8-(1) 虚ろいの繁栄
その日、ジークはマーフィ父娘とサフレ・マルタ、そして数名の団員ら仲間と共に荷馬車
に揺られて道を行っていた。
今回ジーク達が受け持ったのは、商人らから成る荷馬車の一団の護衛だ。
基本的に旅人の類は既に整備された街道ルートを選ぶのだが、それでも魔獣、或いは盗賊
の類が出ないという保証はない。とりわけ彼らのように物資を多く携える商人らは、襲撃に
に対するリターンが大きいとして他の旅人達よりも狙われ易い傾向にある。
故に、彼らがこうして冒険者を護衛として雇うことは決して珍しい事ではないのである。
「……」
ガラガラと、車輪が土や石畳の上で滑ってゆく。
そんな奏でられる振動に身を任せ、時折腰に差した愛刀らを撫でながら、ジークはぼんや
りと分乗した荷馬車の中で待機をしていた。
「何つーか、暇っすね……」
「いいんだよ。何も無いに越したことはねぇんだし。だが気は抜くなよ?」
「分かってますって」
ジークが沈黙の中でそう呟くと、ダンが少し釘を差すように言った。
彼の大柄な体躯では荷馬車の中というスペースは狭苦しいらしい。ダンは時折もぞもぞと
座っている位置を微調整していた。
「……それにしても、荷物がいっぱいですよねぇ」
そんなスペースの多くを占めているのが、分厚い麻布を被せられた物資の山だった。
箱詰めにされている事もあり中身までは逐一知る由もないが、
「当然。商人の荷馬車だから」
「う、うん。そうなんですけど。でも……」
荷積みの際に立ち会った時に見ていた限りでは、生活物資以外にも武器も少なからずあっ
たように思う。
マルタはそっと麻布を捲ると木箱の蓋を少しずらし、そこにゴロゴロと詰められている剣
や銃器などの武器を暫し見遣ると呟いていた。
「私には、違和感があります。盗賊さん達に襲われたら怖いからマスター達を雇っている筈
なのに、運んでいる物資にこうして武器が混じっているなんて」
「……マルタらしいな」
「そんなもんだろ? 誰だって武器やら暴力が要らなかったり無い方がいいと思ってるさ。
だけど実際は魔獣も出るし、ヒトですらいい奴ばっかりじゃねぇからな。お前のマスターも
ジャラジャラと魔導具をぶら下げてるだろ?」
「そう言う君だって、何本も剣を差しているだろうに……」
ふっと微笑ましく彼女を見守るサフレに対し、ジークはより現実的──シニカルな反応を
見せていた。
悪ぶった言い口。その言葉尻にサフレは手こそ上げなかったものの、あまりいい表情はし
なかった。荷馬車内の壁に背を預けて座ったまま、指輪や腕輪──自身が使っている魔導具
らが揺らめいているのに目を落とす。
(確かに現実はこう、だがな……)
今の時代は、それ以前に比べれば随分と豊かになっているという。
それは魔導開放、そして何より帝国時代に大成された機巧技術が大きいのだろう。それま
ではマナの雲海というヒトの歩では渡ること叶わなかった大陸同士が、今では無数の飛行艇
の定期航路によって綿密に結びつき、人も物も活発に行き来をしている。
だが……その発展は、本当に“正しい”ものなのだろうか?
この瞬間も、そして今の当てのない旅に出てからもずっと、サフレはそう何度も自身に問
い掛け続けていた。
武力がなければ守れないものがあるから、人は武器を取る。
だがそうした個々の選択が拡がれば拡がるほど、末路として人は諍いの中にその武力を落
とし込んでしまいかねない。
今よりもっと豊かな暮らしを望むから、魔導も機巧技術もそんな“実利”に特化する。
だがそうした欲求が人々の食指をどんどん未開の大陸へと伸ばし、利権を生み、新たな対
立を生み出し続けているのも否めない。
いわば今この時代の、この瞬間の豊かさは……そうした薄氷の上にあるとも言える。
しかしセカイの開拓を続け、多くの軋轢を生み出しながらもそこから得られる利益の味を
知ってしまった以上、もうヒトは“古き良き時代”には戻れないのかもしれない……。
(冒険者になってみても、現実をどうこうできる訳じゃ……ないんだな)
そこまで思考を回していたのではないのかもしれないが、きっとマルタはそうした危うい
バランスを漠然とした不安として感じ取ったのだろう。
サフレは細かに揺らぐ魔導具の金属音をそんな思いと共に閉じ込めるようにして、そっと
手首にぶら下げたこの「力」や「実利」の結晶達を握り締める。
「そういや、ジーク」
するとそんなやり取りで思い出したらしく、引き戸近くに腰掛けていたダンがふとそう呼
び掛けてきた。
「剣で思い出したんだが、お前ら学院に剣調べに行ってたんだってな?」
「ええ。魔導具らしいって事は分かってたんで、じゃあ一度魔導師に視て貰おうって話にな
りまして」
「なるほどな。で、どうだった? 何か分かったのか?」
