57-(4) 夏祭り事変
清峰の町に滞在し始めて、気付けば一週間が経とうとしていた。
アルスはここ暫く、友人──フィデロやルイス、そして町の人達の厚意もあって実にゆっ
たりとした時間を過ごせている。
そして今夜、町では以前フィデロが話してくれた夏祭りが開かれていた。
当然アルス達も皆で連れ立ち、こっそりリンファらが蔭で警備に当たり、また一つ夏の思
い出を作ろうと喜び勇んで出掛けたのだが……。
「いたぞ! アルス皇子だ!」
「皇子ー。こっち向いてくださ~い」
「ご静養中失礼します。お体の具合はどうですか? 宜しければ映像機に人々へ向けたメッ
セージをお願いします」
『……』
「え? マジで来てんの?」
「本当だー。キャー、浴衣姿も可愛い~♪」
「話には聞いてたけど、本当にここに居たんだなぁ」
「おいおい、勘弁してくれよ。庶民の娯楽くらい邪魔すんなって」
『…………』
祭りに来ていた人々以上に、マスコミが押し掛けていた。
ただでさえ人が多くなる今日この夜に、わざわざご丁寧に映像機や写姿器のレンズを向け
ては、人ごみの一角に無粋なるざわめき空間を作り出している。
「ちょっとー。何で記者達がいる訳!?」
「さぁ……。僕がこの町にいるってバレたからだと思うけど……」
「確認するけど、侍従さん達が発表した、とかじゃないよね?」
「うん。してない筈だよ。こうなる事は充分予測できるし」
「となると……誰かがリークした、か」
「う~ん、おっかしいなぁ。親父もアルスが来てからすぐ、町内会の皆に口止めしてくれた
筈なんだけど……」
毎年のんびりとしたいち田舎町の夏祭りが、今年はにわかに大所帯の様相を帯びていた。
清流とその堤防に沿って並ぶ屋台と客の人波。そこへマスコミや祭り目的ではなさそうな
野次馬も加わり、元よりそう広くない道が一層混雑している。
ぷくっとエトナがあからさまに膨れっ面になり、紺の浴衣姿のアルスも困惑していた。
同じくルイスにフィデロ、灰色と黒縦縞の浴衣姿の友人二人も、このいつもとは違う祭り
のさまに参ってしまっている。
「ま、小さい町だしな。どのみちバレるのも時間の問題だったろうよ」
「そう、だね……。でも流石にタイミングが悪かったかも」
すると苦笑ってアルスは言い、ついと視線で人波の影に控えていたリンファ達を呼んだ。
通り過ぎる祭り客らから、次々とお構いなしの視線が飛んでくる。中には携行端末を持って
来た人もいるらしく、パシャリとこっちを撮影して立ち去って行くなんてパターンもあった。
……このままじゃ、皆さんに迷惑が掛かる。
アルスはリンファ達に頼み、マスコミらの群れを追い払って貰うことにした。
けれども、くれぐれも穏便に。リンファら武官の侍従達は早速彼らの下へと駆け寄って行
き、何やらあれこれと交渉をしていた。
やがて振り返り、リンファが指で輪っかを作ってオッケーのポーズ。同時に後ろの彼らが
いそいそ渋々と撤収し始めるさまも確認できる。
「……どうでした?」
「ええ。祭り客の迷惑になるという旨と、取材なら祭りの後にでも申請して頂ければ応じる
から今は退いてくれと。……折角のご静養中ですのに、勝手ながら、アルス様のご負担を増
やしてしまう結果になってしまいますが」
「いいえ、大丈夫です。そういう事なら少しくらいは。それに、きっとそうでもしないと、
お祭りがもっとぐちゃぐちゃになってしまうでしょうし……」
有難うございます。リンファはそう静かに言って頭を垂れた。
周りの祭り客らも、その変化に気付き始めている。邪魔者の群れがにわかに退いてゆき、
気のせいか祭囃子の音色が先程よりも軽快に聞こえてくるような気がする。
「……それじゃあ、気を取り直して祭りを堪能するとしようか」
「うんっ」「おー!」
「へへっ、俺達に任せときな。伊達に十七年、同じ祭りを経験してねぇからよ?」
だが……騒動はそれだけでは終わらなかったのだ。
改めて友人達、相棒と共に夏祭り──庶民の文化の中で遊び始めるアルス。
飲み食いを始め、金魚すくいや射的、くじ引きに型抜き菓子。
暫くの間、アルス達は目一杯遊び回った。そんなさまを、リンファら武官の侍従達は遠巻
きに優しく見守り、祭りそれ全体も何時しか楽しく活気溢れる一時に包まれたかのように思
われた。
『──それではこれよりお待ちかね、流し雛の放流を始めます』
ぱちぱち。橋の上に集まった人達が見守る中、たけなわになった今年の夏祭りもとうとう
メインイベントを迎える。
拡声器越しに青年団の有志が宣言し、小船に乗せられたたくさんの人形が、清峰の町の
清流をゆっくりと流れていく。
「……」
夜の闇と、あちこちで焚かれた篝火。
黒い水面に映える幻想的な光景。
暫しアルスも、このイベントを静かに堪能していた。橋の縁に両肘を乗せ、うっとりと優
しい瞳で流し雛達が流れてゆくさまを眺める。
「……おい、あれ何だ?」
「え?」
「ほらあそこ。向こう岸に何か──」
そんな時だったのである。流し雛が流れて行くその先、ちょうどこれらと橋上のアルス達
を一緒に捉えられる絶好のポイント。そこに性懲りもなく、我先にと集まっていた報道陣ら
の焚くストロボを浴びて、突然流し雛らを乗せた小船がどす黒い大量の靄──瘴気に包まれ
始めたのだ。
町の青年団らが逸早く気付き、指し示す。
だがその時にもう既に遅く、ボコボコと激しく沸騰した水面からは、濃い紫色をした……
巨大なスライム状の怪物が這い出てきたのである。
「ひっ!?」
「ま、ままっ……」
「魔獣だー?!」
刹那、濃紫の巨体が咆哮する。橋の上、堤防沿いにいた人々が一斉に悲鳴を上げた。
「あれは……」
「おいおい、マジかよ……。一体、何がどうなってやがんだ?」
逃げ始める。或いは腰を抜かして、わたわたとその場で這いずり出す人々。
「──っ」
友人や相棒らと共に、思わず唇を噛みながら、アルスはその変貌した夜空を見上げた。