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ユーヴァンス叙事詩録-Renovin's Chronicle- 〔上〕  作者: 長岡壱月
Tale-54.団員達(かぞく)の帰還と廻る歯車(前編)
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54-(4) 分からぬもの、解るもの

 それはちょうど、父・コーダスが昏睡状態から目を覚ました頃だった。

 特別病棟の一角がにわかに慌しくなる。シノやセド、サジ達が駆けつけてきた医師や看護

婦らと忙しなく話すのを遠巻きにしながら、アルスはこっそりと病室を抜け出していた。

『いいの? 折角コーダスが目を覚ましたっていうのに』

『うん……。今はいっぱい話させてあげよう? 父さんがいなくなって苦しんでいたのは、

他でもない母さんだよ。セドさん達当時の仲間だよ。息子ぼくらはそれからでもいい。多分この後、

兄さん達も呼んで来ることになるんだろうし……』

『だろうねー。アルスがそう言うんなら、まぁいいんだけどさ?』

 ふよふよ。潔癖過ぎるような白ずくめの廊下に出て、静かに息をつきながら壁にもたれ掛

かった相棒に、エトナは小首を傾げていた。

 アルスは苦笑わらう。だがその言葉は、半分本当で半分は嘘だった。

 ……居た堪れなかったのである。目を覚ました父と、迷宮内で激闘を演じたあの狂気の黒

騎士が、同じ人物だということにアルスは内心激しい違和感と動揺を覚えていたのだった。

 解っていたつもりだ。父は結社やつらに洗脳されていたのだという事くらい。

 だが目覚めたあの場で、自分は確かに動揺した。胸の奥がぐしゃぐしゃっと皺まみれにな

るような、おそらく自責に類するであろう念を覚えた。

 ベッドの上で支え起こされた父の姿。痩せ細った身体と、あまりに穏やかな微笑。

 ……違い過ぎた。戦鬼ヴェルセークとして囚われていたそれまでとは、あまりにも。

 記憶と経験が、未だ目の前のさまについて来れないでいるのだろう。そうだと考えなけれ

ば、自分は内心父を怖れたことになる。もう大丈夫なのに、傷つけてしまいかねない態度を

漏らしていたかもしれない。

 だから母と共に抱き寄せられた後、幾つかの言葉を交わし、医師達が駆けつけて来た後、

こうして廊下に出た。一旦逃げた。このチグハグを、少しでも落ち着ける為に。

『大丈夫かなぁ? 病み上がりなのにあんな大挙して来ちゃって……』

 そんな隠した内心を知ってか知らずか、エトナは軽く地面から浮いたまま、ゆっくりと振

り子のように頭を揺らして病室の方を覗いている。

 そ、そうだね……。アルスは苦笑する。今度は安堵含みのそれだ。

 落ち着こう。とにかくこんな不謹慎なもやもやなんて、すぐにでも──。

『何だ? 妙に騒がしいな』

 ちょうど、そんな時だった。アルスが胸に手を当てて深呼吸を始めるや否や、廊下の向こ

う側からそう聞き慣れた兄の声が響いたのである。

『兄さん……。それにイセルナさん達も』

 アルスが、そしてエトナが耳を立ててその声をした方を見遣る。兄は向かいの、別に折れ

た側の通路から顔を出してきたようだ。

 見ればその姿は入院着。傍らにはイセルナと彼が手すり代わりにするオズが続いており、

加えて後ろにはスーツ姿だが見覚えのある顔──ダグラスとエレンツァの姿もある。