「うーん、分かったようなそうでもないような……」
「学院側からは協力を得られませんでしたが、魔導工学を専攻しているアルスの友人には会
えました。彼の見立てでは古式詠唱を使った魔導具のようで」
「……コシキ? 何だそりゃ?」
「ええっと。要するに古い型の魔導具らしいんです。なのでその場ではそれ以上詳しい事は
分からなくって。でも彼が自分の担任の先生を紹介してくれるって言ってくれて」
「で、今はそいつ──フィデロからの連絡待ちって所です」
「あぁ……。そういやハロルドやイセルナが言ってたな、そんな事」
「……お父さん、魔導だから分からないやって言ってすぐに飲んでたから」
ジーク達の代わる代わるの言葉を聞き、ダンはようやく記憶を辿れていたようだった。
ミアがその背中からひょこっと顔を出すようにすると、そう呟く。
頬を掻いて、乾いた苦笑。
ダンは表向きは苦笑いのままだったが、
(やっぱ、まだ終わっちゃいねぇんだよなぁ。シフォンも最近単独行動してるみたいだし、
イセルナやリンも何かコソコソしてやがる。……厄介な事にならねぇといいんだが)
内心ではそう、歳相応の経験と副団長としての眼を光らせていた。
だがそんな思案を吹き飛ばす変化が起きたのは、ちょうどそんな時だった。
ガクンと荷馬車全体が大きく揺れ、停止した。
他の馬車も同じく動きを止められたらしい。左右から馬の嘶きが聞こえてくる。
「た、大変です。野盗です!」
即座に反応し身構えたジーク達の下に、仕切り幕を捲って商人の一人が駆け込んできた。
確かに耳を済ませてみれば、粗野な脅しの怒号が飛んでいるのが聞こえる。
ダンが皆に頷き合図する。
ジーク達は同じく無言で頷き返すと、一気に左右の荷馬車の引き戸に手を掛ける。
「おらぁ、大人しくしろ!」
「死にたくないなら金目の物を出──ぎゃふっ!?」
次の瞬間、表で小剣などをちらつかせていた野盗達のその得物が、荷馬車から伸びきた棍
の一撃によってあっという間に弾き飛ばされていた。勿論サフレの槍である。
次いで、ジークとミアの二人がぐんと彼らの懐に飛び込み、二刀と拳を振るってその集団
の隊伍を崩してゆく。
「な、何だぁ!?」
「まさか……傭兵か!?」
「ご名答だ」
そんな先手によろめき、集団をバラされた野盗ら。その数およそ三十名。
そこに対峙したのは、戦斧を肩に担いで姿を見せたダンを始めとした団員ら十数名程。
それでも個々の戦闘能力ははっきり言ってジーク達の方が上だった。二刀と拳、ジークと
ミアがよろめくその隙に間合いを取り直すと、ダンらに交ざる。
「さてと……。お前らも運が悪かったな。こっちも仕事なんだ……シメさせてもらうぜ?」
ダンがぶんと戦斧を一振るいし、野盗らに口上を。
「──やっちまいな!」
そして次の瞬間、そうダンがくわっと獣の眼を見開いて叫んだのを合図に、ジーク達は気
合の声を上げながら一斉に彼らへと飛び掛っていく。
「いやぁ、助かりました」
「お陰で商品も無事。ありがとうございました」
「いやいや。これぐらいどうって事ないっスよ」
手早く野盗らを退け、捕らえたのち、ジーク達は目的の隣町へと到着していた。
荷降ろしを始めている小間使いらの傍で、荷馬車の一団を率いていた商人らがダンらに礼
を述べている。
「……お父さん」
そうしていると、街に着いてから別行動を取っていたミアと数名の団員らが戻ってきた。
振り返る父らに彼女は淡々と言う。
「野盗たち、守備隊に引き渡してきた」
「おう。ご苦労さん」
ダンら本隊と合流して、ミアは心なし一息をついていたようだった。ぴくんと猫な獣耳が
揺れるのが見えた。
元々あまり感情を表に出さない娘だ。
だからこそ、普段から──特に仕事の時はその疲れを見極めてやらないと。
内心、ダンはそう父親らしい子煩悩を刺激される。
「お嬢ちゃんもありがとうな。強いんだねぇ」
「いえ……。とんでもないです」
「……」
商人達に小さく会釈しているその横顔を見遣りつつ、そこにダンは何度目とも知れぬ、今
は別れてしまった妻の面影を見る。
あなたが冒険者として“暴れている”ことが私には辛かった──。
離婚を切り出された時に、彼女の口から出た言葉だ。
一般人な妻には自分の存在が合わなかったのかもしれない。無理をして籍を入れてくれて
いたのかもしれない。
だからこそ、いざ彼女が自分の下を去ってしまうとなった時、娘が妻にではなく自分につ
いてくると言ってくれた時は正直驚いたものだった。
(一体何を思って、こいつは俺についてきてくれたんだろうかね……)
年頃というのもあるのだろうが、正直言って分からない事だらけだ。実の娘なのに。
それでも……と、ダンは密かに頬を緩ませていた。
