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ユーヴァンス叙事詩録-Renovin's Chronicle- 〔上〕  作者: 長岡壱月
Tale-7.ヒトとセカイの理
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7-(3) 真実の居場所

 常識というものは、しばしば時代の流れや新たな発見によって覆される。

(あった。これだ……)

 時刻は午後の夕暮れの少し前。

 アルスは学院の図書館に足を運び、ある文献を探していた。

 多くが埃を被った本棚の山の中、ようやく目的のそれを見つけてアルスは人気も疎らな館

内の一角の席に着き、その分厚い冊子を広げる。

 その表紙には『新聖暦七八五年度・アカデミアレポーツ』の文字。

 もう二百年近く前の論文集であったが、流石はアカデミアの関連機関だった。館内にはこ

れまでに発行されたレポーツの大半が所蔵されていた。

(七十三号、七十三号……あった)

 そしてアルスが目次を一瞥し、少しもたつきながら捲っていったページにはこう題された

論文が載せられていた。

『瘴気の存在理由と魔流ストリーム循環に関する研究報告』

 通称・七十三号論文。

 今から二百年以上も前、アカデミアレポーツにて掲載された論文である。

 この論文が一躍人々の話題を掻っ攫ったのは、その内容にあった。

 ──魔獣は、世界にとって必要不可欠な存在である。

 その論旨をざっくりと説明するならばそんな所であるのだろう。それまで魔獣を忌避の念

を込めて“悪”としてきた社会に対し、論文の発表者たるライルフェルド博士は膨大な調査

データと論理的思考を展開し、その再解釈を成功させたのだ。

 これは魔導師にとっては今や常識になっているのだが……瘴気が生じる理由は、魔導その

ものにあると言ってもいい。

 即ち、魔導の行使が精霊の起こす奇蹟(現象)をより多くし、結果としてマナのより多く

の消費──その劣化、瘴気発生のリスクを高めているという指摘である。

 だがそれはあくまで“過剰に使われた場合”の話だ。

 だからこそ、魔導を実利実益に積極的に転用していく事に対して批判をする者達も多い。

 七十三号論文は、ある意味でそんな今の時代の傾向を予見していたのではないか。アルス

は個人的にそう思っていた。

 何故魔獣が存在するのか? それはアルス自身にとっても長く疑問であって。

 そして多くの文献を探し求めては読み漁った中で出会ったのが、この有名な論文だった。

 曰く、魔獣とは瘴気を自身の中に抱え込むことにより、一時的に世界のマナの総量に対す

る瘴気の割合を減らす作用を担っているのだという。つまり自然の自浄能力──マナの総量

自体が瘴気を中和していくプロセスを補助しているというのだ。

 実際、瘴気が発生しても全てがヒトに害を及ぼすレベルにはならない。

 そこには自然の自浄作用が──魔獣の存在が、人々を生き物達をそのエリアから追い払う

といった作用が働いているとも考える事ができる。

 そうした科学的・論理的な理由を、博士は見事に証明してみせたのである。

 しかし……結論から言うと、それが悲劇の始まりだった。

 論理的な説得力、正論は劇薬となった。

 それまで魔獣を絶対的に悪としていた各種信仰の徒、魔獣を狩る事をある意味存在意義と

していたレギオン、そして何よりも今まで信じていた「常識」を否定された民衆からの猛烈

な抗議が各地で巻き起こったのである。

 当時の記録を見る限り、その様相はまさに喧々諤々であったらしい。

 画期的な発見・論文だと賞賛する真理を求める学者達と、これまで培ってきた伝統や常識

を穢されたと錯覚し怒り狂う(主に守旧派の)市民達。

 各地で博士とアカデミアに対するデモが続き、少なからぬ者達が暴徒と化した。

 アカデミアは勿論、各国政府も鎮静化に力を尽くしたが“劇薬”に怒り狂った人々の怒涛の

パワーはそんな権力者らでも止められなかった。

 そして、そんな中で悲劇は起きる。

