57-(6) 報せ
「……」
無駄にふかふかなベッドの上に寝転び、ぼうっと左手を見ている。
掌は綺麗さっぱり治っていた。あの後すぐに金菫を使い、傷を治療してしまったからだ。
それでも未だ、手には刃と血の感触が残っている。
時刻は夜。場所は先の宿。夕食も風呂も済ませ、ジークは部屋奥のVIPスペースでぽっ
かりと空いた時間を持て余していた。
「……何つーか、すっげぇ疲れた」
「あのなあ。それはこっちの台詞だっての。気持ちは分からんでもないが、いきなりあんな
無茶をしやがって」
「……ジークは甘い。彼女がもし“結社”の刺客だったら、腕の一本くらいもがれてた」
何となしに呟く。仕切り壁の向こうで同じく暇を持て余していた仲間達が、そんなジーク
の言葉に呆れ口調だったり、静かにお説教だったり。
「そりゃあ、そうかもしれねぇけど……」
あの女性の乱入により、やはりというべきか慰霊式は大幅に縮小せざるを得なくなった。
彼女の確保の後、表向きのメインである献花は行われたが、その後の関係者スピーチは多
くが省かれて終わることになった。
はてさて、事は上手く転んだのか否か。
少なくとも翌日には各紙が今回の事件を報じるだろう。ファルケン王の決意表明と、その
後起きた自分への襲撃──遺族の復讐と、土下座謝罪。
一国の皇子がまさかの行動! などとでも書かれるのだろうかな……?
今更ながらに想像しては、ジークはやれやれとうんざりする。
「ま、まあまあ」
「とにかく大事に至らず何よりです。ジーク様、今夜はゆっくりとお休みください」
「何せ今日は初めてのご公務だったのです。それに加えてあんな事があれば……お疲れにな
られるのも無理はございませんよ」
無茶を心配され、説教を食らったのは式典直後もだったし、今はもう叱られるほど激しく
言葉を交わす訳でもなかったが、侍従達は居た堪れず、そう苦笑して言ってきた。
ああ。それも無い訳ではないのだろう。
初公務。圧し掛かるプレッシャー。だけどもジーク自身は、元より今回の遠征が平穏無事
に終わるとは必ずしも思っていなかったのだ。
「……思ってた以上にって意味だよ。正直言って、ああいう人が出てくる事は予想してた」
「えっ?」
「当たり前だろ。あの女も言ってたけど、俺が来なけりゃ、あの山はもっと違った結末が
あったかもしれない。憎んでる遺族はいるだろうさ。たとえそれが当てつけだとしても、ああ
いう人達には他にぶつける先がねぇからな」
『……』
当人はそうベッドの上に寝転がったまま、何の気ないように語っている。
だが侍従らは、仲間達は、にわかに身を強張らせ目を見開いていた。
ジークはその外見の振る舞い以上に解っていたのだ。
因果。或いは自責する想い。
だからこそ、あそこまで自分の言葉で“謝る”ことに拘っていたのかもしれない……。
「ジーク、それは」
「ああ。分かってる。結社とは戦うさ。悔しいが、ファルケンのスピーチは半分当たってる。
もし今いる俺達が力に屈しちまったら、その力で壊されてきたものが全部無駄になっちまう」
リュカが居た堪れなくなって止めようとした。だがジークは見た目、平然とした様子で撤
回する様子もない。ぎゅっと左手を握り直す。受けた傷は、もう見た目だけなら、すっかり
消え去ったかのようにみえる。
(……あの女、大丈夫かな?)
だがそれと、戦いの都合で人の想いを封じ込める事とはまた別だ。
ジークは改めて心配だった。自分を狙った、ぶつけようのない哀しみ故に刃を向けてきた
あの女性がその後、どうなってしまったのか?
当事者として式典の後、重ねて運営側には寛大な処置で済ませるよう、侍従らを通して要
請は送りはした。だがあの行動は事実として犯罪だ。無事であればいいが……。
(その後、か)
むくり。ジークはベッドから起きて座り直した。まだ休む気にはなれなかった。自分には
まだ気になっていることが他にもある。
「なぁ、イヨさんから何か聞いてないか? クロムの事だ。大都の事件の後、統務院に捕ま
ったって話は聞いているんだが、肝心の居場所が分からなくってさ。前々からイヨさんには
調べてくれって頼んでたんだけど……」
「ああ、はい」
「お話は、私どもも聞いておりますが……。特には」
「……そっか。まぁ何か分かったら連絡くれる筈だしな。無茶ってのは承知だが、あいつと
はもう一度会って話したいんだよ」
控える侍従らが困ったように互いの顔を見合わせていた。隣室の仲間達も──特に彼本人
と一戦を交えたダンは、静かに眉を顰めて珍しく思案顔をしている。
「何だか嫌な予感がするんだよな。この前、副団長とグノーシュさんが商人から聞いたって
話もあるし……」
ちょうど、そんな時だったのだ。直後ふと、コンコンコンと、部屋の扉をノックする音が
聞こえ来たのである。
『……?』
誰だろう、こんな遅くに? ジーク達は互いに顔を見合わせた。
先日のようにレジーナやエリウッド──ではないと思う。とうに二人は式典の後、自分達
の宿に戻って行ったのだから。
「どうも。夜分に失礼致します」
ダンや侍従達が注意深く近付き、ドアを開けて応対した向こうにいたのは……軍服に身を
包んだ統務院からの使者だった。
「……一体、どのような御用でしょうか?」
「何か、急を要する事でも?」
「ええ」
気のせいか、お上特有の高圧さが和らいでいるような?
それでも侍従らは、警戒を保ったまま訊ねていた。そんな問い掛けに、軍服の使者らは取
っていた帽子を胸元に押し当てたまま、告げたのである。
「今回、突然お訪ねしたのは他でもありません」
「ジーク皇子。実は折り入って貴方がたにお願いがあり、参りました」