少なくとも昔に比べれば、随分その無表情も改善されてきたように思う。
クランの皆、いやレナやステラという親友達の存在が大きいのだろう。
それに加えて、最近は妙に色付いて──。
(だ、駄目だぞ? 確かにアルスは悪い奴じゃねぇが。で、でも……)
ダンはぶるるっと小刻みに首を横に振っていた。
俺だって、ミアに料理作って貰った事なんてないのに……。
「……何してるの」
「おぁ!?」
完全に不意打ちになっていた。
思わず情けない声を漏らした父に、ミアは相変わらずの感情に乏しいジト目のまま僅かに
小首を傾げていた。
「ジークやマルタの姿が見えないけれど」
「ん? ああ……」
だが、そんな疑問も束の間。辺りを静かに見渡して訊ねてくる娘の言葉。
ダンは低頭にして去っていく商人らや、それを見送る団員らが見遣りながら、
「ギルドだよ。先に報告に行って貰ってるんだ」
気を取り直すように、苦笑混じりに笑ってそう答える。
「はい、確認致しました。クラン・ブルートバードですね。では今回の依頼書と依頼主から
のサインを提出下さい」
「ういッス」
七星連合のギルドは何もアウルベルツにだけではない。ある程度の規模の街には大抵置か
れている。
ジークはサフレ、マルタを連れて現地のギルドに顔を出していた。
窓口の男性職員に自身のレギオンカードやダンから預かってきた今回の依頼書類を渡し、
手続きを済ませる。
浮かび上がるディスプレイとそこに流れるデータ、そして手馴れた感じで職員とやり取り
をしているその姿を、サフレとマルタはやや後ろから見守っていた。
「……ジークさん、こなれてますね」
「それはそうだろう。僕らとは違って長くクラン所属でやってきたようだしね」
「な~に他人事みたいなこと言ってんだよ。お前らも早いとこ慣れて、クラン単位の手続き
を覚えて貰わねぇと。副団長が俺らに行って来いって言ったのはそういう意味なんだぜ?」
「そ、そうなんですか……?」
「分かっているさ。僕らもずっとフリーランスの頃のままで通すつもりはない」
ややあってジークは依頼の達成報告を終えて二人に振り返った。
その手には返却された自身のレギオンカードと、今回の依頼の領収書。
これでレギオンの事務局を通し、後日クランへと送金が行われる運びとなる筈だ。
「その意気だ。せいぜい戦力になって貰わねぇとな」
あくまで冷静に受け答えするサフレに、ジークはにっと荒削りな笑みを見せていた。
ガチャリと。腰に下げた六刀もそんな動きに合わせて触れ合う金属音を鳴らしている。
(……もしかすればとは思っていたんだが、並の野盗程度が相手ではどうやらあの時の再現
にはならないみたいだな……)
サフレは、そんな彼の愛刀に密かに視線を落として。
あの時自分が体験した彼の──いやこの刀型の魔導具の豹変ぶりを再び思い起こす。
「よう。終わったか」
だがそんな彼の思考も束の間。
そうしていると、ギルドにダンら仲間達が合流してきた。
「ええ、ちょうど今さっき。これ、領収書ッス」
「おう。ご苦労さん」
ジークは歩み寄って来た彼に領収書を手渡すと、周りの団員らと労をねぎらう。
ダンは受け取ったそれをざっと捲って確認すると、
「よし。じゃあ一旦ホームに戻るか。帰り支度始めろ~」
『ういッ~ス』
そう一同に撤収の指示を飛ばそうとする。
ちょうど、そんな時だった。
ふとラウンジ内に鳴ったのは、導話の着信音。
ジーク達を始め、周りの冒険者らの何割かがその音に反応して窓口の方へと目を遣り出す
中で、一人の職員がその応対に手を伸ばしていた。
「……はい。では暫くお待ち下さい。……すみません、この中にジーク・レノヴィンさんは
いらっしゃいませんか?」
「えっ? あ、はい。自分ッスけど」
そして数秒のやり取りの後、彼がラウンジの面々に呼びかけたのは、紛れもなくジークの
名だった。
当のジーク本人も驚いていたが、特に無視しないといけない理由もない。
周りが何事かと見遣ってくる視線をくぐり抜けて、ジークは名乗りを上げると窓口へと舞
い戻り、職員から受話筒を手渡される。
「もしもし?」
『もしもし、ジーク君かい? 私だけれども』
「ああ……ハロルドさん」
だが、少々怪訝気味だった第一声も、導話の向こうから聞こえてきた声で安堵していた。
紳士然とした物腰穏やかな声。それは間違いなくハロルドのそれで……。
「どうしたんですか、わざわざこっちに掛けてくるなんて」
「うん。別にホームに戻ってきてからでもよかったんだけどね。少しでも早く伝えておいた
た方がいいだろうと思って」
そっと眉根を細めたジーク。
そんな導話の向こう側の彼の表情が見えているかのように、ハロルドは酒場のカウンター
の中でフッと静かに受話筒越しに微笑むと言った。
「例の面会の件、返事が来たよ」