 人々の反発にも屈せず説明と説得に奔走していた博士らが、公衆の面前に突如として現れ

た一人の青年の自爆テロによって帰らぬ人となってしまったのだ。

 世間は大いにざわついた。すぐに調査が行われたが、当の青年は勿論即死。代わりに彼の

自宅から見つかったのは「信仰を穢す不届き者に、神の鉄槌を」と書き記された青年直筆の

遺書──いや、犯行声明文。

 だが、皮肉にもこの一件が互いの激突を収拾させる切欠になっていった。

 言い過ぎれば、自分もああなるかもしれない……。

 そんな自己保身の念が人々に自粛の方向へと走らせたのである。

 かくして、このアカデミア史上最悪の不祥事──真理の敗北、通称「七十三号論文事件」

は一先ずの幕を降ろした。

 虚実が、人々が心地よいと思う虚実が、真実を叩き伏せたのである。

 それでも尚、今もまだこの論説に対する見解は人々によって大きく分かれている。

 後世、多くの学者がこの学説を再検証し間違いないと発表し続ける一方で、自分達の教義

に反するものとして頑なに認めない信仰勢力も多く残存している。

 魔獣に対する、魔人に対する敵意と偏見は……今も根強く人々に植え付けられている。

「…………」

 それでも、アルスには大きな影響を与えた論文だった。

 根本的なセカイのシステム。だが、それまでただ魔獣を憎み撲滅する事ばかりを考えてい

た頃とは違い、何とか共存していけないか──自然の自浄能力だけではなく、瘴気を生み出

す一端となっている自分達ヒト自身が、それらを浄化する術を生み出してゆくべきではない

のかと考えるようになった。

 そしてそれは、やがてアルスの夢にもなった。

 瘴気は、魔獣は、根本的に消滅させる事はできないだろう。

 生命に不可欠なマナの一部たる瘴気が消滅してゆけば、いずれマナ自体も減ってしまう。

 魔獣は確かに人命を奪うかもしれないが、その存在がより大きな被害を抑えている。

 だからこそ、自分の魔導はそんな瘴気を浄化する為に──そして人々を救う為の力として

究めていきたいと思った。

 幼い頃より、自分には見えていたマナの流れ。精霊達の姿。

 この豊かな世界を、悲しみに満ち溢れたものにだけは、したくない。

(でも。ブレア先生は……)

 論文を読み直しあの日の想いを掘り起こしても、アルスの脳裏にはブレアから告げられた

条件が蘇る。

 エトナを捨てろ。自分の夢の為に、大切なパートナーを。

「……アルス」

 迷いは隠し切れずに伝わっていたのだろう。いや当人だからこそ分かっていたのだろう。

 彼女はふよふよと漂いながら、哀しく心配そうな声色と表情かおを投げ掛けてくる。

 アルスは冊子から顔を上げ、微笑み返してみせた。

 しかし、その表情はやはり辛そうだった。無理をした微笑だった。

「ねぇ。エトナは……」

「う、うん」

「……。いや、何でもない」

 訊こうとしたが、結局止めてしまった。

 もう何年もの付き合いだ。契約によって結びついた相棒同士だ。お互い今、ブレアの言葉

を受けて何を思っているかくらい、容易に想像できている筈だった。

 だからこそ、口に出す事が憚られた。

 エトナ。君を守る為に、契約を解きたい──。

 そんな事言えば、彼女は拒むだろう。もしかしたら泣かせてしまうかもしれない。

「……帰ろっか」

 今日も、決断できなかった。

 アルスは冊子をパタンと閉じると、静かに言う。

 辺りはすっかり茜色に染められていた。

 学院に残っている生徒も徐々に減り始めている。夜間の講義もあるが、兄が心配してくる

展開が予想できていたので、よほど予定が詰まっていない限りは夕方までに済ませるように

している。

 ぼんやりと陰鬱な気分。

「よっ、アルス」

「兄さん……? それにサフレさんにマルタさんも」

「やあ」「お迎えに上がりました~」

 だが正門へとやって来ると、そこには兄と、先日新たにクランの一員となった二人が自分

達を待っていたのだった。

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