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ユーヴァンス叙事詩録-Renovin's Chronicle- 〔上〕  作者: 長岡壱月
Tale-58.獄なるセカイに彼は想ふ
357/434

58-(1) 霖雨の人

 此処ギルニロックは王貴統務院直轄領の一種、重犯罪者収監特別区──通称『監獄島』の

一つである。

 所在地は顕界ミドガルド西方、領空としてはヴァルドー王国西奥の霊海上。

 ギルニロックを始め各地の監獄島は、その設置目的から外界との交通手段が大きく制限さ

れている。

 具体的には就航する飛行艇の便数、ないし通行者資格の厳格運用など。基本的にここでは

新たに収監される罪人達の護送船の他、定期的に出入りする物資運搬船を除いて進入できる

ルートは存在しない。それはひとえに世を震撼させた犯罪者達を、万が一にでも野に放って

しまわない為だ。

 自力での脱出はほぼ不可能。

 霊海に浮かんだ、その陸地全てが牢獄という名の要塞。

 それが此処、監獄島ギルニロックである──。


「見回りお疲れ様です!」

「ああ。地下封印房まで頼む」

 人工的な灯りしか点っていない暗い石材の廊下。

 そこにずらりと張り巡らされた鉄格子の向こうとこちら側を見張るゲートの前に、一人の

青年将校が足を運んでいた。

 セラ・ウゲツ。まだ若いながらこの監獄島で副署長を務める人物だ。

 軍帽の左右から垂れた髪は黒。いかにも真面目そうなその瞳も黒。腰には太刀を一本差し

ているなど、紛うことなき女傑族アマゾネスである。

 彼は門番の獄卒達から敬礼を受けつつ、行き先を指示した。ややあって詰め所の横にある

昇降機の扉が開く。

 供は連れず、彼は一人昇降機の中に乗った。魔導と機巧仕掛けの金属箱が、ゴゥンゴゥン

と不気味な音を上げながら地下深くへと潜っていく。

「……」

 島全体が牢獄、何層にも渡る構造を持つ当監獄島にあって、地下層は特に凶悪な罪人達を

収監しているフロアである。

 チン。小気味良い金属音が鳴り、昇降機の扉が開いた。

 刹那その視界には、ぼんやりと照らされた暗闇と、こちらを見遣る無数の視線がある。

『ウゲツだ……』

『統務院の狗が来たぞ』

『出せ、ここから出せ!』

『畜生っ! ぶっ殺してやる!』

 轟々。収監された凶悪犯らの恨み節が耳に響いた。しかしウゲツはもうとうに聞き慣れた

とでも言わんばかりに視線一つ移さず、真面目に顰めた表情のままカツカツと無骨な石畳の

上を進み、両サイドの彼らの只中を通り過ぎていく。

(やはり、胸糞が悪い……)

 監獄の副署長という要職にありながら、ウゲツは数日おきの署内巡回を欠かさなかった。

 それは彼のまめな性格故というのもあるが、何より彼自身、罪人溢れ返る今日いま

状況に対して思う所があったからだ。

 ──キリがない。

 大雑把に言ってしまえば“迷い”なのであろう。或いは甘さなのか。

 彼は内心疑問に思っていた。毎年毎年、程度の差こそあれ、収監される罪人は増える一方

なのである。

 それは即ち、それだけ現在の世界──王貴統務院が治めるこの顕界ミドガルドに不満を持つ者が多い

ということだ。だからといって公の秩序を破壊せんと凶行に走る向きに賛同する訳ではないが。

 しばしば思う。此処に、或いは他の監獄島に収監された者達は何を思ったのだろう? 事

実上二度と社会に復帰できないような烙印を押されると分かっていても、それでも彼らを突

き動かしたものとは何だったのだろう?

