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ユーヴァンス叙事詩録-Renovin's Chronicle- 〔上〕  作者: 長岡壱月
Tale-58.獄なるセカイに彼は想ふ
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58-(4) ある鉱僧の話(後編)

 あの年の総会は、今も強く記憶に残っている。

 それだけ醜かった。忘れられないあの瞬間に繋がっているからだ。

 私が所属していた宗派本山で開かれたこの総会は、次代の執行体制を決める為の話し合い

と投票を行う事が主な目的だった。

 誰それが相応しい。いや、私が立候補する──何時の間にか、修行時代の同期らは組織内

の権力争いに躍起になっていた。畳と座布団時期の中ずらりと左右に相対した、喧々諤々に

“議論”する中で、ただ私だけがこの場に似つかわしくないと感じた。

(シオンさんが、町の皆が待ってくれている。手の届く幸せなら、もう私は得た……)

 だが同期らは、当時の執行役員らは、私がこの駆け引きにまるで興味を示さなかったこと

に大いに落胆・侮蔑していたらしい。

 特に失望したのは、その向きに私の両親や親類らも加わっていた事だ。

 あのまま順調に実績くどくを積めば、或いは大僧正にも推されたというのに……。

 私は結局言い出せなかった。彼らの俗物な欲に応えられぬまま、紹介したい女性ひとがいると

切り出す場面は終ぞ見つけられなかった。

『それに、重視すべきは地底層したでの布教活動です』

『ここ数年、あちらでも開拓は進んでいます。今後、多くの人々が富の中で思い煩うことで

しょう』

『我らの神の奇蹟を、より多くの方に受け入れて貰わねば。既に他派の本山も幾つか新拠点

獲得に動き出しているとの事……』

 加えて事態は更に悪化していった。私が彼らの勢力争いに与するしないに拘わらず、己が

神への信仰をより多くの人々に取り込もうと各宗派間の抗争が顕在化していたのである。

 特に重なった時期が悪かった。信仰のそれとはまた別に、顕界ミドガルドと地底層との政治情勢に

おいてもまた大きな事件が起きてしまったのだ。

 ──地底層における、反開拓派の武装蜂起。それらを鎮める為に動員された、王貴統務院

連合軍との武力衝突。

 これに各宗派の武僧部門が加わり、各地の争いは本来の必要以上に燃え上がる。

 私は居ても立ってもいられなかった。本山の重鎮らに、他派の武僧らにすぐさまこんな戦

いを止めるよう何度も書簡を出し、陳情にも走った。

 しかし……もう止められなかった。誰にも、最早。

 そうしてあの日、報せを聞いて私は本山を飛び出した。顕界ミドガルドを降り、今や自分の唯一心安

らぐ筈だった場所へと舞い戻った。

『シオンさん! 皆さん!』

 最初、私は目の前の事が信じられなかった。受け入れたくなかった。

 瓦礫の山と化していたのである。山野は焼き払われ、町はことごとく壊され、そして彼女

と過ごしたあの寺院も──跡形もなく無惨な姿を晒して。

『……クロム、さん』

『シオンさん! 大丈夫ですか!? 何てことを……。こんな、酷い傷……』

 後々で突き止めた話では、複数の宗派の武僧達が町の近くで衝突し、その戦火が広く近隣

の集落にまで広まったのだという。

 蹂躙された。打ち壊され、焼き払われた。

 要の私じゅうしょくが不在であるのをいい事に、奴らは他の神とその信徒を赦さず亡き者にしようとした

のである。

 身体中が戦慄いていた。己の無力を、人生を酷く恨んだ。

 何故彼女達が巻き込まれなければならない? 犠牲にならなければならない?

