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ユーヴァンス叙事詩録-Renovin's Chronicle- 〔上〕  作者: 長岡壱月
Tale-57.言葉と魂、吐き出す先に
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57-(5) 呪の大魔

「急げ、もたもたするな! あのでろでろに呑まれるぞ!」

「皆さん落ち着いて! 堤防沿いから向こうへ、町の奥へ避難してください!」

「おい、誰か早く守備隊を呼んで来い! あんなの俺達じゃどうにもできんぞ!」

 賑やかな夏祭りの川沿いが、にわかに恐怖と混乱のるつぼと化していた。

 水面から突如現れた巨大な魔獣に慄き、我先にと逃げ出していく人々。それを何とか秩序

ある避難に結び付けようとする青年団。或いは最寄の導話設備へと駆けていく警備要員。

「……あれは、バイオタイラント。ゲルの、集合体……」

 ぱくぱく、ごくり。

 二度三度と言葉を詰まらせながら、そんな人々の中でアルスは呟いていた。

「ゲルぅ? ……言われてみれば、確かに」

「だが妙だな。どうして急に──」

しゅだよ」

 加えてフィデロ・ルイスが見上げ、疑問を呈する中、エトナが言った。

「さっき向こうで記者達がストロボを焚いてるのを見て確信した。キャパシティが限界を振

り切っちゃったんだよ。この辺り一帯の自浄能力が、いきなり大人数になったヒトに対応で

きなくなったんだと思う。写姿器も半分は魔導の力で動いてるからね。その一斉に排出され

魔力マナと、穢れを集めて流れていこうとしてた流し雛。二つが合わさって濃い瘴気になった

のね。動植物じゃなく、物質系の魔獣として出てきたのがその証拠」

 思わずそう神妙に語る彼女を見遣り、フィデロ達が押し黙っていた。

 そしてそれに併せて逃げ惑う人々を掻い潜り、リンファら侍従武官達も合流してくる。

「ご無事ですか、アルス様? フィデロ君達も」

「あ、はい」「僕達なら平気です。それよりも……」

 見上げる。濃紫の巨大なスライム状の魔獣、もといバイオタイラントはその常時でろでろ

と溶ける身体を揺らしながら、大きく口を開け、紅く光る双眸をゆっくりと記者達の方へと

向けていた。

「──チッ!」

 次の瞬間だった。バイオタイラントの右手が彼らに振りかぶられる。

 それを見て逸早く動いたのはフィデロだった。

 両手甲型の魔導具・迅雷手甲ヴォティックス。その肘部分から吐き出される電撃状のエネルギーで彼は

一気に水面ギリギリに飛び出しながら、同時に急上昇。瞬間「らぁッ!」と気合いの雄たけび

と共に、彼らを襲おうとしていたこの右手を全力で弾き飛ばす。

 ぐらり。バイオタイラントの身体がふらついた。ざばざばと、夜の清流にこの酸毒の身体

が触れ、耳障りのする激しい蒸発音が聞こえる。

「……やっぱ打撃はあんま効かねぇな。おい、あんたら! 大丈夫か!?」

 それでもその隙に、フィデロは集まっていた対岸のマスコミらの下に降り立った。

 驚き、そしてすっかり怯えている記者達。「ぼやっとしてんな、急いで逃げろ!」と急か

した彼の言葉にその殆どが慌てて散り散りになって行ったのだが……ただ一人、それも出来

ずに真っ青な顔をして腰を抜かしている男がいた。

「ぁぁ……」

「おい、おっさん。何やってる。早く逃げろ!」

「違うんだ。違うんだ。俺はただ、もうちょっといい暮らしがしたかっただけで……」

「……あん?」

 撮影技師カメラマンだった。一週間ほど前、昼間のエバンス川の堤防で水浴びをするアルス達を撮っ

た、今回のマスコミ殺到の原因を作ったその当人だったのだ。

 だがフィデロにそんな事情など分かる筈もない。ただぶるぶると、何かに憑かれたように

謝罪し続ける彼に、フィデロは眉根を寄せた。

 ……少なくとも、ここに残したままじゃ危ない。

「フィデロー!」

「後ろだ! 避けろ!」