『ん? 何だ、アルスにエトナか。どうしたんだ、こんな所で』

『それはこっちの台詞だよ。ジーク達こそなんで特別病棟こっちにいる訳? あんた、全身くたくた

になって寝てたんじゃないの?』

『それに何で、えっと……レヴェンガート長官と、ピューネ副長官も?』

『はは。ダグラスで構わないですよ』

『アルス皇子ですね? 驚かせてすみません。実は院内を散歩していたジーク皇子と偶然出

会いまして。少し、お願いを聞いていただいていたのです』

『お願い……?』

 お互いに「何故?」を。だが疑問の投げっ放しでは埒が明かないので、先ずジーク側を代

表してエレンツァが口を開いた。

 構いませんでしょうか? そう眼差しを遣られたので、ダグラスがワンテンポ遅れて頷い

てみせる。

 衝撃的な出来事、機密性の高くなりそうな話だったとはいえ、相手はレノヴィン関係者、

それも実弟だ。彼もいずれ知ることになるだろう。それにまだ卵だとはいえ、優秀な魔導師

だとも聞く。

 ならばもしかしたら彼なりに、何か別視点の意見を出してくれるかもしれない……。

 大方、そんな思案だったのだろう。

『──ユヴァン・オースティン……』

『ああ。デュゴーっていう奴がそう言ってたんだ。俺達もいきなりそんな名前出されたもん

だから面食らったんだけど、あんな重症でつくような嘘じゃないしな』

『うん……』

 そして案の定、ざっと一通りの話を聞いたアルスとエトナは、それぞれに酷く驚いている

ようだった。

 少なからず眉間に皺を寄せ、アルスはじっと口元に握った手を当てて考え込んでいる。

 エトナも似た感じで彼の頭上で気難しく両腕を組んでいた。ジーク達もダグラスもエレン

ツァも、一度互いに顔を見合わせてから、誰からともなくそう彼からの反応を待つ。

『……ざっと考えてみたけど、可能性としては三つほどあるよね』

『お? 三つもか? 流石はアルス』

『そ、そんなに期待の眼差しを向けないでよ……普通だよ? 一つ目は、デュゴーさんの聞

き間違いや勘違いである可能性。だけど、さっきも兄さんが言ってたように、状況からして

ただの彼の思い込みで済ませるには楽観的過ぎる。二つ目はそのフードの男が、ユヴァンの

名を語る第三者である可能性だね。現実的には、これが一番あり得ると思う』

『だろうなあ。で? 三つ目は?』

『……他でもない、ユヴァン本人である可能性だよ。流石にこれは、僕の想像が過ぎるかな

とは思うけど』

 はにかみながら、そして神妙な面持ちに変わって。

 アルスは促してくる兄に、そう自身も半信半疑なように三つ目の可能性を述べた。

 当然、ジーク達は目を丸くする。後ろのダグラスとエレンツァも、その見解だけは頭にな

かったようで、思わず互いに顔を見合わせている。

『本人ってお前……。俺だって知ってるぞ? 十二聖は千年前の人間だろうが。千年も経て

竜族ドラグネスすらヨボヨボの爺さんだぞ? 計算が合わねぇじゃねーか』

『真っ当に寿命を迎えたら、ね。だけど兄さん達も知ってるでしょ? そういう種族の寿命

に関係なく生きていられる方法がある。……魔人メアと、神格種ヘヴンズだ』

 これにはエトナを含め、ジーク達もぐうの音も出ずにはいられなかった。

 一方で、当のアルスは淡々と語っている。さも自分が導き出した仮説の恐ろしさに、じっ

と耐え忍ぶかのように。

魔人メアは知っての通り余程のダメージがない限り不死身だし、神格種ヘヴンズに至っては自身の“信仰”

