51-(2) 彼が得たもの
「……っ、はあ……ッ!」
風が止んで消えていく。リュカは暫く掌を眼下に向けていたが、敵の姿が見えなくなった
ことでようやく安堵と呼吸を確保した。
隣にはジークが立っていた。いや、立っているのがやっとだった。
前髪に隠れたその表情。しかし肩で全身で息を荒げるその様子は尋常でない疲労を表して
いる。握っていた二刀がザクッと石畳に落ちて刺さった。ジークもまた敵の消失を確認し、
尻餅をつくようにその場に崩れると、そのまま大きく仰向けに倒れ込んでしまう。
「ジーク……。大丈夫?」
「ああ。何とか。サンキュー、リュカ姉。助かった」
ゆっくりとリュカが振り向く。問うてきた彼女にジークはその格好のまま、乱れた呼吸を
整えながら応えている。
リュカは眉根を寄せた。辛くて、自分の痛みであるかのように錯覚した。
だけれど……。彼女はそっと彼の下に歩み寄り、スカートを押さえながら屈むと言う。
「助かった、じゃないわよ。無茶苦茶よ……。やっぱりあんな戦い方、危険過ぎるわ」
「でも、勝っただろ。逃げるしかなかった俺達が“結社”の魔人を自分達の力で追い払えた
んだ」
だけどもジークに懲りた様子はない。抱え込んだマナはすっかり四散してしまったが、彼
はこの一戦で自分なりに掴んだものがあったらしかった。
懐から布袋を取り出し、大きめの霊石を一つ胸に押し当てる。ホウッと淡く輝くマナの光
と共に、消耗した力が回復していくのを感じる。
次いで、金菫。
じっくりと霊石が溶け切るのを待ち、ジークはこの糸房がついた脇差型の聖浄器を発動、
ザクリと自身の身体に突き刺し、今度は身体に刻まれた傷を癒し始める。
『……』
お互い、黙っていた。
無機質な空を見上げたジークの眼。きゅっと唇を結んで視線を逸らしたリュカの横顔。
二人は黙っていた。暫くの間、二人は言い出し難い雰囲気の中でぼんやりと考える。
(まぁ、そう思った通りに強くはなれないか……)
ジークは思う。確かにバトナスを撃退することはできた。しかしそれは間違いなくギリギリ
の戦いだったと言える。
実際、奴はすぐに見破ってきた。今回は意表を突く形で押し切れたからよかったものの、
また同じやり方が通じるとは考え難い。
課題は見えた。力の配分を覚えなければならない。何より地の剣技をもっと磨かねば。
これでようやく、同じ土俵に立てるようになったといった所か。それも接続を使ってやっと
いう状態だ。リュカ姉にはつい強がってしまったが、正直あの瞬間、加勢をして貰っていな
ければ一発喰らっていた可能性が高い。そしてガス欠のまま押し返されて、自分も彼女も
殺されていたかもしれないのだ。
──新しい戦法を見出したことによる、慢心。
だがそう言ってしまえば、それで済むのだろうか?
いや、済ませちゃいけない。引っ込めちゃいけない。力が……必要なんだ。
もっともっと、理不尽な奴らから大切な人達を守れるように。
もう何処にも、やってしまわないように。
(どうして、こんなことになっちゃのかしらね……)
リュカは嘆いていた。心の中で、傍らで息を荒げて仰向けになっている昔馴染の少年の姿
を見、今に至ったありとあらゆる巡り合せを恨みたくなる。
サンフェルノで、父と共にシノさん達の出自は聞き及んでいた。だけど彼女は王族として
の自分を諦め、せめて愛する人と穏やかな暮らしをしたいと望んだ。
なのに……世界はそれを許してくれなかった。二十年後、その息子であるジークとアルス
を狙った“結社”の影、幾つもの争いに巻き込まれていく二人。
村を代表してここまで付いて来たのは、ひとえに心配だったからだ。
強い子達だと思う。昔、あれだけ辛く苦しい思いをしたのに、それぞれ自分に出来ること
を極めて「恩返し」をしようとしている。
でも、だから自分は哀しい。
そこまでしなくたって、いいんだよ……? 何度そう言って連れ戻したく思ったことか。
この子達が目指そうとしている道の、何と孤独で報われぬものであることか。
だから、辛い。何処かで本人達も気付いているのかもしれないけれど、それでもあくまで
こうして闘うことが自分達の意思だと言い張るのだから、結局自分は強く言えないでいる。
……私も、もっと強くなった方がいいのだろうか?
この子達ばかりに、こんな思いをさせなくちゃいけないというのなら。
「あいつ……死んだかな?」
ぽつり。まだ仰向けに寝たまま、ジークがそんな事を口にした。
訊ね返すまでもなくバトナスのことだろう。リュカはごそごそと動いて身体を石廊の端、
崩落した部分へと向け、大量の土埃残る眼下の空間に目を凝らす。
「どうかしら。結界主が距離を操っていれば墜落死自体なくなっているだろうし、そもそも
相手は魔人だから……」
そうだな。呟くリュカの応答を受け、ジークもまたのそりと起き上がり始めた。
慌ててリュカが振り向き、まだ寝ていなきゃと止めようとする。
だがジークは大丈夫だと笑ってみせた。強がってみせた。何度か服の汚れを掃い、それで
も切れたり破れたり、血汚れの染み付いた自身の姿に、彼はそっと自嘲う。
「サフレ達、着いたみたいだな」
「ええ。アルス達、無事だといいけれど……」
二人して見上げた先には迷宮の最上層が佇んでいた。
とりわけ太く頑丈に建つ石塔、その天辺を覆う石のドーム。見れば今はその一角に風穴が
空き、微かだが遠く距離を渡って爆音らしき音が耳に届いてくる。
「俺達も急いだ方がいいな」
バトナスをとどめを刺すべきかとは思った。だが、急ごしらえで回復したとはいえ、また
奴と戦いに行くのはさっきよりも不確定さが多過ぎる。何より下に降りなければならない。
止めておいた方がいいとジークは判断した。
王──母さんやアルス達を助けよう。時間ならば充分に稼いだ筈だと思いたい。
「そうね。少なくともあいつは、すぐには追っては来れないだろうし」
少し崩落先を見遣って、リュカも同意を示した。ついっと風穴の空いた最上層を見る。
ジークは頷いた。地面に転がっていたままの紅梅と蒼桜を回収して一旦鞘に収め、大きく
深呼吸をして気合を入れ直す。
「飛ぶわよ。結界主や取り巻きがサフレ君達と戦っている今なら、邪魔されずに直接飛んで
行けるかもしれない」
言って、リュカは風紡の靴を唱えた。
二人をカバーする足元の魔法陣から起こる幾陣もの風。
やがて二人は両足にその風を纏って、無機質さ広がる空へと跳び出していく。
「──やはり此処も封印されていますね。壊しますか?」
「ううん、大丈夫。大体どんなものかは把握してるし、そもそも僕が相手なら通してくれる
だろうしね」
一方で、ジーク達は知る由もない。
迷宮内・志士聖堂。時を前後してその地下への扉が開かれようとしていた。
聖堂の内部へと足を踏み入れているジーヴァとヴァハロ、そしてそのように一見穏やかな
声色で語るローブの男。
『……』
最早誰も彼らを邪魔できる者はいなかった。
正義の盾傘下の兵士達だった亡骸の山とスタンロイ、そして全身血塗れになってぴくりと
も動かなくなったデュゴーの身体。
灰色の空の下、また一つと、聖堂深部へと通じる封印が解かれようとしている。