 だがダメージから復帰したバイオタイラントの二撃目が、既に二人の頭上に迫っていた。

 向かいの橋から知らせてくれるエトナとルイスの声。それに素早く反応し、フィデロは再び

迅雷手甲ヴォティックスのエネルギーを噴射すると、この男性の首根っこを掴んだまま急いでその場から

離脱するはなれる

「おい、いい加減にしろおっさん! 逃げるんだよ! ここは俺達に任せろ。な?」

「あ……。あ、あぁ……」

 ぺちぺち。そして心ここにあらずといった様子なので二・三度軽く頬を張ってやり、改め

てそう逃げるように言い聞かす。

 すると男性はようやく我に返ったようで、辺りを見渡しコクコクと頷くと、文字通り転が

るように情けない声を上げ、夜闇の向こうへと逃げ去っていった。

「大丈夫か?」

「ああ。連中は逃がしたぜ。野郎、明らかに狙ってたからな」

 自分を生み出した者達への応報か。堤防上に着地したフィデロを追って、アルス達が駆け

寄って来ていた。皆で水面を見上げる。バイオタイラントは暫し攻撃すべき対象を見失い、

蠢きながら辺りを見渡していた。

「とにかく、奴を何とかしなければなるまい。D班以下は、町の皆さんと避難誘導の手伝い

を。C班までは私と来い。アルス様達をお守りし、あの魔獣を退治する!」

『了解ッ!』

「……」

 アルスは半ば茫然としていた。リンファが部下達に指示し、散開していく声と足音を耳に

しながらも、頭の中はぐわんぐわんと、先程から自責の音が反響し続けている。

 僕の所為だ。

 僕がここに来なければ、こんな事にはならなかった……。

「──ス、アルス!」

「ッ!?」

「……アルスは悪くないよ、引き金は記者達あいつらじゃん。……守るんでしょ? 誰であろうと皆

を、私達の魔導で」

 だがそんな相棒を、他ならぬエトナがびしっと声を掛けて叱咤していた。

 ハッと我に返り、ニッと笑う彼女を見つめて、アルスはその瞳に再び強さを取り戻す。

「うん……そうだね。自分に出来ることを、やらなくっちゃ」

 改めて見上げる。バイオタイラントもこちらに気付き、のそりとその身体を向け直そうと

している。

 落ち着け。こんな時こそ考えるんだ。

 バイオタイラント。ランクSの魔獣。だけどその本質は、ゲル達と変わらない──。

「皆さん、聞こえますか? 灯り、ありったけの灯りを持って来てください! どれだけ奴

が巨大でも、結局はゲルの集合体です。元々暗く湿った場所に生息している奴らは、熱と光

には滅法弱い。四方から火で囲めば、動きを封じ込める筈です!」

 キッと腹を据え、アルスは振り向いて周囲に叫ぶ。

 仲間達も頷いた。皇子かれが、本気を出す。

「は、はいっ!」

「よし、そうと決まれば……!」

「おーい、手の空いてる奴は手伝ってくれ! 篝火を竿に移すぞ! あのデカブツを囲んで

炙ってやれ!」

 応ッ! 青年団ほか警備要員らも動き出し、会場内のあちこちにあるの篝火が、何本かの

長い竿に継ぎ足されていった。

 バイオタイラントが粘つく口を開けて威嚇している。襲い掛かろうとしている。

 アルスにエトナ、フィデロ、ルイス、リンファ達がそれぞれ奔走する彼らを庇うようにし

て構えた。更に後方には逃げていく祭り客らがいる。肩越しにちらり。アルスはルイスに、

追加で指示を出す。

「ルイス君、君の魔導具で防護壁って作れない? タイラントと今逃げてるお客さん達を隔

てるように出来ないかな?」

「……なるほど。お安い御用さ」

 今度はルイスが、風繰りの杖ゲイルスタッフを取り出した。

 石突に繋げられた白い飾り布が揺れている。彼はこの杖を握ったまま、背中の鳥翼を羽ば

たかせて飛ぶと、上空から逃げ惑う人々の最低ラインを見極めて一振り──密度を持つ風の

防壁を作り出す。

「こ、今度は何だぁ?」

「風……?」

「これは防護壁です! 僕らが奴の攻撃を食い止めます! 皆さん急いで避難を、少しでも

遠くへ!」

