53-(6) その名に震える
姿をみせたこの日のダグラスとエレンツァは、軍服ではなく共にスーツ姿だった。
ジーク達は導話の為の間仕切りスペースから顔を覗かせ、受付窓口の女性スタッフと何や
らやり取りを交わしている二人を観る。
見舞いだろうか? 大都のインフラ全般が大ダメージを受けた今、彼らの関係者もこうし
た郊外の施設に運ばれている可能性はある。
程なくしてこの女性スタッフが、書類らしきファイルを持って戻ってきた。
何かしら照会をしているらしい。程なく彼女に促され、別途示された書面に、ダグラスが
さらさらとペンを走らせている。
「──あら? 貴方達は……」
そうしていると、何気なく辺りを見渡し始めたエレンツァに気付かれた。サインを記し終
えたダグラスも「おや?」とその視線に倣ってくる。
「……どうも」
流石に引っ込んでしまうのは失礼だと思った。周りの一般患者達が時折何事かと視線を投
げてくる中、ジーク達は彼らの下へと近付いていった。がたいのよい身体に窮屈そうにして
いるダグラスの、細身のすらりとした曲線美をそっと包むエレンツァの、それぞれのスーツ
姿がよく映えている。
「これはこれはブルートバードの皆さん。先の件では、ありがとうございました」
「……仕事ですから。もしかしてお二人も、誰かのお見舞いに?」
「ええ。まぁ」
「部下の面会謝絶が解かれましてね。見舞いがてら、色々と話を聞きに行こうかと」
「ほう? 随分と温情な長官さんだ」
心なしか、ダグラスの雰囲気が丸くなっている気がする。……いや、憔悴していると表現
すべきなのかもしれない。微笑こそ湛えていたが、彼のそれは全体的に痛々しかった。
それでも共に戦ってくれたと頭を下げかける彼に、イセルナはあくまで淡々と応じる。
訊ね返してその罪悪感を逸らさせしむ。副官は少し警戒したようだが、当のダグラスはそ
う素直に言って──やはり何処か辛そうだった。
ダンがスッと目を細めて皮肉っていた。彼としてはまだ、皇国政府滞在先での初対面時の
やり取りが記憶に残っているらしい。
「……長官」
その時だ。じっと冷静沈着に思案顔をしていたエレンツァが、そっとこの上司にある提案
をしようとしていた。ひそひそと耳元で何やら話している。対するダグラスは疲れを残す眼
であったが、どうやらその提案に異を唱えることはなかったようだ。
「あー、コホン。ここで顔を合わせたのも何かの縁です。もし宜しければ貴方達も同行して
くれませんか?」
「実はその部下というのは“結社”の魔人と交戦した者でして。以前より彼らと戦ってきた
貴方がたであれば、私達だけよりもより詳しい情報が分かるのではないかと」
エレンツァの提案にそっと首肯し、そう切り出してくる。後半は彼女が言葉を引き継ぎ、
これがただの社交辞令ではないことを仄めかす。
ジークが、面々が互いの顔を見合わせ、どうしたものかと考えた。
基本的には願ってもない提案だ。今後に活かす為にも、借りの一つにはできるだろう。
「……俺達なら構わないぜ。どうせこの先恩を売られっ放しになるんだしな」
「でもいいのですか? 怪我人の下に大勢押しかけてもご迷惑になるのでは……?」
「そう、ですね。では代表で二・三人、来てくださればよろしいかと。それくらいなら問題
ないでしょう。話はこちらで通しますので」
「ふむ……? じゃあイセルナ、お前行って来いよ。後はジークか。実際にドンパチやって
る回数はダントツだし」
「アノ、マーフィ殿。私モ構ワナイデショウカ? マスターハ未ダ、掴マルモノガナイト歩
行ガ覚束ナイデスノデ……」
話し合いの結果、ジークとイセルナ、そしてオズがダグラス達に随伴することになった。
再びエレンツァが受付スタッフに掛け合い、人数の割り増しを申告する。時間はそれほど
掛からなかった。ロングスカートを翻し、彼女が戻って来るのを待ってダグラスが言う。
「では行きましょうか。此処の奥です」
二人のその重い口が開かれたのは、そうして一般病棟を通り抜け、打ちっ放しの渡り廊下
に五人が出た直後のことだった。
「……これは病室に着く前に話しておくべきことなのですが、皆さんは志士聖堂をご存知で
すか?」
「シシセードー?」
「はい。大都にある、解放軍決起の跡地ですね。こちらに来た時、運転手さんにお話を聞き
ました。今では十二聖ゆかりの小さな博物館になっているとか」
「ええ。そうです」
人気がぐんと皆無になったことでようやくといった所なのだろう。ダグラスがエレンツァ
をすぐ後ろに従えながらそう話し始めていた。つまり、あまり大勢には聞かれたくない話、
という訳か。
「実は件の部下というのは……今回その志士聖堂の警備を担当していて、戦いに巻き込まれ
た者なのです」
ジークが眉根を、イセルナが目を細め、彼の横顔を見遣った。
がっしりとした体格、堀の深い顔立ち。されどその纏う雰囲気は悲痛に類する念を多分に
含んでいる。
「聖堂の警備? 魔人ども、そんな所にちょっかい出してたのか」
「はい。ですので私達も、当所の危険度は若干低めに見積もっておりました。事件当時聖堂
の警備に当たっていたのは、デニス・デュゴーとミッケラン・スタンロイ両大佐を指揮官と
する一個大隊一千名。連隊は割き過ぎではと幹部達から指摘があり、見積もりの件もあって
兵力を絞った形ではありましたが」
「……それで、その彼らはどうなったんですか」
「全滅です」
「えっ」
「全滅、しました。たった三人の侵入者によって瞬く間に半壊、そして一人残らず重傷を。
交戦の中でスタンロイ大佐は殉死。私達の下に伝わったこの概要も、発見当時辛うじて生き
残っていた──今はもう息を引き取ったいち兵卒からの報告が元になっています」
ジーク達は驚きの余り押し黙った。そして何故自分達が呼ばれたのか、正副長官が自ら訪
問したのかをようやく理解するに至った。
三人は互いに顔を見合わせる。無言のまま、ブルートもイセルナの肩に顕現してきた。
四人になり、全身に緊張が走る。
魔人達は、一体何の為に……?