 貧困、転落、憎悪、思想信条。

 それこそ罪人の数だけ事情も理由もあるのだと思う。だが、それらを全て世界にとっての

悪として断じ否定し、一絡げにし、人々の目に見えぬ闇の中に閉じ込めるだけで解決すると

は到底思えない。

 確かに、次善の策ではあるのだろう。

 しかしそれが曇りない“正しさ”かと問えば……否であると思う。

「おらっ! さっさと吐けッ!」

 そうして廊下を進んでいくと、やがて音が聞こえた。

 バシリッ、バシリッと打ち付けられる鞭の音。あらん限りの力で叫ばれる罵りの声。

 ウゲツは「またか……」と静かに嘆息をついた。

 廊下の最奥。対“色持ち”専用の封印房が広がる一角で、今日も看守達が「取り調べ」を

行っていたのである。

「いつまでもだんまりが通じると思うなよ!?」

「どうせお前は始末されるんだ。署長達のお手を煩わせるな!」

 封印房の中に、鉄製や棘の付いた鞭を振るう数名の看守達がいた。

 次から次に放たれる一撃、飛び散る血。だが、散々に打ちのめされている筈の当人は、悲

鳴の一つも口にせずにただじっとこれに耐え続けている。

「……」

 鉱人族ミネル・レイスの僧侶だった。その両手足には魔導を封じる呪文ルーンを刻んだ重い枷が嵌められている。

 名をクロムといった。先の大都消失事件を起こした“結社”の使徒の一人だという。

 彼はただじっと黙して俯いていた。一薙ぎ鞭が打たれる度に、その褐色の肌にぱっくりと

鮮血の傷が走る。

 しかしそれらは次の瞬間にはひとりでに塞がっていく。半ば不死身に近い肉体、彼が結社

魔人メアであることの証だった。

 故に血の跡、汚れだけが残る。只々彼は俯き、じっとこの看守達の「取り調べ」が終わる

のを待っていた。……だからこそ、看守達の苛立ちは解消されるどころかむしろ日に日に増

してすらいる。

「……学習しない者達だ。言ったろう。君達に話すことはない」

「黙れ! 貴様、自分の立場を弁えて──」

「いいのか? 話すことは簡単だ。だがそれを聞いたが最後、君達は世界中にいる“結社”

構成員らから命を狙われることになる。その覚悟が……本当にあるのか?」

 うっ──!?