 ルイスの中空からの言葉に、最初戸惑っていた人々もめいめいに頷き、その逃げ足を再開

した。我先に、やがて各々が遅れがちな者に肩を貸してやりながら。避難の方はこれで大分

進んだと見受けられる。

「時間を稼ぐよ。火で動きを封じたら、僕達が中和結界オペレーションを張る」

『了解!』

 咆哮し、襲い掛かってくるバイオタイラントに、アルス達は果敢にも向かっていった。

 切り込み役はフィデロ。電撃のエネルギーを満たした迅雷手甲ヴォティックスで縦横無尽に飛び回り、この

巨体を左右に翻弄しつつ、しかし直接打撃では効果が薄いとみて雷光による目潰しを主軸

に足止めする。

 そんな彼を、ルイスとアルス・エトナの魔導射撃が援護した。

 風繰りの杖ゲイルスタッフから放たれる風の刃や弾丸、アルスとエトナが短縮詠唱で放つ土塊の砲弾。

 濃紫の身体に次々と穴が空いた。だがそれでも相手は物質──不定形の魔獣だ。動きを食

い止めることは出来るものの、決定的なダメージには繋がらず、すぐにその穴は溶け広がる

他の部分によって塞がれてしまう。

「ちっ、キリがねぇな。おわっと……!」

「凍らせれば何とかなるかもしれないけどね。生憎、あれだけの大きさの標的をとなると」

 二度三度、バイオタイラントの薙ぎ払いが辺りを蹂躙した。

 ルイスによる風の加護もあり、回避することには事欠かなかったが、二人がぼやくように

このままではジリ貧になってしまう。

「皇子ー!」

「お待たせしました!」

「いっくぜー! 囲めーッ!」

 そんな時だった。それまで火を継ぎ回っていた、大型の篝火がようやく準備を整えて駆け

つけて来たのだった。

 壮年男性が叫ぶ声を合図に、川のこちら側と向こう側、四方八方から長い竿に点けられた

煌々とした篝火がバイオタイラントに押し付けられる。

「ォ、ヴォオォォ……!?」

 明らかに苦しんでいた。熱と光、彼らが本来最も嫌うそれらが視界いっぱいに満ち、その

巨体は川を渡ろうとしていた最中の位置で立ち止まらざるを得なくなったのだ。

「よしっ!」

 だが──相手も最高ランクの危険度を持つ魔獣。そう簡単に大人しくなる筈もない。

 威勢をつけた漢達の篝火。それらを振り払うようにバイオタイラントもがき苦しむと、次

の瞬間、その身体を震わせて己が一部を四方八方にばら撒き始めたのである。

「ひっ!?」

「危なっ! 溶けっ、溶ける!」

 多数のゲルだった。それもバイオタイラント本体由来の、強い酸毒性を宿した個体達。

 アルス達にだけではない。篝火を差し出していた町の人々にも。彼らがビクつき、怯え出

すのもお構いなしに、ゲル達はじゅうじゅうと地面を溶かす音を上げながらじわじわと彼ら

の方へと這い寄り始める。

「しまった……!」

「皆さん、逃げて! そいつらに触れたら無事じゃすまない!」

「──」

 しかし、救いの手はあったのだ。リンファ達が、アルスが叫んだその時、彼ら篝火部隊の

面々を守るように、襲い掛かるゲル達を叩き潰した男が現れたのだ。

 その手には金属製の大槌。更にその全体には、小人の姿をした精霊の、炎の加護が与えら

れている。

「親父! ポフロン!」

 カルロと、その持ち霊ポフロンだった。息子フィデロがぱぁっと笑顔になって呼んで来るその声に、

この父親は照れ臭さそうに鼻の下を擦っている。

「やばい事になってるって聞いて飛んで来た! 俺達も加勢する! このちっこい奴らは俺

達に任せとけ!」

 気付けば彼の後ろに、松明を持参で武装した者達がいた。守備隊だ。

 アルス達はほっと胸を撫で下ろした。応援が間に合ったらしい。互いに顔を見合わせて、

頷き合う。

「アルス様、急ぎ中和結界オペレーションを。周りのゲル達は私どもが処理します」

「うん。お願い」

 リンファ達が刀に槍、直接斬り突きするのではなく剣圧で迫ってくるゲルらを薙ぎ払い、

アルスらを守るようにぐるりと円陣を組んだ。

 その援護にアルスも頷く。大きく口を開け、息を吸い込み始めるバイオタイラント。

