60-(3) 篠突く剣
(……これは、一体どういう状況だ?)
のたり。まだ癒え切らぬ身体を引き摺りながら、ウゲツは目の前に現れた光景に内心困惑
を隠せなかった。
二人の人物がいる。
片方は少年のようで、腹を刺されたのか血で真っ赤に染まりながら床にへたり込んでいる
ように見える。もう片方は鴉の鳥翼族で、しかもその右腕は巨大な鎌になっているではないか。
署長達に合流すべく、先刻の更衣室から最寄の階段で地下に降りている最中だった。
そこで出くわしたこの二人。一見すれば少年がこの鎌男に襲われているようにも見える。
だが、そんなウゲツの第一印象は次の瞬間には立ち消えていた。こちらに気付いた二人が
振り向いた時、少年の瞳が血色の赤に染まっていたからである。
即ち──魔人。
助けるべきか? という思考は、一気に警戒の赤信号へと変わる。
そもそも彼らに見覚えはない。少なくとも署の同僚・部下達ではない筈だ。
では、やはり侵入者とは彼らの事……? 何よりウゲツの眉間に皺を寄せさせたのは、鴉
の鳥翼族である。あの武器に変化した腕……自分が襲われた時とよく似ている。あの時の
ケヴィンさんの偽物とは、奴ではないのか?
「……“結社”の魔人達、だな?」
故に問う。
返答こそなかったが、彼らがその瞬間こちらを睨み、身構えた時点で間違いはなかった。
「──」
まだダメージで重い身体の錆を取るように、深く息を吸い込み、吐き出す。歯をぎゅっと
食い縛り、腰の太刀に手を添え大きく抜刀の構えを取る。
それはほぼ同時だった。ウゲツがその剣を霞む速さで抜き放ったのと、ヘルゼルとヘイト
に向かって斬撃が襲い掛かったのは、殆ど同時の事だったのである。
「ぬわっ!?」
「斬撃が、伸び──!?」
辛うじてこれをかわした二人。その背後の壁が、ざっくりと斬り落された轟々と瓦礫にな
って崩れていった。咄嗟に自身が描いていた魔法陣を庇うように滑り込んだヘイト、大きく
身体を逸らし、数歩よろめいて引き攣った表情を見せたヘルゼル。
ウゲツは太刀を軽く払いながら階段を降り切り、この通路を歩み出す。
「《波》だ。オーラをより遠くまで伝え、維持する性質……。これを応用すれば、さっきの
ように包んだ斬撃を自在に撃ち出す事も出来る……」
全身が、刀身がオーラに包まれていた。
奴らは侵入者。自分を一度は不意打ちに討ち取った相手。
普段は温厚なウゲツがその実、本来の戦士の気迫を滾らせている。
「ここで会ったが百年目! お前達二人を、確保する!」
同じく霞むように、しかし今度は数え切れない程の斬撃を振り、その全てが一斉に二人へ
と襲い掛かった。
ヘイトは完全に応戦を諦め、通路の物陰に逃げた。ヘルゼルは正面や左右、更に中空から
解けたオーラより降ってくる斬撃の雨霰に呑み込まれ「ぬおぉぉぉ!?」と叫んでいる。
「くっ……! 邪魔をするな! お前の相手をしている暇はないんだよ!」
「知った事か! ケヴィンさん達の為にも、お前らをここで止める!」
再三。ウゲツの飛ぶ斬撃がヘルゼルを狙った。辺りはすっかり舞い上がった土埃で濛々と
なり、ヘルゼル自身にも少なからず掠った傷が蓄積されていく。
「にゃろう!」
大鎌にしていた右腕を、ヘルゼルは鎖鎌に変えて伸ばした。
飛ぶ斬撃らを掻い潜るように、凶刃がウゲツに向かって飛んでいく。それをウゲツは寸前
の所でかわし、お返しとばかりに切り落とそうとしたのだが。
「……!?」
剣はその右腕をすり抜けて空を切っていた。彼の表情が驚きで歪む。
「ぐっ!」
そして直後、ぐわんとヘルゼルが振った鎌先がウゲツの正面に飛び込んで来た。
咄嗟に彼は半身を逸らしてこれをかわそうとする。ザクリと、左腕が通り過ぎていくこの
刃に掠められ切り傷を負った。
(何だ……? 手応えが無かった。なのに、私の側は、怪我……?)
左上腕を押さえ、弾かれた身体を何とか踏ん張り留めたウゲツ。
その表情には、つぅっと隠し切れない動揺が浮かんでいる。
(ったく、邪魔するなよ……。だが拙いな。この手の“色装”だと、セシルが……)
だがそんな時だった。土埃の中、ヘルゼルがそうこのウゲツの力を危険視し始めていたそ
の最中、突然煙幕の向こうで強い光が起こったのである。
「む?」
「あれは……」
ヘイトだった。彼はこの交戦の混乱に乗じ、死守していた魔法陣を起動。演算した逃走先
へと空間転移を開始したのである。
(力を奪うのは諦めよう。実質二体一でこの怪我な以上、もう無理は効かない……)
魔法陣と同じ血色の光。気付いたヘルゼルが飛び掛かろうとした時には、一足早くヘイト
はその光に包まれて消えてしまっていた。
転移魔導の余波でふいっと霧散する土埃。唖然としたヘルゼルとウゲツ、この通路には、
ただヘイトが自身の血で描いた魔法陣だけが残される。
「……こいつは。そうか。あいつ、自前で転移を」
ウゲツがまだ状況を理解していない間に、ヘルゼルは小さく舌打ちをすると、右腕の変化
を元に戻していた。
「おい──」
険しい表情で迫ろうとするウゲツ。
だがヘルゼルはそんな彼の言葉には耳も貸さず、次の瞬間には自身もまるでヘイトを追う
ように黒い靄と共に空間転移し、その場から姿を消してしまったのだった。
「……。何がどうなってるんだ?」
暫しぼうっと。ウゲツは剣を手に下げたまま立ち尽くす。
しかしふるふる。彼はややあって、気を持ち直すように激しく首を左右に振った。
よくは分からないが、逃げたらしい。
ケヴィンさん達の方へ行ったのか? それとも──。
「……」
カチン。一先ず払った太刀を鞘に収めて、じっとウゲツは己を落ち着ける。
少なくとも此処でじっとしている訳にはいかない。
急ぎ自分も、封印房へ向かわなければ……。
そしてそのまま、彼は踵を返すと、再び階下へと続く階段を下り始めた。