56-(2) 影にて語るは
「──以上が、今回の大都消失事件におけるレノヴィン兄弟と、クラン・ブルートバードの
動きになります」
時を前後して、リカルドは梟響の街内の教会にいた。例の如く、組織の上官であるエイテル
教皇及び枢機卿らに定期報告をする為だ。
『ふむ。報道で見聞きはしておったが……』
『中々どうして、波乱万丈な兄弟よのう』
魔導の光球か映す向こう側、クリシェンヌ教団本部では、先に送付した報告書に目を通す
枢機卿らの渋い表情が映されていた。
頁を捲り、眉間に皺。
クラン内部に入り、且つ実際に“結社”の軍勢と戦ったリカルドだからこそ書ける、生々
しい人々の混乱と恐怖、そして絶望から救い出された人々の嬉々がそこには在った。
『神官騎士リカルド。ご苦労様でした。貴方も“結社”からの襲撃の中、よくぞ生き残って
くれました』
「……。有り難きお言葉」
一見すれば聖母のようなエイテルの笑み。
だが対するリカルドは、あくまで生真面目そうに、そうくすりともせず軽く頭を垂れるだ
けだった。
世辞などどうでもいい。本音は諜報役が失われずに済んだ、といった所か。
教皇の玉座に在り、枢機卿らと二・三何か話している彼女。リカルドは暫し彼女らが次の
言葉を発するのを待った。
──大都消失事件。バベルロートで起きたあの一連の騒動は、巷でそう呼ばれている。
結社の目的は、やはり聖浄器だった。教団の読み通り、彼らはサミットに集った王達を
文字通り一網打尽にし、その身を人質に各国に迫ったのだった。
それでも此処梟響の街や打金の街、東方のトナン皇国や輝凪の街といった、本来その目的
には掠っていない筈の地域も今回の襲撃には含まれている。大方、レノヴィンの関係者に対
する報復──あわよくばそのまま壊滅をと目論んだのだろう。
(……あの信徒級の女、生け捕りにしておけばよかったな……)
確かに、守り抜くことはできた。だがそれだけである。
自分達は奪いに来た奴らから、一体何を奪い返せたのだろう?
『しかし驚きました。まさか七星連合の方から統務院に助け舟を出すなんて』
枢機卿らとのやり取りを切り上げ、エイテルが言う。声色からしてそれは本音か。
確かに一度は王達──統務院側の面子から警備に深く関わるのを拒まれたという裏事情が
実はあるだけに、あの加勢の報には驚き、そして実際心強かったものだ。
「あの状況では止むを得なかったと思います。或いは恩を売る為か。どちらにせよ、統務院
が自力に拘る態度をみせた時点で、彼らもああなる状況を想定していたのかもしれません。
聞く所によれば事件当時、七星“黒姫”が結界内にいたようです。ロゼッタ大統領に雇われ
ていた関係とはいえ、彼女ならば七星連合側の思惑をあそこに持ち込めた筈でしょうから」
うむ。エイテルの周りを固める枢機卿達が頷いていた。
事実そうだったのだろう。外側にいた自分では、当時の詳細を調べるには難儀するが、今
回の撃退は多くの幸運と奮戦、何より各々が事前に“結社”の襲来を切迫して想定していた
ことによるものだとリカルドは思っている。
「……」
少し、饒舌になった自分の唇を噛んだ。
素顔は見せない。彼女達には、少なくとも。
『七星といえば、そちらには“剣聖”が現れたようですね。報告書にもありますが、現在も
滞在しているとか』
「はい。最初は助太刀だけと思っていたのですが……どうやら逆のようです。彼はジーク皇
子らを待っているようでした。事実帰還の当日、彼は皇子達と会談の場をもっています」
『それも書いてあるな……。それで? 具体的には何の話を?』
「詳しくは自分にも。というより、どうやらまだ肝心の中身を話していないようなのです。
その時皇子達に同行した団員によると、まだ少し早い。今は休めと。ただ彼自身、皇子達が
特務軍に編入されることをよくは思っていないようですね」
『剣聖とは呼ばれても大叔父ですものね。心配なのは当然でしょう。彼の動向はまた次回、
報告に盛り込んでくれればそれで構いません。それよりも──』
やり取りは続いた。
一度はフッと微笑ってみせたエイテルだったが、すぐにその表情は厳かなものへと戻り、
今回の肝心・本題へと話題は移っていく。
『教団としても、既に先の一件で被った被害の全容把握に努めています。そちらは幸い無事
で済んだようですが、実際に“結社”の脅しに屈した──自国の王器について白状してしま
った国も確認されています。結界の外側でも、主力軍不在のまま彼らの軍勢に落とされた国
もあれば、そうでない国もあります』
「……」
流石は仕事が速い。そしてどれだけ公権力が口を噤んでも、こういう情報は何処かしこか
ら漏れてしまうのだなとリカルドは思った。
無傷ではないのだ。大都も然り、梟響の街も然り。
調べによれば事件当時、結界内で二名、殺害された王がいる。
一人は“結社”の魔人が化けていたリファス王、その本物。何処で入れ替わったのかは知
らないが、後日宿泊先の床下で遺体となって発見された。
もう一人はサンタフェル王。人質として囚われ、自国の王器が聖浄器でないと白状してし
まったがために「用済み」として見せしめも兼ねて殺されてしまったらしい。
『今後“結社”は今回の“選別”に基づき、更に聖浄器を奪い尽くそうとするのでしょう。
未だその肝心の理由は判然としませんが……。ただそれよりも今は、一つ気になっている事
があるのです』
「? と、言いますと?」
『英雄ハルヴェートです。知っての通り、大都は彼がかつて治めたゆかりの地。史料を紐解
いていく限り、彼の用いた聖浄器──“願望剣ディムスカリバー”はあの何処かに封じられ
た可能性が高い。奴らの目的が聖浄器ならば、狙わない筈がありません』
「なのに統務院は、そのような発表は一切していない、と……」
映像の向こうでエイテルが頷いていた。ふむ、とリカルドも顎に手を当てて考え込む。
言われてみればそうだ。すっかり失念していたが、有名どころ──十二聖のそれが世界に
はまだ在る(と思われる)。
統務院の事だ。まさか失態を隠す為に口を噤んでいるのか。それとも、単純に奴らが見落
としたとでもいうのか……?
