微笑んだりする仲間達が取り囲む。
「ジーク」
スッと、そこへ差し伸べる手があった。仲間達に交じり、物静かに自分を見下ろしていた
クロムその人だった。
仰向けのまま、ジークは彼を見上げる。身体はまだ荒く肩で息をついていた。
苦しい。だが嫌じゃない。差し出されたそのごつい手も、何だかとても優しく見える。
「……ああ」
短く。でも不思議と笑えて。
そしてジークは確かに、がしりとようやくその手を掴んだのである。