53-(2) 侯爵家の父子(おやこ)
サミットが終わっても政治は続く。むしろ事はこれからなのだ。
第四隔壁区内に移された、各国代表団の滞在先。そして東の盟主・レスズ都市連合のそれ
も、勿論この中に在った。
「──そうか“海皇”殿の部下達が街を……。これは、一度礼の宴でも開かねばならんな」
この日、サウルは宛がわれた執務室で導話を取っていた。
相手先は輝凪の街──自らが領主として治める街の、留守番組の官吏。
導話越しに彼は確認を取っていた。都市連合の各地を含め、今回世界中で“七星”とその
配下の傭兵達が“結社”の襲撃から人々を守ってくれたのだという。
輝凪の街もその一例だった。現地に残っていた官吏・守備隊長らの話を聞くに、どうやら
“海皇”シャルロット傘下の傭兵達が加勢してくれたのだそうだ。
サウルは内心ほっと胸を撫で下ろしていた。遠く故郷を思う眼をし、そう冗談混じりに半
ば本気で呟く。
「ともあれ、安心したよ。私達も、こちらでの雑務が終わればできるだけ早く帰国しようと
思う。そちらは引き続き事後処理を進めてくれ。特に領民の被害把握と補償用予算の策定を
優先に──ああ。そうだな。頼む」
そうして幾つか、現地の部下達からの報告と彼らへの指示をし、サウルは導話を切った。
受話筒を導話器の本体にカシャンと収め、部屋の中がまたしんと静かになる。
急ごしらえで設けられた室内、デスクの上には書類の山。遠くから耳に届いてくるのは、
急ピッチで復旧作業に当たる、第三隔壁以内の人々の労働の音か。
サウルは改めでデスクに腰掛けた。立てかけてあったペンを手に取る。
さて、こちらも残る仕事を片付けてしまわないとな……。
「……?」
ちょうど、そんな時だったのだ。不意にコンコンと、部屋の扉をノックする音が聞こえて
きたのだ。
ついっとサウルは顔を上げる。誰だろう?
今回随伴してきた官吏なら「侯爵」の呼び掛け一つあってもおかしくないのだが、扉の向
こうの主は黙ったままだ。
警備の者はどうした? まさか侵入者か?
そう思考が過ぎり、にわかに全身に緊張を走らせサウルだが──その警戒は結論から言う
と杞憂であった。
「……」
息子だった。キィと扉が開けられ、そこに彼と従者たるマルタが姿をみせたのである。彼
は肩肘を入り口の枠に当ててじっとこちらを見ていた。そんな主に、やや後ろで立つマルタ
はおろおろと苦笑しつつも、ぺこりとこちらにお辞儀も寄越してくる。
「驚いた……お前から顔をみせるなんてな。いいのか? 病み上がりでは」
「お陰さまで殆ど治ったさ。むしろその言葉、そっくりそのまま返すよ」
「仕事は待ってくれないんでね。身体が動くのなら捌いていかなければ」
案の定、というべきか。父子が交わす言葉と雰囲気はぴりぴりとしていた。
やっぱりぃ……。マルタがサフレの傍で心配げに、されど直接彼を窘める勇気も持てず、
はらはらしながらこのやり取りを見守っている。
サフレは入り口付近で肩肘を預けたまま、動かなかった。
サウルも言葉を返すには返すだけで、書類の山に向かっていた。
しんと暫く、糸を張ったような時間だけが流れる。
「……馬鹿だな。無茶して倒れたら、困る人間を大勢抱えている身だろうに」
だがそんな沈黙を破ったのは、サフレだった。スッと目を細め、そう遠回しに非難するよ
うな言葉を向ける。
それでも、耳に届くその声色こそは……先程に比べればずっと剣呑さを潜めているように
聞こえるのは、気のせいだろうか。
『サウルさんは、サフレさんが思っているような悪い人じゃないんです! もう一度ちゃん
と話し合ってください。お願いします!』
先日の、アルスと出くわした時に懇願された時のことをサフレは思い出す。
本当なのだろうか。彼が話したことが本当なら、僕は──。
「アルスから聞いたよ。トナン内乱の時、彼があんたと輝凪の街で会った時、何があった
のか。母さんのことも、一通り」
「……」
ピタリ。ペンを走らせていたサウルの手が止まった。
だがそれでも強情なのか。彼はややあって再びデスクワークを続け始めると、その格好の
ままで応じる。
「どうして、本当の事を話してくれなかった?」
「……アイナの事をちゃんとみてやれなかったのは事実だ。お前に恨まれても仕方ないこと
だと思っている」
刹那、サフレの眉間に深く皺が寄った。ギリリッとその拳が握り締められるのが分かる。
おろおろ。マルタが両者を何度も見比べながら、涙目になりそうになっていた。
もう一度話し合おう。それはやっぱり、無理なことだったのか──。
「……ったく」
だが次の瞬間、サフレが放ったのは怒声ではなかった。嘆息。それも憤りを込めるという
よりは苦笑にも似ていて、何処かフッと、それまでの剣呑さが抜けたような感じがして。
「一人で抱え込むんじゃないよ。そうやって自分を削ってまで尽くし続けるようなバカは、
あいつだけで充分だ」
サウルがついっと、少なからず目を丸くしたように顔を上げていた。
相変わらずの無愛想面。だけどもサフレの声色にはもう本気の棘がみられない。
もう一度、嘆息。
あいつのようなバカ──。その言葉が指す人物は、お互い言葉を交わすまでもなく。
「……もっと自分を大切にしろ。僕に、政務の経験もなしに跡を継がせるなんて嫌だぞ」
先に動いたのはまたもやサフレだった。くるりと踵を返し、ぽかんとしているマルタにも
構わずそのまま背中を向けた状態で言い放ち、場を後にしようとする。
「サフレ……」
そんな息子の意図に、感情的なままで気付かないほどサウルも愚鈍ではない。
がたんとデスクに両手をつき、彼は思わず立ち上がっていた。
お前は、まさか。許して……くれるのか?
息子は語る。背中で語る。ちらりと、最後に肩越しに視線を遣ってからサフレは言う。
「闘っているのは、僕達だって同じだろう?」
立ち去って行く。首に巻いたスカーフがふぁさっと、尾を引きながら流れていく。
和解したらしかった。マルタはそんなにわかなやり取りにじわじわっと目を丸くして、我
が事のように嬉しそうに笑うと、主に代わり「し、失礼します。旦那さま」とぺこりとお辞
儀をしてからその後を追って行く。
「……」
無言の安堵。解けたような吐息。
そしてデスク越しに立ち惚けたまま暫く、サウルは震える身体とその顔面に、くしゃっと
片掌を押し当てる。