52-(2) 反転の刻(とき)
「──らぁッ!!」
迷宮の外、大都第三隔壁外周。
逃げおおせんとする王達や大都の市民らに一矢報いる為、結界の外へと先行したバトナス
ら三人であったが、奇しくも時を同じくして現れたヨゼフ率いる七星連合精鋭部隊によって
場は両者交戦の舞台と化していた。
大慌てで避難を続行する人々。レジーナやエリウッド、イヨらに抱かれながら、危険を承
知でその誘導に協力し、時折交戦のさまを見遣っているシノ。そしてそんな彼女達を、文字
通り人間の盾となってずらり並んだレギオンの戦士達がガードする。
「ふん……」
明らかに老齢の域である。
しかしこのヨゼフの矛捌きは、結社の魔人であるバトナスの怒涛の攻撃を次々にいなして
は押し返していた。
すっかり魔獣化を施し、異様なまでに隆々となったバトナスの両腕。
その霞むような速さの拳の群れを、彼は矛先で柄で受け流し、全身のオーラを得物に伝わ
せると一閃。かわそうと身を捻った彼の二の腕をいとも容易く抉る。肉片が飛ぶ。
「畜生!」
一方で、ヘイトとアヴリルはもう一人の相手に苦戦を強いられていた。
コーネリアス。山羊の獣人のような姿をしたヨゼフの持ち霊である。
二刀の曲剣を握った彼は、ヘイトが放つ、うねりながら襲い掛かるストリームの錨らを電
撃の奔流を伴う高速移動で次々とかわし、何度目となくその懐へと切っ先を突き立てようと
する。
ずしゃり。引き寄せたストリームの錨らを盾にするよりも早く、蟲型の魔獣達が文字通り
肉壁となってこれを庇った。
どうと紫の血を散らしながら崩れ落ちる身体。コーネリアスはぼうっと薄暗く光る双眸だ
けを向けたが、それに特に気を留めることなく刀身を引き抜き、その間にヘイトはちっと舌
打ちをしながら後ろに跳んで距離を取り直す。
「あんたに近接戦闘は向かないよ?」
「分かってる。……そんなことは、僕が一番知ってる」
着地した背後にはアヴリル。彼女は両腕の包帯を解き、そう背中合わせで言葉を交わす間
も蟲型の魔獣達を生み出していた。
しかしずらり、彼女(と彼)を囲むのは……レギオン精鋭兵。並の戦士ならとうに食い殺
されている算段なのだが、やはり総長自ら連れてきた戦士達だけあって中々どうしてしぶと
く、剣に銃にとその照準を向けられ、包囲されつつある。
(……面倒だな。しっかり自分達が囮になって連中を逃がそうとしてやがる)
舌打ち。ぐちゅぐちゅと自己再生していく抉られ痕にちらと目を落としながら、バトナス
は思案していた。
正面はかつて“獄主”と呼ばれた傭兵。後ろは奴の持ち霊と部下達がアヴリルとヘイトを
追い込もうとしている。
過去実際に七星になった訳ではないが、確か現役の頃は何度かその候補に挙げられたこと
もある男だ。厄介な状況になった。柄にもなく「浅慮」の二文字が頭を過ぎる。
「……ふむ?」
両者互いに距離を取る。ザザッと両脚で地面を引き摺り、ヨゼフとバトナスは長矛と拳を
構えて対峙する。
何か考えていそうな眼差しだった。
事実それは間違いではなかったらしい。ついっとバトナスが片眉を上げるとほぼ同時、彼
はくるくると矛を手で弄びながら訊ねてくる。
「お主“色持ち”ではないのか? 無論皆が皆というものではないのは承知じゃが、使徒の
一角であるお前さんが“ただの魔獣人”という訳でもあるまい。或いは持っていても、相応
のリスクを伴う能力か」
「……」
だがバトナスは答えなかった。黙したまま力を込め、更に身体の随所を魔獣化させて襲い
掛かろうとする。
ヨゼフは小さくため息をついたようだった。何故なら、彼のそれは無言の肯定に他ならな
いからである。
地面を蹴って飛び込んで来る相手。更に後ろで自身の持ち霊と戦っている残り二人。
スッ……。足元に片掌を向け、次の瞬間、ヨゼフは叫ぶ。
「コーネリアス!」
厳としてその声が響いた。当のコーネリアスは勿論、バトナス達もまたこれに反応する。
だが実際に起こしたその行動は、両者で全く違っていた。
先ずコーネリアスは、その自慢の高速移動でヘイト・アヴリルの背後に回ると奔流を纏っ
た強烈な一閃。直撃こそしなかったが、結果二人は思わず後ろへ──バトナスの方へと飛び
ずさるしかない。なのに一方で、彼女達を囲もうとしていた精鋭兵らは同時、それとは逆に
飛び退いていたのだった。
──何か仕掛ける気だ!?