「目的自体は、おそらくはっきりしています」
辛いのだろう。ダグラスは歩みながらも、ぎゅっと一度目を閉じて痛みを堪えながら言葉
を継いだ。
真っ直ぐに藍と灰色が掛かる建物に延びていく渡り廊下。
辺りはしんと、不自然なほどに周囲の人気から切り離されているかのようだ。
「志士聖堂にはかねてよりある話が伝わっていました。──『願望剣ディムスカリバー』。
十二聖の長・英雄ハルヴェートが使ったとされる聖浄器です。あそこには、戦後その宝剣が
封印されたと伝えられているのです」
「尤もそれは口伝でしかなかったのですが。実際ここ数百年、実物を発見した者はおらず、
そもそも最深部へと続く封印すら、我々には解く術がなかった……」
代わる代わるに語る二人。そしてつまりそれは、遠回しに今回、その封印が解かれてしま
ったことを意味する。
「大都解放後、別隊が連絡の途絶えた彼らの捜索を行いました。そしてそこに広がっていた
のは、死屍累々と築かれた大隊の兵らの亡骸と、最深部への封印が解かれもぬけの殻になっ
ていた聖堂の姿でした」
ジーク達はごくりと息を呑む。自分達が必死になって奴らと戦っている間に、そんなこと
があったなんて。
ダグラスの横顔、間違いなくその所為で憔悴したさまを見る。
自分達は“勝利”したんじゃない。もしかしたら──。
「お待ちしておりました。レヴェンガート長官」
と、藍と灰色のもう一つの建物(特別病棟と言うそうだ)の玄関で出迎えるスタッフらし
き礼装の男性がいた。話はそこで一旦途切れ、彼に案内されて早速治療を受けている件の部
下とやらの病室へと足を運ぶ。
「ではごゆっくり」
恭しく礼をして、このスタッフは何処かへ去ってしまった。代わりに点々と並ぶ病室の前
には、警棒を下げた自前の警備員らしき者達の姿がみえる。
「私だ。ダグラスだ。……入るぞ」
その警備員らにエレンツァが取り出した許可証を提示すると、一行は目的の病室内へと入
って行く。
ガタンと物音がした。こちらに気付いて当の本人が動いた音だ。
だがそれよりもジーク達は驚愕する。絶句する。
「長官……なのですか?」
何故ならそのベッドの上の男は、両目を含めた全身を血汚れ滲む包帯でぐるぐる巻きにさ
えており、両手と右脚が明らかに下から半分、無くなっていたのだから。
「……デュゴー」
驚いたのは、ダグラスも同じだったらしい。彼は驚愕に目を丸くし、エレンツァも眉間に
深く皺を寄せて厳しい表情を浮かべていた。
ぱくぱく。この部下、デュゴーはもう見ることすらできない上官らに向き合おうとする。
だがそれは他ならぬダグラス自身が止めた。無理はしなくていい。寝ていなさい。彼は動
揺していたが、努めて思いやってくれるこの上官の言葉に、程なくして再びベッドの上の人
となる。
「話は聞いていたが……ここまでの重症とは。すまない、私の判断ミスで……」
「……いえ。自分こそ任務を全うできず申し訳ありません。あの、お聞きしますが、スタン
ロイは?」
どちらが上が分からぬほどに頭を下げようとするダグラスに、デュゴーが問う。
ビクン。彼と、エレンツァの動きが止まった。それで察したのだろう。目こそ見えないが
デュゴーが暫しの沈黙の後「……そうですか。やはり、もう」と呟くだけで、これ以降相棒
に関しての質問はしなかった。
「本当にすまない……。それで、だな。無茶を承知の上で訊きたいんだが、話してくれない
か? 一体事件の最中、お前達の側で何があったのか」
刺すような辛さを必死に堪え、やがてダグラスは訊ねる。
本題だった。それまでやや離れて傍観しているしかなかったジーク達も、いよいよといっ
た様子で気持ち身を乗り出す。
「そうですね……。時刻は、分かりかねます。少なくとも王達が囚われた、その情報がこち
らにも伝わった後の事でした。我々は何とか他の友軍と合流し、救出戦に参加できないもの
かと、それまでは本来の任務である聖堂の警備を続けようと動いていました。しかし」
「しかし、何だ?」
「突如、二人の魔人が現れたのです。白髪で黒コートの剣士と、手槍・手斧を使う竜族の
戦士でした。我々は必死に応戦したのですが、奴らの圧倒的な強さの前に為す術もなく……」
「白髪の……。ジーヴァ、かしら?」