 ただこの人達は……すぐ手の届く所にある幸せを抱き締めて、慎ましく美しく生きていた

だけだというのに。

『す、すぐに手当てを。いや、医者を──』

『いいの』

 なのに、彼女は微笑わらっていたのだ。こんな理不尽を受けて、自身瀕死の傷を負わされて

いるにも拘わらず、あんなにも優しく微笑わらっていたのだ。

『自分の事は、自分が一番分かってる。他の、まだ動ける皆をお願いします。……ごめんな

さい。貴方のお寺、守れ、なかっ……た……』

『──ッ?! シオンさん、シオンさんッ!!』

 傷だらけ、煤だらけになりながら、フッと彼女の身体が腕の中で軽くなる。

 動かなかった。動かなくなった。応えは返って来なかった。つぅっと意識する前に、頬か

ら冷たい粒が流れ落ちていた。

『ぁ……。アァァァ──ッ!!』


 闘いは終わった。地底層三界の各地を幾つもの焼き跡と廃墟に変え、武力衝突は統務院側

の圧倒的勝利で幕を閉じた。

 その後の事はよく知らない。ただ反開拓派の暴走という汚点を外交カードに、以降地底層

でも強力に開拓が進められていったことは間違いない。

 まるで、始めから無かったかのように。

 あの戦いで、無数の悲劇の中で失われたもの達の上に、一つまた一つと開拓政策の恩恵が

上書きされる。

 ……私は彼女達を丁重に弔った後、一族の猛反対を無視して所属宗派から脱会した。

 もう期待することなど何も無い。彼らも、家族・親類縁者も“敵”にしか見えなかった。

 風の噂では後年、あの宗派は衰退の一途を辿ったらしい。

 私は脱会後、十年以上に渡り、山奥に篭った。

『な、何故だ? 何故今になって私達の前に現れた!? クロム!』

 理由は──決まっている。復讐だ。

 私は十年以上、山奥で己を鍛え続けた。戦士に必須である錬氣法の存在も知り、その極意

も猛特訓の末に修得した。

 突然山を降りた私に、かつての同期らは大層驚いていた。あの日宗派を抜けた時点で、彼

らの中ではとうに記憶から消えた──死んだも同然の相手だったのだから。

『……解らないのならそれでもいい。冥界アビスで永劫、自分自身に問い続けろ』

 止めっ──!? ボロボロの血塗れになった彼らを、私は一人一人、その居場所を突き止

めては殺し歩いた。

 身につけた《鋼》の拳。鉱人ミネルの硬質化能力。

 その全てが、この瞬間の為に磨かれてきたのだ。

 殺した。殺して殺して、殺し回った。

 最期まで醜い争いを止めなかったかつての同胞達。あの日、彼女と町の皆を奪った武僧の

グループも勿論、一人残らず捜し当てて皆殺しに。

 ……なのに、私は何一つ満たされなかった。去来するのは、酷く虚しい脱力感だけ。

 当たり前といえば当たり前だ。どれだけあの日に関わった者達を殺しても、あの人が帰っ

てくる訳じゃない。むしろ自分のこの行いは、彼女の魂を泣かせていたことだろう。


 救いは、無いのか?

 神格種かみがみは人の争い、生死に関わる大事にすらその奇蹟ちからを振るおうとはしなかった。

 解っている。彼らは自らが消えるのが怖いのだ。

 Aを守ることでBを失う。彼ら神格種ヘヴンズにとって“信仰”が減ることは己が存在の不滅性を

脅かす死活問題なのだから。

 だから人は死ぬ。いつも時代と強き悪どもの理不尽に曝されて、その魂達はいつか深き底

冥界アビスへと流れ往く。それを、私達はただじっと見つめる事しか出来ない……。


『──あっちに逃げたぞ! 逃がすな、確実に仕留めろ!』

 それでもこんな私にも遂に年貢の納め時はやってきた。幾度目か、他人を殺して回る私を

討伐する為に差し向けられた軍勢に、私は深手を負わされ敗走していたのである。

 彼らの怒声が聞こえる。幾つもの足音とガチャガチャと鳴る銃剣の金属音が聞こえる。

『……』

 私は思わず転がり込むように倒れていた。逃走中、山奥にとある洞窟を見つけ、そこに身

を潜めて大きく息を荒げていたのである。

(ぬッ──!?)

 しかし妙に苦しい。傷の所為ではない。何だかこの場が、妙に臭うような……。

 気付いた時には遅かった。そこは忌避地ダンジョンだったのである。

 じくじくと瘴気が私を蝕んでいた。奥で魔獣の気配がする。吸ってしまった瘴気がゆっく

りと身体の中を侵していく感触がする。

 意識が朦朧としてきた。嗚呼。いよいよ自分も、ここで終わるのかと思った。

(シオンさん……)

 眉間を顰めていた。あの失われた笑顔が忘れられない。

 終われなかった。今も世界は争いで満ちている。このまま転生しても、きっと私達は何処

かで不幸と理不尽を繰り返す。

(私は……)

 気付いてはいた事だ。二の轍だったなどと。

 どれだけ彼女達の死を悼んでも、その報いの為に拳を振るっても、結局自分はそんな争い

の環に取り込まれているに過ぎないのだと。

 力なく手を伸ばした。視界が霞む。それでもまだ、死にたくなかった。

 救いを。この世界に……真の救いを。

 もうあんな目に、もう二度と、全ての魂らが哀しまぬように──。

『ほう? この状況でまだ求めるか』

 そんな時だったのだ。不意にざりっと、耳元で砂利を草を踏み締める音がした。

 枯れ黄の、フード? よく見えない。だが、誰かがいる。

 一人、二人、三人……。

 気付けば見知らぬ何者か達が、力尽きゆく私をそっと取り囲んでいたのである。

『……よし、決めた。ねぇ君、僕達と来るかい? 君は……見込みがある』

 そしてそんな朧気な視界の中、フードの彼がそう屈み込んで来ると、そっとその手を私に

差し伸べてきて──。


「起きろ! おい起きろ、魔人野郎!」

「……」

 乱暴にまどろみから叩き起こされた。一瞬大きく揺らいだ目の前の世界に、思わずクロム

は静かに眉を顰めた。

 伝わる冷たい石の感触、血痕だらけの身体、手足に嵌められ鎖で繋がれた封印錠。

 そうだ。決して戻っては来ない。

 もう二度と彼女達も、あの日失ったものも……。

「ったく。よくもまぁあれだけタコ殴りにされてて眠れるよなあ。ムカつくな」

 見れば牢の前にずらりと看守や獄卒達が並んでいた。

 腰の警棒や剣、或いは肩に担いだ長銃。これはまた随分と物々しい様子だが……。

「喜べよ。てめぇの駄々が叶ったぜ?」

「ジーク皇子達だ。今こっちに降りて来てる」

 親指で背後を差し、吐き捨てるように。如何にも面白くないといったように。

 見下ろす彼らは、そう面を上げてきたクロムに対して告げる。

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