がある限り無尽蔵に復活できる。歴史上ユヴァンは、皇帝オディウスとの最終決戦の際に

刺し違えて死んだとされているけど、仮にそうじゃなくて何かしらの方法で生き延びてそう

いう身に変じていれば、今も生きている──デュゴーさんに本人だと名乗ったことにも辻褄

だけは合う。ただ、仮にそうだとしてもメリットが無いんだ。特に神格種ヘヴンズであれば、信仰は文字

通り生命線。わざわざ自ら表に出て、これまでの歴史的な信用を貶めるような真似をする

意味があるとは思えないんだけど……』

 故に、唖然としていた。

 ジーク達は、ぶつぶつと思考を捏ねて逸らしがちになるアルスの横顔に、やがて次いで掛

ける言葉を失って立ち尽くす。

 ダグラスはデュゴーの時以上に面食らい、目を瞬いていた。

 一方でエレンツァは静かに目を細め、いつの間にかちゃっかりとアルスの話を懐より取り

出した手帳に書き留めている。

『……ともかく』

 ぱんぱん。だがやがてその沈黙を解いたのはイセルナだった。

 それまでじっと彼を注視していた眼から一点。表情を解き、軽く手を打つ。

 弾かれたようにジーク達は我に返っていた。アルスもアルスで、つい真面目に考え込んで

答えてしまった自分に、にわかに尊敬の眼差しを向けられていることに気恥ずかしくなって

頬を染めている。

『現状、正体も立ち位置もはっきりしない以上、今すぐそのフードの男をどうにかしようと

焦らなくてもいいと思うわ。大体、皆戦いの後だもの。今は傷を癒して、次に備えることに

集中しましょう?』

『賛成デス。戦役ハ──モウ終ワッタノデスカラ』

『……そうだな。それにどのみち、先ずはおっさん達の管轄になるんだろうし』

 イセルナの、そして彼女に賛同して頷くオズを横目にジークは改めて深く息をついた。

 ついっと持ち上げた顎と眼差しをダグラスに。おそらく機密の類。彼も「おそらくは」と

短く答えていたが、事実フードの男当人の行方が分からない以上、その対処は必要性それ自

体も含めて後手後手にならざるを得ない。

『そういやアルス。お前ら何でこんなとこでぼーっとしてたんだ?』

『あ。うん、それなんだけどね……』

『さっきコーダスが目を覚ましたんだよ。今、医者や看護婦が大わらわになってるとこ』

『何ぃ?!』

 そして不意に質問の側がアルスへと渡り、エトナが言った。ジーク達は勿論、ダグラスや

エレンツァもその言葉には大層驚き、次の瞬間にはジークがアルスの肩を押してその後方へ

進もうとする。

『それもっと早く言えよ! っていうか此処にいたのか。俺達も顔出すぞ? いいな?』

『う、うん。大丈夫だと思うけど……あまり騒がしくは……』

 むんず、ずいずい。

 そうして謎多き話題はすっかり吹き飛んでしまい、ジークはアルス達を引っ張って、その

まま病室の中へと駆け込んでいく。


「──それじゃあ、そろそろ行くわね?」

 ホームの宿舎玄関にて、シノとコーダス、サジ以下皇国トナン側一行が支度を整えて集合して

いた。

 その対面には見送るアルス達。昼食と暫しの休息を挟み、これから彼女達は街の一角に確

保した宿へと移る手筈になっている。当面数日はこの梟響の街アウルベルツを滞在拠点とし、その間にサン

フェルノへの帰省も済ませてくるのだという。

「うん。気を付けてね」

「お力になれず申し訳ありません。流石に国賓クラスの皆さんの滞在は、うちの宿舎では手

狭でして……」

「ふふ。いいんですよ、お気にならず」

 クラン代表としてダンと共に並ぶイセルナに、シノはそう優しい笑みで応えた。

 その傍らには、車椅子のコーダス。二人を守るようにしてぐるりとサジら近衛隊の面々。

 相変わらず強くしなやかな人だ。イセルナは思う。またアルスも、先にリオを捜しに出掛

けてしまった兄らがまだ戻らないことから、母らに彼を引き合わせる──直接諸々の礼をし

たいと言っていた彼女の意向が叶えられそうにないなと思う。今日は無理でも、また後日村

から戻って来た時にでも引き合わせればいいだろうか。

「ジークにも、皆さんにもよろしくね? あの子ったら相変わらずつれないんだから……」

 そっと、反応する暇も与えぬ母のハグ。アルスは腰を落としたシノに抱き締められ、一瞬

頭の中が真っ白になった。

「……うん、大丈夫。あと兄さんは照れ屋さんだから……。ちゃんと母さん達のことも心配

してると思うよ?」

 そうね。ふふっと微笑わらい、シノはアルスから離れた。

 優しい温もりが残る。車椅子越しに、母と父が互いに見つめ合って仲睦まじくしている。

 程なくして、シノ達一行はホームを出発して行った。再び何台かの鋼車が、向かいの道に

ずらり用意されているのも見えた。

(……ユヴァン、か)

 分からない。正直今、自分の容量はいっぱいいっぱいだ。

 父をかどわかした組織の闇。古の英雄の名を語る、彼らに縁あるらしき者の存在。

 あの時は随分と滅茶苦茶な仮説を立ててみたが、世に云われることが常に“正しい”とは

限らない。……歴史的にも、個人的な経験でも。


 分からない。

 でも、少なくとも、自分が守りたいと思う人達はいる。

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