「多分そうッスね。もう一人はヴァハロって奴でしょう。南方で一回やり合った相手です」
語られるその情報に、ジークとイセルナ、そしてオズにブルートが互いに顔を寄せて確認
を取り合っていた。
そうか。だからあいつらは俺が突入した時、遅れてやって来たんだ──。
今更になって辻褄が合う。あの二人は、始めから志士聖堂を襲うよう命令されていたので
はないか? 握ったジークの拳が、ぎりぎりと後悔と憤りで強く強く軋み始める。
「? 待ってください。今二人と言いましたね? もう一人はどうしたのです? こちらが
受け取った報告には、侵入者は三人とありました。貴方は見てはいないのですか?」
だがエレンツァが抱き、続けた問いは、そんな一同の困惑を更に深めることになる。
カァ……。デュゴーがその口から深く息を吐き出していた。心なしか、その身体が悪寒で
も覚えたように震え始めているような気がする。
「そう、です。確かにいました。三人目の……男。芥子色のフードを被った魔導使いです。
あいつだ。あいつが、俺達を、滅茶苦茶に──ぁ、あぁァァァーッ!!」
次の瞬間だった。突然、デュゴーが狂ったように叫び出したのだ。
何だ?! 思わずダグラスやエレンツァ、ジーク達も一緒になって、暴れ始める彼を取り
押さえに掛かる。
「落ち着け! 何があったかは知らないが、そいつはもう此処にはいない。何あったんだ?
落ち着いて、話してくれるか?」
「……。はっ、はい……」
デュゴーが正気を取り戻すには少し時間が必要だった。あまりの声に近くの警備員らも駆
け付けてきたが、話の機密性が機密性だけに、自分達で何とかなるから大丈夫とやんわり追
い返すしかなかった。
やがてデュゴーが大人しくなる。包帯越しにもその溢れ出た脂汗がはっきりと分かる。
よほどのトラウマだったのだろう。エレンツァが棚から取り出したタオルでその汗を拭っ
てやりながら、ダグラスがゆっくりと落ち着かせるように改めて訊ねる。
「自分も、あいつが何者かは分かりません。ただ先の魔人二名は、あの男をとても畏怖して
いるように見えました。実際、奴の強さは尋常じゃなかった。魔導です。数え切れない程の
魔導を一度に、あいつは詠唱もなしに操ってみせて……。それで、生き残っていた自分や
部下達は、一人残らず……」
ダグラスとエレンツァがお互いの顔を見合わせる。そしてジーク達の方へと視線を向けて
きた。勿論、知らない。ジーク達もジーク達で、ふるふると首を横に振るだけだ。何が何だ
か分からない。
「魔導師か……。もしかして志士聖堂がもぬけの殻になっていたのはそいつの入れ知恵か。
デュゴー、お前は倒されて知らなかったかもしれないが、お前達を見つけた時、聖堂の深部
に掛けられていた封印がことごとく解かれていたんだ。封印の存在は、実際に任務に当たっ
たお前達を含め、ごく僅かな者しか知らない。状況的にそれを奴らはあっさりと解いて立ち
去ったことになる」
デュゴーが静かに肩で息を整えている。そう彼に語るダグラスに、ジークは黙して眉間に
皺を寄せていた。
(……あの時と似てる。斬華と一緒だ。トナンの聖浄器も、奴らは知っててアズサ皇は知ら
なかった……)
そしてその推測はあながち間違ってはいなかったのだろう。ちらと目を遣れば傍らのイセ
ルナやブルートも同じく気難しい思案顔をしていた。視線を返してきて小さく頷くのを見る
に、二人とも自分と同じことを考えているらしい。
「一体、何者なんだ……」
「──ッ! 長官」
「? どうした?」
「思い出しました。自分が倒れる直前のことではあったのですが、私は奴に訊ねたのです。
お前は一体、何者だと」
デュゴーがはたと弾かれたように言う。ダグラスは勿論、ジーク達全員が思わず彼の周り
を囲んで身を乗り出していた。
「奴は、確かに答えました。フードの下で笑ってから私に言ったのです。『僕はユヴァン。
ユヴァン・オースティンさ』と……」
『──』
故に固まる。魂すら震えるほどに、驚愕する。
あまりにも有名だったからだ。何故なら、この世界に生きる者なら、誰しもが一度は耳に
したことのある名前だったからだ。
ユヴァン・オースティン。
それはかの志士十二聖の一人“精霊王ユヴァン”と、全く同じ名前だったのだから。
《三界の統治構編:了》