 吐息ブレスか。そうはさせじと、彼は頭上の相棒と共に、その必殺技を発動する。

「──領域選定フィールド・セット!」

 ビンッと、翠色の球体がバイオタイラントの全身を取り囲んだ。

 何重にも重ねた障壁。そこに直後、吐き出されたヘドロのブレスがぶちまけられる。

「ぐっ……」

 顔を顰めた。それでもブレスはそのまま内部で跳ね返り、威力はバイトタイラント自身に

戻っていく。目に入ったようだった。まるで忌々しいと言わんばかりに、その重低音の咆哮

が辺りにこだまする。

準備、完了スタンバイ・レディ施術……開始オペレーション・スタート!」

 両手の五指から勢いよく飛び出していくマナの糸。群成す意糸ファル・ウィンヴル

 アルスはそれら糸で編んだ手術オペ具を巧みに操り、次の瞬間、次々にこの巨大な魔獣に繋が

魔流ストリームを断ち切っていった。

 鍛錬を重ね、高速の域に辿り着いたその手捌き。その魔流ストリーム一本一本が切り離されるに従い、

バイオタイラントはビクンと痙攣し、確実に動きを鈍らせていく。

「アルス!」

「うん。注入──開始ナチュライズ・オン!」

 締めだった。編まれたマナの糸束が掴み、差し込んだのは別の魔流ストリーム。瘴気ではなく、汚染

のない綺麗な魔力マナを一気に流し込まれ、瞬間、バイオタイラントは今までにない悲鳴を上げて

のたうち回った。

 崩れていく。力を削ぎに削がれ、その巨体が維持できなくなっていく。

 でろでろ、ぼたぼた。夜の川面に、力を失った大量の澱みが崩れ落ちていく。

「皆、今だよ!」

「あいつの核を──人形ひとかた狙って! 奴の力の源泉は、穢れの溜まった、あの紙切れだよ!」

 リンファが太刀を水平に構えた。ルイスが杖を持ち上げた。フィデロがぐんとこの魔獣の

頭上へと飛翔する。

「トナン流錬氣剣──刈鳥がいちょう!」

「盟約の下、我に示せ──羽毟の風リッパーウィンド!」

 リンファがオーラを滾らせ、飛ぶ斬撃を放つ。ルイスが白い魔法陣を展開し、風の刃を爆

ぜ飛ばす。

 巨大な一閃がバイオタイラントの身体を抉った、更にそこへ風刃が入り込み、その不定形

の奥を外へ外へと切り刻んでいく。

「おぉぉぉぉっ!」

 フィデロが大きく振りかぶっていた。掌から魔法陣と共に雷剣の閃サンダーブレイドを出現させ、酸毒の身体

の中で漂っている、黒く光る人形ひとかたらに狙いを定める。

「どっ……せいッ!!」

 かち割り。そのまま、力任せに振り下ろされた雷剣は、ざっくりと人形ひとかたらを焼き斬っていた。

 じゅう。燃え尽き、同時にバイオタイラントの身体が断末魔の叫びと共に消滅していく。

 じゅう。あちこちに飛び散っていた小振りの紫ゲル達も、カルロや守備隊、武官侍従らの

手によって一体残らず撃破される。

「や……」

「やったぁ! ぶっ倒した!」

「勝った……俺達が勝ったんだ!」

「よっしゃあ、やったぜ!」「流石はアルス皇子!」

「いや。止め刺したの俺──」

「皇子万歳!」「皇子、万歳ーっ!」

 数拍の余韻。そして次の瞬間、場に居た人々が一斉に勝ち鬨を上げた。

 消え去った巨大魔獣。それに打ち克った自分達。その立役者としてのアルスとエトナ。

 最後の一撃を叩き込み、着地したフィデロが「あの~……」と冷静にツッコミを入れてい

たが、一度火の点いた彼らの嬉々はそうすぐには鳴り止みそうにない。

「まぁ、人徳の差って奴さ。諦めなよ」

「あ、ははは……」

 そんな幼馴染に、ルイスはこちらもある意味酷く落ち着いた様子でポンと彼の肩を叩いて

いる。アルスは、その傍らで「どうもどうも~」と笑みを振りまく相棒と共に、ただ苦笑い

を浮かべて立ち尽くす他なかった。

(……僕の所為だと知ったら、やっぱり恨まれちゃうのかな……)

 自分を責める必要はない。

 されど彼は、内心そんな懸念を抱かずにはいられなくて。

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