しかし、そうバトナスら三人が気付いた時にはもう遅かったのだ。
彼ら三人がおおよそ一塊、自分の正面に位置したのを見計らい、ヨゼフはかざしたその掌
から一気にオーラを開放、空気を弾き飛ばさん勢いで大きなドーム状の力場を形成する。
「……ッ!」
さりとて、急には止まれなかった。
既に振り出し始めていたその拳、刹那目の前でずらりと多重に展開していく文様付きの障
壁群。
バトナスは殴るしかなかった。まるで始めからそう決められていたかのように、この文様
付きの、ヨゼフを護る壁のように並ぶ障壁に拳を叩きつけ──そしてまるで放電を浴びたか
のように弾き飛ばされる。
「バトナス!」
「ちょっ……!? え? 何これ」
驚いたのはヘイトとアヴリルも同じだった。
見渡せば周りはぐるり半球の力場の中。そしてその境目全面に、自分達のすぐ近くに、先
ほどの文様付きの障壁が波打ちながら漂っている。……いや、囲い込もうとしている。
「……なるほどな。それで“獄主”って訳か」
じんと痺れた拳に息を吹きかけつつ、バトナスは体勢を立て直していた。
アヴリル・ヘイトと背中合わせで立ち、このドームのさまを観る。
どうやらこれがヨゼフ・ライネルトの“色装”らしい。力場内に反射性を与え、敵を閉じ
込めて逃がさない──まさに《檻》だ。
これでは前にも後ろにも飛び出すことは難しいだろう。逃げ惑う市民らを自分達と隔てる
という意味でも、これほどおあつらえ向きな能力は中々あるまい。
前方にはそのヨゼフ、アヴリル達の側からはコーネリアス。
二人がじりっと、互いに隙なくこちらを窺っている。
「ロミリア、お前も加勢せい。もう浄化は済んどるじゃろう」
「……人遣いの荒いお方だこと」
更に前を向いたまま、ヨゼフは力場の外にいたロミリアにも呼び掛けた。
ゆたり。彼女は部下達に心配されながらも苦笑して立ち上がる。そっと持ち上げた手から
何処からともなく占札を取り出し、てくてくとこちらに近付いてくる。
やはり力場はヨゼフ自身が自由に出入りする者を選べるらしい。サッと文様壁が引いた隙
間から彼女が入り込み、数の上ではようやく両者は三対三になった。
片や七星級二人とその持ち霊。
片や“結社”の魔人達。
されど状況は、明らかに前者に有利なように見える。
『──ここにいたか。使徒バトナス。アヴリルに、ヘイトも』
だがしかし、その有利さはあっという間に打ち砕かれてしまったのだった。睨み合い、今
にも再びぶつかりそうになった次の瞬間、突然彼ら三人の頭上に小振りな光球が浮かび上が
ったからである。
これに、誰よりも驚いたのはヨゼフであったろう。何せ自慢の“檻”がいとも容易く第三
者の進入を許したのだから。実際、光球が現れた瞬間、彼の作ったこのドームは激しく歪ま
されていた。
矛が、曲剣が占札が構えられる。
だがバトナス達は、そんな警戒心にはもう目を向けずに、慌てて胸に手を当て低頭の姿勢
をみせていた。光球──ストリームを介した“教主”の声が響く。
『撤収する。目的は果たされた。帰還するがよい』
「!? し、しかし!」
「僕らは……ッ!」
『撤収すると言ったのだ。……そんなに、二度目の負けが欲しいか?』
バトナス、そしてヘイトが思わず食い下がろうとしていた。
前者はジークに、後者はクロムに。逃がさない許さないと思った相手への敗退。しかし対
する“教主”の声はあくまで淡々と冷静冷徹で、次の瞬間には二人はぐうの音も出ずに押し
黙ってしまう。
『──』
ぎろり。そしてヨゼフ達に向けられた眼は、一切の躊躇なき憎しみであった。
それでも“教主”の命令は絶対だ。彼ら三人は爆ぜて消えた、その光球の威力で四散させ
られたヨゼフの力場から抜け出し、瞬間、黒い靄に包まれながらあっという間に空間転移し
ていってしまう。
「……」
しんと、場に張り詰めた静寂だけが残った。
すんでの所で逃げられた──ヨゼフ達は勿論、場に居合わせた全ての者達が唖然とする。
あれは何だったのか? 七星連合総長すらいなしてみせたあれは?
結果的には退けられた筈だ。なのに、全くというほど“勝った”気分にはならない。
『──ッ!?』
しかし、その直後だったのだ。
妙な消化不良感。されど最悪の事態が回避されたらしいという安堵。そんな面々の苦笑の
横っ頬を引っ叩くように突然、ズンッ! という見えぬ衝撃が辺り一帯を襲ったのである。
「なっ、何!?」
「地震か?」
「かっ、勘弁してくれよ! 災難はもう懲り懲りだって──」
「お、おい! あれ……」
暫し面々は狼狽した。シノ達やヨゼフらが宥める、再び避難を呼び掛ける。
だが程なくして、彼ら達は知ることになる。気付かざるをえなくなる。
最初、一人の市民が指を差した。皆が次々にそれにつられて──中空を見上げる。
「……何よ、あれ」
サァッと青褪めた。言い知れぬ不安が胸奥から湧き上がった。
面々が見上げた中空、空っぽになっていた筈の隔壁の内側。
その空が明らかに軋み、ひび割れ始めている。