「……それに関連するかは定かではありませんが、自分も幾つか気になる事が。一つは黒騎
士こと戦鬼が、レノヴィン兄弟らによって破壊され、その核として囚われていたコーダス・
レノヴィン氏が救出された件です。どうやら彼はこれよりも以前に事故で魔人化したようで、
本人の話では“結社”に囚われた事と直接的な関係はないとのことでした。ですが、今回
同じく捕らわれたという魔人──使徒級と併せ、統務院がどう処分するのか、気になります
ね。一人は一国の女皇の夫、一人は世界に仇為してきたテロリスト。トナン政府はまだ彼の
魔人化を公表していませんが、我々は教団所属の神官として、どう立ち振る舞えばいいの
かと」
『……同じヒトであれど、罪という点で区別する矛盾と人々から湧く憎悪、ですね。ええ。
その件は私も案じています。いち信仰者として、今回の一件が魔人への迫害に拍車を掛けな
ければいいのですが……』
『お、おい。リカルド』
『それで? 教皇様のご懸念とそれがどう繋がるというのだ?』
「……繋がりますよ。報告書にも追加したものと存じますが、どうやらそのコーダス氏が搬
送された病棟で、ジーク皇子とイセルナ・カートン、彼が西方で従えた機人兵の三名が
正義の盾のレヴェンガート長官及びピューネ副長官と秘密裏に会談したようなのです。彼ら
は統務院の警護責任者。相手も相手ですし、何も世間話をしに病院まで来た訳ではないで
しょう」
ざわっ……。枢機卿達が慌てて報告書の頁を捲っている様がつぶさに観察できた。
エイテルも、自身に差し出されたその頁に暫しじっと目を通し直している。
『……なるほど。確かにこれは何かあったとみるべきですね。それで、肝心の会談内容につ
いて分かったことは?」
「それが生憎。自分達も何度か彼らに探りを入れてみたのですが、明確な情報は掴めません
でした。ただ、他の殆どの団員達は会談の存在すら知らないようです。おそらくはレヴェン
ガート長官達の側から、強く釘を刺されているのではと」
『むぅ……。そうなるか』
『というか何だ、もったいぶって。結局肝心な所は分からずじまいではないか』
ぶつくさ。枢機卿達の視線が面倒臭い。
リカルドは静かに眉間に皺を寄せていた。そんなに簡単に漏れているなら、とうに相応の
ニュースになっているだろうよ……。
「少なくとも今回の大都消失事件に関し、統務院が握っている小さからぬ何が、彼らと交換
された可能性があります。願望剣についても、もしかすれば」
『そうですね……引き続き探ってみてください』
はい。リカルドは改めてそう静かにエイテルに低頭した。
気になっている事。実はまだ三つ目がある。
兄・ハロルドのことだ。彼はジーク達が“剣聖”と会った翌日、密かに一対一で彼と出会
っている。場所は奥の個室で、結局何を話したのかは掴めなかったが……帰って来たその兄
の様子が険しくなっていた事から、何かしら意見の相違があったとみて間違いはない。
『分かっているとは思いますが、私達はまだ何も“終えて”はいないのです。むしろこれか
らでしょう。聖浄器を狙う“結社”の攻勢は、これから更に激しさを増すと思われます。引
き続きレノヴィン兄弟と、クラン・ブルートバードを監視しなさい。特務軍にも加われば、
彼らは間違いなく“結社”との最前線に立つ筈です。その中から逸早く彼らの目的と、我々
が採るべき救済の一手を導き出すのです』
「……仰せのままに」
弟・アルス皇子は、学友らと暫しの夏休み。
兄・ジーク皇子は、クランへの復帰を契機に公務へも出始めるのだそうだ。
偽りなのである。
今この平穏は、来たる大きな嵐の目──束の間の安息でしかないのだという事を。