 捕らわれた筈の側と、捕らえた筈の側。しかし今この瞬間、両者の力関係はまるで逆転し

ていた。血塗れ、ボロボロになった囚人服姿になっても尚、衰えることのないクロムのその

眼光と迫力に、看守達は思わず鞭を振るう手を止める。

「お前達!」

 そこへウゲツが気持ち早足でやって来た。その声に彼らが半ば反射的に敬礼のポーズを取

ってみせてくる。

「またやっていたのか。無駄だよ、彼は口を割らない。ジーク皇子を連れて来なければ、本

気でこのまま黙秘を続ける気だ。魔人かれにならそれが出来る」

『……』

 無闇な取調べ──否、拷問は止せとウゲツは何度も注意した。

 しかし彼らがその鞭を手放さず、行為が二十回を越えた辺りから彼はもう一々注意する気

も起きなくなっていた。

「先日、統務院の使者がフォーザリアにおられる皇子達の下へと向かったらしい。数日中に

もこちらに来られるだろう。取り調べは彼らを伴ってからだ」

 改めてじっと彼らを見渡し、ウゲツは言う。しかし看守達はどう見ても納得していないよ

うだった。

 面従腹背。罪人達への武力行使は何も今に始まった事ではないが、よほど彼という存在が

腹に据えかけているらしい。

「……気持ちは分からないでもない。今まで“結社”は散々世界中で事件を起こしてきたか

らな。だがそのメンバーだからといって、魔人メアだからといって、好き放題傷付けていい訳じゃ

ないだろう? 私達はあくまで監視員であって、裁きを下す側の人間ではないんだぞ?」

 改めての説教を。だが看守達の気配はやはり反抗的だ。

 中にはぶつくさと、視線を逸らしながら反論まで呟く者すらいた。

 魔人メアを庇うんですか? “結社”は世界の敵ですよ? 副署長は甘過ぎる──。

「何だ? また血の気の多い部下達の躾か?」

 そんな時だった。ふとカツンと靴音がし、場の皆が思わず強張る人物が姿を現した。

 猛牛バッファロー系獣人の大男──ギルニロック署長、ケヴィン・イーズナーだ。

 流石のウゲツも、看守達と共にびしりと敬礼せざるを得なかった。

 軍服がはち切れんばかりの隆々とした体躯、威圧感。その咥え煙草からはゆっくりと煙が

立ち昇っている。

「しょ、署長!?」

「どうして此処に……?」

「ウゲツに用があってな。聞けばまた封印房の方へ見回りに行ったと聞いたから、もしやと

思ったんだ」

 カツンカツン。彼は牢屋越しにクロムを見た。

 血で汚れ、あちこちが破れた囚人服。両手足に繋がれた封印の枷。対するクロムもまた、

無言のままゆっくりと顔上げると、この最高責任者と暫し見つめ合う。

「もうじき次の交替組が来る。お前達は戻って休め。何があっても大丈夫なように、状態だ

けは万全にしておかんとな」

『はっ!』

 肩越しに一瞥と声を掛けられ、それまで燻っていた看守達は蜘蛛の子を散らすようにその

場から駆け出して行った。

 その時、彼らの何人かがこちらを睨み返したように思えたが……ウゲツはもうどうしよう

もないと気に留めないよう努める。

「あまり締め付けてやるなよ。皆が皆、お前のように清廉な心を持っている訳ではない」

 ケヴィンは言った。ゆっくりと踵を返し、一歩二歩と来た道を戻り、敢えて声量を抑える

ようにして一人残されたウゲツに言う。

「私はこれから会議に出なければならない。先の消失事件で捕らえた“結社”達の処遇につ

いて、統務院上層部でもまだ意見調整がつかなくてな。暫く通信で付きっきりになる。皇子

達の下へ使者は行っているのだろう? すまんがその間、私に代わって応対して欲しい」

「は、はい。それは構いませんが……」

 用事というのはこの事なのだろう。ウゲツは気を引き締めた。

 だがそれでもこの胸のもやもやが晴れないのは何故か?

 ……分かっている。彼らも署長このひとも、目の前で行われている理不尽に正面から挑もうとして

いないからだ。

 迫害じゃないか。入れ替わっただけじゃないか。

 世界も、祖国も。

 ただ殴った側が殴られる側に変わっただけじゃないか……。

「ウゲツ」

 ぽつり。こちらに背を向けながらケヴィンは言った。

 沸々として始めていた気持ちが、ふいっと解される気がした。彼の声は、きっと密かに哀

しかった。

「お前は“正しい”よ。だが、その正しさが他の誰かにとっても正しいとは限らないんだ。

どんなに綺麗な“正しさ”よりも、もっと私的な感情がその者を上回るなんてことは珍しく

ない。お前は真面目だからな……ついその“正しさ”を他人にも強いてしまう。まぁ、それ

がお前の良い所であり、危なっかしい所でもあると私は思うんだが……」

 フッと、ケヴィンは肩越しにそう複雑な苦笑を浮かべていた。ウゲツもまた、その面持ち

を真っ直ぐに見据えて、だからこそ固く唇を結ぶ他ない。

「あまり囚人に情を掛け過ぎるな。潰れるぞ。……私はお前のような優秀な部下を、こんな

所で失いたくはない」

 思わず眉間に皺が寄った。声にならない声が出そうになった。

 しかしケヴィンは小さく告げると、そのままゆっくりと歩いていき廊下の向こう側、暗闇

の奥へと消えていく。

「……」

 灯りの火達が揺れている。黙したままクロムが地面を見つめている。

 片手で胸を掻き抱き、俯いた視線。

 そのまま暫く、ウゲツは牢屋の前に立ち尽くした。

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